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「世襲3代目の政治屋」岸田文雄の破廉恥内閣,その迷走・遁走の姿,「衰退途上国」の自民党風国家統治,2024年2月各紙「世論調査」についてなどを議論

 ※-1「異次元の鈍感力」-岸田文雄の為政は安倍晋三の亜流的な悪政であるゆえんなど-

 岸田文雄という世襲政治屋の精神構造は,一般庶民の国民として立場がいったいどのような現状にあるかをしらないし,しろうともしない。

 そのあたりに関して,ごく最近の「日本事情」はどのように報告されているか? たとえば『田中龍作ジャーナル』の現場報告に聞いてみたい。

 

 ※-2「刑務所がセーフティーネットとなった国 『もう食べてゆけない』」『田中龍作ジャーナル』2024年2月25日 22:32,https://tanakaryusaku.jp/2024/02/00030343 から

この国全体が刑務所であるならば
まだ救われるのか?

 〆切時刻は夕方6時。残り10分を切るころになると,次からつぎへと人が駆けこんでくる。毎月第2・4土曜日にNPO法人 TENOHASI が東池袋公園で主催する炊き出しでの光景である。

 中高年が多いが青年も珍しくない。手にした小ぶりのバッグからは,彼らがアパートか都営住宅暮らしであることがわかる。野宿者やネカフェ暮らしであれば,手にしているのがキャリーだとか大きなリュックだったりするからだ。

 勤め帰りも少なくない。夕方5時に仕事を終え駆けこんでくるのだろうか。30代の正社員も炊き出しに並ぶようになった。手取り17万円。家賃と光熱費を払うと食べていくのがむずかしい。

 誰が彼らを食えなくしちゃったんだ?・・・ と思うと涙が出た。政治への怒りがこみ上げてきた。

 最大の原因は労働法制の緩和である。下手人は竹中平蔵と経団連だ。労働者派遣法を改悪し,安価な賃金で雇用でき,不要になればいつでも切り捨てられるようにしたのである。

 不安定な非正規雇用は2124万人。労働者全体の37%を占める(総務省調べ・2023年)に至った。働く能力と意欲があっても雇用がなければ,人は食べてゆけない。職に就けても過酷なパワハラに遭う。

 正社員でも食べてゆけない。非正規はなおさら。無職ともなれば食べてゆくのは至難の業だ。

 2~3日食事にありついていない男性(46歳)が杉並区高円寺のコンビニで店員に「もう限界なんです。おカネを出して下さい」といって包丁を向ける事件があった。〔2月〕24日のことである。

 なにも奪えず誰も傷つけなかった男性は強盗未遂で警察に逮捕された。

 いまや1日3食必ず提供される留置場や刑務所は「最後のセーフティーネット」といわれるようになった。男性が食事にありついたことだけは事実だ。

 食べたさで犯罪を犯すケースが後を絶たない。盗んだ自転車をもって交番に自首したり,殺人犯の家に落書きをしたり,と。

 主催者が用意した弁当500食は,わずか20分余りではけた。来場者は534人。不足分の34食はビリヤニ(インドの炊き込み御飯)などで対応した。

 炊き出しを受ける生活困窮者の列はこの日も川のようだった。

『田中龍作ジャーナル』

 以上『田中龍作ジャーナル』2024年2月25日が報告した「この国の風景」は,いまにはじまったものではなかった。岸田文雄の悪政以前から,あの安倍晋三のアホノミクスの時期になると,すでに定着していたかのごとき「日本の貧困問題」の具体的な姿であって,

 雨宮処凛が,こうした社会事情については以前から繰り返し,報告してきているところだが,日本国内におけるそうした「衰退途上国」的な状況は,悪化こそすれ,改善する方向にはない。

 2024年の1月1日午後4時過ぎに能登半島地震が起きたが,その後における岸田文雄政権の救援・支援のやり方を観ていると,まるで他人事である。政治の立場として保持すべき最低限の誠意はもってすべき最大限の対応・努力がなされていなかった。

 「過疎地だからどうせこのまま放置しておき,被災地から住民たちはできれば,なるべく撤退していけばいい」みたいな,きわめて冷酷かつ無責任な基本姿勢が,現政権の対応ぶりからは,こぼれ出てくるがごときに伝わってくる。

【参考記事】

 

 ※-3 雨宮処凛の実践活動として体制批判

 つぎに,前段に登場させた雨宮処凛が書いた最新の記事,第668回「『貧乏に苦しむか / 貧乏を楽しむかしか選択肢がないことがおかしい』問題に,遂にひとつの回答がもたらされる。の巻(雨宮処凛)」『マガジン9』2024年2月21日,https://maga9.jp/240221-2/ を紹介する。

