2024年10月1日発足の石破茂政権のすっきりしない原発観,ここで原子力利用を止めない日本は,核武装をする気を捨てられない軍事内情とともに,再生可能エネルギーの本格的導入にイヤイヤする愚かなエネルギー観のもと,「原子力村の基本利害」で自国の未来を倒壊させる
※-1 本日の記述も長くなりそうだが……,
2024年10月1日,軍事オタク的な世襲2世議員の石破 茂が,新しく,日本の首相に就任していた。27日に予定されている衆議院解散総選挙では,はたして自民党がどうなるか,野党の乱立状態が止められない現状のなかではまだ読みづらい要因があるなどと気にしながらも,本稿の記述をすることになった。
つぎにまず,10月17日に時事通信社が発表した世論調査結果のうちから,政党支持率を表わした表を紹介する。「支持する政党なしが62.2%」にもなるといったこの数値じたい,ある意味,きわめて異様な日本の政治模様だと解釈されて当然ではないか。
なお,『時事通信』の世論調査は『毎日新聞』とともに政権側にはきびしい結果を出す傾向があるが,この点にこだわる必要などまったくないくらいに,現状においては「たいそうひどい日本の政治における国民たちの無関心さ」が,つまり,選挙にはいつもいかない人びとが多く含まれているけれども,この特定の政党「支持なし」と応える有権者が,6割以上も存在していた。
自民党の首相のなかには,かつて「選挙民は投票日には家で寝ていた」ほうがいいなどと,本当に口に出していった,あの森 喜朗(元首相で生存中)がいた。しかも,そんな政治家とはいえないゲスな男が「金権政治」=裏金脱税問題の世界において,なんと,その裏金を上納してもらえる上座(床の間)に鎮座ましましておられた。
森 喜朗は萩生田光一が第1のお気に入りであったが,その理由がなにかは申すまでもなかった。この森が首相をやったことがあるが,「この手の元自民党のポンコツ人材ぶり」(やはり世襲議員だったが)の体たらくさかげんを,あらためてみせつけられてきたわれわれの気持ちは,お先真っ暗になるほかない。しかし,現状における日本の真相が理解できるのであれば,いまからでもよいからともく真剣に吟味し,今後のために反省する材料にするほかあるまい。
ちなみに森 喜朗が首相であった時期は2000年4月5日から2001年4月26日 までであった。この時系列に関係する位置づけで指摘すると,森 喜朗という人物は,この国を「第2周回目」の「失われた10年」に誘導した張本人ではないか,とまで思いたくもなる。
まあ,言語道断というか自民党のドン気取りであったトンデモ男が,文字どおり現役の国会議員から退いてからも,自民党政権に「悪そのものである自分の影響力」を与えつづけているようでは,世も末,末期的症状もきわまった。
ともかく,自民党の安倍晋三「第2次政権」以後は,いまのいままで「日本の政治」にとってみれば「完全に宿痾」でありつづけた。
日本はすでに,国民経済の実態面で観るに「衰退途上国」の行程を着実に歩んできた。なかでも,あの「アホノミクス」(通称アベノミクス)の「経済政策の大失敗」と照合してみるまでもなく,まさに21世紀「第1四半期」における〈日本沈没・進行状態〉の様相は,われわれ庶民の生活感覚を通しても,じわじわと,かつさんざんに実感させられた。
1999年に森嶋道夫は『なぜ日本没落するか』という本を岩波書店から公刊していたが,四半世紀も経った現時点となってみるに,森嶋による「日本(政治・経済)批判」の指摘が,現実そのものになって顕現していても,いまだに「この国のあり方」を再設計・再起動させるために必要である措置・対応を,意識もせずに完全に忌避し,いわば怠業してきた。
そういう結果が出ている「2024年も秋になったいまごろのこの国」であるからには,現状においてこの「自国の社会経済の惨状:窮状」というものをいまいちど,本気になって軌道修正し,改革を達成しようとするためには,この国の最高指導者が,いったいどのように国家運営のための指導力を発揮すればよいのか,本気の議論がなされてよいはずだが,残念なことにこれがない。
安倍晋三の第2次政権以後における日本の「政治と経済」に関してはいまだに,自国をどのように変革していくのかという重要な課題に,本気で取り組もうとする政治家がみつからない。
