見出し画像

学術論文の剽窃問題は「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」という話題

 ※-1「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」ごときに発生しつづける問題が「論文の剽窃や盗作」

 本日の話題は,大学教員など研究者による論文の不正作成,とくに剽窃(盗用)はなぜ止まないのか,という問題を考える。

 この記述は,本ブログ筆者が以前開設していたブログで,2019年5月11日(2019年12月10日更新・改訂)に公表していた一文であった。そこでとりあげた事例は当時,東洋英和女学院院長を務めていた深井智朗教授の問題であった。

 それにしても,大学教員(など学究たち)はなぜ,論文の剽窃や偽作(捏造)をするのかという疑問がただちに出てくるけれども,基本的には要するに,実力不足に過ぎない。

 だが,さらにそこには,人間としての見栄・虚飾などが各種多様に盛りつけられる(トッピングされる)されるだけに,いうなれば,本日のこの記述の論題に表現したみたとおり,しごく人間的な意識現象がなせる「業」であるだけに,

 結局は「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と形容したらよい事象となっており,これからもけっして完全に止むことはない問題である。

 本日のこの記述の要点はつぎの2点に表現してみたい。

  要点:1 学者はなぜ論著の内容を捏造したり剽窃したりするのか

  要点:2 要は実力不足である人物にそれが多いが,実力ある人物でも同じ行為はするのは,なぜか

 ※-2 本日の『毎日新聞』2023年6月23日朝刊27面に報道されていた「大学教員の論著〈剽窃〉〈盗作〉の問題

   ★ 浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ ★

 「二松学舎大,学長の著書・論文を調査へ 他の専門書と酷似指摘」『毎日新聞』2023年6月22日 05:30,更新 6月22日 18:33,https://mainichi.jp/articles/20230621/k00/00m/040/311000c という記事が,こう報じていた。

 二松学舎大(東京都千代田区)の中山政義学長(66歳)が執筆した書籍や学術論文に,他の専門書などと酷似した記述が多数あり,引用部分も明示されていないとの指摘が大学側に寄せられていることが複数の関係者への取材で判明した。

 中山氏が研究実績としていた著書の存在についても疑義が生じており,大学は近く,外部の有識者も含めた調査委員会を設置して不正の有無を調べる。

 ♣ 学長「調査に誠実に答える」
 中山氏は大学を通じ,毎日新聞の取材に「学内の調査に誠実に答えていく」と回答。指摘された疑惑については「調査の公正さを担保するため,回答は差し控える」としている。

 二松学舎大などによると,問題が指摘されているのは2017年に刊行,2023年に改訂された法学入門書『法学-法の世界に学ぶ-』(成文堂)や,1988~92年に発表された論文2件。

 入門書は二松学舎大国際政治経済学部の教授らによる共著で,中山氏が執筆者代表を務めた。

 大学関係者の証言に基づき毎日新聞が同書を確認したところ,中山氏が担当した「第6章」で複数箇所が『判例・事例でまなぶ消費者法』(有斐閣,1994年)と酷似し,段落ごとほぼ同じ記述もあった。また,『「PL」法こう考えよう-「製造物責任」』は世界の常識-』(ダイヤモンド社,1992年)と酷似する記述も1カ所あった。

 巻末の「参考文献」に両著の記載があるが,本文中ではカギ括弧を付けるなど引用部分が区別されておらず,注釈もなかった。

 論文で調査対象になっているのは,いずれも中山氏が執筆した

  「アメリカ会社法における自己株式取得に関する考察」(1988年)
  「国際化時代の知的所有権をめぐる若干の考察」(1992年)

の2件。

 他の研究者らの著書や論文と複数箇所で記述が酷似し,1ページ近くにわたり似通っている部分があるとの指摘もある。

 ♣ 研究業績の「著書」にも疑義
 一方,中山氏は2001年,『国際関係序説』という共著書を執筆したと学内の研究報告書に記していた。しかし,学内からその存在を疑問視する声が寄せられ,いまも存否が明らかになっていないという。

 二松学舎大は取材に「調査委員会を立てて,そこで公正に判断していく」と説明している。大学のウェブサイトによると,中山氏は国際政治経済学部長や副学長を経て,2023年4月に学長に就任した。

