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老醜政治屋と私大医学部経営者,その反社会性・非倫理性に関する話題

 ※-0 女性差別がはげしい日本社会の基本体質

 現在,日本政治のなかでも「醜悪で老害現象の最大の見本」だとみなせる「森 喜朗」(1937年7月14日生まれで86歳,明日には87歳)という「世襲3代目の政治屋」は,利権政治を得意とした「世襲3代目の政治屋」の化石的な存在であった。

 この人は,すでに現役からは離れているものの,自民党式になる4流国家統治体制の枠組が残る現状においては,現政権に対して自分が院政を敷ける一定の領域を把握しているつもりもあって,実際,舞台裏どころが表面からよくのぞける表玄関にも,ちょろちょろ徘徊しにくるクセがあった老人。

森 喜朗君の位置をみたい
「裏金問題」=森 喜朗
このようなパロディー画像も出まわっていたが
この種に属する人物も日本国首相の1人になっていた

そしてこの人が安倍晋三の師匠筋に当たっていたというのだから
当方の感想としては絶句するまえに悶絶死させられる思い

 本日のこの記述は,この本物であった老害老人の問題と並べて,実は2018年中からとなっていたが,日本教育界において騒がされた大学医学部:医科大学系における「入試での女性差別」問題とを,ごった煮的に料理するつもりでとりあげ,議論してみたい。

 世間の良識に逆らいつづける老醜政治屋と,聖マリアンナ医科大学という女性差別にこだわっていた高等教育機関,その私大医学部経営者,これらの人(政治屋)と組織(法人)に通底しているその反社会性・非倫理性の意味を,この記述をもって考えてみたい。

 現状までのような「自民党と公明党の闇汁的野合政権」が続くかぎり,この,すでに「経済2(3!)流・政治3(4?)流に転落した「衰退途上国日本」には「夢も希望ももてなくなっていた」。

 自民党の次期首相候補に石破 茂(67歳)がいいとか,いや,小泉進次郎だとかいった,半ばとぼける以前に完全にフザけているのではないかと受けとるほかない低次元の話題をもちだして,この国の未来に希望や期待を抱けといわれても,ただしらけるだけであった。

 いまの自民党政治の実情は,これまでの「▼カは死んでも治らない為政」しかやれなかった過去歴に照らしても,とっくにオワコン政権であった。だが,野党側が四分五裂である現況にあっては,また共産党がどうのこうのとわめく連合の▲ホ・女会長がいるかぎり,この現政権は引きずり降ろせないままでいる。

 また,少子高齢社会の現状がより深刻化しているこの国のなかで,今後において世間の仕事万端をになうべき人材を,幅広く積極的に育てるための教育社会のあり方じたいが,いまぐらつきつつも深刻化している。

 東大が授業料を10万円ほど値上げしたいなどといいだした。そのためにいろいろ根回しの最中だと聞くが,それ以前に,若者たちが「結婚したくてもできない,世帯をもった男女:夫婦が子どもを儲けられない,いわば,生命の再生産作業としてとりかかっても1人産むだけでも,たいそうしんどい日本の労働社会」であるのに,そのなかで,子どもたちの大学進学をさらに困難にする学費値上げを大学当局側にいわせる政府も,政府(⇒文部科学省)であった。

 「給付型奨学金」制度の拡充・整備をろくにする気もないこの国の,とくに高等教育機関の退潮傾向は,これから四半世紀あとになればより明確に現実化する事実としていえる話題となって,こういう指摘がなされている。

 「ノーベル賞受賞者たち自身」がこれからの話として心配し,発言した点であったが,今後,日本(人)からは受賞者が輩出しにくくなると憂慮していた。

 すでに子どもを1人ないし2人産んで育てている世帯・家庭の夫婦たちは,3人目の子どもまで作るなんてとてもじゃない,それも共働きの場合はとうてい不可能であるといった話になっている。

この100%比率の中身(各区分)は今後もドンドン
これら諸傾向を進展させるほかない

 もちろん3人以上の子どもを産んで育てている夫婦たちがいないわけではないが,現在ではごく少数派の比率にしかなっていない。上の図表はその事実がすでに着実に「いままで進行してきた事実」を説明している。

 ここで「冒頭としての説明」はここで,大学の問題のほうに横滑り的に移動する。最近,「糜爛・腐敗した大学組織は世間から抹消されるまで懲りないのか」とでも表現したらいいような,それも医学部・医科大学系統の分野において,2018年ころから東京医科大学がとくに話題になっていたが,女性学生の入試差別が注目され問題視されだした。


