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私はワタシで堂々と生きさせて頂くんで

強迫性障害になって約4年がたつだろうか。私の場合は、加害強迫が主な症状だ。
自分の言動が誰かに危害を与えてないか、という強迫観念にとらわれて、不要な確認を何度も繰り返してしまう。とにかく自分の中でスッキリするまでやめられない。もう止めたいと思っていながらも、不安に駆られて確認が止められない。
確認行為をする様子を他人に見られるのは恥ずかしいので、人目を気にして不安と戦う日々だ。
はたから見た私は、おそらく精神疾患を持っている様には見えないだろう。
しかし、私の脳内ではいつだって、不安を打ち消す事に大忙しなのだ。
そんな中で生まれた様々な感情を思い返してみた。

「『普通』ってなんだよ」

「彼氏できた?」という問いは、友達と会えばお決まりの様に耳にする。実際私も、友達とのコミュニケーションの中で無意識に聞いていた。理由としては、「恋愛」というものは皆の共通の話題だと思っていたからだ。趣味や仕事が異なっていても、「恋愛」はするもの、もしくは興味があるものという認識を持っていたからだと思う。

しかし、最近私は友人からのその問に密かに息苦しさを感じている。実際何年も人を好きになっていないし、その問を耳にするたびに「恋愛」をしていない自分はいけないのだろうか、と胸がきゅーっとなる。

私は、31歳になりパートナーもいないという事に焦っている。本当の気持ちを言うならば、恋愛も結婚もタイミングは今ではない気がしている。それなのに焦っているのは、私がずっと「普通」という言葉にこだわって生きて来たからだろう。
今さら「普通」を無視するなんて難しすぎる。

私はいつだってマジョリティー側にいたいと思っていた。中高生の頃は皆と同じようにスカート短くしたし、眉毛だって細くした。意見を求められた時には、多数派の意見に沿うような発言をしていた。

その方が正しくて安全だと思っていたからだ。しかし今は、それが安易な思い込みであると分かる。それでもいざとなれば、マジョリティー側の生み出す社会の流れに、置いて行かれるような怖さを感じてしまう。

同じ場所で足踏みしている自分と、「結婚」や「キャリアアップ」などを見据えて着実に前に進んでいく人達。このように一度線を引いてしまうと、この構図から抜け出すのは難しいように思う。
私は強迫性障害という精神疾患を持っている。運よく、実家に頼れる状況の為、アルバイトしながらも金銭的な不自由は無く過ごせている。しかし、このことが足枷となり、自分が相手を探すなんておこがましくないか、と考えてなかなか恋愛をすることに積極的になれないのだ。

そんな風に自分だけの狭い世界の中で腐っていた時、母の影響でラジオに夢中になった。
好きな番組をいくつか見つけて、毎日を生き抜く糧にした。ラジオを聞くようになり、自分の様に思うように生きられない人達が大勢いる事を知った。
「恋愛」をしないという人もいるし、社会的な問題でパートナーと「結婚」が出来ないという人もいる。様々な理由で働く事が出来ないという人もいる。
ラジオを聞くようになって、私の視野は少し広がったように思う。

マジョリティーやマイノリティーなんて言葉で線を引かなくていいのではないか。人間はみんな少しずつ違うのだから。
自分がどちら側の人間だとか考えて、卑屈になるなんてもったいないではないか。
私の場合は、社会の仕組みが良い方へ変わろうと、多分変わらない。強迫性障害を克服する事でしか私の生活は良くはならないのだと思う。
しかし、自分のマインドを変える事で、強迫性障害の私も少しは生きやすくなれるのではないかと考えるようになった。
というよりは、そう考えないと私自身生きていける希望も自信も持てなかった。

ギリギリな所で生きていた私にとって、これが唯一の生きる手段だったのだと思う。
「普通の生き方」なんてそもそも無いのだと思う。それぞれに合った生き方をしていけばいいのだろう。たまたま結婚する人が多いだけ、たまたま正社員で働く人が多いだけ。ただそれだけだ。そして、そうじゃない人も確かにいる。
多い、少ないという問題であり、正しい、正しくないという事とは違うと思う。
だから、未婚で、アルバイトで、実家暮らしでも、これがワタシの人生であり、これが今の精一杯のワタシなのだ。
悪い事をしているわけでは無いのだし、私はワタシの生き方を認めてあげたらいいのだろう。
自分に与えられた環境を恥じる事なく利用して、ただただ生きてやる。

「どんなに現実が辛くても、腹は減るしカレーは旨い」

私が強迫性障害で仕事を辞める前に、保険の電話営業をしていた頃の事だ。
毎月の成績をグラフにして事務所の廊下に張られた。私のグラフは毎月、廊下の床に一番近い所でじりじりと闘志を燃やしていた。
私はノルマがどうでもいいと思った事はない。
成績が悪いなりにもがいていた。

よく言われて困ったのが、「たまには息抜きも大事だよ」という言葉だった。
私は、5分、10分休んでいる間にも、電話を何件か掛けられるのでは、その間に一件また一件と成績を離されるのではないか、と怖かった。
なので、他の職員がたばこを吸いに席を離れている間も、私はパソコンの前を離れる事が出来なかった。
そうしている内に、すっかり私の中で、自分は出来ない人間だと決めつける癖がついてしまったようだ。今思えば、この考え方で自分を追い込み続けた事が、心を病むことに繋がっていたように思う。