 少し長めの文なので,いくらかは取捨選択しながら紹介したい。

 a)〔2024年〕2月1日,安倍派「5人衆」を刑事告発する記者会見に参加したことは666回の原稿で書いた。

 裏金問題で大物議員たちが事情聴取を受けながらも,なぜか不起訴となり捜査は終結。このままうやむやになりそうなのはおかしいとなされた告発だ。

 ちなみに毎日新聞が2月17,18日に実施した調査によると,問題の議員を国税庁が調査すべきと答えた人は回答者の93%。確定申告の時期,「庶民には増税,政治家は脱税?」と怒りの声が高まっている。

参考画像-『日刊ゲンダイ』から-

 そんな状況を受け,岸田内閣の支持率も爆下がりしている。やはり,毎日新聞の調査によると,内閣支持率は過去最低の14%。また不支持率は驚異の82%となったのだった。

 補注)その『毎日新聞』の2024年2月世論調査の記事がこれである。

不支持率82%とは驚異的な数字である

〔雨宮処凛・記事に戻る→〕 さて,そんな刑事告発の記者会見に参加してふと思ったことがある。ああ,こういう「正面突破」って久しぶりだな,と。そうして自分の最近を思い,数年前との変化を感じた。

  (中略)(以下,「……」を入れた箇所も省略を意味する)

 b) 1992年,当時の若者たちによって結成された,結婚や就職といった生き方から降りて「だめ」をこじらせないように生きるムーブメント。この「だめ連」がいま,再評価され注目を集めているのである。1月には,だめ連24年ぶりの本となる『だめ連の 資本主義よりたのしく生きる』が出版された。

 この「失われた30年」のなか,多くの人がみずからの生き残りをかけ,人を蹴落とし,時に傷つけあいながらサバイブ〔 survive 〕してきた。そんななか,多くの人が心身に深いダメージを負っている。

 それなのに,どうしたことだろう? この30年,なるべく働かず,二度寝や遊びに費やしてきた「だめ連」が令和のいま,もっとも幸福度が高そうなのである。

 そんなだめ連,私は20年ほど前から付きあいがあるのだが,だめ連を始めた神長恒一さんは50代なかばのいまも最低限しか働かず,月収7万円くらいで実に機嫌よく生きている(神長さんともに「だめ連」を始めたぺぺ長谷川さんは残念ながら昨年,がんにより死去。最後まで遊んで暮らす交流人生だった)……。

 そんな「だめ連」について,10年前の私だったら諸手を挙げてここまで絶賛することはなかったのではないかと最近,ふと思った。なぜなら,「貧乏でも楽しく生きる」という彼らの実践は,「じゃあ貧乏なままでいいだろ」と,政治的に悪用される可能性があるからだ。

 c) しかし,反貧困の活動を始めて18年が経ついま,私たちの「解」は,「貧乏でも楽しく生きる」しかないのかもしれないという境地に達しつつある。

 以前は,「貧乏に苦しむ」か「貧乏を楽しむ」かしか選択肢がないことが問題だと主張していた。それ以外の,「お金持ちになる」とか「好きな仕事をする」「自分らしく生きる」とか,「望む人が結婚できて子育てできる」社会が健全だといいつづけてきた。

 だけど,この20年で日本はどんどん貧しくなっていった。私たちも20年分,年をとった。「このままじゃ結婚,出産,子育てなんか考えられない」といったところで「もう産めないだろ」といわれる年齢に気がつけばなっていた。……

 多くを望めないのは,「望んで頑張った人」ほど傷ついてきたのをみてきたこともあるかもしれない。ずーっと非正規で,ウツになった人。なんとか正社員になろう,階級上昇をしようとがんばりすぎて心身を壊した人。

 それだけじゃない。格差や貧困問題をなんとかしようと活動に力を入れすぎて,バーンアウトした〔燃えつき症候群にかかった〕した人もいる。その一方,「なんとかなった」人は,結局実家が太かったりと,「個人の努力」と無関係なところでなんとかなっている印象だ。

 d) そんな現実があるなかで,いま,私のなかで「だめ連」が再び輝きを放ちはじめている。

 この「だめ連」再評価の機運のなか,いろんな人が「時代がやっとだめ連に追いついた」と口を揃える。その言葉に心から共感する一方で,結局,回答は「だめ連しかなかったか」という思いもある。

