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【Management Talk】「物作りだけに全力を傾けない」UCLA映画学部卒のアントレプレナーが語るコンテンツビジネスの核心

株式会社ボルテージ 津谷祐司

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年に迎える創立20周年に向けて、新企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺う対談です。

【企業情報】株式会社ボルテージ
「アート&ビジネス」を企業理念に掲げ、自社オリジナルの 「ドラマ型コンテンツ」をモバイルアプリ中心に展開する。テレビCMでもお馴染の恋愛ドラマアプリ「ダウト~嘘つきオトコは誰?」などのコンテンツを配信中。東京ゲームショウ2016では、「椅子ドンVR」で話題となった。





別所:本日はよろしくお願いします。

津谷:よろしくお願いします。別所さんが「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」を主宰されているのは昔から存じ上げていたんですが、今回改めて資料を拝読して、ここまで多角的に展開されているのは本当にすごいなと感じました。映画祭が数多く開催されているアメリカでも、短編のフェスティバルで長く続いているところは稀有でしょう。

別所:ありがとうございます。

津谷:特に感動したのは、「Branded Shorts」。プロモーションビデオとは異なるビジネス系のショートフィルムに目を付けられたのは素晴らしいと思います。

別所:今年立ち上げたプロジェクトです。

津谷:そうした試みは、僕が広告会社に在籍していた20年程前からあるにはあったんです。大きな予算を持つ化粧品会社等が大スターを起用し、5分程度の映像を製作してネットに上げるという。ただ、容量が大きいから当時はまだ動作が重かった。それが軽やかになった今、動画を使った企業のブランディング事業を始められたのは、ビジネス的にも嗅覚が鋭い。アートとビジネスの接点というのは難しいところですから。

別所:ボルテージさんの事業も、エンターテイメントや物語性に強いこだわりを持ってらっしゃいますよね。

津谷:おっしゃる通りです。

別所:創業者の津谷さんご自身が、UCLAの大学院の映画監督コースに留学されていますからね。

津谷:本来は、ハリウッドに行って、純粋に映画を作ることで食べていきたかった。だけど、壁も高いし、言語の問題もあって、それは難しいなと気づいたんです。

別所:まずは、その辺りについて詳しくお伺いしたいです。津谷さんが留学されていたのは、1993〜1996年ですよね。僕は、その少し前。1989〜1990年にかけて、映画の撮影でアメリカに住んでいました。

津谷:『クライシス2050』ですね。

別所:ええ。マリナ・デル・レイに住んでいたので、UCLAのキャンパス周辺はしょっちゅう通っていました。


自分の存在を知らせる努力

津谷:僕は、子供の頃から映画を観るのは好きでしたが、自分で作りたいと思うようになったのは社会人になってからでした。広告会社に新卒で入社してすぐ、企業のプロモーションビデオの制作を担当したときに、初めてプロの撮影現場を体験したんです。現場はきつかったんですけど、本当に面白くて。それをきっかけに興味を持ち、友人の結婚式用にプライベートビデオを撮ったりしているうちに、映画作りに夢中になっていきました。

別所:なるほど。

津谷:ただ、それは遊びみたいなもので、仕事においては、広告会社にいる自分の役割は、コンセプトやアイデア出しまで。実際にイベントや映像を製作するのは、当然プロにお願いしなければいけないわけです。だけど、僕は製作もやりたかった。それで、悶々としていました。社会人二年目くらいの頃です。

別所:ええ。

津谷:そんなとき、大学時代の友人たちとスキー場に行って、夜に三人でワインを飲んでいたら、経営コンサルティング会社で働く一人が、「俺、MBAで留学行くんだよね」って。僕は、そんな手があるんだと思って驚きました。それで、東京に戻ってから早速留学について調べてみたんです。そこで、フィルムスクールの存在を知った。僕は、これだと思って出願しました。それで、二回落ちて、三年目にようやく合格したんです。

別所:狭き門をくぐり抜けて。実際に留学していかがでしたか?

