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冒険ダイヤル 第40話(最終話) みかえる 

「まだ次の電車まで時間あるのに、すごい速さで行っちゃったね」 
陸と絵馬は折り鶴を前にして頬杖をついていた。

「エマちゃん、ずいぶん口うるさくしてたけど、そんなに心配しなくてもよかったんじゃないかな」
「あたしもそう思うけど、なんだか悔しいじゃない」
「だからってお金貸すなとか書類にサインするなとか宗教の勧誘に乗るなとか、脅かすようなことばっかり言ってさ」
絵馬は眉をつり上げて言い返す。
「りっくんだって個人情報は教えちゃ駄目だって言ってたじゃない」
「うん、それはまあ、嫉妬かな」
陸は折り鶴をつついてぼやいた。

「あの二人にとって魁人くんがあんまり特別だから、僕たちの入る隙がなくて悔しいよな。でも僕、魁人くんのお茶目なところや優柔不断なところが憎めない」

ぬるくなったコーヒーをすすって絵馬は顔をしかめた。
「あたしには悪魔のささやきが聞こえたよ」
「えっ?」
陸はうっかり膝をぶつけてしまい、鶴がテーブルの上を滑って落ちそうになる。
それを目で追いながら絵馬は気だるい口調で続けた。

「コンビニに入った時、あたしトイレに行ったんだけど、そこでアイロンを使って髪をセットし直したの。それで出てきたら次に待ってた人がいて…ほら、コンビニのトイレって男女兼用のところがあるじゃない?あの店もそうだったんだ。あたし鏡の前にアイロンを置きっぱなしで出てきちゃって、次に入ろうとした男の人がドアを閉める前に気が付いて、忘れ物ですよって渡してくれたの」
 
ぽかんとして動きを止めた陸がつかまえそこねた折り鶴がテーブルの下に静かに着地した。
「その人って、もしかして…」
「今日あたしがヘアーアイロンを持ってることを知ってたのはあの人だけなんだよ」
 
一拍遅れて絵馬の言わんとすることが陸にもわかってきた。
「そうか、だから魁人くんは急にあぶりだしを書くことを思いついたんだね」
「たぶんね」
絵馬はがっくりとうなだれて頭を振った。

「魁人くん、最初からあたしのこと気に入らなかったんだ。あたしが伝言に割り込んだから。本当はふーちゃんを会わせたくないってことを見透かしてたんだよ。あぶりだしが読めるかどうかはあたし次第だった。試されたんだよ」

「何言ってるの。違うよ、エマちゃん」
陸はもどかしそうに言葉を探した。
テーブルの上にはまだアルファベットを記した紙切れが三人の名前を形作っている。

「ねえ、エマちゃん。この名前のアナグラムは謎解きには全然必要なかったんだ。だってアナグラムに気付かなくても箱は開けられただろ?三人の名前を使ったのは、ただ魁人くんがそうしたかっただけでさ、自己満足なんだ。誰かに見せたかったわけじゃない。何ていうか、願掛けみたいなものだったんじゃないかな」
 
絵馬は手のひらを向けて陸の言葉を遮った。
「うん、わかってる。あたし、すごく疑い深くて嫌な奴だね」
そんなことないよ、と言いかけて陸は言葉を飲み込んだ。
否定したかったけれど、そのまま口に出すと嘘っぽく響いてしまいそうだったから。

そこから絵馬の声は抑揚のないひとり言になっていった。
「どれだけ長くこの名前を眺め続けたらこんなアナグラムを作れるんだろうって考えた。魁人くんがふたりに会いたくてたまらなかったんだって、これを見たらわかる。あの人に悪意はないんだ。悪意に思えるのは、あたしの中に、悪意があるから」
 
陸は折り鶴を拾い上げ、顔を伏せた絵馬のそばにそっと置いた。
「魁人くんはきっと勇気が持てなかったから君に判断を委ねたんだよ。ふたりに会うことを、君に許してもらいたかったんだよ」
 
深いため息をついて絵馬は後れ毛をかきあげた。
「あたしね、一瞬だけ思っちゃったの。アイロン持ってるのは黙っていようかなって」
陸はクスッと笑った。
「それが悪魔のささやきか」
「笑わないで」
そう言いつつ絵馬は両手で顔を覆って、自分でも笑いだした。

「それを言ったら僕だってふかみちゃんと一緒にいるのを魁人くんに見せつけたくて、こっちから声をかけたんだ。馬鹿みたいでしょ」
「へえ、りっくんもそういうとこあるんだ」
「あるんです」
陸は恥ずかしがって両手で顔を覆う。

ふたりは顔を覆ったまま笑って話し続けた。
傍から見ると、まるで見ざる言わざる聞かざるでいうところの見猿が二匹だ。

「魁人くんて、きっとすごくロマンチストなのよ」
「駿の親友なんだから間違いないね。ロマンチストって伝染するらしいよ」
「りっくんも伝染してるの?」
「まだ。でももうすぐ伝染しそう」

「それにしても急にあぶりだしなんてよく用意できたよね」
「こういうとこにレモンとか砂糖があるじゃん。これを溶かして使えば良いんだ」
陸はテーブルの隅に置かれたトレイを指さした。
使い切りのレモン果汁や砂糖が乗っている。
「そっか。簡単だったんだ」
 
駿と深海が戻ってくるまでまだかなり時間がかかるだろう。
「駅のお土産屋さんでも眺めて待とうか」
「あたしがまとめて会計するよ」
そう言って絵馬がレジに向かった。

陸はついていって絵馬の肩越しになんとなく会計のカウンターを覗いた。
店員の手元に置かれたメモ用紙が目に留まる。
ボールペンが紐でくっついている業務用クリップボードにそれは挟まっていた。
見覚えのあるデザインだった。

「エマちゃん、そのメモ用紙、ピカソだよ」
お財布を開けてお金を数えていた絵馬は、何のことかわからずきょとんとしていた。
 
その時、奥の厨房からバケットハットを目深に被った男性が出てきて会計係の店員に向かって「お先です」とささやいて後ろをすり抜けていった。
「あ、お疲れ様」
店員がそう返事したので、ちょうど勤務時間が終わって帰ろうとしているアルバイトなのだろう。

彼がドアを出ていく瞬間に何気なくその足元を見た陸はドキッとした。
真っ赤なスニーカーを履いていたからだ。

絵馬が会計を済ませないうちに陸は店を飛び出した。
「ちょっと、りっくん待って!あの、すいませんレシート下さい」
絵馬があわてて店から出てくると、陸は赤いスニーカーが走り去った駅の方角をぼんやりと見ていた。
「どうしたの?」
「うん、ちょっとね」
陸はスマホを取り出して時間を確かめた。
「急げばあいつらと同じ電車に乗れる」
晴れ晴れとしたその顔を絵馬は訝しげに見つめた。
「エマちゃん、僕たちはゆっくり行こうね」
二人は熱したアスファルトの匂いがする大通りへ歩き出した。
日没まではまだ長い。

 《終》





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