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自己紹介 パーソナリティになった私★

自分のことを話す自己紹介ってほんと難しいですよね。
どうしても・・隠したい!と思うことってあるし
書こうと思うと
良いことだけ書いた方が良いんじゃないかとか・・

気負わずに私の記録として書いていきます。

30代に一代決心して、子育てしながら仕事を続けるのに
やっぱり自分の好きなことを仕事にしたい!と、
一代決心して30代に声の世界に飛び込みました。
(夫と子どもたちには感謝しかありません)

紆余曲折ありながらも、細々とフリーで司会の仕事
を続けていました。ところが、このコロナで一気に
仕事がすべてキャンセルになりました・・・

そこで、今後のことも考え
声に悩みのある方が自信をもって話が出来る様になる
声のインストラクターをすることになりました。

横浜を拠点に4つのカルチャーセンターの講師
として活動を開始しました。とともに

2022年8月には、
ゆめのたね放送局のラジオパーソナリティ
としてデビューしました!

神奈川スタジ1期生、ゆめ大35期 番組名は
魔法の”ことの葉” 神奈川スタジオ第3チャンネル
金曜日の朝8時30分からの放送です。

ゆめのたね放送局はインターネットラジオなので
インターネットに繋がるスマホやPC、iPadなら
世界中どこでも聴いていただくことが出来ます(^^)

というと、とても順調に来た人なのかなぁと思うかも知れません。

小学校時代の性格は、オドオドして人の目がとても気になる、けど
いまにみていろ僕だって・・みたいな(笑い)
きっと私もいつか輝くんだ!と内心思っている本の好きな
夢見る夢子ちゃんでした。け・れ・ど・
夢に対する行動はついていかない・・・(ダメじゃん)

そんな私を変えてくれたのが、中学1年の時に入った鼓笛隊でした。
ほんとにカルチャーショックでした。
これは、約10年続けるのですが、また追々。

少し前から書くと、小学校1年から4年生くらいまでは、
案外ノホホンと暮らしていました。

蝶よ花よと育てられ・・まではいきませんが、
祖母が同居していて、大晦日というと朝の5時に起きて

大阪の黒門市場まで祖母と母と私でお正月の買い出し、
(これは小学校1年生になってから連れて行ってもらえました)

父は整備士(当時は花形の職業?)祖母も病院に
勤めていたので、家計はそれなり。

欲しかった白いブーツもワンピースも自転車もリカちゃん人形や
バービーちゃも買ってもらえたし、クリスマスはケーキもホールが
2~3個あった年もあったりして。

当時はバタークリームが主流であまり好きじゃなくて(・・ごめんなさい)
3年生のころにやっと生クリームのケーキが売られ始めました。

私は早産 未熟児(1800グラム)で産まれたので、祖母は
蜂蜜(今は1才未満は食べてはいけません)やチョコレート
滋養強壮に良いというものをたくさん買ってきてくれました。

そうそう、まだ、バナナのたたき売りがある時代
(知らないでしょ・・^_^;大半の方は)

そんな普通にしあわせな時が、ガタガタと崩れる日がやって来るなんて
思いもしなかった。

丁度、大阪万博(年がバレる ^_^;)あたりをきっかけに父がおかしく
なっていきました。

普段は、子煩悩で、私たちを自転車に乗っけて遊びにつれて行ってくれたり
山が好きだったので、近くの山崎の山には随分いきました。
そんな高い山じゃないけど。

父は山の歩き方を教えてくれたり、

夏には川遊び、山の川は海より冷たいから必ず準備体操してから
入らないとダメだとか。

大きな川は、底流と表面の流れが反対になっていることがあるから
油断してはいけないとか。

ほんとに色々と遊ぶ中で命を守る知恵を教えてくれたと
思います。

陽気でお酒が好きで、でも厳しくて優しい。
晩年は、どこかの社長かって思う感じの雰囲気のある人でした。
大好きな父でしたが、

私はよく「お前はすぐ屁理屈をいう」とか「利己主義だ」
とかも言われて、ある意味、今から考えると私の行動の
ブロックになっていたなぁとも思ったりして。

そんな父が、急に洋服のまま噴水の中に入るとか、
家に帰ると「ただいま!」と声をかけても返事がなく、
壁に向いてずっと寝ていたり、三角座りをしていたり・・。

子ども心に何かがヘンだけど、聞いちゃいけない雰囲気。

それが何日続いたのか、小学5年になったある日、伯父が来て 
父を病院に連れて行く 少しの間、入院することになったと・・・。

出かける時間がきてしまったので、また続きを書きます。
まぁ、読んでくださる方がいるとは、あまり思えませんが(笑い)

何か感想や聞いて見たいことなどがありましたら、
ご連絡お待ちしています。
書いていくパワーと励みになります(^^)



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