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短編小説「蝉」

夏休みが終わるまで約一週間、僕には悩み事があった、それは———

「和希ー!夏休みの宿題終わったのー!?」
「ううん、まだー」
「あと一週間しかないでしょ!また去年みたいにお母さんやってって言われても、知らないからね!」

そう、もうすぐ夏休みが終わるのに、未だ夏休みの宿題が終わっていなかったのだ。
今年は友達と一緒に海へ行ったりバーベキューに行ったりと忙しかったので、宿題に手を付ける暇がなかったのだ。
夜にやりなさいとお母さんに怒られたが、一日中遊んでいたら疲れてすぐに寝てしまうに決まっている。
少しずつ進めてはいたが、あと二つ、自由研究と読書感想文だけ終わっていなかった。
読書感想文はあとがきを見ながら書けばいいって友達から聞いていたので、やろうと思えば一日で終わるが、自由研究はそうはいかなかった。

「うーん、自由研究って何すればいいか分かんないよー」

悩みに悩んだ末、友達もやっていた虫の研究をすることに決まった。
近くの山へ行き、虫を捕まえ、その虫の絵を描いたり、虫の動きを観察したりするだけだ。
お母さんに言うと山へは行くなと注意されるので、明日友達の家に行くと言ってこっそり行くつもりだ。

次の日

「お母さん、行ってきまーす!」
「いってらっしゃい、気を付けてねー」

僕は頭に麦わら帽子を被り、虫取り網と虫かごを持って山へと向かった。
山は僕の家から歩いて20分くらいの場所にあるが、自転車があるので平気だ。
気温が高く、別の日にしようかと途中で思うくらいには暑かったが、山の中は木陰が多くて涼しそうだったので、そのまま入ることにした。
捕まえたい虫はやはりカブトかクワガタのどちらかだろう、子供が簡単に見つけられるものなのかは分からなかったが。
30分程歩いて、カブトクワガタどころか、研究できそうな虫がまるでいなかった。
山の中は蝉だらけで、ミンミンと煩い声がずっと鳴り響いている。
頭がおかしくなる前に帰ろうとしたその時、人の声が聞こえた。

「———」
「ん?」

聞こえたと言っても、何を言ってるかまでは分からなかった。
大人の男性の声がこっちの方から聞こえる、というか叫んでいる。
知らない人にはついていくな、とお母さんからはたくさん注意されていたが、何故か足がそちらへと歩みを進めていた。
その声に近づいていくと、大きな広場に辿り着いた。
広場の中心位置に、小さな蝉が転がっており、その蝉から男性の声が聞こえた。

ダッダッダッと廊下を走ってくる音が聞こえる。
和希の足音だと一瞬で分かる、それ以外だったら急いで通報せねばならない。

「和希ー、廊下は走らないっていつも言ってるでしょー」
「お母さん!お父さんいた!」
「え?」
「お父さん!いたよ!」

和希の両手には静かに佇む蝉が一匹いた。

「きゃあ!」

虫が苦手な私は驚いて尻もちをついてしまう。
虫取りの道具を持って出かけたのは知っていたが、まさか掌に持っているとは思わなかった。

「ちょっと!私が虫苦手なのは知ってるでしょ!」
「そうだけど・・・虫じゃなくてお父さんなんだよ!」
「はぁ・・・もういい加減にして!」
「!?」
「遊んでないで早く宿題やりなさい、分かったわね」

お父さん、つまり私の夫は昨年事故で亡くなった。
その日大きな地震があり、その揺れによる落石が死因だ。
それ以来、私と和希の間には壁が生じてしまった。
育ち盛りで元気いっぱいの和希の育児を私一人でするのはとても大変で、仕事や家事も全て一人で頑張っていた。
夫に泣いて縋りたいと思う日は数えきれず、後追いしようかと頭を過ることもあった。
しかし、和希を独りにすることは出来ない、その想いから何とか毎日を必死に生きている。

「蝉がお父さんって・・・冗談もいい加減にしてよね、本当」

宿題が済んでいないことも相まって、私の中のイライラが収まることはなかった。
どうすればいいんだろう、助けてほしい、あなた・・・。

一週間後の夜、和希の夏休みは最終日を迎えていた。
家事を全て終え、お風呂に入り、寝る準備をしようかと思ったところで、和希がリビングで寝ているのを見つけた。
読書感想文がようやく終わったのだろう、原稿用紙と鉛筆が机の上に置かれていた。

「全く・・・ベッドに連れて行くのも大変なんだから・・・」

和希をベッドに運び、机の片付けをしようとしたところで、原稿用紙の中身が目に留まった。

『久美子へ』

和希の文字でそう書かれていたその文章を見て、一週間前、和希が言っていたことを思い出した。
私を励ますために書いてくれたのだとしたら、嬉しいと思うべきか腹立たしいと思うべきか、複雑な感情を持ちつつも、とりあえず何を書いたかだけ読んでみることにした。

『まずは最初に謝っておきたい、久美子と和希を置いて、先に死んでしまったこと、本当に申し訳なく思っている。
久美子のことはこの一週間ずっと見ていたが、俺がいなくなってからも仕事や家事、和希の世話も頑張っていたね。
俺が事故で死ななければこんなに苦労をかけることはなかったんだと思うと、山に行ったことを後悔してもしきれないよ。』

和希が自力で書いたとは思えない文章だ。
そもそも和希はまだ小学3年生、最近スマホで漢字を色々調べながら書いてるのは知っていたけど、漢字を調べたところで使い方が分からなければこのような文は書けないと思う。

『俺が和希に伝えたいことはこの一週間でたくさん伝えた。
お母さんのいいところ、お母さんの好きなところ、そしてこれからは俺の代わりにお母さんを守ってほしいということ。
それだけじゃないが、大体こんなところだな。
俺が和希に通訳を頼んで久美子と話をしようとしたが、和希がふざけていると思い込んで相手にしないだろうと思ったから、久美子に手紙を書くことにしたんだ。』

意味が分からなかった。
え、本当にあなたなの・・?

