![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144518752/rectangle_large_type_2_51934105a764b55127bbe82296514ae3.png?width=800)
石原なんでも通信 No.12 (与謝蕪村と丸亀妙法寺)
江戸時代の俳諧の三大巨匠といえば、松尾芭蕉(1644-94)、与謝蕪村(1716-84)、小林一茶(1763-1828)。与謝蕪村、小林一茶は讃岐を訪れて います。松尾芭蕉は讃岐を訪れた記録は見当たらないようですが、「幕府の隠密」説もささやかれる芭蕉の事ですから、極秘裏に訪れた可能性は
あるかもしれません。
さて、今回のテーマは「与謝蕪村と丸亀妙法寺」です。
JR丸亀駅から徒歩5分にある「妙法寺」ですが、別名 「蕪村寺(ぶそん でら)」と呼ばれていることご存じでしょうか?石原なんでも通信 No.10でテーマとした「小堀遠州」が作庭したと言われる「崩れ石の庭」があるということを知って訪れましたが、案内下さった現住職のお父様と思われる 前住職の「語り」と言い、「蕪村」作品といい、歴史的に価値がある文化財も多く、非常に趣のあるお寺でした。
1. 与謝蕪村と絵画作品
蕪村が逗留した際に描いた大作 「蘇鉄図」 を始めとする六作品が残っています。何れも真近でしっかりみることができ、お寺側のご厚意で撮影も 可能です。
下の写真は「蕪村の間」にある襖絵「蘇鉄図」、明快な構図と力強い 筆さばきが印象的です。小堀遠州が作庭したと言われる「崩れ石の庭」に ある「蘇鉄」がそのモデルとなっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1718744099623-f7QRZLPEoW.png?width=1200)
下の写真は七福神の一人としておなじみの「寿老人」、頬のほのかな赤味がほろよい機嫌を彷彿させ何とも微笑ましい絵となっています。
力強い「蘇鉄図」とはかなり趣が異なる絵となっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1718744273545-4HmPPaQFK0.png)
下の写真は「竹図」。 中国の絵画を真似て描いたものですが、画面の どこかが絶えず動いて止まらぬ竹の葉を表現する描法は絶妙。
![](https://assets.st-note.com/img/1718744425801-7qbUU5emyF.png)
2.寒山拾得(かんざんじっとく)図
本堂の中央、本尊が安置 される内陣と、本尊を礼拝 する外陣との間を仕切る襖絵として描かれています。
![](https://assets.st-note.com/img/1718744608238-grffb6VaSq.png?width=1200)
寒山拾得とは、中国の唐 時代の伝説的な人物で 二人とも奔放な身なりや 振る舞いで知られていましたが、純粋で超俗的な生き方が好まれ、中国や 日本で古くから文学や絵画の題材となりました。 妙法寺にあるこの寒山拾得図は、両人物の表情、態度はまじかに見ることができますが、その癖のある姿は一筋縄ではいかない「奇人変人」が感じられて、非常に興味深いものでした。
3. 小堀遠州作庭の 「崩れ石の庭」
「与謝蕪村」の間から見渡せる庭、「崩れ石の庭」には「蘇鉄図」の
モデルとなった「蘇鉄」があります。
![](https://assets.st-note.com/img/1718744793634-DyImytvXy7.png)
4. 蕪村が妙法寺に残した句
「長尻の春を立たせて棕梠(しゅろ)の花」
妙法寺の本堂前にある句碑です。蕪村が1768年の初夏に京都に帰るときに妙法寺で詠み残した句です。
![](https://assets.st-note.com/img/1718744905656-k4DS7cWRZ6.png)
讃岐での様々な思い出を胸に、足掛け3年、讃岐に少々長く滞在しすぎた ことを詠みました。
棕梠はヤシ科の常緑樹です。通常温暖な地域にある樹木にて、京都には ない、讃岐を象徴するものであったに違いありません。
世代の文化人であった与謝蕪村が 讃岐を非常に気に入り、思いの他、長く滞在してしまったことは、讃岐人には誇らしい話ですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?