私が「これからは自分に優しく生きるんだ、何があっても」と決意した瞬間のはなし

その日。夏の暑い日。

私は夫と子ども2人と地元の風鈴祭りに行った。土曜日だった。
とてもキレイでいい音色でみんなごきげん。夕方家に帰って突然私に異変。(え?韻踏んでる?)

なんだか、猛烈に頭が痛くなってくる。最近たまに出る偏頭痛。の×100倍くらい。
寝込む。
これは…

今日子供と一緒に風呂入れないかも…
(せめてどちらかの子供を風呂に入れるのが母親としての責任と思い込んでいる。)

情けなくて、わたしは、夫の目の前を何も言わずにダッシュしてお風呂に一人で入りました。
心の中では、(今日はアナタが2人ともお風呂入れてあげて!頼む!わたしはむり!)と叫びながら。


猛烈な頭痛×1000くらいになってやっと風呂から上がる。たぶん脳卒中クラスじゃね?今思うと。知らんけどさ。


横になってるのもツラい。
なぜか中腰になり片手を壁に付き、じっとしてるのが1番ラク。んで次に、
吐き気。
腹の激痛。

もう寝ててもダメだし歩けもしないからほふく全身でトイレへ。
下痢。
また寝室へ。
腹痛(激痛)。
トイレへ。
往復3回。


あーーーーーーー死ぬわ。
ぜんっぜん良くならない。悪化の一途。
てかもうキッツい、痛いし死なせて。

もういい。死んでいい。
どうせ毎日、朝起きて、ああ、またこども2人のお世話が始まるんだと絶望するばっかりだったし。その絶望を誰にも相談できなかったし。

もうここで死の。

意識も無くなってきたし完全に救急車レベルだけど、病院に行って蘇生とか入院手続きとかめんどくせ。(手続きが世界一嫌いな女。)もう死ぬからなんもいらねーよ。



(少しの間)

あー、でも死んでもいいんだけど、
『もっと自分に優しくすればよかった。』


『』の中、思わず口に出してつぶやいてました。たぶん。頭朦朧でうろ覚えだけど。



……
その後。なんやかんやあって急速に喋れるようになり動けるようになった私がした事は。

まず旦那につかみかかる。胸ぐらをつかむ。

私「ゴルァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!わたし死にそうなのに何無視さらしとんじゃボケコラァァァァァァァァァ!!!!!!!!」


(注意:旦那さんは大丈夫?って3回も聞いてくれたし、救急車呼ぼうか?とも言ってくれていました。頭痛いからってそれを無視したのは私です。はい。)


その時の私キレ続ける。


私「いっつも!そうじゃ無いかよ!!!!!
(なぜかセリフ口調)」(過去の不満、主に旦那さんの私に対する対応や態度、をさんざん掘り返し責めまくる私。)

旦那さん(唐突)「体調悪いとか言ってぜんぜんしゃべれてんじゃん(冷静な意見)」


私「」(ぐうの音も出ない)



まあ、こんなことがあって、この時点では、この旦那人間として終わってんな、女は共感が欲しいのに共感ゼロ、きっと共感性羞恥もゼロなんだろ?オマエは。もう離婚だ。
この旦那に食わせてもらう未来は消えた。
もう自分のやりたいように生きて、稼いでいくしかない。


と、”覚悟”を決められたのでした。
その2日後、根本先生の”お弟子講座第6期募集”を知り、必死で応募して、今に至るという感じです。



〜後日談〜
ちなみに旦那さんには今はもうキレたりわかってくれないぃぅぅぅ!!みたいな被害者意識はもうありませんが、ただ、私が、旦那さんよりも好きな人ができたので、離婚したい。と考えてます。その事伝えると、旦那さんいわく、子供のことどうすんの?てかその好きな人とやらと相思相愛にでもなれたら離婚してやるよ。と言われたので何が何でも、私の好きな人と、相思相愛にならないといけないのです。

そして近い将来、私は今の旦那さんとは離婚して、その人と楽しく生きるのです❤️(いきなりポジティブでおわる)

終わります!読んでくださり、ありがとうございました!!!

(こどものことは、好きな人のことより真剣に考えてます。)

ゆきちゃんでした⭐︎
感想お待ちしてます!!(*≧∀≦*)