津谷:ノイローゼになりそうなくらい、人生で一番辛かったです。

別所:何が辛かったんですか? 望んで行ったのに。

津谷:まずは語学の問題が大きかったです。僕は英語が喋れなかったので、授業で僕の隣には誰も座らない。お昼ご飯も一人で。

別所:ああ。

津谷:一番辛かったのは、実技の授業でした。先生に渡された短い台本をもとに、監督コースの生徒が俳優コースの学生を演出するという。五分後にみんなの前でやってみてって。そもそも僕は、そこに何が書いてあるのかもわからない。コメディなのか、シリアスなのかも。当然みんなに馬鹿にされましたけど、しょうがないですよね。幼稚園児みたいに教えられながら、必死についていきました(笑)。

別所:わかります。僕も、『クライシス2050』のオーディションに合格して渡米した最初の二ヶ月は本当にナーバスブレイクダウンという感じで(笑)。会話した相手が、その後に他の人と談笑していたりすると、自分が笑われているのではないかって被害妄想みたいに。家に帰って一人でご飯を食べている時が、一番ほっとする時間でした。アメリカって、常にファイティングポーズをとるようなアグレッシブさがないと認めてもらえない。そのカルチャーにまず打ちのめされました。津谷さんがUCLAで学んだことで、現在生かされていることはどんなことがありますか?

津谷:まさにそのアグレッシブさですね。日本人は自分をさらけ出すことを躊躇するけれど、アメリカでは、積極的に前面に押し出していかなければいけない。さらに、強烈だったのは、ある先生がおっしゃっていた、「作ることに全力を投入するな」という言葉です。つまり、作ることは半分で、残りの半分は売り込みに注力しろと。

別所:半分は売り込みに?

津谷:なぜなら、あなたのことは世の中の誰も知らないんだから、と。スキルも十分に無い人が、一生懸命作ればいいものが出来るという発想をすること自体が間違っていて、他人からフィードバックを受けないと絶対に良い作品にはならない。それで、観てもらうためには、まず他人に自分や自分の作品の存在を知らせる努力をしなければいけない、という教えです。僕は、それを「販売」と呼んでいるんですけど、物作りが半分で、販売が半分。両方やらなければいけないということを学びました。

別所:すごくアメリカ的ですね。


テクノロジーの勃興

津谷:ただ、その後、日本の広告会社に戻ったときに、アメリカで学んだアグレッシブさを出していったら、周りからすごく浮いてしまって(笑)。自分がやりたいことを主張してもみんな鼻白んでしまうような状況でした。

別所:そのギャップは大きいでしょうね。

津谷:だけど、幸いなことに、当時の副社長が僕の提案した企画を面白いと思ってくれたようで、社内ベンチャーを立ち上げることができたんです。その頃の大企業には、新事業に挑戦しようという人間が非常に少なかったんです。おそらく、アメリカ帰りの僕は、モルモットとしてもちょうど良かったんでしょう。けれど、一年ほどかけて、ようやく新規事業のサービスが成り立ち、売上が少し上がってきたタイミングで、会社の上司からストップがかかってしまった。

別所:ええ?

津谷:ちょっと筋が悪いから、違うことをやってみろと。僕は、それはそれで会社の判断としては当然だとは受け止めたんですけど、大企業でのなかでまた新規事業を立ち上げるのはしんどいなと思った。そんなときに、その中止になった事業で繋がりのあったNTTドコモのiモードの担当者の方に、「津谷さん、ゲーム作らないですか」と声を掛けてもらって。当時、iモードはスタートしたばかりでまだ誰も注目していませんでした。それで、SF小説をベースにしたストーリーゲームを作った。僕は、それが面白かったので、会社を辞めてこれでやっていこうと決意しました。ちょうど僕と同じくらいの世代で、DeNAの南場さんや楽天の三木谷さんもベンチャーを始めていた時期です。別所さんが映画祭を立ち上げられたのも同じ1999年ですよね。

別所:津谷さんは99年の9月創業ですよね。僕は99年6月に始めました。そもそもは、1997年の秋にアメリカのソニー・ピクチャーズで、10人の若手監督によるショートフィルムを観て、いたく感動したのがきっかけです。そこで、映画は長さではないと実感した。

津谷:なるほど。

別所:さらに、その翌年の98年に、俳優のロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭に参加して衝撃を受けました。ネット動画配信事業を展開するシリコンバレー発のベンチャー企業が、若手の映画監督に数千ドルの小切手を次々と切っていて。彼らがこれから作るショートフィルムの権利を獲得するために、先行投資が積極的に行われていたんです。

津谷:ショートフィルムへの投資が。

別所:サンフランシスコやシリコンバレーの新興企業が、音声配信の次は動画配信だ、という考え方で続々と映画業界に参入してきていた。僕は、それにときめいたんです。その一方で、映画祭の会場では、売れる直前のベン・アフレックがコーヒーを飲んでいたり、スパイク・リーが当たり前のように歩いていたり。そういう姿を目の当たりにして、映画祭ってすごく魅力がある場だなと感じたんです。

津谷:やっぱりシリコンバレーとハリウッドが結びついたところに短編映画があるんですか?