 さきに「貧乏に苦しむか,貧乏を楽しむかという選択肢しかなかった」と書いた。が,私たちには「金持ちになる」以外に,「社会を変える」という選択肢もあった。

 が,そのハードルはあまりにも高かった。もちろん,社会を変えるべくしてやってきたすべてのことに意味があり,意義がある。積み上げてきたものもたくさんある。

 しかし,声を上げても状況は変わらないどころか悪化し続けてきたのが私にとってのこの20年だ。不安定層は増え,賃金は下がり続け,ロスジェネはどんどん年をとって取り返しがつかなくなっていく。

 そんななか,「こんなひどい政治を変えよう」だけでなく,「こんなひどい政治に見切りをつけて自分たちで勝手にやろう」という「だめ連」や「素人の乱」(高円寺近辺の愉快な貧乏人による謎の集まり。よくデモなどをする)のようなムーブメントがあったからこそ,続けてこられたともいえる。

 というか,そういうものと二本立てでやってないと,徒労感と無力感でどうにかなりそうだったというのが正直なところだ。そこでいま,「資本主義より楽しく生きる」方法を30年前から模索・実践してきた「だめ連」の出番となったわけである。

 e) この状況は,資本主義が限界を迎えていることも大いに関係ある。

 この道をいっても,超一部の人しか幸せになれず,格差・貧困はより深刻になり,大部分はなにをどうしても一昔前の「人並み」の生活すら手に入れられないことが証明されつつある。

 そのうえ,この道をこのまま進むと気候変動で地球も本気でヤバい状態だ。だからこそ,さまざまな国で「資本主義から降りる」ようなムーブメントが起きている。中国で2020年ころから台頭した「寝そべり族」(競争から降りて最低限しか働かないムーブメント)などはその代表だ。

 ということで,そんなだめ連と寝そべり族をはじめとして,アジアの貧乏人が連帯するような動きが昨年,「NO LIMIT 高円寺番外地」として開催されたわけだが,このような動きこそが,「各国の政治がろくでもないから自分たちで勝手にやろう」の最たるものである。

 正面突破で政治に声を上げることも重要だが,この20年,ひどい法案などが出てくるたびにそれに振りまわされながら声を上げるというのはどこか受動的な気もしていた。もちろん,それも大切なことだしこれからも続けていくが,「もう自分たちで勝手にやるぞ」という空間も大切にしたいのだ。

 f) さて,最後に書いておきたいのは,そんなだめ連は,さまざまなやり方で社会変革もめざし,実践しているということだ。

 ということで,最近,日本のGDPがドイツに抜かれ,世界4位になったことが報じられた。一度は頂点を極めた経済大国。その衰退のなかでの生存運動はどのように変化していくのか。今後,「貧乏を楽しむ」以外の選択肢が出てくる時は果たしてあるのか。ぜひ,注目していてほしい。

(ここで,雨宮処凛からの引用終わり)

 さて,こうした雨宮処凛の,これまででもすでにダメだらけだった「日本の政治権力」の下手クソな為政のなかで,それでも,必死になってもがくかのようにして「運動的に働いてきた」この雨宮の意見には,傾聴に値する中身が実際に多くある。

 GDPの計算次元に乗らない人間社会での生き方がないわけではない。われわれは,そうした人生を実際におこなってきた人びとが居ることをしらないではない。とはいえ,そこまで,1人ひとりが自分の生き方の進路を変えることじたい実は,その選択を下してからその実践に入れるまでには,それなりしんどい手順を克服していく必要がないのではない。

 テレビ番組でも紹介されることがあるが,地方の少し山間部に入った居所に生活の拠点を求め,そしてそこでは,国家次元におけるGDPでは計算不測の自然(じねん)にしたがう生き方をするようになれば,そして,この種の生き方をしようとする人たちが増えれば増えるほど,われわれの人生観は多分,質感と実体をともなって変化していく可能性が開けるはずである。

 前段で自然という文字を「じねん」と読んでみたのは,こういう意味の相違があるからである。

 「しぜん」は,自然そのものを指す言葉として使われ,自然の力や法則,現象を含むのに対して,一方の「じねん」は,自然と人間との関係性を表す言葉であり,人間が自然とつながっていること,自然との調和や共存を大切にすることが重要であるという考え方を含む。

自然とじねん

 最近は,営利追求を必死になってするほかない企業経営の舞台でも,「持続可能な開発目標(SDGs,Sustainable Development Goals)」がウンヌンされる場合が,いわば当たりまえにもなっている。しかしながら,この付近の問題はある意味では「不可能が可能であるかのように演技してもいる企業経営」側のお芝居に過ぎないとまでとらえ,あえて「冷静に突き放して観る視線」も必要であった。


