飲みに行ってもいいかという確認
「〇月◉日、飲みに行ってきてもいい?」というP氏の確認に違和感を感じる。
彼は何を意図してそのような発言をしているのか。
何のための確認なのか。
通常、そのような確認をパートナーに行うのは、
自分は不在となり、それによってパートナーが何らかの不利益を講じる可能性がある場合である。
例えば今回の場合であれば、
「おれ(P氏)が飲みに行くことで、子どもの事、家事などの負担がママ(私)にかかることが予想されるが、飲みに行っても大丈夫か。」
ということである。
しかしよく考えたい。
P氏は普段から家事や子供のことを担っているのか。
いいや、担っていない。
家事育児を行っているのは、私、もしくは義母である。
P氏は大声を張り上げて子どもに怒鳴ることが自分の仕事だと思っている(これは私の解釈)。
はっきり言う。
私はP氏が不在である方が正直、楽である。
食事の用意は人数が減って楽だし、洗い物も少ない。
洗濯も、ベットの準備も楽だし、気を遣わなくて済む。
「飲みに行ってもいい?」
これを言ってもいい人は、普段から育児家事を日常的に行っている人だけである。
我が家のP氏は何を勘違いして、このセリフを言っているのか、
はなはだ疑問である。
以前からP氏にはこのような謎の発言が見られる。
その一つをご紹介すると、
我が家は8年前に新築したのだが、私が二階にもトイレを設置することを提案した際の出来事。
P氏は、二階のトイレ設置に反対意見を示し、次のように発言した。
「トイレ掃除が大変だよ?」
・・・は?
冷静に考えてみる。
それはそうであろう。P氏の言っていることは正しい。
1つのトイレより、2つのトイレをする掃除する方が大変であろう。
しかし、そう発言するお前(感情が高ぶってしまい言葉が乱暴になっています)は、普段からトイレ掃除を率先して行い、その大変さを十分すぎるほど分かっているんだろうな?
そうでないとしたら、お前にその発言をする資格、いや、権利はない。
産まれてこの方、自宅のトイレ掃除などしたことのない者が、よくもそんな発言ができたな。
と思ったものである。
おそらくこの出来事は、私が我がパートナーP氏のアップデートすることのない古い頭を知るきっかけになったことは間違いない。
結局トイレは2階にも設置することになり、それは大正解であった。
話を戻す。
今回の結論。
「飲みに行くことは別に私に確認しなくてもいいよ。」である。