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心を豊かにしてくれる言葉②
こんにちは。
相談支援が好きなソーシャルワーカー兼カウンセラーのひろっしーです。
日曜の今日は、肩の力を抜いて好きな言葉に触れる回にします。
かっこいい言葉、癒やされる言葉、深い思索に導いてくれる言葉、言葉はほんと心を豊かにしてくれますよね。
では、さっそく
本棚にあったこの本から、、、
司馬遼太郎さんがどこかで、幕末までの日本には「絶望」という言葉がなかった。だからひとびとは「絶望」というかわりに、「困った」と言っていた、と書いています。
わたしはそれを読んで、なるほど、これはいい、と思ったものです。
「絶望した」という言葉のかわりに、「困った」と言えばいいのだ、と。
実際、明日をも分からぬ幕末の世に、「絶望」という言葉を知らない志士たちが、しきりに「困った、困った」と言いながら天下を右往左往していた、と想像するのは、どことなく鷹揚で、かつユーモラスではないでしょうか。
言い表し方によって、世界のありようがこうも変わるかってことを教えてくれる名文だと思います。
確かに、「絶望」だと、にっちもさっちもいかない暗い閉塞感を感じさせますが、
「困った」だと、何かまだ余裕というか道が残っている感じがしますよね。
しかも、この文章の面白いところが、よく聞かれるリフレーミングのように、言い方を変えましょう的なテクニックではなく、実際にその言葉そのものがなかったらどんな見え方になるんだろうとイメージさせてくれるところです。この自由さが、リフレーミングと全然違いますよね。
最後に、田口さんの文章は「絶望」という言葉がなかったらという枠組みですが、「〇〇」のような言葉があったら、世界はどんなに風になるだろうと発想を広げることもできます。
エラ・フランシス・サンダース著前田まゆみ訳「翻訳できない世界の言葉」によれば、フィリピンのタガログ語には、KILIG(キリグ)という言葉があるそうです。
KILIG(キリグ)
おなかの中に蝶が舞っている気分。たいてい、ロマンチックなことや、すてきなことが起きたときに感じる。
付記
きっとあなたもご存じでしょう。
ひとたびこの気分になると、まともにものが考えられず、どんなことにもほほえんでしまうし、胃の奥のほうからわくわく感がこみあげてきます。
キリグ、素敵な言葉ですね。そして、どんな体験で、どんな世界なんでしょうね。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!!
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