海辺のカフカ / 卒業論文のこと その2

 久しぶりに卒業論文を読み返して大変に恥ずかしい気持がして
心の中の自分がのたうち回っていたのですが
そうだそうだという風に自分を納得させる部分もあったので
その部分をもう一度整理しなおしていきたいと思う。
語り直しだ。
動きのある、ナラティブなものにしていきましょう。

 まず書誌情報関連を簡単に整理します。
 村上春樹『海辺のカフカ』は2002年に新潮社から書下ろしで出版。
作者著の長編としては『アフターダーク』に続く10作目で、
20以上の言語に翻訳されている。
同作品は海外で舞台化されて、2012年には蜷川幸雄演出でも舞台化。
2019年に再演され、私もとても行きたかったけど
チケットを取った日が仕事になったため友人に譲りました。
限りなく悔しいです。
 適当な書誌情報の紹介終わり。必要であれば適宜紹介します。

 論考の出発点。なぜ海辺のカフカで論文を書こう考えたのか。
理由は、”わからなかったから”
すごく面白くて、心動かされて、登場人物たちの幸せを心から願ったけれど
その感情がぼくのどういう部分を揺り動かしたのかがわからない。
カフカ君とナカタさんの物語がパラレルに進行していく中での関わりは
最初に呼んだ時にはあまり理解できなかったし、だからこそ
簡単に解釈してしまっては安易な結論になりそうな感じがしました。

また、ぼくは村上春樹の作品が好きですが、全てを網羅しているかというと
そんなことはありません。むしろ読んでいないものも多いです。
長編は特につまみ食い程度でしか読んでいなくて、他に呼んだのは
『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』『スプートニクの恋人』
『アフターダーク』『騎士団長殺し』
まぁ半分くらいですね。ざっくり。
だから、村上春樹という作家の思想を解き明かそうというような
大それた論文は書く気はありませんでした。

それに作者本人、批評されることを好んでいない。
となれば、作家論や作品論を書くことは何となく躊躇われました。
だけれどテクスト論的に解釈するんだったら許してもらえるだろう。
だからこの論文は
この作品を読んでいる、ぼくがいる。
ぼくがぼくのために、作品を解釈する=自己治療といえる。

 その2を書いたけれど、まったく論文の内容には触れられていないですね。
論文の結論を先に書いておくと
『海辺のカフカ』の物語を通して、
主人公カフカ君の成長が描かれていくわけだが、
カフカの成長とはいったい何なのか。
そして物語には、カフカの成長を阻むもの
いや、阻むというのは少し違う。
人は(ある意味)勝手に成長してしまう。
その成長の過程に潜り込んで本人を脅かしてしまう外部の存在がある。
外部の存在?そう。自分を損なわせる自分以外の何か。
自分ではない外部の何かと戦い、自分をうまく成長させる。
そんな過程が読み取れるんではないか。ということです。

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