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やっぱり話し合うのって重要だと思うのだ

先々月に退職し、新たな職場を探そうとしていて、自分が限界まできていたことに気が付いた。いつものように派遣先を紹介してもらう段階まで進んだところで言い知れぬ恐怖にかられたのだ。

記事を毎日書こうと頑張っていたけれど、PCに向かうことすら怖くなってしまった。今もあまり気分は良くない。テレビもニュースは辛うじて見れるけれど、見たくない。あんなに好きだったチョコレートも食べたくない。ごはんは食べれるけれど、食欲がわかない。そんな中、家族のために料理を作ろうとしても、とにかく頭が働かずメニューを考えるがしんどいし、焦がしたり、味がいまいちだったりとこれまでできていたことができない。

こうやってようやくPCの前に座ってかけるようになったのは、今朝、夫と長く話しをしたからだ。我が家は夫と二人暮らし。心理学を学べる民間のスクールで出会った。私はスクールを中断しているけれど、夫はプロ心理カウンセラーをしている。なので、心理学ベースでいろいろと話をすることができる。ただ、心理学をある程度知っているからといって、ストレスをうまくコントロールできるのかというとそうでもない。現に私はこんな状態になっている。

私はなんでも一人でなんとかしたいと考えてしまう。そこには他人に迷惑をかけたくないという思いがある。それは自分の生まれ育った家庭環境によるものがあると思う。これまでずっと一人でいろいろと試行錯誤しながらやってきたつもりだったけれど、どうやらそれは小手先の対策でしかなかったのだと思い知らされた。とうとう降参するしかないと思った。心理学では降参することは次のサイクルに入る前に起こるものとなっている。

夫に降参しますと泣きながら訴えた。セルフセラピーの限界。セルフセラピーは孤独な作業だ。私は一人時間を持つのは好きだけれど、外に一人で出ることが物心ついたころからずっとずっと怖くてたまらない。いい大人がと思われる方もいるだろう。私もそう思う。ほかの人は普通に外を歩いているように見える。なぜ私にはそれができないんだろう。誰か身近な人が一緒にいてくれたら幾分か安心するけれど。そんな私だからか、セルフセラピーがあっていなかったようだ。

人は一人一人全然違う。持って生まれた性質が違う。家庭環境も違う。成長過程も違う。交友関係も違う。一人として同じ人はいない。日々いろんな選択をしながら生きていて、その選択によっても刻々と人格が形成されていく。だから、悩み事は同じカテゴリーにされることはあれど1つ1つまったく違うのだ。

だからこそ、苦しんでいる人、悩んでいる人がいたら、よく話しを聴くことがとっても大切だ。今日、数時間かけて話を聴いてもらって、抱えている問題が解決はしなかったし、やっぱりこうやって一人きりでいるとまた不安は襲ってくるけれど、話している間だけは安心できる時間が持てた。

今日、私が話を聴いてもらったけれど、別の日は逆転することもあるだろう。今抱えている問題が完全に解決できることはないかもしれない。でも、その問題が問題でなくなるようにすることもできるかもしれない。

外は満開の桜が見えている。去年の秋ごろから育てていたオダマキやフリージア、ポピーがベランダで蕾をつけ始めている。家の中でも胡蝶蘭が花芽を伸ばしてきている。私も次の段階に進めるだろうか。来週は病院へ行こうと予約をいれてみた。どうか一人きりでも外に出るのが少しでも大丈夫になれますように。

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