一方その頃(もう一つのストーリー)2

「あんたパーマ屋の子と仲良かったやんか。」

大人になってから母によく言われたんですが、全く覚えていません。

私の記憶では、

私はあまり人と話さず、

本を読んだり、原始人のぬりえを淡々とやっているような子でした。

母は当時、二十歳ぐらいでしたが、

昼間はデパートでレジ打ちをして、夜はラウンジ?で働いていました。

何度か『お父さん』という名前の人がいたり、

住む家が変わったりしましたが、

そんなに辛い思いをした記憶はありません。

ただ、その後起こった恐ろしい出来事の記憶が、

ほとんどの記憶を飲み込んでしまった可能性はあります。


夜の保育園が嫌いで、

夕方になると大泣きしてよく母を困らせていたようです。

なので、3歳ぐらいからは、一人、家でお留守番をしていました。

テレビのダイヤルのところに、好きな番組のシールを貼ってもらっていたので、それでチャンネルを合わせて、時計とにらめっこして、

ワクワクして番組が始まるのを待っていましたね。

キャンディキャンディとか観てました。

一人でも全然怖くなかったし、寂しくなかったと思います。


母は結構ミーハーで、

休日には二人で流行の映画を観に行ったりしました。

ジョン・トラボルタと、オリビア・ニュートンジョンのミュージカル映画『グリース』は、何度も何度も観に行きました。

当時私は4歳ぐらいでしたが、全曲歌う事ができました!

歌いながら歩いていると、知らない大人から「上手だね!」って、

よく声をかけてもらいました。

今でも歌詞を見れば全曲歌えるかも?

まだその時は、大人嫌いにはなってなかったと思います。

つづく・・

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