安倍晋三の政権は,「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』造語)だと蔑称された以外は,この「美しいはずだった国」の中身を黒々と墨で塗りつぶす要領で,換言すると,自分自身の犯してきた「国家叛逆罪」的な運営路線によって,この国をほぼ壊滅させたも同然の顛末を招来させたに過ぎない。
この「自民党〔プラス「下駄の▲ソ政党:創価学会公明党」との野合〕政権」は,「いまだけ,金だけ,自分だけ」の,「公明正大」でまともな為政からは,はるかに縁遠いヤクザまがいの,野放図な,好き勝手だけの金権・傲慢政治を持続させてきた。
安倍晋三の第2次政権が成立・発足したのは2012年12月26日であったから,いまはそれからら12年近くも年月が経過してきた。その間,この国の勢力・実力・活力は低下一辺倒のままに経過させられてきた。
時価総額で世界の大企業を順位づけしたら,100番以内に残るのは(50番以内にかろうじて残っているのは)トヨタ自動車のみで,情報産業,IT・AI関連で一流次元に到達しえて,世界経済のなかで活躍できる日本の会社は,21世紀の現段階では皆無。
かつては “JAPAN as No.1” などと褒められ,その当時はずいぶんいい気になれた一時代があったとはいえ,今は昔。当時を懐かしがることはできても現状は,ただのオボロ国家とその産業体制およびその企業経営群にしか映らない。
その良き日の思い出は,「敗戦後に復活した日本の一時の盛況」をなんとか想起させてしか思い出せなくなった。
なにせ,バブル経済が1990年代初頭に終わってから,その後に続いて襲ってきた経済の不況・政治の乱調に関しては,「失われた10年」という用語が〈好まれて使用されてきた〉けれども,冗談ではなくていまもなお,その「失われた10年」がすでに3回目を終えてから,早4回目につき進んでいると観てよいくらいに,この国の「政治と経済の実情」は凋落一途であった。
さて1990年の30年前といったら,1964年東京オリンピック以前の1960年になるが,このときの日本は,「もはや戦後は終わった」と宣言できた「敗戦後10年が経ったころ」から,まだ5年しか経過していなかった。当時の日本は,先進国の仲間入りができたといえる国力は,まだもてるまでには,もうしばらく時の経過を待たねばならなかった。
現在の2024年は,1990年(基準)から数えると34年が経ったというのに,この国の経済は,儲かる産業としては「観光立国」を,よりいっそう頼みの綱にしなければならなくなった。
この日本は,なんというか「先進国体制を体験してきた実績がある〈再貧困国化〉」という珍現象を体現させたのである。世界史的に観察するとしたら,ともかく非常に物珍しくも貴重な国家体験を経てきたと,皮肉っぽく把握することもできる。
以上,外国人観光客関連の統計値は,当初「2024年中の外国人観光客の予測数,月を重ねるごとに好調を記録しており,10月段階だとおそらく3450万人から3500万人を超える数値がでるかもしれない」などと,いったんは推測してみたが,前段に引用した統計図表に表記された「最新の統計」に接してみたところで,以上のように計算しなおしてみた。
2024年中に訪日するみこみとなる外国人観光客は,3千6百万人近くになるか,あるいはこの数字を超えるかもしれない。
こうした「この国の現状」を考慮に入れてもいうとしたら,自民党政権は20世紀後半からの古い時代感覚のまま,21世紀のいまごろになっても,なお「世襲3代目の政治屋」(その4代目がたとえば小泉進次郎)たちがのさばるようになった舞台装置の上でしか対応できていない。
要は,この国の運営をただ沈滞・迷走させるしか能がなかった,その最悪の展開が「安倍晋三の第2次政権」以来ずっとつづいてきた。まるで鬼っ子ならぬ迷子(駄々っ子!)みたいな「世襲政治屋による国家体制の舵取り」がダラダラとつづいられてきた結果,トンデモどころか,いまでは救いようのない,みっともない国情を世界中に晒すにまで転落した。
※-2 石破 茂政権における原発問題のあつかい
この日本における原発体制のあり方については,石破 茂も首相になる前から自分なりの発言をしていた。実は,この問題点に重心を置き議論することが,この記述の焦点があった。その前に導入部分として借りたい,つぎの記述があった。
※-3 石破 茂首相に関連する原発の諸報道
