お父さんっ子の作り方!? 我が父の『パパ術』

どもども、慈岳です。私の父は厳父とお笑い芸人とひろゆきさんを混ぜたみたいな人で、子供としては『頼れておもしろくてタメになるパパ』でした。

あの頃の父より年長となった今振り返ってみても、社会人・家庭人として優秀で、酒も煙草も女も賭け事もやらず、仕事が終わればまっすぐ帰宅するマイホームパパの一面も。アフターファイブは子供と遊ぶのが趣味みたいな人で、私も弟もばりばりのお父さんっ子に成長しました。

ここではそんな父なりの『パパ術』を、思い出話とともにご紹介します。長くなりますので、目次からお好きなところをどうぞ!


●父スペック

1950年代生まれ。大手電器メーカー勤め。細くも太くもない並マッチョ。20代で母と職場結婚し、2年後に慈岳爆誕。さらに5年後に弟降臨。
鉄道マニアで旅行好き。デジタル・アナログ問わずゲーム大好き。パズルの達人。サッカーファンで自らもプレイヤー。DIYやメカいじりはお手のもの。好きなテレビはお笑いやバラエティー。
総合的に子供と遊ぶのにこれ以上無い趣味構成で、パリピとヲタクを両立w

●散歩しながら黄昏泣きの娘をあやす

母の話によると、赤子時代の私は黄昏泣きがひどく、夕食の支度時間と被るため父がいつもあやしてくれていたそうです。父は17時の定時上がりで残業はほとんどナシ。18時には帰宅していたので、ぐずる娘を抱き上げ散歩に出て辛抱強くあやし、夕食が出来る頃に戻っていたそうな。

なお、赤子の時期に父親が知らんぷりを決め込むと、父親との愛着形成が滞るのだとモノの本に書いてありました。そのことを父が知っていたかどうかは分かりませんが、後の成長に何らかの影響はあったのではと考えます。

●パパの特権『たかいたかい』

男親でないと難しいこの謎の遊び。最後にしてもらった記憶は5歳で私は20kg近くに育っていたと思いますが、筋肉質な父の『たかいたかい』は空中に娘を投げ上げてキャッチする、ややアクロバティックなもの。もはや『たかすぎたかすぎ』です。

私は赤子の頃からこれが大好きだったとのこと。もう少し大きくなれば、頭を父側に向けた『逆ジャイアントスイング』なんかもやってくれました。後に体操部に入ったのはここでバランス感覚が鍛えられたからでしょうか。たかいたかいは親子どうしで身体に触れる遊びですので、父への愛着形成に一役買ったのではないかなぁと思います。

●自分のことは自分でやる

父は料理を含む家事すべてをこなせました。といっても家事分担主義や妻サービスではなく、自分の生活のことは自分でやるものだという価値観です。幼いころに父親を亡くし、忙しい母親に代わって家事をしていたそうで、その経験が活きたのでしょう。

それゆえか、子供にも出来そうな家事はどんどん参加させてくれました。例えば調理刃物や工具類などは「危ないからダメ」と頭ごなしに禁止せず、指導監督しながら使わせてもらえて嬉しかったことを覚えていますね。

●プラレールでアタマ使わせる

物心ついたときには私はすでに鉄ッ子。鉄っちゃんパパが鉄ッ子に与えるおもちゃと言えば……そう!プラレールです! しかしまぁその数が半端じゃない。新作車両が出る度に買ってきて、レールもいつの間にか増えているし、電池も使い放題にしてくれていました。

プラレールは幼児の知育玩具としてそこそこ優秀で、レールを組むのにアタマ使うんですよね。しかし父が楽しそうに付き合ってくれるので、上手く組めなくても『アタマを使う=楽しい』と刷り込まれました。足の踏み場も無いような大作が完成した時の達成感やばし。

●将棋で礼儀と先読み力を教える

プラレールと並んでよく遊んでもらったのが将棋でした。ルールを覚えた頃の記憶が曖昧ですが、恐らく初期は、楽しく指せるよう誘導して勝たせてくれていたのだと思います。

父の口癖は『七手先を読め』。これをこうしたら、次はこうなる可能性があるから、先にこのような対策をしておく。そんな思考スタイルですね。この口癖は、今は私もよく使います。

また、お作法も教えてくれました。特に負けを認めることについてはしっかりやるように言われ、実際にお手本として父が負け、幼稚園児の私に「負けました」と頭を下げてくれたのを覚えています。子供は負けるとキレたり泣いたりするので、それを戒めたわけですね。

●泣くな!!!