別所:短編映画自体はもっと前からあるんですけど、僕が遭遇した1997年から1998年というのは、新しいテクノロジーがどんどん出て来ていた時代で。

津谷:アドビやシリコングラフィックスといった企業が伸びてきた頃ですね。UCLAでも、デジタル技術が導入されつつあるタイミングでした。僕らはちょうどそういう過渡期を体験していますよね。

別所:まさに。そして、映画祭は、そうした最先端の技術や考え方、若いエネルギーの集まる場だった。それを体感した僕は、ショートフィルム、そして映画祭に夢中になりました。ただ、日本に戻ってそれを言っても誰もわかってくれなかった。

津谷:わかってくれないですよ。

別所:だから、じゃあ自分で始めてしまえ、と映画祭をスタートしたんです。


ハイ・テクノロジーとライブ / リアルとファンタジー

津谷:ショートショートフィルムフェスティバルでは、ドローンやVRといった新技術系のことも取り入れられていますよね。

別所:もちろんです。僕は、日本には、新しい技術を持つ企業とクリエイターを上手く繋いで、ビジネス化するプロデュース機能が欠如していると感じていて。だから、技術に対しては非常に貪欲でありたいと考えています。

津谷:YouTubeのようなメディアで映画を観られる時代において、劇場へのこだわりというのはいかがでしょうか?

別所:PCやスマートフォン等で映画を観られるようになった時代でも、アナログの共同体験ができるテーマパーク型の映画館は無くならないと思います。人間は、リアルなことを体験したいという欲求を持っている。音楽のライブやフェスだって、デジタルの時代においてむしろ成長を続けています。

津谷:僕も同じことを僕も考えています。今年の9月に東京ゲームショウでイケメンキャラクターのVR体験ブースを設置したところ、長蛇の列ができました。やはり、ハイテクなものを追っていくと同時に、ライブも追っていかなければいけない。ゲームの演劇化にもたくさんのお客さんが来てくれた。つまり、リアルとデジタルどちらにも使えるようなコンテンツ、ストーリー、キャラクターを作るというところに、我々のコアがあるのではないかなと思っています。

別所:津谷さんはゲームというよりストーリーを作っていらっしゃる。そこが僕たちとも繋がるなと思います。

津谷:そうですね。僕たちの作るものは、あまりゲームゲームしていない。メインのお客さんである女性は、ストーリーの中身がしっかりしていないと離れていってしまいますから。いま、僕たちの中でテーマになっているのは、リアルな出来事とファンタジーの世界のバランスです。リアルというのは、社内恋愛のように身近なお話で、ファンタジーは、たとえば、異国の世界やヨーロッパを舞台にした恋愛。色々と調査した結果、今求められているのは半々なんです。

別所:ユーザーを調べてみると?

津谷:ええ。たとえば、10年前の若い女の子は声優さんの名前にピンとこなかったのに、今では一人や二人は知っていて当たり前という時代になっていて。そうしたアニメ好きや腐女子が増えている反面、リアルさを求める方も同じくらい存在します。我々のゲームの世界では、その両方のことが必要なのかなと思います。

別所:映画にもそういうところがあると思います。映画を観て、主人公に自己投影することもあれば、非現実に浸る場合もある。両方が求められる時代なんでしょうね。


データから観るストーリー

別所:短編映画のお話を少ししたいんですけど、津谷さんご自身もショートフィルムを作ってらっしゃったんですよね?

津谷:作っていました。

別所:ショートフィルムの可能性についてはどんな風にお考えでしょう?

津谷:ちょっとした時間で気軽に観られるというのは大きなメリットですよね。2時間の長編映画を観るとなると構えますし、気合いが入っていないと疲れてしまいますから。僕らのゲームも似ていて、一日のプレイ時間はだいた15〜20分程度なんです。仕事から帰宅し、お風呂から出てリラックスしている女の子が、寝る前に、イケメン彼氏に励まされるストーリーを読んで、ホッとして明日も頑張れるという。

別所:どれくらいの長さが一番受けます?

津谷:5分のつもりで始めて、気づいたら30分経っていたというのが、いい感じだと思います。一時間やると翌日はやってくれないですよ。

別所:ショートフィルムの場合、僕は、7〜8分が小気味良くて。長めのもので15〜20分くらいです。20分を超えてくると、アメリカのシチュエーションコメディのようなパンチラインやスピード感があればいいんですけど、日本の作品の場合、間や表情で表現することが多いので少し長く感じます。

津谷:なるほど。

別所:連続ものだと一話分を3〜5分で作ったり。

津谷:どのタイミングでユーザーが離脱したか計測していますか?

