見出し画像

「考える」とは何か③ 「考える」の新・旧

世の中の変化、大学入試の変化、高校の授業の変化、、、、

「思考力」「判断力」「課題解決学習」なんてキーワードが溢れる近年の教育業界です。

何をそんなに「考え」なければならないのでしょうか。生徒に「考えてみよう!」とよくいう自分が考えているのだろうか?

ん?考えるってなんだ?

…そんな自問自答から考えた結果が、この“「考える」とは何か”①と②です。



今回はそのまとめ。「考える」って何か、どうして教員は考えるを求められていて、生徒に求めなければならないのか。



遡ること約170年前。
1853年、江戸時代の後半ですね。この年にペリーが来航しました。当時の日本は江戸幕府の統制で大型の船が造れませんでした。また、鎖国している関係で外国人との関わりは、もちろん希薄です(ゼロではないですが)。

浦賀の住民たちは、驚嘆したでしょうね。
見たことないサイズの真っ黒い船が来て、外国人がドカドカ上陸してくる。びっくりです。

そこからはみなさんご存知の通り、尊王攘夷運動を日本人は展開します。
まず「攘夷」です。武士の誇りを胸に、外国人を追い出そうとしました。火薬をふんだんに使った大型船で攻撃されたらひとたまりもなく、ことごとく敗北する。
次に「尊王」です。外国と戦うのは得策ではない。では国内を変えていかねばならない。と立ち上がる者たちがいた。
そして倒幕からの明治維新です。

明治になって日本人は、欧米に追いつけ追い越せ!脱亜入欧!文明開化!なんて一生懸命欧米のことを勉強し取り入れていきます。

そうやって生まれたのが明治5年の学制です。義務教育が誕生しました。国家をあげて、基礎基本を学び軍隊や工場や政治といったあらゆる部分に対応する国民を育成する必要がありました。

つまり、日本における学校とは、近代欧米のことを学び、日本のことを学び、発展させることが目的だったわけです。
そりゃあ、知識を与える場所になりますね。
そして、先生はすごい人となりますね。

そこから日本は、欧米の仲間入りを果たすため、日清戦争、日露戦争と戦い、勝利します。晴れて欧米の仲間入りを果たした。

すると、世の中は今度何を目指すか。
もっと良いものを作ろう!強いものを作ろう!と改良、改善を始めます。日本人の勤勉さが溢れだす。技術力向上に力を注ぎ、経済発展に力を注ぎます。

学校はというと、技術を改善する、兵器を改善する、経済を発展させる、そのためにはこれまでの知識を持ち合わせるべきである。
そうです。知識を与える教育は現状維持で良いんです。学校は知識を与える場、先生は知識人で、すごい人。


1945年 第二次世界大戦に負けました。経済はおろか国民生活が成り立たない状態。GHQによって民主化改革が進みます。現在の6-3-3-4制はこの時に誕生しました。

日本は、国民みんなで国を建て直すため、一生懸命に働き始めた。のちに高度経済成長につながります。
三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)や3C(color TV、cooler、car)なんて製品を生み出し、世界に売り、あっという間に東京オリンピックを開催するまでに復興する。

この時の世の中は、もっと良い製品を!新しい機能を!と製品開発が進められる。そうです。改良です。だから、これまでの知識や技術について、いかに精通しているかが大事。知識や技術を持つ者が素晴らしかった。さらにそれを踏まえた上で、新しい機能をつけたグレードアップができる人材が、どの企業も欲しかった。

学校は知識をつけさせ、改善策を考えさせる。そんなことをする場所でした。


さあ、現在2024年。
知識はGoogle検索で一発です。システムなどの理解もYouTubeで解説動画が溢れています。

プログラミングを組むのは難しいけど、生成AIができてしまいます。ちょっとした知識をつけて、確認するだけでOK。

製品はコンピュータを搭載させてプログラミングを組めば、あらゆる機能をつけられます。

どう改良すれば良いでしょう?
何を新しい機能として、グレードアップすれば良いでしょうか。

今、すでに世の中にある製品を改善するには、搭載しているコンピュータを改善するしかない。となると、今から新しく稼ぐことのできるモノやサービスを生み出すには、どうするか。

・「全く誰も思いつかなかった何か」を生み出す
・「コアなニーズに応えるサービスや製品」を小規模に販売する

といったことしかないはずです。


だからこそ、
・ゼロ(全く何も無いところ)からイチ(アイディアや商品など)を生み出せる人材
・誰かの抱えている生きづらさ、を感じてそれに対するアプローチができる人材

そんな人が求められる時代が現在2024年なのです。

それが令和の世の中。だから教育の世界でも「課題解決学習」「思考力」「判断力」なんてキーワードが溢れ、探究学習なんて科目が誕生するのです。ゼロからイチを生み出すために行われること、それが「考える」です。


かつての旧い「考える」は、「グレードアップするにはどうしたらいいか」でした。

令和の新しい「考える」は、「ゼロからイチを生み出す」です。

学校の先生でもここまで意識を持って、思考させることができる人は多くありません。親世代の方々も学校で求める「考える」の中身が変わっていることに気づく人は少ないはずです。

中学生、高校生、大学生はそんな大人たちに「考えろ」と言われています。だからこそ、みんなに伝えたい。

「考える」の本質が変わっている、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?