 ※-4 岸田文雄政権の「丸出だめ夫」風の実態

 前段で『毎日新聞』が実施した2024年2月「世論調査」の記事を紹介してみたが,さらにほかの新聞社がこの2月におこなった世論調査の諸結果も参考にして若干議論してみたい。

この記事:「報道各社の世論調査結果」に注目する

 この『毎日新聞』の記事にはまで出ていなかった2月の世論調査として,つぎの『日本経済新聞』のその結果も報道されていたので,前掲の記事のなかには補足的に記入してあるが,日経「世論調査」の記事そのものを,つぎに紹介してみたい。

岸田文雄内閣の政党支持率の低落傾向は
世論調査ではごくふつうの方向性とはいえ
「不支持率」との相対関係でみつめておく余地がある

 例の『青木の法則』という関連の知識があった。こう説明されている法則である。

        ♠「青木の法則」または「青木方程式」♠

 元自由民主党参議院議員で内閣官房長官を務めた青木幹雄が提唱したとされる,内閣の安定度を示す経験則で,2類の「青木の法則」が存在する。

 「青木の第1法則」…… 内閣支持率(パーセント)と与党第1党の政党支持率(パーセント)の和(この和を青木率またはアオキレシオという)が50ポイントを下回ると,政権が倒れる,または政権運営が厳しくなるとする。

 「青木の第2法則」…… 国政選挙のさい,与党第1党の現有議席に,直近の「青木率」をかけた数の近似値が獲得議席となるとする。

青木の法則

 前段に出ていたが,この2月中に実施された各社(各紙)世論調査の結果は,この青木の法則(第1法則になるが)にしたがい「内閣支持率」+「自民支持率」を足し算してみると,こうなる。合計値の低いほうから順に並べる。

  『毎日新聞』  30 %
  『時事通信』  33.2%
  『朝日新聞』  42 %
  『産経新聞』  47.2%
  『読売新聞』  48 %
  『日本経済新聞』50 %
  『NHK』   55.5%
 
 さすがにNHKは国営放送だけの資格を厳守してなのか,いまだに青木の法則であっても55.5%を〈死守〉か? あの『ゴミ売り新聞』や『惨K新聞』でも50%を切った。『朝日新聞』『時事通信』『毎日新聞』についてはいうまでもない結果であった。

 以上の,各社の世論調査結果を単純平均したら43.7という数字になった。これは,青木の法則「流」に則していうと「岸田文雄の政権」は早,終わっていて少しも不自然ではない。国会内における各党の勢力図があまりにも与党が多すぎて強いために,岸田文雄のダメダメ政権であっても,まだもっているに過ぎない。

 日本に暮らす人びとはおとなしい。最低でも,10万人規模のデモが毎週末には国会周辺で行進したり,地方の大都市でも1万人単位が街頭に出てきて示威行為をしていても,なんら不思議はない政治のダメさかげんであるはずなのに,なぜかこの国の人びとはそこまでしない。

 その事実を妙に褒める日本人自身がいるが,しかし,雨宮処凛の体制批判に表現されているような気持ち・気分を政治的な行動に具体的に表現する手段として,デモすらろくにしようとしない,あるいはできない立場に追いこまれているのが,この国の人びとである。

 岸田文雄の立場で考えてみればよいのである。毎週金曜日や土曜日になると10万人単位の人びとが国会周辺や東京の中心部のどこかで,「キシダ,辞めろ!」というシュプレヒコールを挙げてデモ行進がなされる風景が日常化していたら,いくらあの「異次元の鈍感力を誇る」文雄でも,確実に一定の打撃は受けるはずである。

 人によっては日本・日本人はとくに欧米諸国などとは異なり,そういうデモなどあまりしない特性を有するなどと,したり顔で,ものしりをきどっていいたがる者もいないわけではない。しかし「沈黙が金」であるような日本政治の実情は,岸田文雄のような「世襲3代目の政治屋」的に「本当の世間しらず」の立場にとってみれば,ただ都合のよいものにしかなりえない。

 与野党の国会勢力図,その差がいまほどでなければ,岸田文雄のごとき政権など5つや6つくらいは軽く粉砕されている。安倍晋三の第2次政権の時期は,アベ流の強権・暴圧政治を推進してきたがために,日本の民主主義を大々的に破壊した。

 岸田文雄はその残骸の上を,しかもその残骸がどのように「民主主義を破壊し犠牲にしてきたかに無感覚でいながら,さらに平気が踏みつけて歩いている自分自身になにも気づいていない。

