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批判的に捉えること。

お久しぶりです。週1投稿を目指しているのですが前の投稿から11日経ってしまっていました、、😭

さて、先週末は久々に地元に帰ってきて、母校の進路講演会に卒業生として参加させてもらいました。
各教室の黒板にプロジェクターが設置されていて、卒業してからの3年間の時の流れを感じました。
私は母校も今通っている大学もとっても愛着があるので、とても嬉しかったし楽しかったです。笑

今回は、その講演会で後輩たちに話すにあたって考えたことと、その日の夜にインターンズで行った読書会で話題になったことが自分のなかで繋がったので、そのことを書きたいと思います。

テーマは、タイトルの通り「批判的に捉えること」です。
※時系列と話題があちこちいきます。頑張って書くので温かい目で読んでください🙇‍♀️

進路講演会の話

今回は、主に中3の子たちに向けて自分の大学や学んでいることを話して欲しいという依頼でした。
以前インターンをしていた教育系の団体でも同じようなテーマでプレゼンをする機会があったので、ある程度話すことは固まっていました。ただ、今回の講演会のことをむつみさんとの1on1でお話した時、今のみっくーだから話せるメッセージを伝えた方がいいよ〜という助言を頂いたので、プレゼンの最後に「大学に入ることがゴールではない」という話を組み込むことにしました。

実際に使ったスライド(色々消してます)

「大学に入ることがゴールではない」には、
・大学に行くことが当たり前という価値観を疑って欲しい
・大学に入ったあとのことを想像して進路選びをして欲しいし、大学に入ってそれまでの考えが変わることを恐れないで欲しい

という意味を込めました。

この記事のテーマに関連するのは1つ目なので、そっちを深堀します。
私の母校は、中高一貫校で高校受験がないので、中学入学と同時に進路希望調査ではどこの大学に行きたいかを訊かれるし、中学の総合の時間に大学のこと調べたりします。それで、実際9割位(年によってはそれ以上)の人が四年制大学に進学するので、「大学に行くことが当たり前」という感覚です(でした)。
でも、それはその学校や生徒の中の当たり前でしかなくて、世間一般を考えたら大学に進学するのは半分くらいだし、大学にいかずとも素晴らしい功績を残している人は居ますよね。
大学生になって、色々な方と出会ったり、大学で出会いゼミでも学ぶことを選んだ文化人類学という学問の「当たり前を疑う」というスタンスを知ったりする中で、「当たり前」や「普通」と思っていることは、誰かにとっては「特別」で、身の回りの事をちょっとだけ疑う≒批判的になってみることって大事だなぁと思うようになりました。
もちろん「なんとなく大学に行く」が悪いと思っている訳では無いです。ただ、その当たり前のように大学に行くコミュニティに所属しているからこそ見えなくなってしまうものもあるのかもしれない、ということを頭の片隅に置いて行動することに意味があるのではないかと思っているのです。

実際のプレゼンではここまで深くは話せませんでしたが、1つ目の意味でも2つ目の意味でも、少しでも後輩たちに考える機会を与えられていたら嬉しいなと思います。

インターンズ読書会の話

その日の夜、Colorbathのインターン同期で読書会をしました。スタッフの方がそれぞれに選んでくださった本を各自で読んで、その感想を持ち寄ってお話する会だったのですが、その中でイサナが言っていた「振られたタスクを一旦自分のなかで考えてみるって大事ですよね」という言葉が印象に残っています。
この話をきいていて、最近は、Colorbathのホームぺージ、Twitter、Instagram、ラジオと沢山のお仕事を任せて貰えるようになって、大学の期末期間も相まって自分の仕事をただこなす状態になっていたことに気づきました。

本当にこの媒体はこの使い方でいいのか、どんな目的でこの記事を書いたり投稿をしたりしているのか、その目的を考えた時にその行動は本当に最適なのかという部分をタスクを振られて一旦自分の中に落とし込んで考えること
≒振られた仕事をそのまま受け入れないこと
≒仕事の中でも批判的になること
も時には必要で、それがさらなる自分の成長に繋がりそう!と思いました。

ちなみにわたしの課題図書はこちらでした



批判的に捉えることには、きっと自分の中になるべく多くの視点や観点を持つことが必要で、そのためにはもっと多くの事象とか考え方を取り入れることが有効だなと思います。今週もアンテナ高くがんばりまーす🐥

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