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明治維新以来の伝統的価値観-在日の出自は隠すべきものか(?)という奇怪なる日本社会のあり方

 明治維新以来の伝統的価値観-在日の出自は隠すべきものか? 岩城滉一発言をめぐる頑迷固陋の在日差別,その格式ある歴史的な蓄積(国恥的偏見の信条)の真正直な発露

 要点:その1 自分の精神になかで均衡がとれていない「日本社会のなかの在日差別意識」の表白は,「白人コンプレックスを穴埋めする」ための隣国人差別だったのか?

 要点:その2 それとも『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』815年以来の「祖先(隣国出自)隠し」の伝統なのか(?)としたら,これまた,より以上に奇々怪々の社会現象だといわざるをえない

 本記述は2014年10月28日が初出であった。本日の更新作業は9年ほど時が経過しての作業になったが,その間におけるこの国の「差別・偏見」の問題は,LGBT理解増進法の成立・施行によって,再度本質的な限界をみずから露呈させた。
 付記)冒頭の画像は岩城滉一,後段の本文中に登場させた画像をこちらでも借りた。
 

 ※-1 岩城滉一の問題発言 -2014年10月7日-

 このブログの記述が9年前に上記の日付で公表されたときは「ライブドア」を利用し,記述していた。その関係で『ライブドアニュース livedoor' MEWS』が配信されていて,昨日(ここでは2014年10月26日)に配信のそのニュースのなかに,「事務所の圧力で『在日』を明かせない芸能人...岩城滉一騒動でさらに差別が」という題名の付いた話題も送られてきた。

 その話題は日本人・日本民族側における,実につまらない,合理的な理由や知性的な思考を欠いた隣国出身者差別をとりあげていた。しかし,いまこの話題がとりあげている問題そのものは,単に岩城滉一が乱暴に発言をしたという事実の件を超えてさらに,日本社会側に潜んでいるもっと重大な問題性を引き出してもいた。 

 しかし,在特会のおろかな構成員たちや,彼らとそれほど離れていない感性・意識を抱く一定の範囲の日本人たちは,在日差別に対する陰湿で根強い〔しかし本当はその確かな根などろくにない(!?)のだが……〕,その歴史的ねじれた空虚な伝統心を,岩城滉一の問題発言を契機に,いまさらのように発露させては盛り上がる様子を記録していた。

岩城滉一青年期・画像
1956年に生まれた岩城滉一の
2021年「70歳」の画像

 ※-2 岩城滉一発言の余波的な議論

 1) 以下のニュースでのキー・ワードには,「岩城滉一のサッカー日本代表批判,岩城滉一,ソニン,和田アキ子,ゴシップ(芸能人の噂話)」というものが挙げられている。

     ★「事務所の圧力で『在日』を明かせない芸能人...                岩城滉一騒動でさらに差別が」★
 =『リテラ』2014年10月26日12時30分,https://lite-ra.com/2014/10/post-578.html

 「あんなことがあると,芸能人はますます在日だと明かしづらくなるね」。芸能関係者が「あんなこと」というのは,俳優・岩城滉一の炎上騒動のことだ。先日,CMの発表会見の席上で岩城がサッカー日本代表のことを「猿かオランウータン」「まねしかできない」などと暴言を吐いたところ,岩城の在日韓国人という出自と結びつける批判,攻撃が殺到したのだ。

 「岩城は在日で犯罪者」「日本人じゃないヤツがなにをいってるのか」「在日が日本人にヘイトスピーチをしている」「韓国に帰れ」......。

 (以下,補注としての記述は,本ブログ筆者の追筆である)

 補注)この発言についてはさきに,こう指摘しておこう。

 犯罪者は在日だけでなく在日「日本」人にも大勢いる。ビート・たけしなどはその典型的なタレントであり,堂々とその事実を冗談まじりに誇ってもいる。

 「北野 武監督『第1回サムライ賞』受賞も『経産省?』と時事ネタで毒舌全開」と(http://eiga.com/news/20141025/18/,2014年10月25日18:15から引用)いう記述は,