別所:僕たちが製作しているものについては測っています。

津谷:やっていることは僕らと本当に同じなんですね。データを観て、離脱ポイントを特定して、ストーリーを分析したり、キャラクターを変えたり。何話のどのあたりでユーザーが離脱したかを分析して次に生かしています。結局、ユーザーが使える時間とお金は急に増えたりはしないので、ビジネスとしては、人を惹きつける物作りのほかに、半分はそういうことを考えなければいけないというバランスです。

別所:まさにUCLAで学ばれたお話ですね。作るのは半分で、残りの半分はどう伝えるかという。


ユーザーと作り手のエコシステム

津谷: 僕がビジネスを始めた初期の頃は、女性向けの物語だけでなく、男性向けの物語も作っていたんです。ベンチャーキャピタルから集めた三億円の資金を使って、色々なタイトルをリリースした。だけどなかなかうまくいかず、どんどん資金が減ってしまった。そこから黒字に転換した要因は、女性向けの恋愛というジャンルに絞ったからなんですね。そして、そこから10年間はそれに専念して成長していったんですけど、現在は、逆に間口を広げようという段階にあります。男性向けのものを作ったり、ファンタジーものを少し増やしたり、英語版やってみたり。組織が成長していくにあたって、事業を広げるフェーズと狭めるフェーズがあると思うんですけど、ショートショートは現在どういうフェーズなんですか?

別所:僕たちも、ショートフィルムを使った企業のブランディング、映像と文学や音楽との融合といった形で広げていっています。さらに、2018年に迎える20周年に向けて、映画祭に毎年集まる年間約6,000本の作品とそれを作るクリエイターという財産を活用して、ビジネスを大きくしていきたいと考えています。

津谷:別所さんたちと僕たちは非常に近いところにいるなと思いました。ただ、少し違うのは、僕たちは一個の企業体のなかで完結させていて、別所さんは、オーガナイザー的な立場でやられているということですね。

別所:そうですね。

津谷:ボルテージで働いている社員の約半数が女性なんですけど、彼女たちは、元々ボルテージのユーザーだったり、アニメが好きだったりします。そういう女性たちが入社し、僕たちのフォーマットに沿って、自分の年齢より五歳若いユーザーのためにゲームを作るんです。彼女たちが年を重ねて行くと、恋愛ものから結婚もの、結婚ものから子育てものといったように作る作品が変遷していく。いわゆるエコシステムですね。もちろん、ユーザーのなかで作りたい人はほんの一部ですが、そういう人たちが入社して作り、そのユーザーがまた入社して……という形でグルグルと。

別所:そのユーザーの感覚は大事ですよね。

津谷:観る人と作る人がかなり近いというのがネットの世界だと思います。

別所:そう考えると、映画も同じですよね。映画ファンのなかの一部の作りたい人が業界に入ってくるという。特にショートフィルムは、コンピューターを使って一人で作れてしまうような時代ですから。

津谷:たしかにそうですね。

別所:こうやって改めてお話しさせていただいて色々な共通点も見つかったので、これを機会に一緒に何かができたらいいなと思います。

津谷:そうですね。僕らも今までのビジネスの殻を破ってできることがあるかもしれないです。

別所:それで、一緒に成人式を迎えましょう。

津谷:そこまで一緒なんですよね。不思議です。お互い頑張りましたね(笑)。


株式会社ボルテージ 津谷祐司
福井県生まれ。東京大学工学部卒業後、博報堂に10年勤務。
その間、UCLA映画監督コースへ自主留学し、映画を学ぶ。 36才で株式会社ボルテージを創業し、社長に就任。モバイルコンテンツ制作会社として、マルチ対戦ゲームでの受賞をきっかけに、3億円の資金を集める。創業7年目、女性向け恋愛ゲーム第一弾をリリース。以降、事業を恋愛ゲームに絞って展開し、モバイル恋愛ゲーム会社として日本一(世界一)に成長させる。 2010年にボルテージを東証マザーズ、翌年に東証一部に上場させる。また、年30%成長を10年続け、デロイトFast50を8年連続で受賞。 2012年にはサンフランシスコにSFスタジオを設立、本人も移住し米国進出。代表取締役会長となり、映画監督としての活動も再開している。 2016年、日本に帰国し、社長に復帰。