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【短編小説】沈黙のかくれんぼ(前編)

「いーち、にーい、さーん……」
「もーいいかいー?」
『もーいいよー』と元気な声が返ってきた。ベンチで顔を覆っていた両手を離すと左右に首を振った。(へぇ~ 麻理まりのやつ 上手に隠れているな)
 
 正午前の公園は静まり返っていた。
ベンチにはぶどうジュースが置いてある。麻理が好きなジュースだ。それを一瞥して少し間を空けてから、麻理の姿を探そうとベンチから腰を浮かせた。今日は天気がよく風が気持ちよく吹いた小春日和だ。隠れては探すこのやり取りをもう10回以上行っているのだ。麻理の居場所はだいたい検討がついていた。
 
 わざとらしく名前を呼びながら、しばらく探すふりをしたあと木の陰を覗き込んだ。そこに麻理はいなかった………
「あれぇ? おっかしいな?」とつぶやきながら、背後にあるコンクリートでできたブロックの裏を「麻理ちゃんみーつけた」と勢いよく覗いてみた。そこにも麻理の姿は無かった……
 
 時間の経過とともに焦りが声に出ていた。「まりぃぃぃぃー!」声が裏返りながらも必死で叫んだ! しかし、反応はなかった! 走って公園の外を出ると人通りはなかった。4歳の麻理が道路に出るなんてあり得なかった。きびすを返し公園に戻り探していなかった倉庫の周りをぐるりと確認したが、姿は無かった。その時、倉庫の扉が少し開いていた。
(驚かせやがって、ここか?)と顔に笑みを浮かべながら引き戸を開くとそこには、草刈り用の鎌が棚のダンボールに入れてあり壁にはスコップそれに竹ぼうきと熊手が壁に立て掛けてあっただけだった。
 平原 健二ひらはら けんじの表情から笑みが消え悲壮感が漂った。暑くもないのに汗が額を伝い首筋に流れた。異常な焦燥感に刈られ公園を後にした。

 スマホで警察に連絡しながら辺りを見回す。すると、向かいの道路に人集りができ数人がこちらの方を向いていた。
 目が合ったのは近所の中谷さんと柏木かしわぎさんだった。その人集りに近づこうとしたとき中谷さんから両手で制止された。
「健二君は見ないほうがいい」そう言われ嫌な予感がした。その制止を振り切り人集りを押しのけると絶望に目を瞠った! 

 煙を上げた白のセダンが横向きで自動販売機に衝突して止まっていた。その時、右手に持っていたスマホがスルリと地面に落ちた。自動販売機とセダンのボンネットとの間に少女が挟まっていた。事故の衝撃で飛び出した眼球がボンネットの上に2つ転がっていた。デニムのオーバオールにピンクのセーター、助手席のドアの下に黒の小さいスニーカーが転がっていた。それを拾い上げるとよろよろと気が抜けたように近づいて麻理の名前を呼んだ。声が裏返るほど名前を叫んだ! その声は虚しくパトカーのサイレンにかき消され背後から肩を叩かれ振り向くと柏木さんが落ちたスマホを渡してくれた。左手で受け取り消え入るような声で「あり……がとうござ……」と柏木さんの顔を見ると目はなく漆黒の眼窩から血が流れていた。

 絶叫はやがて奇声に変わり自分の家まで走り門扉を開ける前に玄関が開いた。そこには妻の冴子さえこが「あなた……」その声に顔を上げると冴子の両目から血の涙が流れていた。

 汗だくで目が覚めた! どうやら夢のようだ。あれから3年が経った。
麻理の行方は未だにわかっていない。俺と冴子はあの子はまだ生きていると信じていた。あの日のかくれんぼのわずか数十秒から一転して地獄のような日々が続いていた。ある時は奇声のような声が聞こえそれに目が覚めて着の身着のまま家を出て無我夢中で麻理を探した。
「あっぶねーな! 死にてーのか!」その怒声に我に返り気が付けばクラクションを鳴らされて道の真ん中に突っ立っていた。

 またある時は、妻の冴子と買い物に出掛けた先にピンクのセーターにデニムのオーバオールを着た身重94センチの後ろ姿に我が子だと錯覚して名前を叫びながら、その子の傍まで行くと母親が怪訝そうな顔で逃げるように去っていく後ろ姿を見つめていると、その子が振り向いてくれた『間違っていた!』他所の子だった。
 
