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【連載小説】Monument 第一章#1

眞琴

 体験ボランティア説明会の資料作成が、わたしに回ってきたのは、まあ道理といえば道理だった。
 契約とはいえ市の職員で、説明会の開かれる科学館勤務。体験ボランティアには過去五回、足かけ三年通っている。常勤のボラさんを除けば、古参と言われれば、まあ、そういうことになるのだろう。
 資料作成、なんていうと、少しばかり大げさだ。
 常勤さんが作ってくれた原稿の誤字脱字を検め、書式を揃えて印刷ボタンをクリックすれば、後はコピー機が必要部数、ホチキスまで留めてくれる。
 きっちり人数分、講義室の机に資料を並べ、テーブルとイスを運んで受付にする。
 時刻は、午後二時を少し回った。

 受付のイスに落ち着くと、大きなあくびがひとつ出た。
昨夜はあまり眠れていない。
 どう話をしたらいいだろう?
 それだけで、頭の中は、いっぱいだった。
 順を追って説明すれば長すぎる。かといって、いきなり本題に入ろうものなら、それこそ正気を疑われかねない。
 ――いや、そんなことよりも。
 今日やってくるのは、ほんとうに「毬野馨」、その人なのか。
 何度目かのあくびを嚙み殺しながら、わたしは机の上の名簿に目を落とした。
 今回の参加は、三十四名。
 内三十名は近所にある大学の学生さんで、ご主人が定年を迎えたばかりらしいご夫婦が一組。
 そして、わたしと「毬野馨」さん。

 体験の名簿に、この名前を見つけたときには、胸の奥がぎゅうっとなった。もっとも、そこに並んでいた文字はといえば、「球野薫」というものだったのだけれども。
 この名前には、前にも一度、騙されていた。
科学館主催の市民講座に申し込まれたその名の主は、正真正銘の「たまのかおり」さん。上品な、シルバーグレイのご婦人だった。
 でも、今回は違う。
 苗字には「球野」とあったけれど、ふりがなには「まりの」。性別も「女性」だったけど、住所だって、最後にわたしが記憶していた、毬野の住所にほど近い。年齢も一緒だ。
 体験の申し込みは、常勤のボラさんが管理している。申し込みは「メールで」だったから、手違い、ってことも、なくはない。
 なにせ常勤のボラさんたちは、若くても七十に手が届こうかというご高齢だ。かなり使う人でも、このわたしに較べてさえパソコンが堪能とまでは言い難い。
 素直にコピペすればよさそうなものを、引き写そうとしてミスタッチ。
いかにも、ありそうな話だ。
 「念のため」
 そう言って転送してもらった、本人からのメールにはこうあった。
 「毬野馨 男性」
 今度こそ心臓が飛び跳ねた。

 ことあるごとに毬野は、その珍しい苗字から「球野」に、そして「かおる」という読み名から、女性と間違えられていた。照れ隠しに前髪をひねってみせる、なつかしい姿が目に浮かぶ。

 わたしと毬野馨まりのかおる、そして麦谷啓太郎むぎたにけいたろうは、生まれながらの親友……だった。
 なにせ、この世に産声を上げる以前から、一緒にいたのだから。
 わたしたちの母親は同じ病院で、わたしたちを産んだ。病室まで同室だった、というおまけ付きである。
 一番初めが、わたし。
 翌日には、毬野。
 その二日後に、啓太郎。
 物心なんてものがつく、ずっとずっと以前から、わたしたちは三人、一緒になって遊んだものだ。

 そんなわたしたちが離ればなれになったのは、十二歳の冬のこと。
 以来二十余年。わたしたちの間に、やりとりらしいやりとりは一度もない。
 けれど今日、毬野はここへやってくる。

 指先の震えを、止められなかった。
 思い出は、年月としつきに磨かれて無垢になる。
 わたしの思い出は、美しく研ぎ澄まされていた。
 迂闊に触れようものならば、傷を負わずにはおれないほどに。

