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お笑い芸人→サラリーマン→カンボジア→婚活学校の経緯

童貞の勝算」という本を書いてます。川瀬智広です。         そして、男を磨く恋活婚活学校BRIGHT FOR MEN(ブライトフォーメン)という名前で、男性向けの婚活学校をやっております。

今年からですけども、学校を全国に広げていくのと、女性向けにもやっていきたいと思っております。

なぜ、そんなことを僕がやってるかっていう話を今日できたらなと思います。
僕の本のプロフィールにも書いてある通りなんですけど、僕は大学卒業後、NSCという、吉本のお笑い養成所に入りました。

大学は栃木県の宇都宮大学に入りました。一人暮らしがしたいと思って、両親から「一人暮らしするなら国公立に行きなさい」と言われていたので、そのためだけに死に物狂いで勉強し、まぁ死に物狂いも勉強してないか、勉強して大学に入り、そこで僕は大学デビューしたんですよね。

大学デビューについて、僕は大学2年まで童貞だったんで、自分に全く自信のない高校生活を過ごして、大学では何とかして変わりたいなと。

変わるには「つるむ仲間を変えなきゃ」と思って、要は遊んでいそうなやつらを探したんですよね。

一応、国公立大学だったんで真面目なやつらがほとんどだったんですけど、中にはパーマかけたやつや金髪のやつとか、ちゃらついたやつが何人かいて、「おいおい凄いな!」なんて。絶対に昔だったらつるまないなと思ったんですけど、勇気を出してそこに入っていったのがきっかけだったと思います。

そこから彼らからの情報、「彼女はこう作るんだよ!」とか「今、遠距離なんだ!」って話を聞きながら、女性を学んでですね、僕のポテンシャルというか、まぁポテンシャルと自分で言うなという話ですけど、なんだろうな、自分を解放できたんですよね、大学の頃に。

で、好き放題いろいろやっちゃったんです。そして、いろいろやって自分も一皮むけて、そしたらですね大学の友達から「川瀬智広」なんで、「トモ」と言われる事はよくあったんですが、「トモ、お笑いやったら?」って言われたんですよ。お笑い芸人でもやったらって。

それが芸人になるきっかけでした。
何故か、その友達からの話に、その時にそう言われなければ多分やってなかったかもしれないので、今は今でも感謝してますよね。

僕は東京NSCに大学4年間卒業したあとに行くわけなんですけど、今だったら行動力があると言われるほうなんで、大学の1年の終わりかな、芸人目指そうと決めて辞めれば良かったんですよ大学を。
でも、大学の時の僕は弱かったんで、大学中退しちゃったら今後やばいかもみたいな。まぁ親が心配することだろということを理由に、のうのうと大学4年間生活してたんですよね。

親には、感謝と言うか、申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。

芸人生活をスタートして、僕の同期が「オリエンタルラジオ」とか「トレンディエンジェル」とか 「はんにゃと」か「フルーツポンチ」とか。
結構幸先よく売れたコンビが多い「華の10期」って言われてるような期でした。
僕はそのお笑い学校入って、こいつ面白いなと思ったのがはんにゃの「金田哲」だったんですけども、彼に初めて会った瞬間からもう絶対こいつに勝てないと思ったんです。こんな面白いやつらが芸人とかやろうとするんだと。

最初から思いっきりパンチくらった感じで、まぁただやるだけやろうということで、3年近くやった感じですかね。

その後僕は、サラリーマンをやるわけです。たまたま、そのお笑いをやっている時にアルバイトとして働いていたのが、「第一興商」という「ビッグエコー」とかカラオケの「DAM」とかの会社ですよね。

第一興商のアルバイトしてたんですよ。普通にお店のオープニングスタッフで、品川なんですけど、芸人やめようという時にフリーターでバリバリ働かせてもらってたんで、なんかそのまますーっとアルバイトから正社員として入社してですね、手取り19万スタートで第一興商に入ったという経緯がありました。

サラリーマンの話は割愛しますけど、すごい厳しい上司のおかげで泣きながら出世させていただいて。僕は100店舗のお店の企画責任者とか、西日本エリアのトップだったりとかして。部下がアルバイトさん含めて500人ぐらいをまとめるようなポジションまで上り詰めました。

それが29歳の時でした。29歳で会社を辞める決意をして、だいぶ周りから「なんでやめんの?」っていうバッシングがすごく、私の両親からもバッシングがひどくて凹んだんです。この記事を見てる人で、大企業で働いてる人ならわかるかも知れないですけど、大企業で働いてても、「自分で稼ぐってどうやってやるの?」ってゆうところがあったわけですよね。


何かベンチャー企業とか言われるイケイケなところで働きたいなという欲があって、そこで転職活動をして1社内定を頂いてたんですよ実は。第一興商辞めたあと。年収も少し下がったんですがまぁ650万辺りをキープ。

まぁ、(いいかなここで、とりあえずは)と思ったんですけど、なんかそのまま働いて、サラリーマンやるのが嫌で、その時に日本人が成功するならアジアなんじゃねーのっていう本をたまたま本屋で見つけてアジアってなんだ?

というところからその本に書いてあった国は「タイ」、「カンボジア」、「ベトナム」、「シンガポール」、「インドネシア」その五カ国で活躍してる日本人の話が書いてあってですね。僕はこの話にワクワクしちゃったんですよ。マジかと思って、意外と僕こんな荒い口調です意外と、素直でですね。

え、これ行きてーってなってですね、で内定もらってる会社に内定もらってるんですけど来月からにさせてくださいってことで1ヵ月入社をずらさせてもらって、2週間だけ一人旅に行ってこようと初めての一人旅で行った国がタイだったんですが、その次にカンボジアに行ったんですね。

で、僕はカンボジアという国にビビッときまして、カンボジアを日本人にもっと味わって欲しいと、日本人向けの旅行会社を立ち上げたんです。
こんなにスムーズに言ってますけど色んな波乱万丈があったんであれなんですけど、それであの日本人が432人僕が考えたカンボジアツアーに来てくれたんですよ。

432人を扱う中で、案内する中で日本の男性たちが、特に20代ばっかだったんですけど、自分に自信がないとか自分のことが嫌いだとか自分を変えたいとかなんかもすごい大事でカンボジアに来てるような人が多くて、なんかね「草食系男子」って言う言葉がありふれはじめているんですよ。僕がカンボジアに住みながら。

なんで日本人の男性は草食なんだと。

カンボジアの男たちは自分のことすごい大好きで自分の写真自撮りしまくって「Facebook」あげまくってるとか何か自分に自信があっていつも笑顔でポジティブでチャレンジャーだったんですよね。

この違いはなんぞやといことで、これは国の雰囲気の違いだろということで、でも国の雰囲気の違いだろと言ったら終わりなんで、
その頃から何か日本の男性をなんとかせんとなと言うふうに思い始めですね今に至っておるわけです。

だから僕の経歴は少しちょっと変わってて芸人やってサラリーマン上場企業サラリーマンでやって、でカンボジア行っていまこうゆう流れなんですが。

次からはもう少し細かくお話ししていきたいなというふうに思ってます。また、明日も記事を見て欲しいと思いますので是非フォローして下さい。

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