 俺の左手を握りしめ首を横に振った妻が泣きそうな声で「あなた……」その声で我に返った。
それ以外にも色々と警察沙汰になったこともあった。

 あの子の奇声が聞こえる……
あの奇声が断末魔だと言うのか! そんなはずはない! 
4月1日。春風に吹かれながら、ほんの数十秒の間に何の音もなく、何の声もなく、あの子は突然俺の前から居なくなった。頼むから誰か嘘だと言ってくれ! 悲しみに包まれたまま警察に捜索願を出した。
 4月は出会いと別れの季節だと言うが、あまりにも唐突すぎる出来事に無力感を感じつつ『あの子はきっと今もどこかで生きている。私達を必要としている』夜風が心の声をあの子に運んでくれと願った。

 仲の良い中谷さんや柏木さんとの付き合いを拒絶したあの日から俺は正気を失っていた。かろうじて仕事はできていたが仕事が終わればすぐに家に帰った。
妻は専業主婦だったが買い物が終わると家に直帰する生活が3年続いていた。

 しかし、妻はあの事件を払拭しようと最近スーパーでパートをするようになった。それもそうだ。気を紛らわせる何かをしていなければ精神が崩壊して別の怪物になるだろう。それから俺たち夫婦にも少しずつ会話を交わすようになった。妻と話した結果、あの日の出来事を『沈黙のかくれんぼ』とカレンダーに記した。今もまだあの子とのかくれんぼは続いている。絶対に探し出さなければいけない、忘れないためにも毎年替わるカレンダーの4月1日にそのように赤いマジックで太く書き記していた。
 
 毎日憂鬱な時間が過ぎていく……
まるで、深淵の中に突き落とされたかのように深く……深く。12月も半ばを迎えもうすぐクリスマスだ。我々には関係のない話だと舌打ちをした健二が2階から降りてきた。妻がダイニングテーブルでパソコンを操作していた。
【私達はこの子を探しています! 平原 麻理ひらはら まり。当時4歳。ロングの黒髪に桜をモチーフにしたピンクの髪飾り。当時✕✕市☓☓☓町の深緑しんりょく公園でデニムのオーバオールにピンクのセーターを着用。黒のスニーカーを履いた女の子を知りませんか?】
ビラだった。あの日から我々の時は止まっていた……
 
 再び針が動き出すのはあの子の安否が分かった時だ! 未だにシューズボックスには麻理の片割れの黒いスニーカーを大事そうにしまってあった。必ず見つけ出す一縷の望みにすべてを託して警察からの情報を待ったが、あれからなんの進展もないまま3年だ! 「警察は捜索を諦めたのか!」と健二がつばを吐き捨てるように言った。プリンターから1枚のビラを取り出し麻理の顔写真を見ながら呟いた。
 
 ふと、カレンダーに目をやると今日は日曜日だった。最近はマシになってきたが、曜日と時間の感覚が分からないことが多かった。妻がきりの良いところで立ち上がりキッチンに向かった。
 
 俺はプリンターから印刷できたビラを輪ゴムでまとめていた。今からこれを持って駅前に向かい自分達で少しでも手掛かりが欲しくて毎週日曜日にこの活動を行っていた。当時は毎日活動していたが、最近では週に1度の人通りが増える日曜日にしか行っていないのは、諦めではなく遺された我々にも生活があるためだった。この3年は想像を絶する期間でもあった。

 俺たち夫婦はこの3年間で頬骨が張り出しげっそりとこけていた。俺に至ってはストレスだろうか髪が薄くなった。妻は化粧どころか自慢のストレートヘアも今はなにも手入れをしていなくてボサボサのままだった。衣服も糸がほつれているシャツやシワになり首元がよれているトレーナーをいつまでも着ている。食事は朝昼兼用でふりかけや缶詰などで済ませていた。
 
 金もなければやる気もない。2人はそれでもビラ配りだけは頑張った。
 キッチンからコーヒーのいい香りがしてきた。時刻は午前9時30分。朝昼兼用の6枚切れの食パンに少量のバターが塗られただけの食事と薄いコーヒーが運ばれてきた。そのコーヒーを一口啜った。
 食事を終えタバコに火を点けた。
その途端「タバコはベランダで吸って下さい!」と語尾を強めた冴子が食パンを両手に持って睨んできた。
「悪い悪い悪い」と何故か3回同じ言葉を続けてテラスに姿を消した。
冴子が両手にカップを持ちため息をついた。正午前には駅前に行く予定なのだ。
ビラを握りしめて空に向かって煙を吐き出した。今では300万。この質素な生活は続いているのは、年々上がっていく報奨金のせいだった。それでも娘が生きていてくれるのなら安いもんだった。このビラは我々の切なる願いでもあった。
 ふと、妻の言葉を思い出した。
「私のパート先にあの子がいたのよ、陳列棚の隙間から黒い眼窩で見ていたのよ!」そんなはずはない! と言う俺に「あなたにはあの子の幻聴が夜に聞こえて、私にはあの子の姿が幻覚となって昼間に見えるのよ!」そんなオカルト的な事を言う妻に嫌気が差して「いつまでもそんな事言ってんじゃねぇ!」と妻を殴ったこともあった。今でも妻の左頬に痣が残っているのは、そういう事なのだが、今となってはその言葉に重みを感じている。妻にとってあの子の最後は公園に行く俺と麻理の後ろ姿だ。俺は公園で十数える前の楽しそうな麻理の顔だった。そんな事を思いながら、妻の言葉が今まで無かった事が最近が起こり始めているのだ。