「二松学舎大,学長の著書・論文を調査へ 他の専門書と酷似指摘」
『毎日新聞』2023年6月22日

 この二松学舎大学国際政治経済学部の教員で現在,同大の学長を務める中山政義が,自身の執筆した論著については,何件もの剽窃(盗作)が疑われる点が,以上のように表面化していた。
 付記)冒頭画像は二松学舎大学が位置する近辺をグーグル・マップから切りとってみたものである。

 もっとも,この種の大学関係を主場(舞台)とする学界内の事件は,問題としてはまれな現象ではなく,しばしば「発覚する」ものであって,しばしば世間にまで伝わり騒がれる事態も起きたりもする。

中山政義・副学長時の画像

 したがって,この種の剽窃(盗作)が疑惑となって浮上する事件は,二松学舎大学の場合にかぎらず,学問・研究の世界ではある意味,普遍的な現象である,とまで極論してけっしておおげさではない。

 本ブログは,このサイト『note』に執筆を開始してからまだ早い時期の3月下旬の段階であったが,話題としてとりあげたのがこの剽窃の問題であった。

 ただし,つぎの論題で対象にした事例は,学問の世界であっても,相当に長い期間を経て表面化しており,もともと非常に手のこんだ,かなり巧妙な剽窃をした一例となってもおり,おまけに「当事者の人間関係」がもともと研究者同士として親密な間柄にあった一例という経緯もあって,非常にいりくんだ問題の展開を記録していた。

 ともかく,その記述は2点あったので,つぎにかかげておく。これまたいずれも長文の記述なので,興味ある人は読んでほしいが,最低でもざっと目を通してもらえると好都合である。

 ★-1 原 朗『創作か 盗作か 「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社,2020年2月の公刊が意味する学問のあり方,小林英夫における学術作法「逸脱の問題」,そして「日本的に絶望の裁判所」(1)」

 ⇒ 2023年3月22日,https://note.com/brainy_turntable/n/n21c321fc33d9

 ★-2  原 朗『創作か 盗作か 「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社,2020年2月の公刊が意味する学問のあり方,小林英夫における学術作法「逸脱の問題」,そして「日本的に絶望の裁判所」(2)

 ⇒ 2023年3月23日,https://note.com/brainy_turntable/n/nd3f99ccc667f

原 朗の学問構想が盗まれた疑惑の件

 この小林英夫が原 朗の研究構想全体を詐取した結果,原の一生を破壊しかねなかった甚大な被害・損壊を与えたという判断は,関係する研究領域において研鑽を重ね,造詣の深い,何人もの経済学・経済史者たちによって,微に入り細をうがつ水準まで分析・解明されている。

 小林英夫自身は若き日に,朝鮮語(韓国語)で書かれた原論文の相当部分を翻訳するだけでの作業によって,それがあたかも「自作の論稿」であるかのように粉飾した「剽窃事件」,つまり,それが全面的に自身が創作した論文(オリジナル)であるのように扮装させて,公表していた「事件」を起こしていた。この件は関連する学究たちのあいだでは,ひろく認知されている問題になっていた。

 ところが,小林英夫はそうした自分の学究として初めて公表した論稿の制作を,そうした「剽窃・盗作」の疑惑を投じるかたちでおこなっていた点は,実は,原 朗の学問構想全体を自分のものに装飾しなおしてなされていた事実は,いまとなっては白日の下にさらされた状態になっている。

 原 朗の「学問構想」を,研究仲間として親しい間柄にあった事情を悪用し,以上のごとき履歴を行状として残した小林英夫であった。だが,原 朗は,小林英夫によるそうした作為(悪意の剽窃と形容されてもよい)が起こされたのち,すでに早い時期に気づいていたが,小林の立場を異様にも尊重(保護?)したがために,長い年月が経過した時点で,その剽窃問題を世間に公表することになった。
 
 ところが,原 朗がそのように晩年になってから,以上の事実を大学を退職するさい大学の講義のなかで,前段のような事実史を告白したところ,なんと,剽窃をしたと疑われた(専門研究的には100%間違いなくそうだと疑われてよい,あるいは完全にそうだと断定できるのだが)小林英夫のほうが,自分の立場から原 朗を提訴し,しかも,小林が最終的に勝訴するという驚天動地の「裁判所側の誤審」が結果していた。

 そこでさらに問題となった事実があった。それは,裁判所側においては,経済学・経済史研究の,それも非常に専門的にこみいった論点を審理するために必要な理解を体系的に提示し,これを法律論的に審理するための努力を,完全に放棄するという〈怠惰〉な基本姿勢が,かなり露骨に維持されていた点であった。