 調べものに見切りをつけて、パソコンを閉じた。
 テーブルの上、転がしておいたカプセルに手を伸ばす。
 窓に向け、灰色の空に透かした。
 中身は、ちっぽけなプラスチックの塊。おもちゃの指輪だ。かつての安っぽい輝きも、今はもうない。

 ほんとうだったら朝のうち、モノレールの軌道に沿って、探索を進めるはずだった。なのに、重い腰を上げられぬまま、もう体験ボランティアの説明会に出かけねばならない時刻が迫っている。
 慣れない長旅は、思ったより身体に堪えていたらしい。
 昨晩は、チェーン居酒屋のジョッキ二杯で眠たくなった。ホテルに戻って、紙やすりみたいに糊の利いたシーツに転がると、昼前、いつもの夢から覚めるまでは、ぐっすり、だった。

 いつの頃からだったろう。
 毎年きまって初夏の数日、僕は同じ夢を見る。
 ペントハウスでピアノを弾く、髪の長い女性の夢だ。

 繰り返し見る夢だったら、他にだってなくはない。
 逃げ出そうとして、足がもつれて走れないとか、高いところから落っこちて、背筋がびくんっと伸びるとか。
 でも、この夢みたいに毎回同じで寸分違わず、幾晩も続けてみる夢なんて、他にはない。
 もう一つ、妙なことがある。
 「夢をみている」と気がつくと、僕はすぐ目を覚ます性質たちなのに、この夢だけは違った。
 いつもの夢だ。そうわかっていながら、この夢だけは続く。
 ほんとうに目を覚ます、そのときまで。

 なんで同じ夢が、繰り返されるのか。
 なぜ、初夏の数日間、続くのか。
 夢の中の女性は、誰なのか。

 ただひとつ確かなのは、このペントハウスから眺める風景が、故郷の街のどこからしい、ということだ。
 窓の外を走り去るモノレール。日本でこの形式は、二カ所にしか採用されていない。そのひとつが、僕の生まれた街の駅と、遊園地とを結ぶ線だった。
 調べがついたのは、ここまでだ。
 曲名が知りたくて図書館へ行き、ピアノ曲の棚に並んだCDの数に圧倒されて尻尾をまいた。耳になじんだメロディは、専門家に尋ねてみることだってできたろう。けれど、実在するのか怪しい曲を、口ずさんで聴かせる勇気はなかった。
 花の香りには、やはり初夏、街角で不意に出くわすことがよくあった。辺りを見回してみるのだが、どこから漂ってくるのか見当もつかない。
 背の低い、マホガニー色のピアノには特徴があった。これもネットで、それらしい機種に目星はついたが、それまでだ。

 バラ園の存続を知ったのは、モノレールを調べていたときのことだった。市民ボランティアが保全を担っているという。
 春と秋、それぞれ二週間ほど公開されて、その少し後、短期のボランティアを募ることも。

 なにかが、僕の背を推した。
 それが何なのかは、わからない。
 たぶん、口実として手頃だったのだ。

 時期もよかった。
 ゴールデンウィークと夏休みの、ちょうど真ん中。
 永年勤続の五日に、土日を付けての九連休にも、上司の許可はあっさりとおりた。
 ボランティアへの応募も、締め切りすれすれで間に合った。返信メールの宛名にあった「球野薫様」は、毎度のご愛敬だ。
 駅近のビジネスホテルに、連泊の予約も取れた。

 ままならなかったのは仕事のほうで、金曜日の残業だけでは片付かず、土曜日も半日費やして、一週間分の穴埋めを済ませた。
 そのせいにするつもりはないが、長旅への備え……心構えは、おざなりになった。
 こうして冷静に考えれば考えるほど、ばかばかしく思えてならない。いったい僕は、なにをしようとしているのか……こんなところまでやってきて。

 埒もない考え事で、時間が押した。
 ジャケットに、袖を通して部屋をでる。
 机の上のカプセルも、忘れずに。

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