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みぎとひだりとコンタクトケース

右と左が咄嗟に思い浮かばない。
私はこれを、長年自分の引き出しに仕舞い込んで大切に抱えていた。

小学校の体操、ダンスの授業は毎回憂鬱だった。
「右から!いちに!いちに!」
行進はどちらの足スタートか毎回焦りながらついていったし、向き合ってダンスを教えてもらうと鏡のように同じ腕を上げてしまう。みんなはどうしてこれがすぐできるんだろう?私は右左がわからない、欠陥のある人間なんだと思って生きてきた。


誰しも他人に劣等感を抱いて生きているものだ。私もまた、これらの劣等感と、小さな優越感を大事に抱えていた。誰かと親しくなりたい時にはそっと引き出しを開けて、劣等感を打ち明けた。

先日、接骨院でたまたま「右手を上げてください」と言われて左手を上げてしまった。そして先生に、「すみません、右左を咄嗟に判断するのが苦手で」と伝えた。
すると先生は(これまで打ち明けた人たちのように)気の毒そうにするでもなく、共感するでもなく、あっさりと「訓練が足りてない」と言った。

右左を覚えるのは才能ではない、訓練だと。
訓練が大量に必要な人もいれば、すぐ覚えられる人もいる。
たまたま、多くの訓練を必要とする分野だっただけ。それをサボっているだけ。ちゃんと覚える気になったら覚えられる。
そんなことを言われた。


その時はたまたま私の精神状態がよく、(これまでも聞いていただろう)その話がスーッと染み込んできた。

私は、私のことを思い込んで型にはめていたんだ。
「右左がわかんない」ってちょっと面白いし、このまま覚えないでいようって思った下心に確かに覚えがある。

その後急速に恥ずかしくなった。
左右がわからないと打ち明けていた自分を穴に埋めたい!
一人前になる努力もせずに、できる人を「いいな〜」なんて軽く言っていたなんて!めっちゃ努力してわかるようになった人もいたかもしれない。いただろう。
恥ずかしい!もう2度とこの引き出しは使わない、そう思って引き出しごと捨てた。


私は毎日、夜にコンタクトを外す。
コンタクトケースに自分の名前を書いた。ひだりに「ゆ」みぎに「か」。37歳、もう一度真剣に左右を覚えることに向き合おうと思う。

毎晩コンタクトケースを出して、繰り返す。右が、か。右が、か。右が、か。
ここからでも、まだまだ変われることがあると思うと、ワクワクする。

一体何ヶ月かけたら、今より早く右左がわかるようになるのか?ワクワクする実験だ。


今不満がある事柄を「のびしろいっぱい」というフレーズで表現する人を最近見かける。未来の景色がある素敵な言葉だと思う。
さて、私はいつ右左に自信が持てるようになるか?それとも途中で飽きてこのままでいいやと思うのか。

少なくとも、以前よりは気持ちよく生きている景色が見える。

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