 そもそも,裁判所で判事たちの立場には,専門性が極度に高い論点を含む「社会科学研究における剽窃事件」を,まともに審理しようとする意向(方針)など当初からなかったか,あるいは審理しようとする意欲(気持ち)さえもちあわせていなかった,とでも形容したらよい「別の問題」が登場していた。

 はたして,裁判所に学問上の専門研究の深部・微細にまでかかわる論点をめぐる判断ができるわけがなかったのか,という認識まであらためて要求された事件が,小林英夫による原 朗の学問構想「盗作事件」であった。

 以上に触れた「原 朗⇒小林英夫の剽窃事件」に比較すると,本日,冒頭で言及した二松学舎大国際政治経済学部教授で学長を務める人物「中山政義」の剽窃問題は,ある意味,きわめて分かりやすい事例であるといえなくはない。

 というのは,小林英夫の場合,原 朗からその学問構想の全体的な枠組を剽窃した場合とは異なり,中山政義の場合は,あちらこちらからつまみ食い的に,他者の論著から無断で自分の執筆物のなかに密輸入的に搬入するという手法であった〔と想像できる〕。

 すなわち,中山政義の事例はもっとも簡明で透視しやすい剽窃の種別であって,その解明をおこなうことに関しては,たいした手間をかけるまでもなく,間もなくその「実態⇒真相」が解明されうると予測しておく。

 なお,『毎日新聞』の報道は冒頭で紹介・引用した記事以外に,関連する記事としてつぎの報道もしていた。

 「トップの疑惑で揺れる二松学舎大 学長の著作に指摘が相次ぐわけ」『毎日新聞』2023/6/22 05:31,https://mainichi.jp/articles/20230621/k00/00m/040/316000c

 この記事は有料記事なので,購読者でなければ全文は読めないが,途中まででも読んでも参考になるはずである。

 ということで,本日の記述は4年前に公表してあったが,現在は未公表の状態にある文章を,ここで復活させることにした。二松学舎大学学長に疑惑の生じている「剽窃の事件」と同種の事例が取り上げられていた。

【参考資料】-二松学舎大学ホームページから-

        中山学長の業績に関する報道について
 今般,一部メディアにおいて,中山政義学長の研究業績に関する報道がありました。本件については既に学内で現在調査中であり,調査の結果を踏まえて,今後の対応を検討いたします。
 関係者の皆様には,ご心配をお掛けすることとなりましたが,ご理解のほどよろしくお願いいたします。
  二松学舎大学

中山学長の業績に関する報道について

 註記)この文書には日付が明記されていないが,報道との関係で判断するに,2023年6月22日内の文書と推測しておく。

 なお住所は,https://www.nishogakusha-u.ac.jp/news/?contents_id=2386
 

 ※-3「論文捏造,学院長を解雇 神学界代表する論客 東洋英和」『朝日新聞』2019年5月11日朝刊1面

 1)関連する事前の議論

 この記事を引用する前に,昨日(ここでは2019年5月10日のこと)あたりから反映されていたらしい「現象」として,以前に書き,公表していた本ブログ筆者内の,つぎの記述(※)への閲覧数が増えていた。どうしたことかはわけもなく分かった。ここ数日,この ① に関する話題が続いて記事になって報道されていたのである。

 その 以前の記述とは,本ブログ筆者が2018年11月10日に書いていたものであるが,これは本日更新する対象となった記述のそのまた以前に書かれていた文章であった。したがって,より正確には本稿・記述は2度の更新をへていたが,2018年11月10日と2019年5月10日の半年間は,あえて更新の作業とはみなさないあつかいにしておいた。

 以上の断わりはさておき,この※-3の本文に進みたい。本日の記述を主題と副題に表現すると,こうなる。

 主題「東洋英和女学院院長深井智朗のドイツ語文献・引用問題,および専門用語をデタラメにしかつづれない大学教員がいる一部の大学の『日本の恥』的な学術事情」

  副題1「『疑問 その1』 一流大学の教員の場合として,ドイツ語の文献を正確に解読しないで,よくドイツの問題に関連する学術論文が書けるものである」
  副題2「『疑問 その2』 非一流大学の教員の場合であるが,ドイツ語がまともに書けない(綴れない:書き写せない)で,どうしてドイツの文献を利用した論文を書けるのか」〔という実例もあったという関係の話〕

