できること.010

子育てのそれは「心」か、それとも「スキル」か

お疲れ様です。

べつに得意でもないアイキャッチ画像を作ってみたら本編と同じくらい作業時間がかかってしまったそこそこアホなバラさんです。

今回のお話は割と本質的な、怪しい自己啓発臭がぷんぷんする内容になっております。でも子育てにも仕事にも大事なことだと思ってお話します。


子育てをしていると、子どもたちの成長とともに、心が育っていく様子と、能力が身についていく様子がまじまじと感じられます。

2歳のあっくん(弟)はようやく自我らしいものが見え隠れしてきて、自分というものを理解して、名前を覚えて、やりたいこと、好きなこと、面白いこと、嫌いなこと、不快なこと、怖いと思うことがだんだんと増えてきています。

あっくんは自分の気持ちにとても素直に、子供らしく邪念もなく、思い立ったまんまの行動をとります。それでも時には気を使っておもちゃを譲ったり、やりたいことを我慢してご飯を食べたり、2歳なりの葛藤の中で楽しんで生活している様子です。

一方で9歳のねね(姉)は、手先も器用になってきて、家にあるゴミたちで色んな工作をつくってみたり、宿題をする知識もついてきて、筆算を解くし、絵本の作者の気持ちを考えたり、空き缶で電球を光らせたりできるようになりました。

それでもまだまだ9歳なりの未熟さで、勉強をサボってしまうこともあるし、嘘をついてしまうこともあるし、弟にいじわるをしてしまうこともあります。成長しなきゃと自分でわかっていても、逃げて楽な道を選んでしまう、そんな迷いや自分との戦いの日々を過ごしています。

いつのまにか、はっきりと分かれて見えた心とスキル

娘が勉強を覚え始めた7歳ごろ、それまでの保育園の行事とは違って、「学習」という形で”逃げられない”ことが増えてきました。僕らは親として、このあたりからはっきりと「心の成長」にも目を向けるようになっていきます。

算数の計算がわからない、漢字が書けない、リコーダーがうまく吹けない、みたいな、こういった「授業」で教わることの多くは、全てスキルの問題です。例えば”そろばん”のように時代によっては代替品にとって替わられてしまい、いつかは陳腐化してしまうかもしれない。

「サイン・コサイン・タンジェント」とかいつ使うの?なんて僕も学生時代にずっと愚痴をこぼしながら勉強してましたけど、特定の場面でなきゃ出番すらこない「暗記型」の勉強法。

究極的には、論理的に、統計的に、「正しい」と導き出されることの多くは、AIがこれからの未来で担っていくことになるかもしれません。

しかし、諦めない心、チャレンジする気持ち、人に優しくすること、分け合うこと、話をよく聞く、こういったものは「心」の問題です。

心の問題というのは、往々にしてはっきりとした答えのでないものが多いです。哲学的な課題で、宗教観や、幸せとは?死ぬって?欲?こういった問いかけにどれだけ「自分なりの正解」を持っているかが大事だと思うんですけど、誰かに教わるか、普段から気にしていないと、そうそう簡単に、勝手に芽生えるものではないように感じます。

なぜ心とスキルを分けるのか

子育てをしていく上で、子どもに対して褒めること、叱る場面は山のようにあります。むしろそれが子育ての中心にあるっていうくらい。

親から子どもへ何かを伝え、指導するときに、それが果たして心の問題なのか、スキルの問題なのかを見極めることは、とても大事なことだとつくづく思います。

なぜなら、親からの伝え方を、それによって変えなきゃいけないから。

もしかすると、多くの家庭では、勉強ができないことやテストでいい点がとれなかったことに対して、「なんでこんな出来栄えなの」と叱ってしまうことがあるかもしれません。下手くそな手作り餃子をみて、もっとちゃんとやりなさいと言ってしまったかもしれません。

でもそれってスキルの問題だから、意識していますぐどうにかなるもんじゃないんですよね。時間をかけて、トレーニングしながら鍛錬した上で成長していくスキル。そこを叱ったところで、じゃあ明日には100点、粘土細工でプロ並の腕前、とはならないですね。