1) 『毎日新聞』2024年10月19日朝刊-各党「対原発政策」の立場-
2) 『日本経済新聞』2024年10月23日朝刊「原発比率低減ありうる」という記事の発言
-この記事は,なにがいいたのかよく分からぬ発言の内容を,ともかく報道されていた-
3)『日本経済新聞』(日本経済新聞社)の社是でもあった「原発推進の立場」に匂い立つ腐敗臭
-日経は自社の基本方針である原発推進路線のためであれば,大小ならびに真偽を問わず,虚偽を紛れこませる記事を書いてきた-
上記の記事からとくに切り出し紹介する中身は,批判される余地がたくさんあった。以下にあれこれ議論をしていこう。
この「電源によって総事業期間は異なる」という説明のために作成された図表は,キワモノ的というか喰わせ者だと形容したよいような,面妖かつ奇怪な「作図」を努力した跡が,明解に表現されていた。
要は,電源としての「原発万歳!」の論旨であった。むろん「再生可能エネルギー(風力と太陽光)」も大事であって,そこそこに十分に必要な電源だとかいいたかったがごときに,とても不思議な棒グラフが記入され作図されていた
太陽光・風力・火力の各電源に比べて原子力という電源は,その全生涯が異様に長い電源であって,それぞれの過程において関連する各工程も,相対的にだが明確に(つまり意図的に)長めに表現されていた。
a) 上の図表によればとくに,原子力(原発)の場合は「総期間 110年」として記入されていた。これは,原子力工学者であれば(ただしまともな勉強をしたきた彼らの話となるが),この内容は「大げさに表現した期間」と「短めに誤魔化しておきたい期間」との『組み』として作成されている事実は,ただちに指摘されるはずである。
原発のエネルギーとして燃料に焚かれるのは原子力(ウラン)であるが,当初,原発が建造されはじめたころは,その耐用年数をせいぜい30年を予定していたはずのもの,その後,40年にまで伸ばされ,さらに60年まで伸ばされた。しかもこの60年に変更するさい,実際に稼働していなかった時間帯すべてを稼働時間そのものには参入せず,除外しておけといいだしたあげく,そのように非常識にも決めていた。
この点は,社会科学のうちでも関連する会計学や経営学,経済学などをまともに勉強しなくとも,産業界の企業人であれば,その非常識さに呆れかえるような取扱要領になっていた。
しかも,その除外的な措置が「生産管理⇒設備管理⇒物品管理」の基本原則を完全に無視した,度外れに常識外れの「工学上の管理手順にはなりえない脱線」の発想を強要していた。
それはたとえば,自動車を新車で購入したが,売却時においてはその耐用年数について「乗車していない時間帯」や「車検(定期点検)に要した時間帯」はすべて除外したうえで,この自動車の使用(耐用)年数を計算しろというのと同じ考え方であって,これほど非常識で恣意的な決め方はなく,論外も論外であった。
というよりは,世間一般に当たりまえである「工学的な耐用年数の常識的なあつかい」でいえば,絶対に許されない発想が,なぜか原発の場合だけは許されるという「理工学の最低限の常識」をさえ吹っ飛ばした原発観が,大手を振ってまかり通っていた。
この種の事態は,非常識だと非難される以前にそもそも完全に間違えていた,けっして認容できない工学・技術観であった。呆れるくらいに奇妙な見地が横暴にもまかり通されていた。
b) 日経関係の雑誌『日経クロステック』2024年1月12日が「東日本大震災後初めての原発建設,2024年は候補地の検討が ... 」との見出しを付けた記事を出していたが( ↓ ),「原発を建設するには,地域の理解を得たうえ,計画から稼働まで10年単位の時間を必要とする」と説明していた。
この説明と前段に挙げてあった図解(だいぶ上段であったので,ここでも再度出しておくが)は,それに該当する年数を「8」(年)と記入してあった。こちらの年数はどういう根拠でこの8年としているのか不詳である。「10年-8年」だと2年の差がある。
この図表にでている各電源別の「核種調査・環境アセス(メンント)」の年数は,上からそれぞれ「3,6,6,8」年となっていて,その間での差そのものは3年と2年とになっている。ということで,この「2年の差」についてはこまかくこだわる余地などない,どうでもよろしい「数値の差」だという解釈にでもなりうるのか?