叱られて泣くとパパさんますます叱ります。叱られて泣くのは甘え。思考停止。責任逃れ。何も解決しない。メンドクサイ。良いことなし。泣いて済むなら警察は要らん。泣くヒマあったらアタマ使え。

いやー反論の余地がありません。小さなころの私は叱られるのが怖いのではなく、言われたことをできない自分に腹が立って泣いていたのですが、いずれにしても泣いたところで何にもなりません。正論です。

●反抗期の娘と麻雀遊戯

反抗期で自室にこもりがちだった私と父を繋いだのは麻雀。『目的がない会話』が嫌いな父娘なので、話すには何か媒介が必要です。父は時々私を麻雀に誘いました。もちろん賭け事ではなくゲームとしての健全な遊戯で、コーヒーを淹れて弟(小学生w)も交ぜて3人打ち。

将棋同様、麻雀も基本は黙って遊ぶゲームですから、おしゃべり嫌いな私たちでも卓上で無言の会話ができます。マズい打ち方をすれば指導やフィードバックがあり、私も質問をする。それがいわゆる『親子の会話』で、無理に喋らせない方法を採った父のことを尊敬しました。

●勉強しなさいとは言わない

父は学力が高く頻繁に勉強を見てくれましたが、「勉強しなさい」とは私が覚えている限り一度も言われていません。私の部屋に様々な書籍を揃えてくれ、中学生以降は自分の書斎に入ることを許し、好きなだけ自学自習ができる環境を整えた以外は特に何もしなかったのです。

その代わりに言われたのが「自己管理をしなさい」と「考えて行動しなさい」の2つ。タイムマネジメントも含めて、人から言われてやらされるのではなく自分でやらねば、本当の意味でアタマは良くならないという考えです。
自分でちゃんとやれば特にうるさく言われず、結果的に父も『子供の邪魔をしない良いお父さん』になれました。めでたしめでたし。

●娘は犬じゃない

ある日、父母が小競り合いとなりました。子供に対する『ごほうび』についての考えが、2人で真っ向対立したのです。私が何か成果を出すたびに脳ミソお花畑になってごほうびを与えたがる母に対し、父が「慈岳は犬じゃない」と一喝。さて私はどちらに味方したでしょう!

……はい、父です。ママごめんね。私そういう畜生みたいな扱いはイヤなんです。最大限人間扱いをするとしても、ごほうびはそれをダシに取引をしているだけですから、同じモノをくれるにしても他の場面があると思うのです。よって父に軍配。

●『同じ目線』で褒める

父からの褒め言葉は激レアです。学生は勉強が本分で、やって当たり前、できて当たり前なので一切褒めません。なので成績について褒めることはなく、基本的には『大人でもなかなかできない思考や起居振舞』ができたときに限り、ごくまれに褒める感じでしたね。

印象的だったのは高校入学式での新入生代表挨拶。主席合格をした私が文章をすべて考えて奉書に記し、式で読み上げました。
帰り道、参列した父が「やるなぁ。衆人環視の中あれだけ堂々とやれるとは」と。オトナからコドモに対しての『上から目線』ではなく、会社の同僚にでも言うような『同じ目線』の口調で褒めるのが父流でした。

●さいごに……父子の相性も大事

全方位無敵に見えた父ですが、弟の場合はこの育て方が向かなかったらしく、成果はあまり芳しくありませんでした。弟も決して『地アタマ』は悪くなく、将棋やパズルなど頭を使う遊びはそこそこ強い。しかし、学校の勉強はからっきしだったんですね。

父は自分がやるべきシゴトをしない人間を、子供にしても会社の部下にしても冷遇するので、弟は弟で『きょうだい差別』だと認識して拗らせてしまいました。

なので、このやり方が通用する子供は限られるということと、親子関係の構築は赤ちゃんのころから慎重にということの2つを最後に述べておきましょう。

それではまた。

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