【Management Talk】「『家と人のグーグル』を目指す」住宅ローン業界のパイオニアが仕掛けるブランディングとファンづくり
アルヒ株式会社 浜田宏
新しい生活は「ある日」始まる
別所:本日はよろしくお願いします。まずは、「アルヒ」というユニークな社名についてお伺いできればと思います。
浜田:変わった名前ですよね(笑)。2015年、私がアメリカの投資ファンドとともに自らも出資して、株主兼CEOとしてこの会社に入ったとき、一から全てを変えようと決意しました。そのためにはまず、社名だ、と。そして、社名変更とは、同時に、その背後にあるブランドストーリーやブランドエクイティを更新することでもあります。私は、この会社のミッションやビジョンを再定義するために、著名なコピーライターである山本高史さんに協力を仰ぎ、三ヶ月の間、毎週一回、ブレーンストーミングを行いました。数時間ノンストップで汗だくになりながら、この会社の目指すべき姿を議論し続けたんです。そうしたら、神が降りてきた。
別所:神が……。
浜田:私が、「人は、ある日、人生を変えたいと思う。新しい人生を始めたいと願う。結婚するとき、子どもが生まれるとき、親から自立するとき……そんなある日に家を買おうと決断する。そのときこそが、人生の転換点になるんです」と熱く語ったら、山本さんが、「浜田さん、面白い。『ある日』にしよう」と(笑)。正直、最初はピンとこなかったんですけれど、いったん持ち帰ってもらいました。すると、後日、アートディレクターの水野学さんがデザインしてくださった「ARUHI」のロゴが私のもとに届いたんです。そこには、<新しい生活は「ある日」始まります。>というタグラインが添えられていました。私は、自分の思いの全てがそこに凝縮されていることを確信して、一瞬で恋に落ちました。
別所:浜田社長の思いの詰まったブランドがそこで生まれた。
浜田:ええ。「アルヒ」に生まれ変わったのは、3年以上前ですけれど、幸いにして、みなさんの共感を集めることができたので、ぶれずにずっと同じ目標に向かって邁進できています。おかげさまで、2017年には上場できました。しかも、日本国内だけで上場するのではなくて、グローバルIPOで。当時、ニューヨーク、ロンドン、ボストンをはじめ、香港、シンガポール、エジンバラ、さらに北欧と、世界中を飛び周りました。そこで、百数十社に対して、英語で、社名とその背後にあるブランドエクイティをプレゼンテーションした結果、数百億円が集まったんです。
別所:思いが伝わったわけですね。
浜田:もし、あの毎週の山本さんとの議論がなくて、生半可な気持ちでブランドを作っていたとしたら、私は、毎回一時間ノンストップで語り続けるなんてとてもできなかったです。自分たちは何者で、10年後、20年後、どういう会社にしたいか。そして、社会に対してどういう貢献をしたいのか。それを熱く語ることのできるストーリーやブランドエクイティがあったからこそ、結果がついてきたのでしょう。はじめに長い時間をかけて、練って練って練り上げて良かったなと今でも思います。
別所:強い思いを込めたからこそ気持ちが伝わった、と。では、少し時間を遡って、そもそも浜田さんが御社に加わることになったのはどのようなきっかけだったのでしょうか? また、浜田さんが社長に就任する前は、どんな会社だったのでしょうか?
住宅ローンを利用する方々に寄り添い、応援する
浜田:もともとは、単に住宅ローンをお客様に貸し出すだけの非常にシンプルな金融機関でした。住宅ローン専門の金融機関としては日本一で、日本の全金融機関中でも7位でしたから、地力は持っていたし収益も上がってはいました。けれども、競合が参入してきたことによってシェアは下がり気味で、その先の明るい未来が描けないという中途半端な状態だったんです。正直に言えば、当初、私は、金融機関には興味がありませんでした。だから、誘われたとき、一旦は断った。けれども、何度も連絡をいただくなかで、一度詳しく話を聞いてみたら、ひらめくアイデアがたくさんあったんです。
別所:どういうことでしょう?
