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私へ。 第十二夜。

小さい頃の私へ。

あなたが苦手だった大縄跳び、二十年経った今でも苦手です。
三十歳を過ぎた私が入れないのは、リズムよく回される大縄の輪の中ではなく、人と人との会話の輪。

あと三人、二人、一人、と順々に軽々と輪の中に向かって走って、跳んで、向こう側へまた走っていく。

私の番。

あっ、と思ったときには足元に縄がかかる。
走ったし跳びもしたのに越えられてなかった。

当時は、だから一呼吸置くことにしていた。
自分のペースが整うまで、3回、4回、と縄が回るのを眺めて、そして跳ぶ。
そしたらなんとかうまくいく。

連続で跳べているのを止めてしまうのは忍びないが、焦って失敗するより時間をかけてギリギリ成功判定の方が良い、と当時の私は考えたのだろう。

時は過ぎて今の私。
もはや恐怖が先行して、列に並ぶことさえためらってしまっている。
並んでもどうせ跳べないし…
止めたらどんな顔されるかわかんないし…
そもそも並んでいい列なのかも自信がなくなってきた…
って思って脇から眺めることしかできない。

まあ、一生傍観ですむならそれでもいいんだけど。
私が口火を切らなきゃいけないときもある。
それこそタイミングがはかれない。

社内で先輩一人に話しかけるだけで悩む。
悩んで悩んで、よし今だ!と思ったときに電話を取っちゃったり。
そうこうしてたら次の打ち合わせ準備で忙しそうだ…って控えてしまったり。
しばらく経って、やっと決心がついて、相談して。
ここ直してね、もう一回調べてね、って指摘をもらうんだけども、話しかけるまでにすでに時間を取ってるから直しの時間がなかったりする。
それで準備不足の気持ちで本番の打ち合わせに臨んで、準備不足の気持ちが先行するからまともにしゃべれなくて、周りがうまくフォローしてくれて、私一人会話に取り残されて、まさに大縄跳びの外の人になる。
フォローがいたらいいよ。いなかったときは、大勢に囲まれた真ん中で縄にかかった私一人。
気まずさと恥ずかしさでいっぱいになる。

傍から見ていれば、なんであいつはあんなにウジウジしているんだろう、としか思わないだろう。
私の中ではたくさんの感情がぐるぐると回っているのに、表から見ればぼーっとした人間にすぎないのだ。

いっそ思考をやめて、真っ白にして、縄が作る輪の中に向かって突き進むことができたら。
引っかかってもかからなくてもお構いなしにジャンプすることができたら。

…今も昔も悩んでないだろう。
昔できなかったものが急にできるようになることなんてないのだ。

共感してくれる人は同じく悩んでて、そうでない人はまったく抱いたことのなさそうな悩みだなあというとこまで考えて、今日は一旦終了。
明日もまた、列に並んで、跳べない縄が空を切るのを見つめてくる。



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