また,太陽光の「廃止・除却」については,ここでは簡単に考えて,平地に設置されていたこの電源の後始末ならば,どれほど広い敷地の場合であっても,人手さえかければ(もちろん関連して必要な動力も併用するが),1年(365日)も日数を要することなど,絶対にありえない。
あるいは,かなり広い敷地(あるいは傾斜した場所など地形に変化のある場所)に建造された太陽光であるときは,しかも,撤去工事にかけられる人手が限られたりするときは,その「敷地面積」÷「労働者数」=「日数」という計算になる。こちらの場合でも何年という期間は,もとより,とうていありえない。
ところが,この「廃止・除却」に関する日数の話を,原発(原子力)の廃炉工程の現実的な問題,その具体的な日程とに比較すると,後者は途方もなく長期間を費やすほかないものとなる。ところが,前掲の図表においては,原子力(原発)の「廃止・除却」は30年と記入されていた。
しかし,現実にすでにいくつもの原発において工事経験・事例を積んできてもいるその「廃炉工程が要する実際の時間:日数」は,それほど生やさしい性質の問題ではない点として,すでに判りきっている。
だが,経済産業省資源エネルギー庁が作成・公表した各種統計図表は,そのほとんどが「ウソ塗れ」とまではいえないにしても,粉飾から捏造にかぎりなく近い程度にまで,修正(補正)的にその表記・表現を誤魔化そうとする意思に満ちあふれていた。
c) つぎに紹介する図表は,「原発推進派」である『読売新聞』の関連で発行されていた雑誌からの引用である。これは,事故を起こした原発に関して「廃炉工程」に必要な年月を推測していたが,この内容の指摘はほとんどデタラメとしかいいようがない「勝手な推測」になった。
どういうことかといえば,東電福島第1原発事故現場からはデブリの取り出しはいまだに,実際問題としてなにも開始できていないし,今後においても,そもそもいつ本格的に開始できるかさえ,以前から見通しがつかないでいた。
したがって,東電福島第1原発事故現場の「廃炉完了目標」として「2041~2051年」などと記入してあったのは,夢物語も同然の「現状認識」だったと理解したほうが,より妥当な判断である。
スリーマイル島原発事故現場の「廃炉完了目標」のほうはまだ現実味のある年月,「2037年(事故から58年)」が記入されている。こちらの原発事故は圧力容器内での溶融に留まり,格納容器にまでデブリが落下する事故にまでは至ってはいなかった。
だが,東電福島第1原発事故は,スリーマイル島原発事故が「原発事故の評価尺度で「5」であったのに対して「7」であった。圧力容器内での溶融の止まった事実は,以前から明確に把握されていたリーマイル島原発事故に比較して,東電福島第1原発事故は溶融して格納容器にまで落下していたゆえ,両者の事故形状を同じような具合でとりあげるのは,不都合どころか誤解を招きやすい。
東電福島第1原発事故現場の後始末は,すでに原子力工学の専門家が指摘したようにデブリ取り出しは実質,何年やっても不可能でしかない。そうなると考えられる対策としては,チェルノブイリ原発事故現場のように石棺方式しか手がない。それでは,石棺方式で廃炉が完了できたのかといったら,そうではなくあくまで一時的な措置の半永久化である。
要はネコババ方式でもって,原発事故の惨状を覆い包むようにして密封しておくに過ぎない。ちなみチェルノブイリ原発事故現場の石棺は2代目になっていた。
--以上までの記述に関してはいろいろ批判的に討議し,最初からその立論のに甘さや緩さが目立っていた点をめぐり,そもそも原発観をめぐるところのいってみれば,原子力村的にデタラメだらけ(その三昧)であった「立論の出立点そのもの」が,独断先行的にのみ,だから非科学的・反理論的にいいたてられていた。
それゆえ,原子力を電源とする原発についてのその種の主張は,いまとなっては,つまり「安全も安価も安心も」すべて,なにも保証されえない事実は明々白々の関連事情になってもいた。
原発問題については「廃炉(工程)会計」の次元に問題を乗せて議論することになったら,原子力村側がいままで必死になって,嘘そのものとして提唱してきたその「安全・安価・安心」は,その全部が根拠なしであった事実が露呈するしかない。
※-4「原発・出口なき迷走 耳かき1杯は「工程表を意識」 完了に300年 廃炉の行く末は」『毎日新聞』2024年3月26日,https://mainichi.jp/articles/20240322/k00/00m/040/038000c 〔2929文字の,全文引用〕
a) 防護服に身を包み,分厚い扉や穴を通り抜けると,直径5メートルほどの円筒形の空間にたどり着いた。頭上には,制御棒を収める無数の管がつり下がっていた。
ここは,東京電力福島第1原発5号機=廃炉=の原子炉を支える土台(ペデスタル)の内部だ。1~3号機の溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の多くは,ここにあると考えられている。
補注)この段落はデブリが落下した場所じたい,いまだに正確には把握できていない状況が指摘されている。このような東電福島第1原発事故が発生したから12年後に報道された記事の説明を,われわれは「どのような気持ちで受けとめればよいのか」?
