見出し画像

事実は小説よりも奇なり-4    Penske Racing前夜

 Roger Penskeは1963年まではJohn Mecomのチームに属し、Jim Hallとは好敵手であったが、64年初頭にMecomチームからChaparralチームに移籍し、ドライバーとマネージャとなった。(64年3月21日のSebring 12hはJim Hallと組みNo.4のChevrolet Corvetteで参加したが、チーム名はMcKean Chevrolet IncとなっておりChaparralとは無関係のようだ)

 4月のUSRRCの第2戦、PenskeはMecomチームからZerex Specialで出場しポールポジションを奪い決勝2位となった。このレースでHallがChaparral 2での初優勝を飾った。
 5月の第3戦Laguna Secaのレースで Penskeは初めてChaparralのステアリングを握ることになった(Hap Sharpは妻の要望で欠場)。このPenskeのマシン(No.367)は今までの独立型のマフラーを集合型にしたものを用いた(Hallは独立型のまま)が、特に効果的ではなく3位で終了。マフラーは2レースを経て独立型に戻った。

集合型マフラー、ナンバーの3は急遽付けた様で、6を加工した様だ

 1964年のPenskeの戦績は1位4回(内1回はCorvette)、2位4回(内1回はZerex)、3位2回(内1回はCorvette)を記録している。この3位の1回は9月13日のUSRRCの最終戦のRoad America 500で、Hall・Sharp・Penskeの3人がChaparralとNo.67  Chevrolet Corvetteの2台に名を刻み其々を交代で駆ったのが特筆される(結果はChaparral:DNF、Corvette:3位)

左 No.67、右は前述Sebring 12h出場車、ヘッドライトカバーが青い

 64年11月29日のGTで行われたNassau Tourist TrophyではNo.82のCorvetteで優勝。 12月4日のGovernor’s Trophy(25Lap)ではPenskeのみ出場し、A J FoytのHusseinとの争いを制して優勝。12月6日のNassau Trophy(56Lap)ではSharp・Penske組で優勝、彼は64年のNassauでハット・トリックを成し遂げ、突然引退を表明した。

ヘッドライトカバーが赤いのはPenske Racingからの出場を意味しているのか?

 今回、キットをオークションで落札し、フィニッシャーに制作を依頼したモデルは、64年のNassauで優勝したR. PenskeのChaparral 2、Penskeのレーサーとしての最後の車なのだ。

R.Penskeは元々No.6が多い、Chaparral Teamでは「67」「367」、急遽HallやSharpの車に乗る場合は「6」「65」「66」が付いている場合もある

 このモデルはフランスのNESTORというメーカーの品、このメーカーのモデルは製作に結構手古摺るらしい。今回のモデルはフロントホイールアーチの上に前輪のエア抜きの付加物があり、後ろのホイールアーチのところに、Gold Starというイスラエルのビールメーカーのステッカーが貼付されているのが特徴(このレース以外でこのステッカーは見ない)。キットではフロントライトは黒く塗るように指示されていて、レジンのボディーにはスジが付いている(Chaparral本では光線の関係で黒く写っているが、他の写真では薄くライトの見えるものもある)。しかしフィニッシャーはここを削り、ライトを入れてカバーを被せる様にもできるとのことでお願いした。

設計図ではライト部を黒く塗れとなっている
改造されたヘッドライト、この頃は丸いレンズでカバーも自作
リアホイールアーチ上にGold Starのステッカー、未来を予想したのか
フロントホイールアーチには前輪のエア抜きが、この形も珍しい

 完成したモデルは満足がいく出来、特にライトは65年以降の四角のライトが、64年までは丸型のもの(本を詳細に見ると丸ライトと分かる)で作られている。このGovernor’s Trophyでは2位となったA J FoytのHusseinと共に写っている写真があり、Model Garage Romuで製作されたモデルを添えて、模した写真が撮れたのも嬉しい。

Governor’s Trophyのスタート前、この頃は個性的な車が多かった

 Roger Penskeは引退後チームオーナーとしてSUNOCOスポンサーの車を走らせるようになり、今や米国のレース界のGold Starとなっている。その前年、好敵手であったJim HallのChaparral チームに参加し、有終の美を飾ったのは彼のレース人生のepoch-makingともいえる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?