本日の記述の主題・副題

 こうした主題と副題を充てて記述をしたのは,いま〔ここでは2019年5月のこと,前段で触れた時系列の関係〕から半年前のことであった。

 当時問題となっていた東洋英和女学院院長深井智朗の,いうなれば論著に偽作的な加工をくわえた研究業績の公刊・公表が,このたび再度報道され,話題になっていた。

 要は,その半年前に発覚した著作における深井智朗の「資料・文献に関する不可解な参照・引用の方法」が,再度,問題にとりあげられ報道されていたのである。

 もちろん,研究者としてやってはいけない操作がなされていたらしく,しかもこの疑問(疑惑)の解明についておこなった大学側の調査は,その間に半年の日時を要したことになる。東洋英和女学院大学の教員組織を一覧すれば分かるかもしれないが,ドイツ語を学術用語水準で駆使できる教授たちは若干名しかいない陣容である。

 ましてや,深井智朗が岩波書店(学術的権威ある専門書を出版する書店)から2012年に刊行した著書『ヴァイマールの聖なる政治的精神』となれば,教員同士がそもそも専門分野を違えているのだから,この内容に含まれている問題を厳密に感知・識別できて,それを具体的に指摘する作業は,おそらくなかなか困難であったものと推察される。

 ということで,今回,深井智朗のその著書の内容に学術的な作法として吟味するとき,いくつかの看過できない難点がある事実を指摘したのは,他大学で同じ研究分野を専門とする教員であった。前掲した「旧ブログの記述」(2018年11月10日のそれのこと)は削除されていたので,ここにあらためて復活させることにしたしだいである。

深井智朗・画像

 以下の記述からが「主題の本論」となる。

 --北海学園大の小柳敦史准教授(ドイツキリスト教思想史)が2018年3月,日本基督教学会を経由し,公開質問状を送った。「暫定的」とする回答が深井氏から学会に届いたのは7月2日で,9月25日付の学会誌『日本の神学』に掲載された。

 補注)小柳敦史「深井智朗著『ヴァイマールの聖なる政治的精神-ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム-』(岩波書店,2012年,312頁)」『日本の神学』第52巻,2013年9月,139-144頁。
 
 小柳のこの論稿はつぎの住所に公開されている。

 リンク先 ⇒ https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonnoshingaku/52/0/52_139/_pdf/-char/ja

補注・リンク先紹介

 小柳敦史「書評」が問題の指摘をおこなってから,ほぼ5年が経過してからようやく,その内容に関して「論文制作の作法」においてみのがせない問題があった点が,あらためて注意を喚起されたのである。

 それにしても東洋英和女学院大学側における内部調査は,時間がかかりすぎたという印象が回避できない。本気やれば1ヵ月でも,これはもちろんドイツに堪能で専門分野も近い研究者に担当させればの条件を付けてだが,十分に解明できたはずである。

 かつては,ドイツ語を一生懸命勉強し,まがりなりにもドイツ語の文献を読んで論文も書いたことがある本ブログ筆者は,深井智朗が引用文献の筆者名に挙げていた「ドイツ人の姓」の綴りには,いさかか首をひねるものもあった。

 もっとも,各人の姓名の綴り方にかかわることがらゆえ,どれが絶対的に間違いだかといちがいにいいきれない要素も残っており,さらに注意を要する点ともなる。

 ちなみに,トランプ大統領のもとのドイツ人の姓としての綴りは「現在の Trump」ではなくて,ドイツの苗字 Drumpf であったものを,彼の祖父がアメリカに移住するにさいし,アメリカ風の Trump に変えたという。こまかい綴りのことをとりあげて議論しようするさい,配慮すべき関連事情が示唆されている。

 だが,深井智朗が引用文献に挙げていた著者たちの姓名に関する綴りの問題は,ドイツ語そのものに関する話題であった。前置きが長くなったが,つぎの 2)に『朝日新聞』2019年5月11日朝刊1面記事の本文を引用する。なお,関連する記事が社会面にも報道されているが,これはあとで続いて引用することになる。

 2)「記事」本文の引用

 学校法人・東洋英和女学院(東京都港区)の深井智朗(智明)院長(54歳)の著書などに不正行為の疑いが指摘されていた問題で,学内の調査委員会は〔5月〕10日,捏造と盗用を認定したと発表した。学院は同日の臨時理事会で,深井氏を懲戒解雇とした。(▼35面=「でっちあげ」非難)

