Web小説が書籍化されても同じ小説とは限らない 第一章 第六話
第一章 第六話
また、男性同志のラブストーリーを描くBL小説も総じてWeb小説、ライトノベルだと考えています。私はファンタジーではなく、主にBL小説を書いています。
文芸作品にイラストはありませんが、書籍化されたWeb小説にはイラストがある。
BL小説も同じです。
そのイラスト次第で売上が左右されるのも、Web小説が『視覚情報』から、必要な情報を引き出す『後頭葉』で、優先的に処理されているからなのかな、と。
本の形態が急速に多様化する中、書き手は今後どのように対応し、対策をとらなければならないのか。
今は紙書籍も、ほとんど同時に電子書籍になりますし。
電子でも紙書籍でも同じストーリーとして、ニュアンスが読者に伝わっているのかとか。そこに差異や違和感はないんだろうか、とか。
そして、今後はもっと電子書籍が主流になっていくのなら、これまでのように、ヒトの情操面に訴えかけ、思考をうながす前頭葉向けの小説ではなく、視覚から得た情報を処理する後頭葉向けの書き方を、意識しなければならないのかも。
作品の設定や登場人物の情報開示は、すみやかに。
かといって、一度に処理できないほど提供はせず、ちょっとずつ。
舞台や登場人物もどこかで見た、あるいは読んだことがあるような既視感を感じさせるテンプレの方が望ましい。
とにかく、読み手の視覚と情報処理に、いかに負荷《ふか》をかけないか。
この段階で後頭葉に面倒くさいと、はじかれてしまったら、もうアウト。読者は、その先を読んでくれません。
効率的がモットーの後頭葉を、イラつかせない気配りが必要です。
そうして、ふるいにかけられた情報が前頭葉へ伝わると、物語だと認知され、思考や感情も起動する。これでやっと小説がスタートする。
後頭葉から前頭葉への動線を、いかにスムーズに引けるかどうかの親切心も、問われるようになるのかもしれません。
こうまでしても、Webで見る後頭葉向けの小説は、あっという間に脳を通り過ぎていく。
Webで『見る』文章は、なかなか記憶に根づきません。
この点も、前頭葉優勢の紙書籍との違いになります。
前頭葉は思考や感情のほかに、記憶を司る働きも兼ねています。
認知症とは、前頭葉の機能低下により、痴ほうや記憶の混濁が起きる病です。
それを踏まえて、Webで小説を書く時は、『さっき書いたばかり』のことを何度も書きます。くどいぐらいが丁度いいと、私は思う。
ヒトが視覚で処理できる情報なんて、ごく限られているんです。
そして、すぐに忘れちゃうんです。
また、ずっしりとしたテーマ性。張り巡らされた伏線の数々。
特にミステリーは謎解きですから、かなり頭を使います。
ライトノベルでは、ミステリーは歴史小説と同じぐらいに読まれいくいジャンルです。自作もまったく読まれていない言い訳ですけれど。
応用編のタイトルは、
【たましいの救済を求めて】
(たましいの救済を求めて | 記事編集 | note)
@satoshi2022冴木さとし様から頂いた上記策のコメントから、抜粋させて頂きました。
重たい話なんだけど、なぜかスラスラ読めてしまう。
次話を読まずにいられない。それもまた、ミステリーだとの感想も頂きました。
そうだとしたら、なぜなのか。
なにが違うというのかは、おそらく、本作の創作論に基づいて書いているから。
万が一、何らかの受賞ともなれば、まずは紙媒体での書籍化です。ですが、最初に読んで頂く媒体はWebです。ネット。
上記の【たましいの救済を求めて】は、Webで読んだら、これは重たい内容です。
……っていうか、紙書籍でしか読めないはずです。全然ライトじゃありません。
娯楽ですらない。
なのに、Webでもスラスラ読めてしまうミステリー。
小説の媒体を限定せずに、読んで頂くことが出来るように工夫をしてます。ぜひ、実技編として【たましいの救済を求めて】を、読んで頂けましたら幸いです。
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