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事実は小説よりも奇なり-1  STPの呪い

2017年の第101回インディアナポリス 500マイルレース(以下インディと略)は日本の佐藤琢磨が優勝した。これは単なる偶然では無いのだ。

アンディー・グラナテリ(Andy Granatelli 、以下Granatelliと略)古いレースファンならご存知の名前。「ミスター500」と言われ、歩く看板男で第1級のセールスマン。
1966年、インディのレースではLotusのメインスポンサー、さらに67年と68年にはガスタービンカーを走らせ、話題を集めるも完走できず。66年は優勝したかに見えたが、多重事故後の周回数の計測ミスで2位。  

67年のPaxtonガスタービンカーは圧倒的な早さで他を寄せ付けなかったが、残り3周6ドルのベアリングの破損でリタイヤ(以下DNF)。

左右非対称のターボカー

67年、LotusはPaxton以外に、Jim Clarkの38とGraham Hillの42Fが出場しているが、2台ともリタイヤしていて殆ど話題にもならなかった様だ。

手前Lotus 38、奥Lotus 42F

最初このモデルを見た時は同じ車と思っていた。しかし42Fを購入し文献類を探して、これがBRM H16の排気量を3ℓから4.2ℓに拡大し載せる予定だったと知り吃驚、結局レースには間に合わずFordエンジンを載せたもの。
F-1で優勝1回のエンジンも楕円サーキットなら活躍できたかも知れない。

水平対抗8気筒を上下に重ねた構造、重くて複雑すぎる

68年は3台のウエッジシェイプ・ガスタービンカーを走らせるも3台ともDNF。

68年、前年の左右非対称は禁止され、左右対称のウエッジシェイブに変更された
この2台は結構見るが、3台目は予選前のナンバー無しのモデルしかない

69年にMario Andrettiの車でやっと優勝に漕ぎ着けることができた。しかし、予選でLotus 64がクラッシュ、Andrettiは助け出されたが火傷、スペアのBrawner-Hawk Fordに乗ってなんとか優勝することができた。

Lotus 64のモデルは大手からは発売されていない、このモデルはSMTSのキットをプロが組み立てて
オークションに出品したもの、落札できたのは奇跡に近い
優勝車はAndrettiの予備の車、他の2名のドライバーは予備車が無く出走していない

しかし、伝統的な「500祭り」の女王とキスする前にGranatelliがAndrettiの頬にキスをした。ここでAndrettiに疫病神が取り憑いて、以後他のレースでは勝てるのに(F-1のWorld Championにもなった)、彼の家族(息子や孫)や一族(双子の兄や甥)も好走するもインディでは勝てないジンクスを持つ。Andrettiの家族は以後Granatelliの呪いだと言い続けたと言われている。

73年、久しぶりに優勝を経験できたのは、Andrettiと無関係であったからか。

Eagle 73  STP No.20 Gordon Johncock

Granatelliは2013年12月29日にカリフォルニア州のサンタバーバラの病院において、うっ血性心不全で逝去、90歳だったそうだ。
この呪いが解けたAndretti一族は佐藤琢磨を擁して101回のインディで勝ったが、STPがスポンサーで無かったのもその一因としたのは、強ち間違いではなさそうだ。
                                22.04.25

2020年に2度目のIndy 500優勝


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