 

 ※-5 世襲政治を断ち切れないとくに自民党の政治体質を説明した豊田真由子の意見

 以下に引照するのは,「世襲議員が引き継ぐ『地盤,看板,カバン』 一般人候補とは歴然の差 豊田真由子が分析『政界の世襲』のリアル(3)」『神戸新聞』2022年11月5日,https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202211/0015773391.shtml である。

 この豊田真由子が説明する世襲政治の因習(もしくは習慣的な制度)は,日本の政治に固有ともみなせるひとつの特徴であったが,けっこう長い年月をかけて構築,定着してきた政治のあり方でもあるせいで,これを止めさせるという方途は,よほどの覚悟なり決意をもって断行しないことには,おそらく半永久的に不可能かもしれない。

 ともかく豊田真由子の体験にもとづく「日本の世襲問題」解説を聞こう。なお引照に当たっては,引用者なりになるべく短めにする工夫をくわえてある。

 1) 日本で世襲が多い本当の理由

 政界に世襲が多いのは「地盤(票),看板(知名度),カバン(資金)があるから」という点であるが,その意味するところを深堀りしてみたい。

 世襲や名家・資産家一族の人は,票や資金があり,「有利」だと思われている。が,実は,票や資金をあらかじめもっていることは,単なる「利点,アドバンテージ」ではなく,むしろ,自民党の公認候補として選ばれるための最初の段階における「必須条件」「当然の前提」となっており,そうでない者が選ばれることが,実はきわめて例外的なのである

 安藤優子「自民党の女性認識 -『イエ中心主義』の政治指向-」明石書店,2022年は,自民党選対本部関係者への聞き取り結果として,「政党が個々の候補者の面倒を見ることには限界があり,自民党は『選挙は自己責任で,自己資金は一定程度必要』と明確な姿勢を打ち出している」ことを示していた。

 自民党の候補者選定の「ホンネ」の基準は,こう整理できる。

 ① 個人後援会(知名度+集票力)--世襲,地方議員,有名人,職業団体

 ② 政治家の「イエ」に属する(知名度+集票力+資金力)--世襲

 ③ 地元名士の「イエ」に属する(知名度+集票力)--地元で学校経営などの名家

 ④ 地元財界有力者本人かその「イエ」に属する(知名度+資金力)--地元有力企業の経営者一族など

世襲問題

 日本の政界においては,世襲だけではなく,企業や地元メディア,病院グループ等の一族の方が多く,「票」か「資金」(できればその両方)をもつことが,当然の前提になっている。

 つまり,そこにはきわめて合理的な理由があって,新たな人材を育てるという視点は欠如し,一般人の入っていく余地はきわめて小さい。

 2) 具体的な「世襲の力」とは?

 どういった力が具体的に,どのように作用するのか。

 a)「家」「血統の正当性」が,大きな説得力をもつ。

 本郷和人東大教授が「古代から,日本では,後を継ぐには『地位や能力』より『家』が重視され,鎌倉幕府でも,『将軍』だから家来が従うのではなく,『源氏』という『家』の人だから従った。世襲は,世の中が納得しやすく,そのため権力者側も継続を重視した。日本は島国であるため,外圧が少なく世襲の継続につながった」と解説していた。

 選挙区の公認をめぐる苛酷な経験から,日本の政界においては,『血統の正当性』は,人を納得させ従わせるために,もっとも効果を有する。それがあれば,苛烈な嫌がらせも受けずに済むし,利権を求めて寄ってくる人や嵌めようとする人たちのさまざまなリスクからも,防御される。

 権力欲の強い地元政界の面々も「血統の正当性」には弱く,「〇〇先生のご子息なら仕方ない」と自分を納得させられる,自分のプライドが保たれる。ゴタゴタも丸く収まる。「殺るか殺られるか」の世界のなかで,実はそれがとても重要なことになる。

 現状,客観的公正な評価基準が存在せず,血みどろの争いが延々と繰り広げられる政治の世界において,世襲は「一番みんなが納得し,丸く収まる」かたちであり,日本の歴史や政治システムに,もっともなじみ,受け入れられてきた自然なかたちである。

 もちろん,世襲だからいっても安泰ではなく,各地で同じ自民党の議員同士,議員と首長・地方議員などで,公認争いが繰り広げられ,有力な世襲の家系でも,争いに敗れはじかれることがある。されどやはり,一般人と比べると,大きな利点であり守られていることは間違いない。

 b) 後援会はファミリー・運命共同体

 長年,応援をしてきている地元後援会の人たちは,議員一族との “運命共同体” に相当する。たとえ,血縁がなくとも,強い絆で結ばれた親族のようなもので,自分たちが一緒に歩み育ててきた議員,その子どもは,ともに成長を見守ってきた子ども,とみなされる。