 その「授賞式は今月31日のクロージングセレモニーでおこなわれるが,感想を聞かれると『漫才大賞,映画の賞をもらって,前科までもらっている。私が芸能界の歴史そのもの。いや,汚点そのもので光栄です』と自虐ネタを披露したという。

 北野 武の場合だとこのような発言は笑って聞き流されるが,岩城滉一の問題とされる発言はそうではないらしい。北野の祖父の1人は在日だという噂があった。

 たとえば,2007年後期、韓国のマスコミが長年北野 武を在日として報道していたが,日本側の抗議を受けて独自調査し,北野 武は純粋日本人だったと報じているということになっていた。

 日本社会でおもしろいのは,異才・異能(「ただの才能・芸能だ」といってもいいものであるが)の人間を,すぐに在日だと勘違いして決めつけては,「誰それは〈在日だ〉レッテル貼り」をしたがる風潮があることである。

 というか,なんでも「いいモノ」(もちろん悪いモノも)は在日に「押しつける」ような,妙に鬱屈した逆説的な観念もあってか,それでいて,差別観もその裏側にこびりつけたかのような決めつけがまかり通ってきた。

 2) 朴 一『越境する在日コリアン-日韓の狭間で生きる人々-』(明石書店,2014年7月)は,こういっていた。朴 一は1956年生まれの在日韓国人3世の経済学者,元大阪市立大学大学院経済学研究科教授,大阪市立大学名誉教授。

 有名な在日である人びとの氏名(タレントたちの本名のこと)を公表しようとしたら,編集のほうから制限が入って4人に1人くらいしか明らかにできなかった,というのである。

 その関連でいえば岩城滉一は,在日である事実を隠してきたタレント(俳優)ではない。だが,岩城をCMに起用したホーユーにも「日本企業がなぜ韓国人を起用するのか」といった抗議が多数寄せられているという。

 補注)韓国人だから起用してはいけないという理屈は,合理的な妥当性を完全に欠いた感情的な屁理屈,粗暴なる精神的な暴力である。白人系や白人とのハーフ(ダブル)系のタレントは,通常,そのように文句をいわれないで済んでいるが……。

 ローラの父が以前,日本国内で犯罪を犯していたが,それでもバングラデシュ国籍である事実は,在日系のようには騒がれていない。ローラが白人系の女性にほとんどみえるからである。黒人系のタレント(ダブル)も居ないわけではないが,全体的にはごく少数派である。

ローラ画像,2014年10月

 ところが,在日系タレントはこれを抜かしたら,日本の芸能界が成立しえなくなると思えるほどに人数が多い。それだけに,いまここでとりあげているような「日本特殊的な芸能界事情」が,日本社会のなかには確立されてきた。いいことか悪いことかはさておき,そういう暗黙のルール:「在日ルーツ隠し」が隠然と存在しており,関連する慣行として闇世界的に堅持されている。

 岩城の場合は,彼の発言じたいがかなり乱暴なものだったため,自業自得だという記事もあったが,しかし,こうした攻撃を受けているのは岩城だけではない。岩城のような暴言を吐かなくとも,在日韓国人,朝鮮人だと,ただ単にカミングアウトしただけの芸能人であっても,いまさらのように,ことあるごとに差別攻撃にさらされてきた。

 補注)ともかく,韓国人・朝鮮人だと2世・3世・4世の世代になっても,そうした差別攻撃に遭わされるはめになる。日本社会に独特であるその種の狭量さが顕著な状況のなかでは,一般的に在日である事実を明かせないタレントが多数派である。

 昔でいえば,錦野 旦(にしきの・あきら;本名:錦野 明,1948年12月生まれ)は,大分県大分市出身の歌手・タレントであるが,1961年家族ととも朝鮮籍から日本国籍に変更していた(帰化)。

 このにしきの・あきらが,アイドルとして人気絶頂にあった1972年,彼自身が帰化していた韓国系日本人であることが,某週刊誌で報道・公表された。そのころ,この錦野を喜んでバッシングするような,つまり,韓国人系日本人である事実そのものをとりあげて,進んで攻撃するかのような〈日本社会側からのイジメ〉が発生していた。

