見出し画像

愛する人にしたいことを自分にしていますか?

3年前の暑い夏

自己肯定感とはなんですか?
と心理学を専攻科目にしていた私に聞いてくれた人がいた。他分野を研究されている私が勝手ながら尊敬の念を抱いている先輩だった。当時うまく答えられなかった。自分を認め肯定する力である。と答えた記憶がある。

そんなことを聞いていたのではないと承知で誤魔化すような回答を差し出した。自分が尊敬する相手に、である。せめて誠実で在りたかった。私の中にある数少ない後悔の一つである。その人はおそらく肯定感を高めるためには何をしたらいいとか自分はどうすれば良いとかこういうことを聞きたかったのだと思う。

そんなのわたしも知りたい。
そんな強い思いを湧き起こしてくれた質問を抱え続け3年くらいは経っただろう。

お休み中
ごろごろとしているわけだ
まだそれが飽きるということはない
齢24と9ヶ月
人生に疲れ切っているわたしはもうかれこれ16の時から、もう休みたいと心の中で切実に思う日々が続いていた
口に出したら今度こそ奮い立てなくなる危険性を孕んでいた思想はとうとう音に乗せることなくこの文字の海の中へ吐き出された
1ヶ月休んだくらいでその切実な思いは晴れることもなく少しだけマシになったが今尚巣食っている

さてふと視界に入るのは
ペットボトルの山
3月引っ越した時のままの段ボールたち
ゴミ ゴミ ゴミ
※燃やせるゴミだけはなんとか頑張って捨てている。でなければ小さい虫たちが生まれてしまう。あれはいけない。捕まえるのが面倒だ。
なんかどっから抜け落ちたかと思うほどの量の髪たち(わたしの毛根はまだ元気だと信じたい)
時折何か大切にしたかったであろうもの

横になるためだけにあるような部屋
机らしい机はないし椅子もない
大量の書籍たちを収納する何かもない

まずペットボトルの山たちをどかして近くのスーパーの回収ボックスへ捨てに行った。半分だけ。その帰りに箒を買った。

中学校の時、掃除でよく使ったやつ
うちに掃除機というハイテクなもの今はない
金もない
いちいち吸い込んでくれるゴミを捨てる気力もない

ここで取り敢えず止まっている

愛する人のためにわたしはこれから、なんか眉毛描くやつの粉をぶち撒けたカーペットを要らないものとして捨てる作業と、仕事が忙しすぎて蹴り飛ばすくらいしか使い道のなかったペットボトルの山とお別れする作業をする

愛することは後で良い
多分結果として付いてきてくれる
愛し方さえ決めてしまえば

わたしは部屋を綺麗にして取り敢えずわたしを大切にしようと決めてみたのである

腰も首も近い将来やってしまいそうな寝心地が大変悪いベッドでの8時間の睡眠と何か食べられそうなものを齧ること。ここ1ヶ月そうやってわたしはわたしを愛した。

次は居心地の良い居場所を贈ることでわたしはわたしを愛そうか

それはそうと
誠実で在りたい人の前では誠実で在ることを勧めます。ただ一度は誠実でないことも勧めます。大変後悔して良い教訓になるでしょう。

誠実であれなかったわたしは私にとっての自己肯定感とは何かという問いを忘れられませんでした。これからも小骨のようにずっと引っかかっていることでしょう。わたしがわたしを愛してみたいということを忘れない限り。

これがわたしの自己肯定感に対する最初の答えらしい答えでしょう。

奴隷のように24時間監視され、満足に食事を楽しむ時間も与えられず、衣類も適当に買い与えられ、寝る以外は勉強かピアノの約12年間の生活。

愛が何か今でもよく分かりませんが、安心して眠り、温かいご飯を食べ、自分に合った衣類を着て、そうして居心地の良い空間に在る

それは私が幼い頃から希ったモノであり、今から創る近い未来に存在してくれる現実でしょう。

その先に私の自己肯定感があることを信じて、まあ無かったら無いでまた探すだけです。

次、迷い子の誰かに自己肯定感とはなんですか?と聞かれた時に、

次は誠実に、逆にお聞きします。

あなたは他人を大切にしたい時、どんなことをしていますか?自分をどうやって甘やかし愛していますか?

と。

答え探しを次は一緒にしましょう。

3年前のあの特別な夏
虫たちが飛び交う緑の濃い季節
その赦しと権利が私の欲しかったもので、後悔でしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?