 とくに,長年世襲が続く地域においては,一族はいわば「藩主」のようなものとなっており,「若殿(若姫)」は小さいころから跡取りとして皆に育てられ,「殿の後は,若殿が継ぐのが当たりまえ」となる。

 c) 人脈と「親の恩」は,無形の財産

 世襲の議員たちは,政財界をはじめ,国内外に「あなたのお父さんには世話になった」という人がたくさんいる。この価値はきわめて大きく,随所でプラスに働いている。

 私〔豊田真由子〕は,党の仕事があったが,先輩議員と同期ということで,引退した大物議員を訪問したときに,その方がひたすら先輩議員の「お父さんとの思い出話」に花を咲かせ,仕事の話は(なにも聞かずとも)最後に一言,「〇〇ちゃんが来てくれたんだから,もちろん,だいじょうぶ,了解!」と応えたのを聞いて,なるほど,これはとてつもなく大きなパワーになると感じたという。

 d) 一般人の候補者は,資金もノウハウもなく,すべて自力でやらなければならない。

 自民党の公募で選ばれた候補者は,党に面倒をみてもらえると思ったら大間違い。実は当選するまでは,基本「放置」される。カネやヒトはもちろん,どこにいってなにをすればよいかといったことまですべてを,自分で考えないといけない。

 それでは,落下傘の〔候補だった〕素人にとっては,まさに途方に暮れる状況であった。最初は本当にひとりぼっちだったので,たとえば,てくてく何時間も歩いて,地図を頼りに一軒一軒党員の家をまわる,というところからスタートした。

 そしてポスターは1500枚ほどすべて,自分でお願いに上がり,スタッフと一緒に壁やフェンスによじ上り,パネルを針金で括り付け,貼っていた。いま思えば,そもそもの制度として,一般人が入ってくることを想定していない,ということが理解できた。

 以上の話に関して安藤優子の本は,自民党の選対本部関係者が「公募というと,結局,選挙のせの字も知らないのに手を挙げて出てきて,選挙は全部自民党がやってくれると思っている,それが県連にとって一番困る」との考えを紹介していた。

 e) 豊田真由子いわく,「全部自民党がやってくれる」とはまったく思っていなかった。けれども,たださすがに「完全に放置される」とも思っていまかった。親身になってくださる地元の人からは「とても考えられない無謀なことだよ,悪いこといわないから,やめておきなさい」といわれた。

 だが,いまとなってみればその意味がよく分かる。日本は,候補者や議員は兼職は認められず,そして,公務員や通常の企業は基本復職はできないゆえ,まさに一般人にとっては,人生を投げうっての挑戦になる。

 公募に受かり,勤め先を辞めてから,とりあえず活動に必要な自前で用意するべき金額を聞かされ,びっくり仰天のけぞりました。(もちろん,地元でお金を配るというような違法なことをいっさいしない,純粋な活動だけをおこなっていても,である)

 金融機関は,候補者や議員にはお金を貸してくれないし,一般人の候補者は,親族友人知人からかき集めるのが通常だと思う。ちなみに,公募に応募した候補者は,書類審査から面接に進むまでのあいだに,親族の自宅の土地建物の所有権や抵当権の有無まで調べられると,あとで教えられた。

 議員になってからの話をすると,歳費や文通費などは議員個人の収入にはまったくならず,人件費や家賃をはじめとする事務所の運営や,政治活動の費用にすべて回していくので,資金繰りには本当に苦労した。

 したがって,もともとの資金力の有無というのが,選挙に出るスタート時点はもちろん,その後の政治活動においても非常に大きく影響し,もたない者は,毎月,請求書をみながら支払いの心配に頭を抱える,ということになります。先代からの莫大な政治資金を非課税で引きつげる世襲議員とは,そこは本当に雲泥の差がある。

 (ここで,豊田真由子・引照終わり)

 以上,豊田真由子が国会議員を途中でやめた理由・事情が理解できるような「世襲議員」に関する説明であった。しかし,最近世間を騒がせている「パー券裏金」問題としての政治資金の問題に対して,前段までのごとき豊田の説明がどのように関連するのかは,まだわかりにくい面があった。

 パー券裏金「問題」では,政党助成制度があるにもかかわらず,この制度との関連が企業や個人からの政治献金との関係が,われわれ国民・市民・庶民たちには理解の及ばない圏域に置かれている。

