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悲惨のない平和を諦めない


毎日毎日

悲しい事件が、多すぎる。


あまりにも多くて、

またか…と

聞き慣れてきてしまった
自分がいる。


怖いことだ…。


若い頃、もっと感受性が強くて
想像力も豊かだった。

だからこそ、こういうニュースを見る度に、本当に辛かった。


その瞬間
どんなに、怖かっただろうか

痛かっただろうか

悲しかっただろうか…。


犯人には、どんな思いが
あったのか。

なぜ、そんな行動に
出てしまったのか…。


本当に
いたたまれなくて
胸が苦しくて

怖くて

悲しくて

涙が止まらなくなることが
何度もあった。



事件だけじゃなく
自殺も、戦争も、ありとあらゆる

数え切れないほどの
不幸 がある。


どうして?

どうして、こんなにも
悲しい恐ろしいことが
起こってしまうのか。

どうして
人間はこんなに
苦しまなきゃならないのか。


日本だけじゃない。

世界中に、そんなのが
信じられないくらい溢れていて

毎日、毎日、

今日、いま、この瞬間も

どこかで

誰かが

地獄のような苦しみを
味わってる。



どうにかしたい。

止めたい、無くしたい。

世界中の誰にも、
たった一人にも、
そんな思いをさせたくない。


なのに現実は
私が何をしても、どんなに頑張っても

全ての人を救うことは
不可能で。

もしかしたら私に救えるかもしれない人が、数人いたとしても

その他のほとんどの人は
何十万、何百万の人は
助けられない。


その現実が

悔しくて悔しくて

どうしたらいいのか
呆然として、絶望しそうになることもあった。

悲惨がない、
本当の「平和」がどんなに遠くて
果てしないか…。

そんなことを
真剣に考えていた、青春時代。


大人になるにつれて、日々
自分のことで一杯一杯で

自分の家庭や
家族、仕事のことで
精一杯で

友人のことすら、
意識しないと中々
思えなかったりして

悲しい現実も
聞き慣れてきて

世界はこういうものだ、
という
諦めのようなものも
できてしまって

人の痛みにも鈍くなった。


そうでないと

いちいち、悲しくて泣いて
辛くて仕方がない…
では生活に支障が出るから

ある程度、やむを得ない変化なのかもしれない。



だけど、絶対に

忘れちゃいけない。


苦しんでいる人の
痛みを想像すること

助けたい、
悲惨を無くしたい
という思い。


綺麗事だ
理想論だと言われても

これだけは、絶対に

諦めちゃいけない。


遠くても

微力でも

私は、私にできることを
諦めずにすればいい。

それしかない。

自分の人生を、希望を持って
いきいきと生きること。

周りの人も、そうであるように
どんなことがあっても

励まし合って、
一緒に生きていくこと。


人の心に灯をともせる人に
なること。

心から、周りの人の幸せを
世界中の人の幸せを

平和を、祈り続けること。


小さくても

その心が集まれば、

沢山の人がそう心から思って
生きられるようになれば、

世界は良くなる。必ず。

少しずつ、少しずつ、少しずつ、
悲惨が減る。必ず。


そう信じて生きる人を
笑う人、には
私はなりたくない。


厳しい現実と向き合いながら

決して折れずに
希望を失わないで


理想を強く持って

もがき続ける人、でありたい。

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