 それほど「在日がいけない,気に入らない」のであれば,最近は大相撲で横綱の地位をモンゴル勢に占有されている日本社会は,別面ではよほどダラシがないことになるはずである。だが,このへんの事情はそれほど大きな声では話題になっていない。もちろん,舞の海みたく東アジア系力士に対する露骨な偏見を,感情面で隠しきれない解説者がいた。

 3) ちなみにモンゴル人1世の力士で横綱になった者たちのしこ名を,つぎに書き出しておく。5名いた。

  第68代横綱・朝青龍   第69代横綱・白鵬
  第70代横綱・日馬富士  第71代横綱・鶴竜
  第73代横綱・照ノ富士

 在日韓国人出身で横綱になっていたのは,つぎの2人である。ただし出身地は日本国内ということになっていて,「在日」の韓国人である出身元にはいっさい触れられることがなかった。この横綱になった2名以外にも前頭以上に出世した在日力士は多数いた。

  第51代横綱・玉の海(1944年生まれ,大阪市出身)
  第57代横綱・三重ノ海(みえのうみ,1948年生まれ,三重県出身)

 大相撲の世界で関取まで昇進した力道山は,現在の北朝鮮出身の1世であったが,廃業してからはプロレスラーになり,日本の社会においては現在もなお盛んな「エンターテインメント興業としてのプロレス業界」を開拓した事実は,いうまでもない。日本人の対米コンプレックスを解消させてくれる演技を,力道山が思う存分に果たしてきた過去を否定する人はいない。
 

 ※-3 芸能界と在日の存在

 ここからは話の方面を変えよう。たとえば,2014年10月2日から開催された「第19回釜山国際映画祭」に夫の渡辺 謙とともに出席した南 果歩。南はもともと自分が在日韓国人であることを公表しており,

 この日も「毎年,祖父母のお墓参りに釜山経由で来たり,この街じたいに愛着があるので『さよなら歌舞伎町』を公開前に釜山国際映画祭でみてもらえるのが嬉しいです。親戚も観に来ている」と堂々とあいさつした。

 すると,2ちゃんねるなどでは案の定,南が在日であることをあげつらう書きこみがあふれ,なかには,果歩の「娘の杏も在日だったのか」などという完全な勘違いの(杏は「渡辺 謙と前妻の娘」)指摘までがそのまま流れた。

 また,和田アキ子もなにかを発言するたびに「在日」であることと結びつけられ,「在日がエラソーにいうな」「オマエに日本の芸能界のことをいう資格はない」などと差別的な悪口を浴びせられていた。

 補注)在日であることじたいが,なにか悪いこと・負的価値であるとしか認識できない日本社会の側に問題がある。このことは,いうまでもなく「非の道理」であるからである。

 しかし,在日がただ「気に入らない」という潜在的・先験的=差別・偏見の,それも日本人・日本民族側が,みずからよく説明できないその感情・神経でもって,在日を無闇にかつ理不尽に攻撃する姿勢は,もしかすると,きっと「なにかにおびえている」かのような,歴史背景的な「特定の関連する要因」があるのかもしれない。

 たとえば,在特会のように在日に対する基本的知識など皆無どころか大きな間違いをしてきた連中が,在日「憎し」の価値観を乱暴に拡散させたのとはまた異なり,インターネット上では,その根拠も理由もよくみいだせないような「在日に対する侮蔑・冒涜の発言」が流布させられてきた。

 これもそれも日本政府側によれば,《言論・表現の自由》にかかわることがらゆえ,そう簡単には放擲に規制できない問題だと対応がなされてきた。「天皇・天皇制のあるこの国柄」の実情が控えているせいか,いうところの「自由の問題」にはおのずと制約・限界があることを,それもひそかに自制的に意識せざるをえないのである。

 さらに,ネットの世界では,まだカミングアウトしていない在日の芸能人探しもおこなわれている。半分以上はガセだが,さまざまな芸能人の名前が飛び交い,「日本人になりすましている」「通名を禁止しろ」といったヘイトスピーチまがいの書きこみにあふれていた。

