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若者のまとまりのない意見

私にはバリバリキャリアウーマンの自慢のばあばがいます。私とばあばはB型で、突拍子もなく話が始まります。でもばあばの突拍子の無さに勝てる人はいません。ばあばの突拍子も無い話を1番に理解するコンテストがあれば私はナンバーワンです。

今日も突拍子も無く始まったのですが、私が社会に対して思っていた疑問が明るみになりました。
スッキリ!

前のノートに書いたように、私は最近客層の高い、私の知らない世界を生きている人たちが多く来る飲食店で働き始めました。その中で目の当たりにしたのが、正真正銘の「接待」。
日本の文化の中で、私の疑問の一つです。

接待って本当に必要なの?細かなおもてなしの心は大切だと思うけど、本当にそれは必要なの?
例えば、上座下座。料理や飲み物をサーブする順番。接待される側がお手洗いに行っている隙に済ますお会計。

社会の中の接待ではこれは当たり前で、「こういうものだ」とされている礼儀です。
でもそれって、本当に相手の事を知ることができるんでしょうか。
ばあばからの教えは、「接待っていうのは、その人と食事や色々な事を共にする事で、仕事だけでは見られないその人の部分が見れるのよ。」って。「接待する側も、その人とこの先付き合っていくかどうか、見定める場でもあるのよ。」って。
確かに。。。確かにそうだ。ぐうの音も出ませんでした。

でもねでもね、私に言わせてみれば「やりすぎ」が問題なのではと。そこまで堅苦しく、「こあいうルールだから!」といって、全ての人に強制するべきなのかどうか。もっとラフに、自由に、その人のやり方で礼儀を見せる事はできないのかなと。接待で求められる礼儀が当たり前になってしまっては接待の中の、ただのルーティーンになってしまって、堅苦しさを増す要素になっているんじゃ無いかと。もっと他の部分を見るべきなんじゃなかと、思うんです。

私はサービスする側の視点になってしまいますが、もしここで私が接待されてる側を後にサービスしたら、接待してる側は私に嫌悪感を覚えるでしょう。「そんな筋合いある?」と思いました。(実際にされたわけではありません。)もちろん、お金をおもらって、お客様を笑顔にしたい思いはあります。だけど、その人が接待しているのに、なぜ私も接待しなければならないのでしょうか?
私からすれば、お客様は全て平等です。

話がズレた気がします。
言いたいのは、日本では、人に対する評価基準に「礼儀」というものがあります。そして、「敬語」があります。だけど、世界を見たらどうでしょう。敬語がある言語は日本語ぐらいじゃ無いでしょうか。敬語から始まるささいな礼儀を重んじているのは、日本の素晴らしい文化です。
でも、その礼儀が一人歩きして、成長したとします。私の言う礼儀とは、とってもプラスアルファで求められる礼儀かもしれません。(上にある接待など)
で、もし第一関門の礼儀を突破できなかった時、その人の評価は一つ下がります。それって、本当に評価されるべき部分?プラスにはなるけど、マイナスにすべきでは無いんじゃ無いかと。外国には日本ほど礼儀を重くみてないと思います。もっと内面的な部分をみて相手を評価していると思います。敬語が無いので、子供も大人も、上司も部下も、ほとんどの会話は対等な言葉で話しています。そうすることで、「言葉遣い」という評価基準が取っ払われ、日本よりももっとフェアな状態で、その人のことを知ります。

言葉遣いと平等に何が関係がある?と思うので、説明します。
私がバイトで目の当たりにした礼儀は、みんながみんな身につけられる事じゃありません。そのような環境にないとわかりません。
でも、環境というのも平等ではなく、社会で常識とされる事を知らない人もたくさんいます。
では社会の常識を知らず、接待のルールを知らない人は、日本においては不利な状態です。
不利とまでは言わなくても、他にも有利な状態(環境に恵まれて学習できた人)の人がいるのです。その事を知らないだけであって、その人はとっても素晴らしい可能を持つ人かもしれないのに、、と思うのです。

結論、日本の文化は人をフェアな状態で評価するのを難しくしているんじゃないか!いろんな事を端折るとこうなるかな、と。

大人はよく、「そういうものなのよ、」って言うけど、そう言うものって何?誰が決めたの?そういうものにしているのはあなたたち大人が都合の良いように作り上げた「そういうもの」なんじゃ無いのって。ふつふつと思います。

ばあばとほとんどこのような話をしたら、「あなたは若いからそう思うのよ」って言われました。そうです、社会を知らない無知な若者だから、純粋な疑問だけが見えるんです。でも無知で見えるその疑問は、大人が「そういうもの」に括ってしまった都合の悪い事なんじゃ無いかと思います。

「そういうもの」をルールとされてしまっては、疑問があったとしても新参者は何も言えません。その社会でやっていくためには、そのルールとやらに従うしか無いのです。
無知の私がこんな事を思う時点で、社会は「そういうもの」で溢れかえっています。

露骨に社会の不合理さが垣間見える日本が、私は心から好きになれません。もちろん、平和で大好きな部分がほとんどです。でも、嫌いな部分もあるということです。

私がnoteで書いても、ほざいてる程度にしか思われないけど、何か形に残しておきたくて、書き殴りました。私の思う、日本の嫌いな部分でした。

まだ言いたい事はたくさんあったのですが、疲れたのでこれぐらいにします。おやすみなさい。

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