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食べろハラスメント

食べられない、とにかくそうらしい。


ハラスメントとは認識しておりません

がん患者である本人だって食べなくちゃと思ってくれている。
でも食べるのが苦痛だと。
ときどき鬼みたいな顔して食べてる。ウェッて心の声が聞こえる。(時々ほんとにウェッてなってる)

「食べて」だとか「頑張って」だとか、食べてもらおうと思ってやることが相手にはプレッシャーになるんですよね。患者さんのご家族はきっと多くの方が似た経験をされていると思います。
「食べハラ」「頑張れハラ」
みんな良かれと思ってやっているのにハラスメント。

さらに私は黙っていても、思っていることが顔や態度に解像度高く出るので何も言わなくてもプレッシャーをかけてしまう高解像度妻。
めっちゃ食卓の雰囲気が重くなる。

打つ手がどんどんなくなる

病院やネットのアドバイスは「なんでも食べられるものをおいしく食べてください」とある。
そりゃそうだろうけど、「食べられる」状態じゃないらしいのに、「食べられるもの」って言われても。

昔好きだったものはもう食べたくないと言い、
一人前の分量を見ただけで嫌になると言い、
半人前にして出しても「全部無理かも」と最初に言い放ち、
スーパーで「これ食べる」と言って買ってきたものも手が付かないまま
これなら食べると言っていたものも「もう飽きた」(まぁ、飽きるわね)

食事を出す側は、正直くじけます。仕方ないのかもだけど、やっぱりへこむ。
でも夫だって食べようとしている。ウェッってなりながら。
お互い、辛過ぎ。

「食べて」ではない

毎日恐ろしく体重が減り続ける。食べてもらいたい、でも言えない。
食べ物に関して話すことさえ憚られるように思ってしまっていました。

でもやっぱり話さないとわからないのです。話をしないでいると、よかれと思ってやったことが裏目に出ちゃったりします。
だから、話すことは「食べて」「食べられない」ではなく「どうやったら食べやすい」かな、と思うのです。

「どういうところが食べにくいのか」「こうだったら食べられるかも」にフォーカスを置いて会話するようにしました。
聞くのが難しかったり、”食べろ圧”にすり替わったりとなかなか難しいのですが、やっぱり言語化、です。

家族で一緒に病気に立ち向かうわけで、敵は病気。食べられない患者や食べろ食べろとつっつく家族が敵ではないはず。

食事ネタの細かい話は尽きないのですが、まず食べる問題の大前提:言語化。
最後にちょっとだけ具体例。まだまだ試行錯誤中ですが。

やってること具体例:

夫(食べられない方、患者さん)

  • 「何が食べたいか」を言う(ダメ元でも)

  • 「何が食べやすかったか」を言う(後で意見が変わっても)

  • おいしかったら「おいしい」と言う(言って!)

  • どうやったら食べられそうかを言葉にしてみる。
    具体例:
    小さく切ってほしい、
    見た目のボリューム感を減らしてほしい、
    残した理由を伝える(固くて食べられなかった など)、
    味付けはシンプルにしてほしい、
    肉と野菜は別々にしてほしい などなど

妻(食べてもらう方、ご飯を出す側)

  • これまでの健康な時に構築してきた”相手の好きな食べ物データ”は崩壊していることを知る(妊娠すると食べ物の好みが変わるような感じ?)

  • 食べたいと言われたから出したのに、結局食べてもらえなくても気にしない

  • 私の料理がおいしくないのか、私がだめなのか、と陰キャ化しない。

  • ときどき自分の食べたいように自分のためのものを食べる(残したものを処理班として食べていると気が滅入ってくる。外食とか、食事の責任をnone of my businessにすることを挟むと自分のメンタルに効く)

しかし、食問題は闘病生活においてはボスキャラのように難しい。


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