ある日の帰りの電車の中で、真っ暗な窓ガラスに映る自分の顔を見ていたら、目がじんわりと熱くなってきて涙が溢れそうになった。私は必死に目を見開いたり上を向いたりして、涙が流れ落ちるのを食い止めた。
そして、電車を降りて人気のない道を歩きながら、ぼろぼろと涙をこぼし泣いた。

どうして自分には出来ないのだという悔しさで、押しつぶされそうになりながら家までたどり着いた。すると、ぷーん、とカレーのスパイシーな香りがしてきて無意識に唾液が出てきた。
私は、腹が空いていたのだ。そして、真っ赤に充血した目のままカレーを食べ始めた。
「うまっ」
カレールーの味の濃さや、ピリリとした刺激が癖になりスプーンを持った手が止まらない。
私は旨い、旨いと言いながらあっと言う間に食べ終えてしまった。

先ほどまでの、肩を落として泣きながら歩いていた自分が嘘の様だった。
きっと、自分の中で絶望だと感じていても、だいたいの場合、脳のキャパオーバーで身動きできなくなっているだけなのだと思う。
最近では、悩みや不安などの考える事が多すぎる時は、一旦何も考えない時間を作る様に心がけている。
だから、自分があの時絶望の中でカレーの味に感動した事は、ごく普通の事であり、むしろそれが必要だったのだと思う。

人には息抜きが必要なのだろう。

「素直になれない」

私の家族は父、母、妹、そして私の4人だ。そして現在は私も妹も実家に住んでいる為4人で暮らしている。
妹とは6歳離れていて、それなりに仲良く過ごしている。2人で台湾旅行にも行ったし、一緒に映画も見に行くし、ジムにも一緒に通っている。
しかし、自分が強迫性障害の為に出来なくなった事が多いのに比べて、妹は日々社会人として着々と前に進んでいるという事実を、必要以上に意識してしまうのだ。
姉なのに、という呪いの言葉にも振り回されているように思う。

妹の恋愛事情にさえも心穏やかにいられない。
認めたくなくて言葉にすることを避けていたが、紛れもなくこれは「嫉妬」というものだろう。
床の上で手足をばたつかせて駄々をこねたい位に、羨ましくて仕方ない。

残業で大変そうな妹を見ても「大変だね、お疲れさま」の一言が言えない。
パートナーが出来た妹に「おめでとう」の一言が言えない。
こんな自分が大嫌いだし、病気の姉を持つ妹は、幸せになってはいけないなんて事は絶対にありえない事も分かっている。
私と妹にはそれぞれの人生がある。
頭では理解できているが、いざとなると胸がざわついて妹を直視できないのだ。

困った姉だ。
いや待てよ、私は今まで自分が「姉」だと意識して妹に接して来ただろうか。
どちらかというと「友達」の様な感覚で常にとなりに並んですごしてきたように思う。なのに、こういう時だけ急に「姉」と「妹」として比べて、自己嫌悪の材料にする事は無いのではないか。
今まで通り「友達」のように一人の人間として見ていたらいい。
とはいっても、さっそく明日から心持を変えられるような単純なものではないので、先ずは自分の心を健やかに保てるように病気と向き合う事に励もう。
いつか大好きな妹に、心から「おめでとう」と幸せを喜べるように。

「ときめき」

病気と共に生きる日々の中でも、ときめきを感じる事は出来ている。むしろ「ときめき」を感じる事が増えたように思う。
今までは当たり前の様に気にも留めなかった事にも、心が反応するようになった。

母が毎日仏壇に向かって長い時間手を合わせて家族の健康をお願いしている事。
七夕飾りに吊るされた、沢山の願いの書かれた短冊。
自身も仕事で疲れているはずなのに、電車でご老人に席を譲るスーツ姿の男性。
こういった事一つ一つに「ときめき」を感じられるようになった。

強迫性障害は、外見からは病気を抱えている様に見えない事から、周りに相談しづらく、一人で生きづらさを抱えてしまいがちな病気だと思う。
ネットなどで当事者同士の繋がる場所があるようだが、私の場合はそのような場所は利用せずに、月に数回のカウンセリングを受けながら認知行動療法に取り組んでいる。

私自身、社会から零れ落ちたような孤独を感じていたからこそ、人が誰かの事を思うという事に強い感動を受けたのだと思う。
人と人の繋がりに強い期待を持っていたいのだと思う。

私は、妹と月に何回かジムでエアロビのレッスンを受けているのだが、そこで汗を流すのも気持ちいのだが、それよりも私は、3年以上一緒にエアロビをしている仲間たちの中に、自分がいる事に「ときめき」を感じている。
どんなに辛い現実があろうとも、エアロビをしている時間は、大好きな仲間たちと最高の時間を過ごす事しか考えていない。

「たのしかったね、またね」
必ずこの言葉を交わして別れるのだ。
この言葉が今の私の活力であり、最高の「ときめき」だ。


#創作大賞2023   #エッセイ部門


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