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【ネタバレ感想】映画「ある男」

映画の見方というのは人それぞれだろうが、私は一人で外食した後や予想外に暇になってしまった時に目についた映画を見に行くのが好きだ。
この「あの男」という映画もそうだった。
目を引いたのがこの映画には「あらすじ」が載っていなかったこと、ただ「あの男製作委員会」という文字だけがあるあまりに簡素すぎる紹介。まるで料理名以外の情報が一切無い頑固親父が経営する飲食店ようで気に入った。
そして見た。

結論から言うと、面のいい男がジワジワと追い詰められていく姿に一種の興奮を覚える私には滅茶苦茶に刺さった。

序盤は谷口親子の家族愛を語る作品だと思っていたが、むしろそっちがサイドストーリーだった。この作品の最大の魅力は過去と自分を捨てて幸せを勝ち取った谷口大祐(偽)に心を惹かれて壊れていく城戸の姿だった。
殺人鬼の子供として思い悩む大祐と、在日と他人に煽られて思い悩む城戸。
同じように生まれで他人から偏見を持たれる境遇でありながら大祐の周りの人間は優しい人たちばかりで、一方の城戸はコンプレックスをチクチク刺す無神経義父・浮気を疑ってくる妻・シンプルに性格が悪い谷口恭一・メスガキみたいな言動するムカつく詐欺師の爺と碌な奴がいない対比も良かった。
この作品は「リアルにいそうなリアルにいて欲しくない性格悪いおっさん」のセリフ回しが芸術の域に達している。
城戸が一体何したってんだよ。

だが大祐に向けられた「さすがは殺人鬼の血を引いてるな」という一言はボクシング新人チャンピオン候補を一撃でノックアウトした。ここで殴りに行かなった大祐はあまりに人間が出来過ぎている。殺人鬼の血が自分に流れていると言うが根本的に暴力に走らない、父親とは違う善良な人間だと思えるのがいい。他人への暴力性を自分を痛めつけることで発散しているとも取れるが、名前を変えた後は自虐性もなりを潜めているのでそうではないと思いたい。
ボクシングをやっているのは自分を痛めつけたいだけと語る大祐を殴りつける会長は正直どうなんだと思ったが、そのあとに柳沢の言った「今の家族は俺たちだろ」は不意打ちだったこともあり涙が出てしまった。あの後大祐が立ち直れたら滅茶苦茶熱い青春ボクシングストーリーが始まっていたかもしれない。その展開も見たくなるくらい魅力的なシーンだった。
それゆえにその後に鏡の中に父親を見てランニング中に心が折れて地面に転がりながら、泣き声とも笑い声にも聞こえる慟哭はもう立ち直れないという現実を叩きつけられる印象的なシーンだ。この映画で一番好きだけど一番嫌いな場面。

そして城戸
大祐の悲惨な過去と名前を捨てた結果得られた幸せを照らし出す資料に、一番自分を捨てられない理由である自分の子供によって、その資料を汚されたシーンは現状という現実を彼に叩きつける演出だったのだと思う。そして小見浦や子供に怒鳴り散らかす姿も他人へは決して攻撃性を見せなかった大祐との対比になっている。
家族と和解し食事に出かけ妻の浮気の証拠を意図せず見つけてしまうシーンはハッピーエンドに見せかけて地獄に落とす性格が悪く最高の演出だった。大祐の心が折れた瞬間がランニング中の慟哭であるなら、ここが城戸の心が折れた瞬間なのだろう。
最後のバーで彼は谷口大祐になりきって過去を語るが
あくまで他人に成り代わり自分で幸せを手に入れた大祐と、他人に成り代わり他人の幸せを自分のように語る城戸では圧倒的な違いがあり城戸の救いの無さを強調している。

谷口親子(里枝と修人)に関しては、修人君のメンタルが作中でぶっちぎって成熟していた。彼は度々変わってしまう苗字を通して「一体自分は何者なのか?」という悩みを抱えていたが、最終的に父と自分の名前がなんであろうが「自分は父親が好きだった」という自分を見出す。この作品のハッピーエンド部分の9割は彼が担っていた。お前がメシアだ……。

最終的にバッドエンドと言える結末となるこの作品であるが、オタクの大好物であるエンディングがオープニングに繋がっていく王道演出と
「男の背中を見つめる男の絵」を見つめる城戸の姿はこの作品を象徴する名画だ。

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