浜田:つまり、住宅ローンというサービスを、単に家を買うお金を貸すということではなくて、家を購入することによって、人生を新しく始めたり、リフレッシュしたり、クオリティオブライフをアップグレードしようとする方々を応援することだという風に捉え直してみると、非常に面白い挑戦になることに気がついたんです。その瞬間に、一気にやる気が湧いてきました。
別所:そのサービスの先にいるお客さんの人生を思い浮かべることで。
浜田:まさにそういうことです。そこからは、住宅ローンをITで武装しよう、商品ラインナップを豊富にしよう、AIやロボティクス、データマイニングを導入して、煩雑な手続きを無くそう、といったように、毎日どんどん新しいアイデアが浮かんできた。それで、これならば、絶対に上場させられるし、すごい会社にできる、と確信して、この仕事を受けることを決意しました。そして現在、単なる地味な金融機関から脱皮して、会社としてのブランドを確立させようと悪戦苦闘中です(笑)。
別所:現在は、どのような形でお客さんとのコミュニケーションをとっているのでしょうか?
浜田:当社にとっての顧客は、不動産会社さんと一般コンシュマーという二層に分かれています。実は、我々が手がけるローンのうち、全体の約9割の案件は、不動産会社さんが、お客様にアルヒを推薦いただいた結果、成立しているものなのです。だから、その両者を満足させることが不可欠です。
まず、不動産会社さん向けには、スピーディで簡単な手続きでローンを審査できる仕組みを構築することによって、実利を提供しています。「アルヒさんだと、いつでも連絡がとれて、すぐにローンがおりて、スムーズにお客様に家を販売できるからいいよね」と感じてもらえることを主眼としているわけです。ですから、当社の商品パッケージの詳細資料を全国の不動産会社さんにダイレクトに送り、より深く我々のサービスについてご理解いただけるようにしています。
別所:お客さんを紹介してくれる不動産会社に対しては、実利を提供していると。
ブランディングはファン作り
浜田:一方で、数千万円のお金を借りることになる一般のお客様からは、やはり安心感を求められます。そのためには、知名度が必要ということで、いま、広告キャラクターに中村アンさんを起用して、安心感、知名度に加え元気で若々しい、といったイメージを主体にブランディングしているところです。ネットやテレビ、紙媒体といったさまざまなメディアで展開していますが、そのなかで、ひとつ共通しているのは、費用対効果を全て数値化して、データで科学的に測定していることです。インベストメントに対して、どれくらいのリターンがあるのかを。たとえば、テレビで言えば、中村アンさんに出演してもらったCMを一ヶ月間集中的に投下したところ、当社の知名度は前年と比較して約五倍になりました。あるいは、DMを出した結果、開封率はどれだけで、応答率がどれだけといった数値をすべて測定して、一件あたりのコストも精査しています。もちろん、すべてが科学だけでは分析しきれないところが難しく、面白いところでもあるのですけれど(笑)。
別所:ネットやSNSの影響も大きいでしょうね。
浜田:そうですね。たとえば、中村アンさんは、インスタのフォロワー数が日本トップクラスなんですけれども、私たちが、彼女をイベントにお招きしたり、当社のサービスについて直接お話しさせていただいた結果、彼女は、ありがたいことに、自主的にご自身のインスタに当社のCMのことを書いてくださったんです。その結果、一気にユーザー数が増えたり、知名度が上がったということもありました。
別所:それは、ある意味では、御社のファンになってくれたということですね。
浜田:そうなんです。結局、自分たちと一緒に仕事をしている方々が当社のファンになってくれることで、みんなが応援してくれるわけです。中村アンさんもそうですし、お客さんを紹介してくださる不動産会社さんだって同様です。アルヒのことを好きになってくださっているからこそ、我々にお客さんを紹介してくださる。そう考えると、私たちがやっていることは、ブランディングというより、ファン作りと言えるのかもしれません。便利で、安心、スピーディで、明るい会社というイメージを発信して、みなさんに共感してもらうという。そのためには当然、我々自身が取引先やお客様のことを愛することが、つまり、相思相愛の関係を築くことが必要だと思っています。
別所:ブランディングはファンづくり。素晴らしい考え方ですね。それでは、ここからは、社長ご自身のお話も伺いたいと思います。浜田さんは、これまで様々な会社で経営に携わってこられていますが、いま振り返ってみると、ターニングポイントはどこにあったのでしょうか?
