生きている、という奇跡
金曜の夜
明日5時起きの僕と息子だけ早めに布団に入る。
まさに遠足の前日みたいにずっと興奮冷めやらぬ様子の息子は、
「早く寝ないといけないのに、眠れない」
としきりに言いながら、不意にとなりで寝ている僕の大きなお腹をぺちぺちと叩き始めた。
「お父さん、最近、肉体労働始めたって聞いてたから、てっきり痩せたかと思ったけど、全然やせてないねー」
という彼の言葉に苦笑いしつつも、思わずホッコリしてしまう。そして、なぜだか気持ちまで少し明るくなった。
その後、眠れぬ彼のためにYouTubeの眠れるBGMとか波のさざなみの音とか催眠術の動画とか流したけれど、どれも効果がなくて、結局、
「もういい歳なのに、私がいないと眠れないなんてどうしたもんだか」
とぶつくさ言いながら妻がやってきた途端に、プースカ、プースカといつもの寝息が聞こえてきたのだった。
そして、翌日、無事に5時に起きられた息子に叩き起こされて、今回、初めて訪れる釣り場である大磯へ向かった。
しかし、この日もちょっとしたハプニング含めて、いろいろとてんこ盛りな一日だったなあ。
そして、挙げ句の果てに、今、なぜか僕は家族3人で大磯ロングビーチにあるプリンスホテルに宿泊している。
本当にわれながら
なんで?
という展開である。
けど、本当にいろいろあったこの一日で、間違いなく自分にとってのハイライトは、こんなとってもささいな体験だった。
それは午後3時過ぎくらいのこと。
朝から港にある堤防でずっと投げ釣りをやっていた息子と僕は、風が急に強くなってきたのでそれを諦め、堤防のそばの海におもりとエサのついた釣り糸を垂らすというプリミティブな方法に切り替えたのだった。
僕は釣り竿を持った息子の隣で、四つん這いになりながら、釣り糸の垂れた水面のあたりをずっと固唾を飲んで見守っていた。
海は、緑なのか青なのかなんとも形容しづらい、どこかくすんだような色をしていた。
そして、その表面には波の動きにあわせてゆらゆら揺らめく白い光の破片がところどころきらめいていた。
ほどなくして、そんな海のヴェール越しに、僕らが垂らした釣り糸の周りに小さな魚たちがどんどん集まってくるのが見えた。
息子が
「来てる、来てる!」
と声を上げた。
それに対して僕も
「来てるね、来てるね」
と答えた。
その瞬間だった。
不意に泣き出しそうになってしまったのは。
もちろん悲しいわけじゃなかった。
むしろ楽しかったはずなのに。
いや、そういう単一の感情では表せないような様々な感情、まさに万感の思いのようなものが突然大きなうねりとなって僕の心の中にどっと押し寄せてきた
そんな感じだった。
そして、このとき同時に僕は
自分が生きている
という事実を強烈に実感しながら、
それは決して当たり前のことなんかじゃなく、
とてつもない奇跡
のように思えたのだった。
確かに僕たち生きとし生けるものはみなひとつの例外もなく
この世界に生まれ、歳を重ねていき、やがてきれいさっぱり跡形もなくこの世界から消えていなくなる
これ(生きる)を
奇跡
と言わずして何を奇跡と言うんだろう。
にもかかわらず、そんな奇跡の他に
いったいおまえはこれ以上何を望むというのか?
涙のせいでよりいっそうゆらゆらと美しく輝き始めた水面を見つめながら、僕はそんな風に自問自答していた。