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84日間の記憶 #1

2022年、9月4日、私が36歳の誕生日を迎える少し前、父がこの世を去った。
肺がんだった。

2024年5月の今日、なぜ私が父の死について書こうと思ったのか。
父の死が私に、もたらした影響や、病気を宣告されてから、9月4日までの間の出来事を、その時の自分の気持ちを、言葉にしたいと思ったからだ。
直後は、あまりに辛く、思い出すことをしたくなかった。全然違う事を無理やり考えたり、いつも通りに仕事や、家事をこなしたり、テレビや動画を見て思考を停止させようとした。

生とはなんなのか、死とはなんなのか、父の人生はなんだったのか、私の人生はなんなのか。
湧き上がってくる、それらの疑問に蓋をして、考えないようにした。
父のことを思い出せば、涙が止まらないし、自分の人生について考え始めると、大切な人の死を経験しても、なお、特別な事を始めるわけでもなく、日々を生きて、この先もこんな日常を積み重ねていくのであろう自分に、嫌気が差したからだ。

私は子供の頃、とても死を恐れていた。
人間は誰しも必ずいつか死ぬ。自分も、今、自分の周りにいる人も。
そして、死イコール無であり、死ねば何も分からない。肉体もなくなる。この世に自分がいた事など、なかった事であるかのように、世界は変わらず周り続ける。それを思うと恐くてたまらなかった。
まるで暗く、深い穴に、音もなく静かに落ちていくような、そんな感覚に体が支配された。

私が度々、死について考えるようになり、このような感覚に陥っていたのは、たぶん小学校低学年の頃だったと思う。
きっかけは、はっきり覚えていないが、当時テレビで活躍していたアナウンサーが、ガンを患い亡くなったニュースを見て、ついこの前まで毎日のようにテレビで見ていた人が、もう、この世にいないのだと思った時に、死イコール無なのだと感じた。
それ以来だろうか。ドラマやニュースで葬儀の映像などを見るのも怖くなり、死に関連するものが映し出されるとテレビを消すようになった。
そして、死について考える度、暗くて深い穴に落ちる感覚を1人味わっていた。

当時、父、母、祖母と4人で暮らしていて、父よりも母や祖母といる時間が長かったと思うが、私は母にも祖母にも、この死に対する言いようのない恐怖を口にしたことはなかった。
でもある日父に、この恐怖を打ち明けた。
父はいつも通り、お酒を飲んでいて少し酔っていたし、父のことだから、たぶん特別何も考えていなかったと思う。でも、この時、父から返ってきた言葉は大人になった今でもよく覚えている。

『死んだら、生まれる前に戻るだけだよ。だから怖がる必要はない。』
私たちは生まれる前の記憶を持っていない。私が生まれる前も後も、世界は変わらず周っている。もちろん、生まれる前は肉体も存在しない。
父の言葉は、当たり前の事のようであるが、幼い私の心に深く刻まれ、不思議と納得できた。
それ以来、子供の私は、やみくもに死について考えたり、恐がったりすることはなくなっていった。

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