上を見上げればどんどん落ちていく

「川や池に落ちたときは慌ててもがいたり、暴れたりしてはいけません。浮き上がろうとすればするほど、どんどん沈んでいってしまいますからね。慌てずに、力を抜いて。そうすればぷっかり浮いてきますからね。」

小学2年生の夏休み前に、先生は水の近くで遊ぶ時に気を付けることを話していた。教卓の目の前の席で仕方なく話を聞いていたぼく、たまたま後ろの方の席で先生の話をあまり聞いていなかった友達。席の配置はきっと偶然で、たまたま入れ替わっていたなら僕は先生の話なんて一切聞いていなかったはずだ。もし座っている席が逆だったら、今こうやって考えているのは彼で、考えることもできずダムのきったない淀んだ水を肺一杯に吸い込んで沈んでいるのは僕だ。

沈んでいく体。広くなる水の世界。もがくたびに重くなっていく。苦しくてかきむしる喉元。拡散する陽の光。開いた瞳孔。肺胞まで満たされる緑色の臭い液体。

今でも思い出す。ただクラスが同じだけだった男の子の葬儀。なんとなく雰囲気のせいで涙が出てしまう。自分でなくてよかったという安堵。はっきりと言葉にならないけれど朧げに腹の下の方に漂っている。こげ茶色のタールにみたいな粘り気で。夜眠る時の瞼の裏側みたいにうねうねしている。

上を見上げる。何とか浮き上がろうともがく。けども、もがけばもがくほど、深く落ちていく。沈んでいく。沈む方向に力がかかっていく。引きずられるでもなく、相手が遠ざかるでもなく、上を見上げればどんどん落ちていく。

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