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個人的に考える世界の認識

こんばんは、お疲れ様です。
私はFGOというゲームが好きでして価値観の形成において、とても影響を受けていると思います。あとは、俺の青春ラブコメはやはり間違っているの比企谷八幡の思考の影響も特に強く受けています。


個人的な世界の解釈

前置きはこんなところで、本題ですね。
個人的な世界の解釈は、この2つによって成り立っていると考えています。
・存在しているもの
・認識したもの

・存在しているものは、目に見えなくても存在するものです。
 例:山の生態系など…。
・認識したものを例えると、知覚的か知識的に認識できるものです。
 知覚:山に木々が生えていたり、鳥が見えたり。
 知識:生産者、消費者、分解者がいて、それぞれの役割の生物がこの山に居るという知識。

タイトルの世界と神について

 私は世界っては、認識的には複数個あると思っているんですよね。
 デッサンを例にしますね。
 1輪の白百合を10人の絵描きが描くとします。この時、存在している白百合は1輪ですが、作られる白百合の作品は10点です。

 これを世界の解釈に応用すると、実際にある世界は1つでも知覚されている世界は観測者の数だけ存在している。以上が、私の世界に対する解釈です。
 

神という存在への解釈

 次は神様への解釈なんですが、神様は信仰によって存在強度が変わると思っています。存在強度というのは、その存在への信頼度ですね。

…神様への解釈は、また次回書いていきますね。

謝辞

ここまで読んでくださりありがとうございました。
私の一個人的な世界への見解を読んでいただきありがとうございます。思い付きで描き出した駄文ですが、世界ってなんだろうな?という思考のおやつにしていただけたら何よりです。
次回は、気が向いたら書きます。

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