でも、いい成績にならなかった原因として、どこかで妥協してしまったことや、欲に負けて漫画を読んでしまったこと、自分自身を客観視して振り返れなかったことなどは、心が決めることです。紙に書いてみたり、口にだしてみたり、工夫次第でいますぐその場で変わることができます。

もちろん年齢によっては難しく、スキルのように鍛錬しなきゃうまくいかないものもたくさんありますが、スキルと大きく違うのは、年齢も時代も関係なく、いつまでも、一生使える奥義のようなものだと僕は思います。

だから僕は、娘に対して勉強よりも、心が育つようなことばかりを意識して伝えるようにしています。それこそスキルの問題だと判断したら「次から頑張れ」くらいしか言わないレベルです。

大人になったら自力で使い分けていけ

仕事をし始めると、自己投資といってみんな自分で勉強しますよね。学生時代にあれほど嫌だった本を読んだり、英会話に通ってみたり。

僕みたいな営業職だと、特殊なスキルを必要としない分ビジネス書を読んだりオンラインで知識を得ようとする人は特に多いんじゃないでしょうか。

しかしこの自己投資にハマってしまうと、とにかく「勉強になりそう」な情報を片っ端からかき集めていく罠にはハマりはじめます。僕もいまだに「それっぽい情報」には目が無いです。中には”アタリ”も眠っているので、なかなかの中毒性がありますね。

noteで数万円もする記事に手をだして、”稼ぎ方”を自分でも書いて発信してみたり、書評系YouTuberに流されるように本屋で新書を買い漁る日々。

いつしか気づけば、そこにいたのは何を求めているのかもわからなくなって「ノウハウコレクター」と化してしまった自分です。これは過去の自分への供養でもあります。3年くらい前ですかね。数万円するセミナーに4ヶ月通って、仲間ができたーとか喜んでいたのも束の間、そのころの熱も仲間もどこへやら。

もちろん残っている繋がりは大切にしていますし、今でも日本規模で活躍している師匠のことは尊敬しています。たぶん誰もがみたことがある登録者数10万人オーバーの外国人YouTuber。一緒に仕事する話までありましたが、僕も家族が増える節目だったので白紙になってしまいました。

閑話休題。

子育てによってようやく気づくことができた「心」と「スキル」は別問題。世の中に出回る良書と呼ばれる数々のビジネス系作品の中にも、この二つのどちらかに分かれるものがあるって気づけました。

要するに、一生もので普遍的な教えと、時代に乗った流動的な教え。

ここに気づかず、手当たり次第に情報収集していた自分がいることを知って、なんかすごく遠回りしたなーという感じです。

今の自分には心とスキル、どちらが急務で必要なのか。上司や師匠が今教えてくれているのは、心なのか、スキルなのか。子どもに教えるべきなのは、心なのか、勉強なのか。
それを見分けられれば、遠回りせずに、適切な勉強でもっと最短ルートで自分を成長させれたなと強く感じました。

向上心と焦りで見えなくならないように

人間、誰しも欲というものはあると思います。

幸せになりたい。
影響力が欲しい。
出世したい。
もっと稼ぎたい。
子どもを賢く成長させたい。
豊かになりたい。

考えだしたらキリがないくらい出てきます。
そしてこの欲を満たそうとする時、目標を達成したいと思う時、夢を叶えたいと願う時に、自分自身では答えがでない...と行き詰まったら、きっと、誰かの声や、先達の教えに手を伸ばし、少しでもヒントになるように、答え合わせをするように、情報を取りに行くと思います。

そんな時に、盲目的にあれもこれもと手を出すのではなく、今の自分にとってどんな情報が必要なのか。Twitterにころがる「稼げます」というテンプレートに食いつくことは本当に正しい選択なのか。よーく思案して選択してみてください。

僕はこれからも、子育てをしていく上でも、自分を成長させていくためにも、まずは「心」を徹底的に鍛えていきたいと思います。

それは、「お金いっぱい持ってたら幸せ」という資本主義の、ある種の宗教的価値観が崩れ始め、もうこれ以上何を望むの?という化学の発展と、哲学的な問いかけが絶対に降ってくるであろう近い未来のために、自分なりの答えを用意していくためでもあります...なんて小難しい話はまた別の機会に。

それでは!

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