 政治資金の源泉とその使い道がどのようになっているのか,その収支明細が誰に対してでも,1円単位にまで公開されていれば,以上においてわからないと指摘した問題は鮮明とされ,これにもとづく政治資金のあり方をあらためて議論することもできるはずだが,なぜかこれをともかく隠蔽する方途しか,とくに自民党関係者は望まない。

 安倍晋三亡きあと,その政治資金「残額」をどういうわけか,配偶者(女房)の安倍昭恵が正式に無税で継承していたが,疑問が強く抱かれていたまま,結局ウヤムヤに決着していた。

 その問題については,たとえば『東京新聞』2023年12月12日 12時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/295464 が要点をよく整理,把握した解説記事を書いている。この記事も長めなので,こちらはとくになるべく短めにして参照したい〔が,どうしても削れない段落はそのまま紹介することになるので,また長くなるが……〕。

   ★「安倍晋三元首相の政治資金をゴッソリ継承
         これが許される『世襲優遇』の仕組み
                 国会で問われた岸田首相は」★


 故安倍晋三元首相の妻・昭恵氏が,夫の政治団体「晋和会」を継承し,元首相の5政治団体から計約2億1000万円を集めていたことが分かった問題は,

 政党交付金の国庫返納もなく,無税で政治資金を「相続」した格好となり,国会でも「封建時代の領主」(枝野幸男立民前代表)と批判を浴びた。

 親族間の政治資金継承は一度,自民も旧民主も禁止とする改革案を出したが実現せずに,今回の夫婦継承問題に至った。このままでいいのか。

 ◆-1「全部で3.4億円」でも「相続税の課税は生じない」〔から〕
 
 〔2023年12月〕8日の衆院予算委で枝野幸男議員(同)は「なぜ亡くなった日に,私人であった配偶者が自民党の支部長になるんですか」と追及。これに対し岸田首相は「政治団体が代表を誰にするのか,資金をどうするのか,これは団体において判断する課題と考える」と述べて,問題視はしなかった。

 枝野氏は「自民党の政治って古いと思っていたが,いやいや江戸時代,封建時代。領主さまが亡くなったら身内が引き継ぐ。自民党の支部ってそういうもんなんですか」と批判した。

 ◆-2 継承した政治団体に,政党支部などから「寄付」

 億単位の政治資金の「夫婦継承」は,どのようにおこなわれたのか。同支部の政党交付金使途等報告書によると,昨〔2022〕年も700万円の交付金を受けていたが,前年の倍以上にあたる2131万円の人件費などを支出し,全額を使い切っていた。

 ◆-3「政治資金の私物化といえる」

 現行の政治資金規正法では政治資金は非課税扱いで,政治団体の代表者が議員から親族に交代しても相続税や贈与税はかからない。政治団体が別の政治団体に寄付のかたちで資金を移した場合も,税金はかからない。

 元国税調査官でフリーライターの大村大次郎氏は「相続税法は金銭的な価値があれば,すべて相続税の対象と定める。お金をかけて政治家の『地盤』をつくってきた政治団体にも本来,相続税はかかるはず。法律上認められても社会的には認めがたく,倫理的に問題がある」と指摘する。

 昭恵氏のような政治能力の未知数な親族が政治団体を引きつぐことについて「悪弊だが,法律の抜け道として政界で繰り返されてきた」と述べ,こう続ける。

 「これは自分の財産を政治団体として管理しているだけ。公的な団体にふさわしい監査やチェックが働いておらず,政治資金の『私物化』といえる

 ◆-4「脱税」批判に激しく反論していた晋三氏

 そもそも「晋和会」の「相続」は2度目。晋三氏が父親の晋太郎元外相が亡くなった1991年に継承したのが1度目だ。第1次安倍政権時代末期の2007年には『週刊現代』が,晋太郎氏が晋和会などに個人献金した6億円以上の資金をそのまま晋三氏が引き継いだことを問題視。すでに時効を迎えているとしたうえで,相続税が3億円に上るとし「脱税疑惑」と報じた。

 第2次安倍政権時代の2014年11月,参院予算委員会で社民党の吉田忠智党首(当時)がこの報道を取り上げると,晋三氏は「いまの質問は見逃すことはできない。重大な名誉毀損だ。週刊誌の記事だけで私を誹謗中傷するのは,議員として恥ずかしいことだ。これはまったくの捏造だ」と激しく反論した。