 補注)日本社会のなかで生きて暮らしてきているのだから,とくに2世以下の在日が「日本人になっていても」なにもおかしいことはない。だが,それが許せないという日本人・日本民族側の偏屈者が少なからずいる。

 桜井 誠という男がいたが,この「在日は通名を使うこと」に対してイチャモンをつけてきたこのマコト君であって,在特会の代表「桜井 誠」と名のってはいたけれども,本名は高田 誠である。

 だから,この男自身がまず最初にその主張--「通名」は使用してはいけない--を実行していないことには,それこそ話にもならない要求であったはずだが,「日本人は除外」ということになっているらしく,いっていることとやっていることとが自家撞着的で,脳内の細胞神経が混沌中……。

 とりわけ明治維新以降,日本と韓国・朝鮮との歴史関係について多少でも知識のある人間であれば,在日に対して通名を使うななどと日本側にいえる道理がないことは,先刻承知である。

 日本政府は韓国〔朝鮮〕籍の人間であっても,日常的に使用される官庁発行の文書類のなかでも在日には通名を使わせてきた。これは,植民地時代からの日本政府が背負ってきた歴史的な責任の一環として,許さざるをえないその必然的な実績・顛末であった。

 おそらくというまでもない事実だが,インターネット上で,在日に通名を使うな〔特権だから!〕などとわめきたてる人たちは,以上のごとき,日本国側においてこそ留保し,保証してきた「在日」関連の「過去からの蓄積:歴史の実績」に,完全に無知であった。少しでも調査してみる気があれば,その由来などたやすく理解できるはずであった。

 しかし,多くの在日芸能人は,在特会やネトウヨがわめきたてていうように,好き好んで在日を隠しているわけではない。ましてや,日本人になりすましているわけでもない。そこには,日本の芸能界の差別意識,そして事務所の意向が大きく働いている。芸能ジャーナリストがこういう。

 「たしかに,日本の芸能界には在日韓国人,朝鮮人がかなりいますし,ほとんどの人はその出自を明かしていない。でも,それは本人の意向というより,事務所サイドから強制されているんです。デビューする時点で『在日だと売れないから』と,必ず日本名をつけられ,在日を隠すようにいわれる」。

井川 遥・水着画像

 たとえば,女優・井川 遥のケースは,象徴的な例のひとつだろう。井川は無名モデル時代には趙 秀恵の名前で活動をしていた。しかし,本格デビューのさいに在日韓国人であることを隠し,芸名を使うことを事務所側から命じられたのだ。

 しかも,その後,本人は何度か出自について語ろうとしたが,それも周囲の圧力で阻まれている。2001年には月刊『現代』」(講談社/現在は休刊)のインタビューでみずから在日韓国人であることを語ったが,実際の誌面ではそのくだりがカットされてしまうという “事件” が起こった。

 「これも当然事務所の意向でしょう。本人がそれを公表したくても事務所が止めてしまう。井川は当時,家族についても語りたいという意向があったのに,それを強引にもみ消したのです」(前同)。

井川遥・画像

 こうした芸能界の在日差別も一時,解消されそうな気配があった。韓流がブームになって,ソニンのように最初から「在日」であることを公表し通名ではなく本名で活動する芸能人も現われたからだ。だが,それもここ最近の嫌韓ブームや右傾化,そして在特会の抗議活動によって,暗黒時代へと逆戻りしてしまった。

 補注)日本における差別禁止法の整備はまだまだの段階に留めおかれている。関連の法律のなかに「不当な差別」などといった表現が出てきた点には,ビックリさせられた。差別に不当も適当もない。それ(差別そのもの)はみな不当であるからである。これほど不当な「差別」観を本気でマジメに議論するこの国には,法哲学の基本・初歩から再学習が必須である。