『手紙を書くのも書いてもらうのも初めてだから、何て言えばいいか分からないが、一言で言うなら俺は久美子のことがとても好きだ。
久美子の性格も、笑顔も、作った料理も、笑いのセンスも、変な趣味も、全部好きだ。
こんな素敵な女性を残してあの世へ行くなんて、俺はどうかしてると思うぜ。
久美子が昔2人で撮った写真を見ながら泣いている姿を見て、俺は出来ることならこの手で守りたいと思った。
でもそれは叶わない、だから和希に全てを託したよ。
和希は僕に任せてと自信満々に答えていた、あんなやる気に満ちている和希は初めて見たね。
そのやる気の第一歩がこの手紙だ、こんなに長い文章書くのに和希はものすごく頑張ってくれたよ。
とはいえ、和希も大変だから、そろそろ手紙も終わりにしようと思う。
もっと久美子に元気を出してもらうような言葉を書きたかったけど、俺には難しいな。
最後に一言だけ、』

そこで文章が終わっていた、途中で和希の眠気が勝ってしまったのだろう。
私は確信した、あの蝉は夫なのだと。
その瞬間、家中を捜しまわった。
私には蝉の声は聞こえないけど、私の声は聞こえるはず。

「あなた!どこにいるの!?あなたー!」

手紙を読んでいる途中から止まらなくなっていた涙で前が見えない。
それでも私は必死に家の中を捜した。
ずっと煩わしいと思っていたあの蝉の声が早く聴きたいと思った。

「和希!ちょっと起きて!」
「んー?何お母さん」
「あの蝉、あれお父さんなんでしょ?どこにいるの!?」
「・・・お父さんならもう死んじゃったよ」
「え?」
「今日の昼間にもうすぐ死ぬから埋めてほしいって頼まれて埋めちゃった」
「でも寝る前まであの手紙書いてたんじゃ」
「それ書いたのは朝で、さっきまで書いてたのは読書感想文だよ」
「そ、そう・・・うぅ・・・」

和希の言うことを何故信じてあげられなかったのか。
もっと耳を傾ければ、話すことが出来たかもしれない。
後悔しても仕方ないのだけれど、話す機会があるなら話したかった。

「お父さんと話したかったの?」
「・・・え?えぇ、ぐすっ、ごめんね和希、あなたのことを疑ってしまって。あの手紙を読んだらお父さんだって気付けたんだけど、それまでずっと信じられなくて」
「まぁ、それは無理もないよ。僕も自分で言ってて変だなと思ったから。でも安心して、こっち来て」

和希に連れていかれたのは和希の部屋だ。
和希の部屋の中にある虫かご、そこには一匹の蝉が入っていた。

「あ、あなたなの!?」
「ふふ、そうだよ。お父さんに頼まれてドッキリしてみたんだ」
「・・・あの人ならやりかねないわね、全く」
「声は怒ってるけど、涙ながしながら笑ってて変なの、お母さん」
「ふふ、全くね」

その後、私は蝉になった夫と、和希を通してたくさん話をした。
初めはとても楽しかったけど、最後の方はやっぱり泣くのを堪えられなかった。
それでももう二度と話せないと思っていたから、私は嬉しかった。

「ありがとう、あなた。愛してるわ」
「・・・俺もだよ久美子、愛してる、だって、ヒューヒュー!」
「からかわないの!・・・ふふっ」
「やっぱり僕、笑ってるお母さん大好き!」
「え?そ、そう?そういえば久しぶりにこんなたくさん笑ったわね」

夫が死んでからはお笑い番組を見ても微塵も笑うことはなかった気がする。
笑う、ってとても幸せな気持ちになることなんだ、そんなことも忘れていたのね。

「そろそろ本当にお別れだって、お母さん」
「・・・そう、じゃあ最後に一言だけ・・・私と和希のことなら心配しないで。これから私一人で気負わずに和希と一緒に頑張っていくわ・・・いってらっしゃい、あなた」
「うん!お母さんのことは任せてよ!」

和希がそう言って胸を叩くと、夫はミンミンと鳴き、動きを止めた。
そのままピクリとも動かなくなり、とうとう逝ってしまったのだと察した。

「いってきます、愛してる、だって」
「・・・そう、ありがとう和希」
「って、読書感想文まだ途中だった!明日学校なのにー!」

慌ただしくリビングへ戻る和希。
私は息を引き取った蝉を見つめながら、これまでの夫との思い出を振り返る。
私も愛しているわ、あなた。

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