 調査結果によると,深井氏は,2012年刊行の著書『ヴァイマールの聖なる政治的精神』(岩波書店)や,岩波書店の雑誌『図書』に2015年に掲載された論考で,実在しない神学者の論文を捏造して引用したり,別の研究者の著作から計10カ所を盗用したりした。調査委は,こうした行為について「きわめて悪質」で,学術的・社会的な影響が「きわめて大きい」と指摘した。

 プロテスタンティズム研究でしられる深井氏は昨〔2018〕年の読売・吉野作造賞を受賞するなど,近年,神学界を代表する論客の1人とされる。東洋英和女学院大学の教授でもあった。

 2019年3月11日付で辞任・退職届を提出していたという深井氏は「今回の調査結果については,真摯に受けとめ,速やかに必要な訂正や修正を行いたいと思います」との談話を出した。(引用終わり)

 さて,安倍晋三元政権のための御用新聞紙でもあった立場を誇る『読売新聞』とはいえ,日本で(世界でも)一番多い発行部数を誇るこの読売新聞社が,いまとなっては「きわめて悪質な論文の捏造や盗用」があった著作に対して,その “読売・吉野作造賞” を授与していたというのだから,これは実にみっともない経緯が生じたこととなった。

 この賞の審査をした面々がいったい誰たちであったかと思い,調べてみると,つぎのように説明されていた。

 第19回(2018年度)「〈読売・吉野作造賞〉読売・吉野作造賞2018 深井智朗氏『プロテスタンティズム』」(『読売新聞』2018年08月08日,https://info.yomiuri.co.jp/group/yri/s-prize/3953.html より)

 ★-1 プロテスタンティズムの多大な影響を解き明かす

 第19回「読売・吉野作造賞」の受賞作は,東洋英和女学院院長・深井智朗氏の著書『プロテスタンティズム』(中公新書〔2017年3月〕)に決まりました。

 同賞は昨〔2017〕年中に発表された著作,雑誌論文を対象とし,選考委員会の厳正な審議により決定しました。受賞作は,16世紀の宗教改革から始まったプロテスタンティズムの変遷を的確に論じ,現代世界の政治や文化に多大な影響を与えていることを解き明かした力作です。贈賞式は7月17日,東京・丸の内のパレスホテル東京で行われ,正賞の文箱と副賞300万円が贈られました。

 深井智朗(ふかい・ともあき)氏(1964年生まれ,埼玉県出身)は,独アウクスブルク大学博士課程修了,東洋英和女学院院長,専門は近代ドイツ宗教思想史。

 ★-2 選評:宗教と米国 「意識されざる」関係

 本書は現代の政治にも色濃く影を落とす宗教の力を,宗教改革の歴史をベースに語った秀作である。米国のように,宗教が「意図されざる国教」として影響力を発揮している点を示す手際は鮮やかだ。

 著者はまず,ルターの改革が個人の信仰を国家(領主)から解放しなかった点を確認,さらにルターのあとで改革を推し進めた,(再)洗礼派などの「新プロテスタンティズム」が,近代の自由思想,人権,抵抗権,良心の自由,デモクラシーの形成に寄与したと指摘する。

 アメリカ大陸に渡った「新プロテスタンティズム」が,信徒獲得の市場競争を推進し,現世での経済的成功というアメリカン・ドリームを生み出して,米国社会を「国家嫌い」にしたとする見方は重要だろう。

 だがアメリカにも「意識されざる国教」がある。深井氏は,その神の実体はナショナリズムであり,その大祭司は大統領だとみている。米国の一国主義は,この「意識されざる国教」の姿だと捉える。読者はここであらためて現代政治と宗教の根深い関係に気づかされる。

 巻末で言及される「共生の作法の提示」は,文明社会にとって緊要の探求課題なのだと教えられる。(猪木武徳) (2018年08月08日 読売新聞)

 なお,猪木武徳(いのき・たけのり,1945年9月22日生まれ)は,日本の経済学者で,国際日本文化研究センター名誉教授,大阪大学名誉教授。専門は労働経済学・経済思想・経済史。サントリー学芸賞(政治・経済部門),読売・吉野作造賞選考委員。父は,政治学者の猪木正道。