業界の垣根を取り払い、橋を架ける
浜田:30歳の頃、MBAを取得するためにアメリカに自費留学したことが、最大の転機でした。そこから私の人生が始まったと言っても過言ではないでしょう。当時、MBA留学といえば、会社からの派遣という形がほとんどでした。自費で行くのは、よほど裕福な家の息子か、変わり者くらいで。私は後者でした(笑)。1990年に、アリゾナ州のフェニックスにあるビジネススクールに入学して、それから約一年半、貧乏しながら勉強に励んだのです。
別所:ちょうど日本では、バブルが崩壊する直前ですね。
浜田:ええ。当時は、私の周囲でも、ゴルフ場の会員権や株に投資している人が多かったです。けれども、私はどう考えても人間は自分自身に投資すべきだと思ったので、そういう類には一切手を出さなかった。それで、なんとか学費を工面し、アメリカでの無収入生活に耐えられる体制を作って、海を渡ったわけです。
今でこそ、本当に優秀な連中は、官庁や大企業に就職するよりも、ベンチャーを選んだりして、自由闊達な働き方をしますけど、当時は、終身雇用が当然という時代でしたから、会社を辞める時は、いろいろ大変でした。けれど、あの時決断して本当に良かったと思います。若い頃の行動は、すべてブーメランのように跳ね返ってきますから。
別所:まさにいま、時代が追いついてきた。浜田さんは先駆者だったわけですね。そして、その後は?
浜田:MBAを取得してからは、シリコンバレーのコンサルティング会社で働いていました。その後、第二の転機が訪れます。デル・コンピュータが日本に進出するということで、帰国し、日本法人の立ち上げメンバーに加わったんです。創業者のマイケル・デルは、当時28歳。世界トップクラスの資産を保有し、自家用ジェットに乗って世界中を飛び回っていました。彼からは、非常に多くの学びを得ることができました。
彼は、圧倒的に頭の回転が早いし、記憶力も桁違いでした。また、クールな一面があり、人でも事業でも、見切りが早い。さらに言えば、成功を重ねるほど不安になるので、リスクに対する嗅覚も非常に強かったんです。そして、もちろん、起業家ですから、投資や買収をすると決めたら、一気に実行する勇気も持ち合わせていた。そんな天才ビジネスマンのすぐ側で、それから長年に渡って仕事ができたことは、私にとって非常に大きな財産になりました。
別所:経営者の勇気や決断力はどう養っていけばいいのでしょうか?
浜田:もちろん後天的に身につく部分もあるのでしょうけど、七、八割は、生まれつきのような気がします。ただ、私は最近、別にみんながリーダーや起業家を目指さなければいけないわけではないんだと思うことがよくあるんです。いま、日本ではメディアも含めて、リーダーだとかグローバルだとかを囃し立てる空気が広がっていますよね。けれども、よく考えてみれば、リーダーでなくても、ナンバー2の人生だって輝かしいし、こつこつ真面目に働く人生だって素晴らしい。みんながそれぞれの価値観で好きなことをやればいいと思うんです。
別所:たしかにそうですね。自分の適正を見つけることが、幸福な人生を送るためには非常に大切だと思います。それでは、最後に、浜田社長が見据えるアルヒの未来像について教えてください。
浜田:これから5年、10年かけて、家と人に関するあらゆるサービスを展開する複合企業になることを目指していきます。いま、それぞれが分離してしまっている不動産、建築、ハウスメーカー、金融といった業界の垣根を取り払い、橋を架けることこそがこの会社の使命だと考えているんです。言うなれば、家と人のことであれば、すべてのデータを保有している「家と人のグーグル」になろうと。
また、会社の姿勢としては、どれだけ規模が大きくなっても、メガ・ベンチャーの気概でエネルギッシュに突っ走ろうと思っています。現在は300名強の小さな会社ですけど、おかげさまで昨年、住宅ローンの融資実行額において、とあるメガバンクさんを抜くことができました。中期経営計画では、これから毎年10%前後の成長を果たし、5年後にはすべてのメガバンクを抜いて、一位になることを目論んでいます。ただ、それだけ大きくなっていっても、絶対に若々しさを失わない、大企業病を避けようと胸に強く刻んでいます。会社自体を成長させながら、この会社で働く社員、取引先、お客様みんなが成長できるような会社にしたいと考えています。
別所:いろんなお話を聞けて楽しかったです。本日は、ありがとうございました。
(2018.11.21)
浜田 宏(アルヒ株式会社 代表取締役会長兼社長 CEO兼COO)