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冒険ダイヤル 第24話 蜂蜜とハート

絵馬は蕎麦湯をたっぷりとそば猪口に注ぎ、唇をすぼめて息を吹きかけながらちびちびと飲んだ。駿はもう食べ終わっていたが外の暑さを思うとすぐに腰を上げる気になれず頬杖をついていた。お盆の上で手のひら大のルイくんが可愛らしくポーズをとってたたずんでいる。もちろん蕎麦と一緒に撮影済みだ。

「どうしてあの子に自分で声かけなかったの?」
「子供から見たら、おれよりエマの方が安心できるだろ」
「意外と繊細な気配りするんだね」
見知らぬ男に急に話しかけられたら怖がられるかもしれない。
親に見られたら不審者と間違われて怪しまれる可能性もある。
駿は自分が高身長なせいで人に威圧感を与えてしまうのをよく知っていた。

「様子が変だってよくわかったね。あたしなら気が付かなかったよ。あのくらいの年の子って、よく道端に座ったりするじゃん」
まるで自分はそんな年を完全に通り過ぎたようなことを言う。
「おれもよく道に座るけど」
「それは立ってるとデカすぎてりっくんと話しづらいからでしょ」
図星なので言い返せない。
その経験からも知っているが、十代が座り込んでいるくらいで気にとめる人はあまりいない。
本当に小さい子が親にはぐれたら泣くから保護してもらえるが、泣いて助けを求められない半端な年頃になると何か困っていても周りに気付いてもらえない。体の大きさだけは一人前だったりするからだ。
 
魁人とのウォークラリーの記憶が蘇ってきた。
災害伝言ダイヤルで仲間と連絡が途絶えた後、魁人はひとりで自転車に乗って古墳公園へ行った。そこの電話ボックスで知らない外国人の男性に話しかけられたのだ。
彼は当日はその出来事を笑い話にしていた。だが魁人にとっては面白い体験ではなかったということを駿はかなり後になってから聞かされた。
 
魁人は授業ではいつも集中力を欠いているのに、ウォークラリーの後で急に英語の授業を熱心に受けるようになった。
小型のラジオを持ち歩いて英語の教育番組を聴いているのを知って驚いた記憶がある。

生の英語に触れて好奇心を刺激されたのだろうと思って「英語ペラペラになったら海外旅行のハードルが下がるな」と言ったら、彼はちょっと恥ずかしそうに答えた。
「おれ外国人に抱きつかれたときすげえ怖かったんだ。すぐに悪気はないってわかったけど、お父さんよりでかい人だったしさ。何言ってるかわかんなくてちょっとパニックになったんだ。もうああいうのは嫌なんだ」
あのとき魁人をひとりにしたことを後悔している。

蕎麦湯を飲み干して悠々とリップクリームを塗り直している絵馬に尋ねてみた。
「お前はどうして英語の本を読んだりしてるんだ?成績のため?」
「推しに近付くため。ルイくんは英語圏の音楽が好きでSNSに英語の投稿をするし、海外のインタビューを通訳なしで受けたりしてるから。英語がわかればもっとルイくんを理解できると思って」
「そうか。真剣な推し活なんだな」
 
すると絵馬はスッと半眼になってこぶしを握り、重々しくテーブルを叩いた。
「海外のインタビューに日本語字幕が付くのがすごく遅いの。待つのが苦痛なの。勉強してこの苦痛から開放されたいの。推しの言ってることがわからないなんて、拷問よ」
アクリル製のルイくんが振動で震えた。
本人曰く推し活に夢中なふりをしているだけだそうだが、それにしては熱い。
 
駿はハート型のせんべいをしずしずと差し出した。
「これはお前にやるよ」
「なに?どうして笑ってるの?」
「別に笑ってないよ」
「駿ちゃんは笑いをこらえるとき鼻の横がぴくぴくする」
思わず鼻に手をやってしまう。
「ほらね。やっぱり笑ってた」
どうも絵馬には敵わない。
「さっきまでずいぶん暑さ疲れしてたみたいだけど、もう出発できる?」
「ああ」
体調が悪かったことまで見抜かれていたようだ。絵馬のほうが思ったより体力がある。
「じゃあまたふーちゃんに化けるね」
絵馬は「ドロン」とハートせんべいを頭に乗せるポーズをとった。狐か狸のつもりだろうか。
 
本当のところ駿は、魁人がこの謎解きを指示しているのは全く別の遠い場所からかもしれないと疑い始めていた。
認めたくないけれど魁人が自分たちに嫌がらせをしたくなるほど歪んだ感情を持っていても不思議はないと思うからだ。
しかしハートせんべいを男の子に託していったのが魁人だとすれば、ほんの少し前まで彼はあの場にいたことになる。
もしかしたら目の前を通り過ぎていたかもしれない。
 
成長した魁人の姿を思い描こうとしても、どうしても小学生の姿しか浮かんで来なかった。
彼はもう以前のままではないというのに。

   *

深海と陸の前では道が三方向に別れていた。
左手が商店街、右手は一本裏側にあたる桜通りと呼ばれる静かな道、そしてさらに右手には登山鉄道の線路をくぐって北側へ抜ける道があった。
商店街の方へ足を向けるとすぐに深海の足が止まった。ウインドウの中にずらりとできたてのまんじゅうが並んでいる。
 