 ◆-5 継承規制の話はたびたびもち上がっても実現せず

(前略) 一方,自民党も同時期に党改革実行本部が党内ルールとして世襲制限案を示し,その素案には資金管理団体や政党支部など国会議員がかかわる政治団体の継承の禁止を明記した。だが,最終的には「世襲を特別扱いしない」と抽象的なかたちの提言に終わった


 ◆-6「本来は国庫に戻されるべき資金」

 当時を知る政治ジャーナリストの角谷浩一氏は「政権奪取後の民主党は公務員改革を優先し,政治家の身を正す改革は後まわしにされた。自民党も世襲が問題視される一方で,(2009年8月の総選挙で初当選する)小泉進次郎氏の人気が高く,及び腰だった」と話す。

 「いま批判を集めているパーティーによる政治資金集めについては今後,法改正がおこなわれるかもしれない」とする一方,こう強調する。

 「政治家は,政治団体を『抜け道』として利用して相続税や贈与税を免れてきた。一番の問題は,名義を変えるだけで,子どもに組織や資金を残せるというロンダリングの仕組みを政治家が残していることだ」

 日本大の岩井奉信名誉教授(政治学)は「中選挙区制時代から続く後援会型の個人地盤が,小選挙区制になってもそのまま続いている。政治家の都合のいい制度になっているのは間違いない」と政治団体がブラックボックス化する現行制度を批判する。

 「今回はとくに政党支部の資金が移されていることに違和感を覚える。本来は党本部に帰属し,国庫に戻されるべき資金で個人が相続できるものではない」

 ◆-7「世襲議員全体のあり方を見直すべき」

 政治家が引退したり,死亡したりしたさいの資産の継承について,岩井氏は早急なルール作りを求める。

 立憲民主党は,いま(当時)の臨時国会に,旧民主党と同様の政治資金規正法改正案を提出。岡田克也幹事長は会見で

 「何億もの金が政治団体に残されて,そのまま親族に代表者が代わって選挙に出るということになると,これはあまりにも一般の立候補者と比べてバランスがおかしい。しっかり法律で禁じる必要がある」

と理由を説明した。

 岩井氏はこう語る。「世襲議員だから悪いというわけではないが,スタート時に資金面で有利となるのは確か。まったくルールがないなかでは,新たな人材を生み出すという意味で政党自体の活力がなくなる。お金の問題だけではなく,世襲議員全体のあり方を見直すべき時期にきている

 ◆-8 デスクメモ

 政治家が亡くなったあと,その政治団体の残金はどう処理されるか。実は政治資金規正法にはなにも規定がない。当然予想される事態なのに,なぜ尻抜けを放置するのか。だが,岸田首相をはじめ世襲議員があふれる自民をみるに,その答えはすぐ浮かぶ。穴はわざとあけてあるのだろう。

(引用終わり)

 以上,だいぶ長い参照となったが,世襲政治体制の問題点を基本から理解させてくれる説明であったと思う。問題は,岸田文雄という現首相の資質そのものに関してとなれば,いまとなってだが,あらためて「重大な疑義がある事実」が観過できないことであった。

 この首相の言辞を聞いていたら,そもそも,いうことがころころと反転していく。さらには,いとも簡単に七転八倒する(?)がごときに変幻していく。そういった印象を強く受ける。

 世襲政治家として岸田文雄いわく,「国会議員になったのは首相の座についてから〈人事の采配〉をしたかったからだ」と。一国の最高指導者になれば内閣の人事をイジることは当然であって,彼の仕事のひとつになる。しかし,岸田自身において問題であった点は,「首相となった自分がしたいこと」に関した説明がそれ以上にはなかったことをもって,明らかであった。

 安倍晋三がぶち壊してきたこの日本国の惨状である。そのあとを引きついだ首相には重大な責務が背負わされた。だが,岸田文雄という首相の執務ぶりを観察しているとその自覚がなく,安倍と大同小異であった。

 もしかするとこの人,自分のあの息子〔翔太郎〕をいずれ外務大臣にしてから総理大臣まで,それも,またもしかすると「人事をイジるだけの首相」になるように育てたかったのかもしれない。冗談にもならない話だが……。

 ただし,そのときまでこの日本がまともに存在しているどうか……。とうとう,実にくだらない話題にまで漂着したところで,ようやく本日の記述を終わりにしたい。

 いずれにせよ,この国の政治に大変革が起こされねば,これからも「衰退途上国」へ進路を,さらに確実に直進していくほかあるまい。いまの岸田文雄流に「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の為政に「座礁したごとき無様な状態」は,これからも堅持(?)されていくのか?

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