〔記事に戻る→〕 毎日新聞記者は1月下旬,メルトダウン(炉心溶融)した1~3号機の代わりに,事故を免れた5号機に入った。
東電の担当者が,ペデスタル内にまっすぐ通じる,直径50センチほどの貫通部をみせてくれた。もともと制御棒を交換する作業機器の出し入れに使っており,ここが燃料デブリを試験的に取り出すルートの「本命」になると,東電はみている。
しかし5号機の貫通部の中にはケーブルが残り,下半分は塞がっていた。
福島第1原発5号機のペデスタル内部につながる貫通部。2号機の燃料デブリの試験取り出しでもここを使う。
「2号機も中にケーブルが入った状態で蓋(ふた)が閉まっており,ケーブルの中の金属部もみ見えていた。高熱で溶けて押しこまれたとみられる」。担当者はそう説明した。
b) 延期や手法変更迫られ
燃料デブリの取り出しは,福島第1の廃炉で最大の難関だ。
東電はまず2号機で,耳かき1杯分(数グラム)を試験的に取り出す。その後は段階的に規模を拡大。最終的には,約880トンあるとされる燃料デブリをすべて取り出すことをめざしている。
しかし,計画は最初からつまずいている。
「本命」である2号機の貫通部が,事故の熱でケーブルが溶けた堆積(たいせき)物で埋まっていたのだ。
東電は堆積物の除去を余儀なくされ,〔2024年〕3月までにおこなうとしていた試験取り出しは,10月までに延期された。延期は3回目で,当初から3年先送りされている。
補注)この「デブリ取り出し」のための試みはいままで何回も,そのような延期を繰り返してきたが,まともに取り出す作業にまでは進めないままに経過してきた。いってみれば実質「二進も三進も」いかない廃炉関連の工事で終始していた。
〔記事に戻る→〕 影響は他にもある。手法の変更を迫られたことだ。
東電はもともと,ロボットアームで取り出す計画だった。細かく動かして,ペデスタル内のさまざまな場所から燃料デブリを回収できる。先端にはカメラやセンサーを搭載し,内部の詳しい調査もできる。
ただ,アームは太さが最大40センチほどあり,約50センチの貫通部を通すには,かなりの堆積物を除去しなければならない。アームは水平に延ばすため,自重でしなる。狙った場所に正確に動かすこともむずかしいとわかってきた。
東電は〔2024年〕1月,試験取り出しの延期とともに,アームの使用を先送りし,より簡易的な手法を使うことを発表した。
アームより細い伸縮性のパイプを使い,釣りざおのように器具を垂らして燃料デブリを採取する。貫通部は通しやすくなるが,アームのようにさまざまな場所には動かせず,調査のためのカメラやセンサーは付けられない。
つまり東電は,次善の策をとらざるをえなかったのだ。
アームの開発には78億円の国費が投じられた。しかし複数の関係者は「開発当初から導入に懸念の声は上がっていた」と証言する。東電は「アームを断念したわけではない」と強調するが,東電の関係者は「国のプロジェクトだからそう簡単にかじは切れない。国に方向転換を提案できるような関係性ではない」と吐露した。
c) 廃炉の進展どこまで
なぜ東電は「耳かき1杯」にこだわるのか。「廃炉の進展をアピールするため」とみる関係者は多い。
国が定める福島第1の廃炉の工程表は,第1~3期に分かれている。現在は第2期で,燃料デブリの試験取り出しができれば,最終段階の第3期に移行するとしているためだ。
大規模取り出しの工法を検討してきた原子力損害賠償・廃炉等支援機構の山名 元(はじむ)理事長(京都大名誉教授)は「本物の燃料デブリが取れれば,事故の状況が再評価できる。(試験取り出しで)小さな扉を開けることで,本格的な取り出しへの活動が加速的に拡大していく」と,第3期へ進む意義を強調する。
補注)ここに登場した人物,山名 元はおそらく生きているうちには,この記事のなかで目標とされるデブリ取り出し「計画」は,けっして実現しないのではないか?