2023年で満78歳となる

 猪木武徳は執筆している著作をみるかぎり,ドイツ語を研究成果面で使用している様子は,はっきりとはうかがえない。ドイツの宗教思想史にくわしい学者とも思えない。したがって,猪木が深井智朗の研究業績を必要かつ十分に審査できた学究であったかについても,まだ不詳である部分を残している。

 いずれにしても,結果としては深井智朗の著書などにしこまれていた捏造や剽窃を,少しもみぬけていなかったのだから,うかつで済まされるという弁明も通用しそうにない。それなりに重い「結果責任」がともなっているはずである。
 

 ※-4「『でっちあげ』学院長を非難 架空の神学者・論文 東洋英和」『朝日新聞』2019年5月11日朝刊35面「社会」

 『赤毛のアン』の翻訳者の村岡花子の母校でしられ,キリスト教にもとづく教育をかかげる東洋英和女学院(東京都)のトップが懲戒解雇された。著作に引用するため,架空の神学者や論文を捏造し,研究者や学内の調査委員会に対する説明も二転三転させた。(▼1面参照)

 1)立証妨害も認定

 「でっちあげ」。〔4月〕10日に同学院が開いた会見では,調査委員長の佐藤智美・東洋英和女学院大学副学長が深井智朗氏の不正行為について厳しい言葉で指弾した。

   「実在しない人物や論文及び借用書から捏造」
   「根拠なく結論が導き出された」

 人文系の研究不正では異例の捏造行為について,調査結果でも「きわめて悪質」と切り捨てた。

 問題となった『ヴァイマールの聖なる政治的精神』は,近代ドイツの神学を政治や社会との関係から描いた本。そこで引用した論文とその著者について,調査委はその双方が存在することを示す資料を求めた。しかし深井氏は,どちらも裏づける資料を出せなかった。

 また調査委は深井氏の「立証妨害」も認定した。深井氏の説明は揺れ動き,そのたびに確認に追われたという。雑誌『図書』に掲載された論考は,神学者の家の借用書や領収書とされる資料にもとづくとされていた。ところが,深井氏が提出した8枚の資料を調べると,別の神学者が書いた議事録と判明した。

 補注)このあたりの事実:事情が,深井智朗の著書・寄稿に含まれていた捏造や剽窃の具体像を解明・調査するのに手こずり,時間も多く費やされた事情になったとも思われる。

 学院の外にも波紋が広がっている。『ヴァイマールの聖なる政治的精神』の版元の岩波書店はすでに出荷を停止。『図書』での訂正・おわびの掲載については「報告書を精査してから対応したい」としている。

 深井氏は,今回の調査対象とは別の著書『プロテスタンティズム』(中公新書)で,昨〔2018〕年,読売・吉野作造賞を受賞している。主催する読売新聞グループ本社広報部は「今後,外部有識者らによる選考委員会で受賞の取り扱いを検討します」とコメントを出した。

 2)説明変転「レーフラー」3人

 5カ月間にわたった調査委の聞き取りは,「(深井氏に尋ねるたびに)振りまわされた」(佐藤委員長)。実際,深井氏の説明は二転三転した。

 疑惑の発端は昨〔2018〕年9月,北海学園大の小柳敦史准教授が学会誌で出した公開質問状だ。焦点のひとつが,先行する神学者の保守的な論理を厳しく批判した「カール・レーフラー」が実在するかどうかだった。

 深井氏は公開質問状に対し,「Carl Loevler」というつづりは誤りで,「Carl Fritz Loffler」だったと回答。また,レーフラーの論文が掲載された雑誌も,別の図録だったと訂正した。

 補注)このうち, Loevler と Loffler の綴りの相違は,とくに前者について「誤り」があったと説明される点について,特定の違和感を抱かせる “いちじるしい相違” を,まだ残していた。

 いいかえると,その相違「性」がめだちすぎていて,なにゆえこのような〈単純ミス〉をドイツ留学までした研究者が「ドイツ語遣い」として犯したのか,理解に苦しむ。

 そもそも,ドイツ語圏内では「姓としての Loevler」という綴りはないのかもしれない。この可能性が大とみなしても,およそ間違いにはならないと思う。

 また,ドイツ語では「oe」の綴りは,通常の正式な綴り方としては「 ö 」(オー・ウムラウト)で綴るが,記事のなかで「oe」と表記されている。この記事にかかげられている図解は「 ö 」になっている。