 遡ること一週間前のことだ。
その日はめずらしく残業をして仕事の帰りが遅くなっていつもの道を車で帰っているとサイドミラーに違和感を感じた俺はふと視線を移したが気のせいだったと目を擦りながら、信号が赤になったので止まっていると『カタ……』うしろから物音が聞こえた。サイドミラーを見るとそこには両目が無い少女が覗き込むようにこちらを見ていた。驚いた俺は信号が青に変わっているにもかかわらず発進できないほどパニックになっていた。後方のクラクションの音で我に返りアクセルを踏んだ。道中は気が気じゃなくなり家までの道のりが長く感じた。こまめに目の端でサイドミラーを確認するが、それ以降少女は現れなかった。それが妻の言う麻里の幻覚だった……

 その3日後の夜だった。
自室で就寝している時だった。その日はなかなか寝付けず寝返りを繰り返しているとカーテンの隙間から何かが横切った事に驚いた私は寝室が2階だと冷静に考えると恐怖を感じた。布団から這い出して恐る恐るカーテンを閉じようと近づいたその時! 『コンコン……コン』ドアをノックする音が聞こえた。妻だろうか? 時計を確認すると深夜の3時だった。ありえない。さらに恐怖が押し寄せドアの前に着くと勝手にドアノブがゆっくりと下がった。『カチャ……』ドアが僅かに開いた。厭な空気が流れた。ゆっくりドアの向こうに顔を覗かせ廊下に視線を配るがなにもない。当たり前だ。夜中の3時だぞ! 独り言を呟きながら部屋の方へ振り返りベッドを見るとヘッドボードから少女の黒い眼窩がこちらを見ていた。
「ひいっ!」と言葉を短く切り顔を顰めた。腰が抜けその場に尻もちをつくと足が震えている。立ち上がると少女は消えていた。
 ふと、そんな出来事があった事を思い出した。窓ガラスを叩く音が聞こえ振り返ると妻が手まねきする仕草が見えた。俺は携帯灰皿に吸い殻を揉み消した。
中を見ると5本吸い殻が入っていた。いつの間にか結構吸ってしまったみたいだ。 最近では、禁煙していたタバコを吸いだした。妻は禁酒していたお酒を解禁した。お互いそうでもしないと気が滅入ってしまう。人生は泣いても笑っても1回きりだと思いそれで気を紛らわせていた。

 重い腰をあげ時計に目をやると11時30分だった。
コートを羽織りビラを片手に玄関を開ける。冷たい風が吹き付けた。顔にポツポツと当たる感覚で空を上げた。みぞれが降っていたので、駅前の人通りが少なくないか気になりながら妻と寄り添って歩いた。俺達はお互いがはぐれないように自然と身を寄せるようになった。それは独りなる怖さともう2度と大切な人を失いたくない気持ちの現れだった。
 駅は自宅から徒歩10分くらいの所にある。
「今日こそはきっと有力な手掛かりがあるさ」この言葉を言い続けて3年になる。
妻は頷くだけで何も言わない。ただ手入れがされていない髪が揺れていた。

 立つ場所も決まっていた。駅から見て3本目の電柱に2人は立ち止まり冴子がプラカードを自身の足元に立て掛けた。
そこには、【娘を探しています】その文字に通行人は見て見ぬふりをする者、全く他人事だと興味を持たない者、しばらく立ち止まったあとに去る者と様々な人がいるが、先程の立ち止まった者は何か情報を持っているかも知れない! そう思い冴子が後を追いビラを渡す姿が見える。
 恐らく彼はただ勇気がなかっただけなのかも知れない……何度もお辞儀をする冴子の姿。プライドとは? 私達は一体、どれだけ人に頭を下げてきただろうか?情報を得るためには土下座だってする。どれだけ惨めな思いをしてもいい真実に1ミリでも近づけるのならばプライドなど必要ない。俺と冴子はあの日誓った。
 
