うっかりとした天使

 私は仲良くなれる人が極端に少ないと思う。仲良くなったつもりでも相手からどう思われているのかは全く分からない。ある人は私のことを哀れに思い善意で接してくれているかもしれない。ある人は険悪になるのがかえって面倒に思い、わずらわしさを感じながらも関わってくれているのかもしれない。実際に、気軽に誘える友達や無条件で挨拶をできる友達の数は片手で数えられるほどしかいない。友達である前に他人であるという事実から、完全に相手を信用しきれない自分がいる。殆どの人がそうなのかもしれないが、私はそれを理解しつつもうまく器用に人と関わることができない。私のレベルが低いのか、周囲の人のレベルが高いのか。生まれてくる世界を間違えたと思うことが最近多い。
 私は人に対する警戒心が異常に高いうえに、日本語能力が低く会話がかなり下手だ。活舌も悪く、声も小さく、耳も遠い。一度聞くと耳が腐ってしまうのではないかと思うほど醜悪な笑い方や「なんか」という、日本語能力の低さを自覚した上で「なんとか意味を汲み取ってほしい」という他力本願な口癖をよく使用してしまう。私の友人(だと勝手に思っている)にはまるで介護のようなことを無意識のうちにさせているのかもしれない。こっちからは何も与えず、相手から奪い続けている。私から話しかけることで、強制的なボランティアがそこに誕生する。これでは心身ともに疲弊するはずだ。反省しないといけない。
 かといって、私は人と関わるのを諦めて、一人で生きる強さや楽しみ方を全く身に付けていない。こんな性質をもった人間が寂しがり屋なのは非常に厄介だ。こんな人間がどうしたらあと5~60年生きられるのだろうか。高齢者の偉大さを改めて実感してしまう。自らの手で人生に終止符を打てるような強さも持っていない。親不孝だからなどと心の中では思っているが、言い訳を作り出すことで行動しない自分を正当化しているだけだろう。
 天使が迎えに来るまで言い訳をひたすら作るだけの生活を送ることが目に見えている。私の名字はありふれているため、手違いを起こして早めに迎えに来てくれる可能性を信じる。祈るように夜空を見上げる。そんなうっかり屋さんな天使がいたとしたら、その世界はなんだか楽しそうである。別の世界には救いがあると信じたい。

七尾旅人/エンゼルコール

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