ドイツの姓に関して

 小柳氏と朝日新聞が図録を確認すると,よく似た「Fritz Loffler」名は存在したが,ドイツの神学に関する記述は見当たらなかった。あらためて深井氏に確認すると,「この図録ではありませんでした。お詫(わ)びします」と回答があった。

 調査委もレーフラーについて調べた。深井氏は著書で引用したレーフラーは「Fritz Loffler」だと主張したが,調査委は無関係の人物と結論付けた。ところが深井氏は「Fritz Loffler には会ったことがある」などと主張したという。

 さらに,深井氏は公開質問状に,「Roland Loffler」氏の業績からも引用したとして,3人目のレーフラーを挙げていた。3月,朝日新聞が実在する本人にメールで問い合わせると,「(深井氏がいうようなヴァイマール期と第三帝国時代のドイツの神学についての)研究をしたことはない」と回答が返ってきた。

 3)東洋英和女学院の調査委員会が認定した深井智朗氏の不正

  ♠-1『ヴァイマールの聖なる政治的精神』岩波書店,2012年
    ・神学者「レーフラー」の存在とその論文を捏造 
    ・ドイツの神学者パネンベルクの著書の記述や表現を盗用

  ♠-2「エルンスト・トレルチの家計簿」,雑誌『図書』2015年8月号
    ・トレルチ家の借用書や領収書などの資料を捏造

深井智朗の不正

 

 ※-5 なぜ,大学教員(学究たち)は論文の捏造や剽窃をするのか

 自然科学系(理系)では英語で論文を公表する場合が多く,世界中の研究者の目に触れる機会もあって,けっこうな数になる不正(捏造・剽窃)がみつかっている。

 その一例のなかには,『日本経済新聞』に「『京大不正認定』の論文を米誌撤回」(2019年5月3日朝刊)との見出しで報道されたものがあった。『日本経済新聞』はさきに,この記事の前提となった事実をつぎのように報じていた。

      ★ 熊本地震論文で不正,撤回を勧告 京大 ★
         = nikkei.com 2019/3/26 21:05 =

 京都大学は〔2019年3月〕26日,大学院理学研究科の林 愛明(りん・あいみん)教授が2016年に米科学誌サイエンスで発表した熊本地震に関する論文について,不正があったとの調査結果を発表した。6つの図のうち4つで改ざんや盗用を確認した。林教授に論文を撤回するよう勧告した。処分については今後検討する。
 註記)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42952160W9A320C1000000/

熊本地震論文で不正

 社会科学系・人文科学系の場合,日本語で執筆され日本国内で流通する論著となる場合が多いが,その内容が専門的になればなるほど,深刻な程度にまで学術的な不正がなされていたとしても,なかなか発覚はしにくい。それも,その専門分野における個別の研究にたずさわっている研究者が少なければ少ないほど,さらにみつかりにくくなるといえる。

 今回における深井智朗の場合,専門分野における研究成果である自身の著作が,小柳敦史「深井智朗著『ヴァイマールの聖なる政治的精神-ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム-』(岩波書店,2012年)」『日本の神学』第52巻(2013年9月,143-144頁)によって,つぎのように指摘(批判)されていた点に対して,その後,適切に回答できていなかった。

 最後に評者を引き受けた責任上看過できない点として,資料の取りあつかいに関する信頼性の問題について触れなくてはならない。

 深井氏の著作に関しては同様の指摘がすでに本誌〔『日本の神学』〕49号で水谷 誠氏によってなされているが,本書でも出典が明らかにされない引用や注における不正確な参照指示および書誌情報が多数認められる。

 このような指摘をする以上は該当箇所について詳細に指摘すべきだろうが,本書で用いられる文献は多岐にわたり,残念ながらそのすべてを確認することはできなかった。そこで範囲を限定し,注に挙げられるすべての文献を評者が確認できた第2章についてだけ述べると,

 本章で主たる一次文献として扱われるジンメルの『現代文化の葛藤』への具体的な参照指示13箇所のすべて,トレルチの『政治倫理とキリスト教』20箇所のうち18箇所,カール・バルトの『社会におけるキリスト者』5箇所のすべてが参照されるべき箇所を指示していない。

 さらに,引用も不正確な場合があり,その他の二次文献などに関する注についても適切な参照箇所を示していないと思われるものが相当数に上る。本書が優れた内容をもつだけに,このような事実には戸惑いを覚えざるをえない。この事態の責任は,直接的には当然ながら著者に帰せられる。