〔記事に戻る→〕 ただし,手法が釣りざお式に変われば,それだけ試験取り出しの「成果」は限定的になる。大規模取り出しにつなげられるかもわからない。
関係者の目は冷ややかだ。ある経済産業省関係者は「工程表を意識したのだろう。取り出すこと自体が目的になってはいないか」と指摘する。
柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働が絡むとの見方もある。
政府や東電は「福島第1の廃炉費用を捻出する」として,柏崎刈羽の再稼働を急いでいる。しかし東電はテロ対策の不備を繰り返し,柏崎刈羽を運転する資格である「適格性」が問われる事態になった。
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東電は適格性を自ら示すにあたり,「福島第1の廃炉をやり遂げる」など七つの約束をしている。原子力規制委員会は異例の再確認をして昨(2023)年12月に東電の適格性を再び認めたが,地元の疑念は払拭できていない。
試験取り出しをするのは,柏崎刈羽の再稼働を進めるためなのか。東電・福島第1廃炉推進カンパニーの小野明・最高責任者にこの点を問うと「廃炉を進めることが,わわわれ々がいろいろなことができるという証明になる」と答え,関係性を否定しなかった。
d) 最長300年の試算も
さらに大きな問題がある。第3期はいつ,どのような形で終わるのかが見えていないことだ。
補注)第1原発の廃炉工程「図解」
工程表では,廃炉が完了するまでの期間を,事故から30~40年後とする。これまで5回改定されたが,この目標は変えていない。
だが多くの関係者は「達成は不可能」と口をそろえる。事故直後にとりあえず立てた,根拠に乏しいものだという。
副閣僚を経験した元国会議員は「福島の県民感情があり,ある程度の期間で廃炉できるということを示さなければいけなかった」と明かす。
原子炉を突き破った燃料デブリの取り出しは,世界的にも例のない困難な作業だ。旧ソ連のチェルノブイリ原発は,約40年たっても全体がコンクリート製の「石棺」に覆われたままだ。
燃料デブリを仮に取り出せたとしても,通常の原発から出る「核のごみ」とはまったく異なる扱いが必要だ。燃料デブリの他にも,福島第1には膨大な放射性廃棄物がある。
これらを貯蔵するのか,処分するのか,撤去して敷地を再利用するのかが決まっていない。つまり,廃炉のゴールは何なのか,まったくわかっていないのだ。
経産省関係者は「40年後までに完了するとは誰も思っていない。試験取り出しや住民の帰還が進めば,目標を見直すきっかけになるかもしれない」と話す。
補注)経産省の関係者はこのように発言しているというが,前段の原発(原子力)の後始末としての「廃止・除却」の期間を30年と規定していたのは不可解。要は,事故を起こした原発を例外視して廃炉の期間を,疎漏なく決められるのか? たとえ,事故を起こした原発でも例外視できるといえても,一般的な理解でも廃炉の期間はもっと,もっと長い。
日本原子力学会の廃炉検討委員会は2020年に公表した報告書で,福島第1の廃棄物の総量が約780万トンに上ると試算。廃炉のゴールとして,廃棄物の貯蔵や処分などを組み合わせた四つのシナリオを示し,100~300年かかると結論づけた。
検討委の宮野 広委員長(法政大元客員教授)は「燃料デブリの定義もわからず,どこからどこまでを取り出すのかは不透明。廃炉の前提が曖昧なままでは,社会の考えと食い違いを生むなど,誤った方向に進むのではないか」と懸念を示す。
そのうえで「情報が少なくても複数のシナリオを示すことはできる。新たな情報が集まる度に見直していけばいい。早期に広く社会と議論を始めてほしい」と訴える。【高橋由衣】(引用など終わり)
これから「早期に広く社会と議論を始めてほしい」?
本日の記述内だけに依ったの受けとめ方にしかなりえないが,いったいなにをいっているのか,そのなにを留保したつもりで発言しているのか,という印象:基本的な疑念を抱くほかない。
最後に,以上の記述・話題についてつぎのように仮定し,考えてみる。
世界中で430余基が稼働している原発のうちから,もしも再び,チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故と同じレベルで,原発の「超大事故が起きた」ぶんには,この地球,ますます住みにくい宇宙船「地球」号となる。
たとえば,大型の火力発電所ひとつが大爆発事故を起こした場合であっても,原発の過酷事故とは比較にならないほど,その災害の規模は小規模で質的にもまだ〈よほどマシだ〉と断言してよい。
※-5 本日 2024年10月21日『日本経済新聞』と『毎日新聞』の社説を並べておくので,読みくらべてみたい。
1) まず『日本経済新聞』から。
2) つぎに『毎日新聞』から。
3) さらにこの程度の事故は,日本の原発においては年がら年中のものであって,その一例を紹介。
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