 最近は,在日を隠すどころか,在日のタレント志望者を採用しない傾向まで出てきているという。前出の芸能関係者がこう証言する。

 「隠してもネットで暴かれたりするので,事務所側もかなりナーバスになっているんです。CMに出演すると,スポンサーのところにもネトウヨが抗議をかけたりしますから,やっぱり,在日のコはどうしても敬遠しがちになる」。

 陰湿な差別社会化は日本のあらゆる場所に広がっているということらしい。(林グンマ)

 追記)以上で,「岩城滉一の炎上騒動で『在日』を明かせない芸能人」『livedoor' NEWS』2014年10月26日 19時12分,http://news.livedoor.com/article/detail/9399660/ の参照する段落はお終いとなる。
 

 ※-4 わが身にこそ起きていた過去における「被差別の歴史」を想起せよ

 さて,日本はいちおう先進国に属するひとつの国家であった。だが最近は,安倍晋三の為政がもたらした悪政がたたって,2023年の現時点になるまではすでに「先進国から落第」したごとき惨状にはまりこんでいた。

 だがさらに,以上のように指摘されていた「芸能界」での陰湿な在日差別が,裏事情的に堂々と通用しているだけだとしたら,この国はもともと本当の先進国だったことが実はなかった,と判断せざるをえない。

 芸能界とはいえども,人種・民族差別が異様な局面をともないながら形成され浸透してきたこの日本国は,これからは「自国が先進国である」などと,けっして口に出していえない。

 在日のそれも3世・4世になったら,ハーフ(日本人とのダブル)の者も多い。もともと在日の2世の世代だと日本人と結婚している,とくに男性の場合だとその組合わせで夫婦になっている事例が,かなり増えていた。

 ところが彼,あるいは彼女が在日出身だと判った瞬間から突如,「差別・偏見」の感情と姿勢を剥き出しにして応じる。これを差別・偏見といわずに,別のなんと表現すればよかったのか。その事実をしらなければ差別しなし,偏見の感情ももたないといった〈精神の反応〉を示すのだとしたら,そもそも感情を表出する行動に一貫性がない。

 白人同士でも相手がユダヤ人(民族)だと判ったら,これに差別をくわえはじめるのも,リクツとしてはまったく同じ回路であって,とうてい「理屈にもならない理屈」による「同胞としての人間」に対して向けられる,しかも根拠・理由のみいだせない侮蔑感情の発露である。

 日本人自身も米欧諸国の各地において過去,いろいろなかたちで差別・偏見を受けてきた歴史を忘れてはいまい。いまでもとくに白人たちは,日本人も含めて黄色から黒色まで多様な肌の色の人たちに対する差別偏見の感情を,抜きがたい精神構造としてもち,これをみずから克服できない,ある意味では「たいそう不幸な人たち」である。

 そうなのであれば,日本社会においてなおも在日2世以下の世代に対する差別・偏見を抱く人びとの感性は,まさしく人種・民族への差別を地でいっており,「人間として恥ずべき行為」ある。もう一度断っておくが,日本人(種)も白人系が多数派の国家・社会の場に出たときは,差別・偏見を受けてきた「過去から現在までの歴史」を忘れるわけにはいくまい。

 いつまでも,夏目漱石的な世界観や人種観・民族観・国家観をもちつづけるようでは,日本人・日本民族の人間的にまともな成長は,いまだしといわれかねない。

【2023年7月24日後記】 以上の記述全体そのものを,本日,推敲的に再述し,補正し,追加する議論もくわえてみたが,内容としては書いた本人が再度,いささかならずウンザリする言及であった。

 最後に比較的に信憑性のおける記述して次段の記事を紹介しておく。なお「帰化」というコトバの本来の現在的な意味は,この記述のなかでは「国籍取得」として表現してきた。

 いってみれば,旧日帝的な観念に即して「帰化」という用語を前面に出す認識にこだわっているようでは,まさにこの記述が批判する対象:相手側の立場に引き寄せられたままであることになる。

 「芸能界における在日コリア人と『官報』に帰化の記録がある人名」2011年6月24日, https://honuryoma.wordpress.com/コラム/芸能界における在日コリア人と『官報』に帰化の を参照されたい。

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