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「国府達矢」

私は、脳というのはある意味、美術館の様なものだと思っている。

「絵」という記憶が描かれたキャンバスが時に乱雑に、またあるときには理路整然と並べられているに違いない。

その数が多くなればなるほど、人は、それがどこにあるかわからなくなったり、勘違いしたり、そもそも存在したことすら忘れてしまったりもするであろう。

そんな私の脳内美術館には、「音楽」の部屋がある。

部屋は、子供の頃に観たアニメの主題歌だったり、ポンキッキで流れたインパクトの強い子供向けの歌だったり、大流行していた歌謡曲だったりから始まる。

少し奥に歩くと巨大な部屋があり、そこにはBOØWYを初めとするロックな音楽が並べられている。「絵」の大きさも1枚1枚が今までとは比べられないくらい大きく、色も鮮やかで、この美術館のメインのひとつであることは間違いない。

隣の部屋はこれまた大きく、今までの作風とは大きく違う。海外の作品をまとめた展示室である。

GUNS N' ROSESなどのハードロックたち、MEGADETHやPANTERAなどのメタルたち、RED HOT CHILI PEPPERSなどのクロスオーバーな作品、そしてNIRVANAを中心とするオルタナティブなアーティスト。

最後の部屋には、アジカン、フジファブリックなど、私が日本に帰国してから出会った作品が並んでいる。

そう、私の脳内はそんなイメージなのである。

改築、増築と美術館は大きくなってきたが、もうこれ以上大きくするのは建築基準法上無理だと言われてしまった。よって、最近はあまり見ない「絵」を上手にしまって、新しい「絵」を飾るようにしている。

閑話休題。

例えば、Aというバンドが今、日本ですごい人気だとする。

若者に熱狂的に支持されているAというバンド、その音楽が悪いとはひとつも思わない。では、なぜ私の心には届かないのであろう?

私なりに導いた答えは、その音楽が、BOØWYやGUNSを初めて聴いた時の衝動を超えられないからだ。

そう、10代という多感な時期に受けたショックは、脳内に鮮明に刻み込まれるのだ。忘れない。忘れやしない。

私の美術館で言うと、衝撃の大きさと比例して、「絵」の大きさは大きくなると思って頂けると想像しやすいであろう。


皆さんも共感してくれる部分はあると思う。


そう、もう既に数々の絵でいっぱいになった私の脳内という美術館には、なかなか新しい絵がかけられることがないのだ。しかし、そんな聴く耳が肥えた・・・とでも言おうか、数々のバンド、たくさんのCDを聴いてきた私にも極稀に驚かされることがある。

嬉しい驚きである。

イギー・ポップがいつぞやのインタビューで音楽は死んだと言っていたが、(正確にはロックがは死んだ、だったのかもしれない)私は、まだ音楽にはパワーが、そう、力があると信じている。どこか、信じたいと思い込んでいる自分もいる。

話を表題に戻そう。

「国府達矢」

基本的に音楽を文章で表わすというのは、ナンセンスなことではあるが、私が受けた「衝撃」は少しでも言葉で伝えられたら嬉しいと思う。

久しぶりに私の脳内にかけられた「絵」は、国府達矢さんの「ロックブッダ」だった。

もちろん、これは比喩である。ミュージックアルバムである。その1曲目の「薔薇」から、私は虜になった。1音1音が私の耳から脳内に入り込む。急に美術館はたくさんの人だかりができ、大人気になる。

高校生のときの自分が出てくる。

限られたお小遣いで毎月1枚のアルバムを買う。CDなので、レコードのように擦り減ることはないのだが、インターネットもない時代なので、買ったCDをワクワクしながら、一生懸命に聴いた。音楽があれば、ひとりの時間もドキドキとトキメキがあった。

そんな気分を思い出させてくれた国府達矢さんの音楽との出会いだった。

なんのcredibilityもない私の文章だが、偶然の出会いによってこのnoteに辿り着いた貴方の脳内美術館に国府達矢さんの「絵」が飾られたら私は嬉しい。


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