たまには昼間の私とお茶でもしながら。
私へ。
今日は日曜日。
わけあって土日予定を入れなかったので、驚くほど怠惰な生活をしている。
半日寝て、起きて、洗濯して、おやつ食べて、また寝て、・・・
サイクル的に身体が不調なのがすごく残念だけど、それを差し引いても独り身の特権全部乗せみたいな生活。
しあわせ~~!!
それでも、ふとした瞬間に仕事のことが脳内をかすめて、視界がワントーン暗くなって、「やめたい・・・」という言葉が口をついて出る。
何か月も前からずっとそう。
「やめたい」って言葉がふとしたタイミングで呼吸のように口から漏れる。
そのたびに、「何を?」って自分で問いかけてみる。
仕事?生きること?それとも・・・?
で、だいたい「この不甲斐ない自分であることをやめたい」のかなって結論になって落ち着く。
正直、今の仕事は自分に向いていないと思う。
向いていないの一言で切り捨てちゃうのはあまり好きではないのだけれど、好きなものに出会ったときに、体の内側から沸き起こってくるうぉぉぉぉっっ!って感じのエネルギーがまったく出てくる気配がない。
でも、今の仕事をやめる度胸もない。会社がこの仕事をさせているのは、私が向いていると判断したからではないのか、と人の評価を信頼したくなってしまう。
そもそもどれくらいの人が仕事を好き好んでやっていて、どれくらいの人が嫌々やっているんだろう。
少しまたネットで意見を探してみた。
「嫌なことだって当然あるけど、好きなことだから乗り越えられる」
という言葉にはっとしてしまった。
今の仕事は正直かなり楽しいと思う。人によっては。
やりがいのある仕事だと思う。人によっては。
たくさんの解決すべき課題があって、乗り越えたときには社内でもかなり評価されるから、人によっては「よし、どんどんバリバリこなしていくぞ!」という宝の山への登山口みたいに見えるんだと思う。
でも、宝の山だってわかっていても、その先の宝を宝だと思えなければ登る気にもなれないんだって気づいてしまった。
「山の頂上には金銀財宝があります!」って言われても、私にとって金銀財宝に価値を見出せず、河原できれいな石を見つけるほうのが素敵なことだとしたら。
「なぜ私は登山口なんかにいるの?今すぐにでも川を探しに行きたいわ!」ってなると思う。
それが、「やめたい」という言葉につながっていくのかもしれない。
他の部署の人と話していてアイデアを求められたとき、自分の仕事を放り出して悩みに悩んで自分の意見を返したのは、自分の好きな分野だったから?それとも今の仕事からの現実逃避?
その境目がわからなくて、きっと「隣の芝は青い」みたいな気持ちになっているだけなんだ、本当は今の仕事が一番自分に向いているんだ、と見え透いた暗示をかけて自分の仕事に戻る。
もし、自分に向いている仕事ではなくてただの人員補充や、上司の出世のダシだったとしたら?
そんな疑念も頭をよぎる。
自分の好きな仕事をやる=ラクしている
というわけじゃないんだと思う。自分の好きな仕事を選んだ結果、残業が増えるかもしれない。
それでもその残業中、ひたすらに前向きな気持ちで仕事に取り組めるのであれば?
定時で上がれる嫌いな仕事よりもひょっとしたら精神的な負担は小さくなるのかもしれない。
ラクしたいわけじゃないし、もっと稼ぎたいというわけでもない。
ただ毎日の貴重な数時間を、もっと前向きな思考を巡らせて生きていたい。
目を期待で輝かせながら、「次は何してやろう・・・?」って考え込んでみたい。
なんとなく生き方が明確になったようで、現状は何も変わらなくて、明日からまた興味のない仕事に死んだ目で取り組む。
でも、自分のやりたいことがあるなら、それに向かって売り込んでいく準備をひそかにしていってもいいじゃないか。
水面下でこそこそ第2ステージの準備をしよう。
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