 そう、捜索願を出した日からずっとあの子は生きている。いつかは報われる日がくる事を頑なに信じてきた。あの日から私達の生きる糧となった。
 どれだけ時間がかかってもいいもう一度あの子に逢いたい……涙が流れた。
ぼやける視界にうつむいてこちらに歩いてくる冴子の姿が映った。恐らくダメだったのだろう。コートの裾で涙を拭うと冴子から思いもよらない言葉が鼓膜を震わせた。
「あの人、何か知ってるらしいの?」
「えっ!」私は高鳴る気持ちを抑え彼のもとに向かった。
「あの……もしよろしければ立ち話もなんなのであちらの喫茶店でお話を……」
「はい、大丈夫ですよ」話の最後で2つ返事が返ってきた。彼は私達のみすぼらしい姿を見てどう思っているのだろうか?「ありがとうございます」と一礼して健二を先頭に喫茶店〈ミチシルベ〉に入っていった。こうしてこの店に入るのは3回目だ! 2回とも有力な手掛かりは得れなかった。ようやく訪れた3回目のこの場所なのだ。(麻理、必ず見つけるからな!)椅子に腰を落とすと彼が「初めまして高梨誠たかなしまことといいます。駅前を何度か通りかかってお2人の活動はよく知っています。お声をかけるのになかなか勇気がなくてすいません」
「そんな! 謝らないでください!」冴子が右手で制した。「申し遅れました。私は平原健二です。こちらが妻の冴子です」冴子がお辞儀した。
「飲み物は何にされますか?」相手が見やすいようにメニュー表を広げた。
メニュー表をぐるりと見たあとで彼はホットコーヒーを指した。私は店員にホットコーヒーを3つと指を立てた。
「今日はよく冷えますね」冴子が誠に聞いた。「ほんとに寒いですね。僕は寒いのが苦手です」鼻頭を掻きながら照れたように言った。しばらく沈黙が続き「ホットコーヒーになります〜」店員のリズミカルな明るい声がどんよりとした空間に響いた。

 ホットコーヒーを一口啜ると食道から胃の辺りまで温かい液体が流れるのがわかった。
「高梨さんは何か知ってますか?」あまりにもストレートな質問だが、遠回しに話したところで本題は変わらない。ため息を付いた冴子が肘で突いてきた。
『僕も同じ歳の娘を探しています』突然のカミングアウトに面食らった健二が手のひらで先を促した。彼は言いたくて仕方がないのだろう。誰かに話したくて仕方がなかったのだろう。同じ境遇だとなおさらである。
『僕は38歳です。娘は美沙みさと言います。2人で公園に散歩に出掛けた時でした。僕がトイレに行っている数十秒の間に美沙はいなくなっていました……』冴子は涙を浮かべながら「さぞお辛かった事でしょう」そう言いながら誠の手に触れた。その手は震えていた。
「今でも後悔しています。なぜ、あの時、一緒にトイレに入らなかったのか、何度悔やんでも悔いきれません」握る手に力がこもっていた。『あれから5年が経ちます』「奥さまもさぞ──」「妻の博子ひろこは4年前に他界しました……」冴子が口元に手を当て絶句した。申し訳無さそうに一礼した。
『僕がもっとしっかりしていればこんなことには……』そう言う誠と目が合った。
 彼の瞳は俺と同じ色をしていた。
「私も公園でした。娘の麻理まりとかくれんぼをしていたのですが、推測ですが十数える時にはすでに麻理の姿は……最初は上手く隠れているなと思ったのですが、その後はいくら探しても見つからずじまいでした。ただ、1回でも数を減らしておけばと未だに後悔しています」
 冷めたコーヒーに映る自分を見つめながら誠が『誘拐』とボソリと呟いた。その言葉に健二は敏感に反応した。「考えたくはないですけどそうとしか……」
「僕は信じてます。娘が生きていることを」そのあとは言葉にならなかった。
「私達も同じです。高梨さん! どうでしょう? 我々と一緒に娘さんを探しませんか?」
誠の瞳を真っ直ぐに見つめた真剣な眼差しが誠の曇った心を払拭した。
「よろしくお願いいたします『よろしくお願いします』」この挨拶が腐っていた自分の心を前向きにした言葉だった。
冷めたコーヒーを一気に流し込みラインを交換した。
「ラインの方が何かと便利なので通話も無料ですからね」とスマホの画面に目を落とすとそこには、ショートカットでエクボを作り笑っている少女のアイコンが設定されていた。さらにステータスメッセージには【この子を探してます】と入力されていた。俺と冴子のスマホと全く同じだった。その他のSNSを駆使しているのは言うまでもなかった。
 誠も同じ心境だろう。このアイコンとメッセージがお互いの絆を強めた。

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