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R.33.ファクトと仮説

記者「都知事、中国のことを支那と言うのは辞めた方が良いとおもいますよ」
石原「なぜ?」
記者「その様に呼ばれると、嫌な気持ちになると思うからです」
石原「君が、思うんじゃないの?」
記者「中国人は中国人と言ってください」
石原「どうして?自分たちで支那人と名乗っているのに?」
記者「いつです?」
石原「中国の古い文章に出てくる」
記者「だとしても、良い気分はしないと思います」
石原「それは、あなたが思うだけでしょ。ナンセンスだね」

故 石原慎太郎氏の伝説のやり取りである

人は、事実と自分の解釈をごちゃ混ぜにしてしまうことがよくある
普段の会話の中で、上司への報告の中で
顧客との商談のなかで

コンサルの世界では、ファクトと仮説を
キチンと区別して話をする事が求められる
それは、コンサルが高いお金をもらって
顧客に助言する立場にあるからである

助言の質を決めるのは
仮説の精度である
仮説の精度はどれだけ事実をキチンと整理して把握できているかによる

冒頭の会話について言えば
記者は、中国の方が支那人と言われて
嫌な気持ちになっている。と考えている
それは、普段の石原氏の態度から
彼はきっと中国人を悪く言う表現に違いないという思い込みかもしれない
もしくは、周りの知人や親族に教わったのかもしれない

人は見たい様に見て
聞きたい様に聞く
耳障りの良い情報ばかりを信じて
自分で調べる事を怠る
別にそれは普通のことだし
誰にでも起きえることだ
否定する気はない

何か意見を述べるとき
自分の言葉になっていない時は
ファクトと仮説をごちゃ混ぜにしている

人の話を聞く時も
思考停止の状態では
相手の話を鵜呑みにしてしまう事になる

ファクトと仮説を分ける事を意識しない人は
総じて問題を複雑化しやすい
特に仕事の上ではそれが致命傷になることもある

ニュースを見る時
お偉い先生のご講演を賜る時
信頼し切った家族や友人の話を聞く時
どうしてもバイアスがかかる

あの人が言っているから
彼はいつも間違えないから
だから否定する人はおかしい
おかしい人は敵だ…

思い込みは考えに変わり、行動へ昇華される
他人に振り回される事なく、自分の人生を生きるためにも小さな事だが、常に意識したい事である

それは事実か?それとも意見か?

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