 しかし著者が前著〔『思想としての編集者』新教出版社,2011年〕で,そして本書でも述べているように,学問が市場化した今日において読者がみえざる編集者の役割を担っているのだとすれば,豊かな内容をもつ一方でその内容を支える信頼性において危うさをはらんだ書物をどのように受けとるかは私たち読者自身の問題でもあるだろう。本書により,研究書というものに対する私たちの態度が問われている。

小柳敦史の指摘

 本ブログ筆者が実際に見聞きしてきた件には,こういう事例があった。ある同僚だった教員が「大学院時代の先輩の論文」を,それもそっくり盗用し,自学の研究紀要にそのまま「転載」するといった「きわめて単純かつ悪質でもあったが,そしてすぐにバレてしまう」剽窃を敢行(?)したことがあった。

 結果,その「彼」(男性)は実質的に諭旨解雇に等しいかたちで,それでも同僚たちにはひとまずその真相をしらせずに退職させられた。この事例は,非常に馬鹿らしいほどにみにくかった剽窃の行為であった。 

 なによりも,盗用されていた「御当人」(被害者)からはすぐに,「彼」が所属する大学のほうへ,研究紀要に「彼」のその盗作した論文が掲載されている事実が通告されてきた。要は「彼」は,この行為によって自分の人生に大穴を空ける結果となった。

 あるいは,つぎの実例は捏造や剽窃ではないけれども,専門書を書いていながら引用文献の表示がまったく不適切な方法になっていた事例であった。しかもこちらでは,本ブログ筆者がその著者から書評を依頼されていて,それはもう非常に苦しい思いをさせられたあげく,しかたなく丁重にお断わりをしておいた。

 もしも,断わらないでその本の論評を書くとなったら,その点(文献参照表示のかなり不適で不備な方法)に対して,最低限は基本的に指摘するほかない疑問を提示したうえで,かつまた抜本からの全体的な批判もおこなわねばならず,そういう書評になったら,彼を完全に傷つけることは必定であった。

 逆に,もしもその種の問題点を避ける書評を書いたとしたら書いたで,こんどはこちら(筆者)の立場が落ちるハメになる可能性(危険性)が大であった。いいかえれば,この筆者はいい加減な論評をする者だ,といったたぐいの評価を残しかねない。

 以上の2例に比較すると,深井智朗の著書などにおける捏造・剽窃のほうは,だいぶ高度な次元において工夫されていた様子も感じられる。しかし,それにしても専門の近い研究者がいれば必らずいつか,そのようなデタラメやずさんはバレるものである。

 この深井の事例に限らず,社会科学系や人文科学系でも公表されている論稿にのなかは,きわめて怪しいものがまだまだ相当に数多く潜伏している。そう推理してみてもけっして大きな間違いにならない。

 補注) 以上のごとき行論の運びになったが,冒頭で取り上げた二松学舎大学学長中山政義の剽窃疑惑問題は,単に,かなりの程度において引用・参照の断わり(註記のこと)を入れない形式でもって,つまり,学術的に必要である基本的な作業としてはそれほど高度ではない,つまり,きわめて単純であり,よくあるたぐいの「好ましからざる作法」として盗用がなされていた,と疑われてよい執筆をしていた。

 補注)『日本経済新聞』がその後に報道した関係の記事は,共同通信から配信されたつぎの文面を借り,報道していた。

   ◆ 深井氏の吉野賞を取り消し 捏造,盗用で読売新聞社 ★
=『日本経済新聞』2019年5月17日 17:24,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44937020X10C19A5000000/

 著作に捏造(ねつぞう)や盗用があったとして東洋英和女学院の院長職などを懲戒解雇された深井智朗氏(54歳)をめぐり,読売新聞社などは〔2019年5月〕17日,深井氏の別の著作を対象に昨〔2018〕年7月に授与した「読売・吉野作造賞」を取り消すと発表した。

 同社によると,受賞作の『プロテスタンティズム』(中公新書)には不正は確認できなかったが,同学院が別の著作について不正を認定したことを受け「研究者倫理の欠如が認められ,研究姿勢に重大な問題がある」として取り消しを決めた。『プロテスタンティズム』は版元の中央公論新社が出荷を停止した。

 読売新聞社は授賞の取り消しについて「誠に遺憾」とコメントした。

深井氏の吉野賞を取り消し

-------------------

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?