人に対する信頼で成り立つ学問

これは前の記事でかいた人の発言の信用の話の続きになってるよ

前回人の言葉は信頼できないって結論づけたんだけど、私の真反対の考えですっごい発展してる学問がそういえばあるわって思い出した。

ゼミ選びの準備の時にとってた民族誌学っていう文化人類学者の先生の授業なんだけど、そこでは文化人類学者がかいたエスノグラフィーを読んで自分が卒論として書く民族誌をどうやって書くか勉強した。

文化人類学のフィールドワークの研究は、現地に滞在して仲良くなって、堅苦しいインタビューじゃなくて普通の雑談、例えば居酒屋でお酒飲みながら話した内容とかを研究材料にするらしい。だから先生いわく、質問を事前に準備して1個1個聞いてはいけない。

私はこれを聞いて、個人の主観的な証言を元にした研究ってどうなんだろう、信憑性があるのかなって思った。例えば、現地の人がバチバチの嘘を言っていてそれが嘘と判明する場合絶対にある。これをこのまま先生に言ってみたら先生は「嘘でも真実としてかくよ。嘘とわかっていても本人に問い詰めたり他の人に本当のことを言わせるようにしたりしないよ。彼らの言ったことを真実としてして描写することが彼らへの敬意なんだ。たまに嘘をついた人と何回もあって仲良くなっていくうちに本当のとこを話してくれることもあるけど、その時も彼は嘘をついていたとは書かないで証言に変化が見られたって書くかな。」って言った。

この文化人類学者の研究は一貫性がないと論破して確かめたくなる私とは正反対の考えでやっぱり完全に理解することはできないけど他人を完全に信頼することで大きな成果をあげた界隈もあるんだ、すごいなって感心した。人間が表に出す言葉は変わりうるとわかった上で信頼して、長期間何度も向き合うことでそれを乗り越えていく先生たち文化人類学者の存在は真似出来なくても心の隅に置いておいてもいいんじゃないかと思う。

でもゼミはやっぱり社会経済学にした

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