まだ何も言っていないのに陸には何を考えているかわかってしまったらしい。
「いらっしゃいませこんにちはー」
お店の人でもないのにうやうやしく手のひらを上に向けて中へ入らせようとする。
「寄り道したら駿ちゃんたちに引き離されちゃう」
「別に引き離されてもいいじゃない。好きなところに寄り道しなよ」
「寄り道してたら魁人を見逃しちゃうよ。甘いものに負けちゃだめ」
「はいはい、でも僕は負けちゃうよ」
陸はさっさと店に入って二種類のまんじゅうを一個ずつ買ってきた。
「はんぶんこにして両方の味を食べよう」
そう言って半分に割ったまんじゅうを差し出されてつい受け取ってしまった。
陸はにっこりした。こちらまでつられてしまうような笑顔だ。

「魁人くんもふかみちゃんのこういう嬉しそうな顔が見たかったんじゃないかな」
「そんなに単純なやつだったら私もここまでしないよ」
「魁人くんて複雑な性格だったの?」
「なんて説明すればいいのかな」
まんじゅうを持って歩きながら魁人と友達になったきっかけを話すことにする。

   *

三年生のとき深海が休み時間に教室で編み物をしていると彼がちょっかいを出してきた。
小さいハートの形を編んで綿を詰めてふっくらさせ、紐を付けてランドセルにぶら下げられるようにしたもので、すぐに編めるので練習も兼ねていくつも作ってみていた。
「へえ、女の子ってこんなので喜ぶんだね」と興味津々で手元を覗き込んできた。そして「これ他の子に売れば儲かるよ」と言い出した。
「そんなに上手に編めてない」と断ると、「ひとつ貸して」と素早くハートをつかんでどこかへ行った。
 
放課後になると彼は、その日の給食に出た蜂蜜のポーションを十個くらいザラッと深海の机の上に置いた。
「蜂蜜一個でハート作ってあげるって声かけたらこんなに注文とれたよ」と得意顔で言われて面食らった。
蜂蜜は深海の大好物なのでうっかり受け取りそうになったが、自分で作ったわけでもない物を勝手に売り込んでくるやり方になんとなく反感を覚えた。「こんなの受け取れない」と断ると彼は「じゃあおれがもらう」と平然と持ち帰った。
 
蜂蜜はもらわないとしても約束は守りたかったので人数分のハートを作った。すると毛糸が残り少なくなった。毛糸代はばかにならない。それ以後はハート作りを断ることにした。
「もっと注文を受けて、今度はお金をもらえば毛糸も買えるよ」と彼は意気込んでいた。でもそれでは蜂蜜と引き換えにした子たちと較べて不公平になる。
そう言って断ると彼はひどく不服そうで、下唇を鼻の先につける顔芸を披露しながら「金もらえ金もらえ金もらえ金」と机の周りをぐるぐる回った。
それでも深海が頑固に拒否すると仕方なくあきらめたようだった。
ところがその後「内緒で作ってくれるって魁人くんから聞いたの」とこっそりと小銭を握りしめてやってくる子が次々に現れた。

「しかも仲介料を取ってたんだよ。お金は全部返させて、頼んできた子には仕方ないから今回だけだよって説明して無料で作ってあげたけど、もう腹が立って腹が立って。叱り飛ばしたらなんて返事したと思う?」
「君が怒ったら僕ならすぐ謝っちゃうな。やばそうだから」
「りっくん、それどういう意味?」
「めったに怒らない人が怒ると怖いじゃん。あ、ほら、今ちょっと怖かった」
深海のむっとした顔を見た陸はおどけて怖がるふりをした。

「からかわないでよ。まあいいや、それは置いといて。魁人ってば平気な顔して、もうやめてやるから代わりに食べきれなかった給食毎日ちょうだいって言ったんだよ。図々しいでしょ」
「それは変わった交渉術だなあ」

一度約束したのに断ったらその子たちがかわいそうだし、魁人の信用が落ちると自分のせいのような気がして良心が痛むので深海は要求を呑んだ。
もともと給食を食べ残しがちだったので別に痛手はなかった。
給食の残りをあげているうちに野良猫を世話しているかのような妙な愛着が湧いてしまって、いつのまにか友達になっていたのだ。

「いつも相手を自分のペースに巻き込むのよ」
「でもそれがきっかけで友達になれて良かったじゃない?ハートが売れて本当は嬉しかったでしょ?」
「りっくんの解釈は優しいね」

確かにその一件で編み物に自信がついた。単なる親切でやみくもに作ってあげるものではないことも学んだ。
魁人のやり方のずる賢さに気付いたのはもっと後のことだった。
まず最初に彼は簡単にハートをもらえる方法をおしゃべりな子に教えた。
友達どうし同じ物を持ちたがるグループの子を選んだ。
注文はすぐに集まったが深海が報酬を拒否したのでいったん引き下がっておいて、もらいそびれてがっかりしていた子をねらって声をかけ、お金を出せば〈特別に〉〈秘密で〉作ってあげようと持ちかけた。
そして約束をとりつけてしまえば深海が断れないことを読んでいたのだ。

「考えてみたら何の借りもないのに言うなりにされちゃったんだよね。クラスのみんなには私がすすんで魁人に給食の残りを貢いでるみたいに思われてた」
「なかなかの策士だね」
「一儲けしたかったのに私が乗ってこないから悔しかったのかも」
「ふかみちゃん、それは違うよ」
陸はなにやらおかしそうに口元を隠した。
「君が物もお金も受け取らない子だったから給食をもらうポジションを選んだんだよ。それよりさ、あそこにいるの駿じゃない?」
話の続きが気になったが、陸の指し示す方に駿がぼんやりと立っているのが見えて話を中断した。

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