 日本の政治社会に固有でありつづけてきた通弊,「老人公害」(森 喜朗のごとき醜悪で露骨な女性差別)とともに,「聖」という文字を大学名に付した「ミッション系」の聖マリアンナ医科大学のほうにも共通した,「人間の半分を占める女性」に対する差別精神の醜悪さ・残酷さを,この記述全体ではとりあげ議論する

  要点・1 引きぎわをとんと分からない森 喜朗君の人間的な浅薄さ

  要点・2 世間からさんざん批判されてきても,女性差別の偏見的立場を軌道修正できないできた聖マリアンナ医科大学のグダグダさ


 ※-1「森氏『女性というには,あまりにもお年』 ベテラン秘書について発言」『朝日新聞』2021年3月27日朝刊38面「社会」

 この見出しの文句をみただけで「オイ,森 喜朗君,キミ,大丈夫か?」と感じた。というのは「森 喜朗君もなのだが,『男性というには,あまりにもお年』だった」という点:事実が,とても気になったからである。

 このベテランというにはあまりにも爛熟的に腐乱しきった,おまけに首相体験者でもあって,その「御年は 1937年7月14日生まれだから現在,満83(2024年ならば明日の7月14日で86)歳」であるこの人に向けてなのだが,前段のような〈声がけ〉をして,あえてしておく必要があった。

 この記事の内容はこう書かれていた。 

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会前会長の森 喜朗元首相は〔3月〕26日夜,東京都内で開かれた河村建夫元官房長官のパーティーで,「河村さんの部屋に大変なおばちゃんが1人おられる」と河村氏の事務所のベテラン女性秘書について話題にしたさい,「女性というには,あまりにもお年なんですが」と述べた。

 森氏は2月,「女性がたくさん入っている理事会の会議は,時間がかかる」などとした女性蔑視発言で組織委会長を辞任したばかり。

森 喜朗の女性に対する差別発言の実例
そういった喜朗は何歳なのか?

 またもや森 喜朗が放った,軽率で低劣きわまりない,それでいて意味がもうひとつよく汲みとれなかった発言については,つぎのように議論をしておきたい。

 森 喜朗は自分の老醜ぶりを棚上げしたまま,「不老長寿」どころか「明快にボケまくってきた後期高齢者」の立場から,しかも平然と「女性差別・発言」を放っていた。もはや救いようがないほどヒドイこの森の精神状態が,日本の社会に向けて大公開されていた。日本における政治屋として彼の「哀れな姿」は,当人にあってはまったく自覚されていない。

 森 喜朗のごとき人物が,このように自分の気分としては,軽く怪気炎を上げたつもりになって,「女性というには,あまりにもお年」な女性がいるなどと,当然のように発言したのであれば,これはとりあえず日本国内の全女性を敵にまわしたことになる。

 結局,この人の精神構造(その機能の健全な維持)について強い疑念を抱かれざるをえなかった。自分が〈世の中のなに〉かに対してて,どのような意味を発揮する言葉を吐いているのか,まるでよく分かっていない。その種の存在になりはててていたのが,この森 喜朗君であった。

 森 喜朗君は「男性というには,あまりにもお年」という具合に,「逆に自分について真なりの要領」で,指を差されていわれるという必然的な因果が理解できていなかった。

 だから,森 喜朗は老害政治屋だと批判されてきた。森は2014年1月14日から2021年2月12日まで東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めていたが,2021年2月3日にもたれた日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会会合のなかで森は,「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと差別的な発言をした。その結果,日本社会に対してだけでなく海外にまでその波紋を広げた。

 ところがこの人は,自分が記録したその発言,いいかえれば,女性に対して真っ向から差別の言葉を投げかけていた「事実」じたいを,まるで理解も自覚もできていなかった。というよりは,その点を把握するための知性そのものを,もとより完璧に欠落させていた。だから「▼カは死んでも治らない」と他者に思わせるに十分な事由を,みずから提供してもいた。

 森 喜朗は河村建夫(自民党)議員の「女性秘書に関し,河村氏よりも古くから議員会館で働いていると紹介」したうえで,「私が河村さんのところを通ると,その女性が外をみていて『森さん,ちょっといらっしゃい』と呼ばれて,ああだこうだといろいろご注意をいただいた」とも言及していた。

 註記)この段落のみは,『東京新聞』2021年3月26日 20時03分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/94020(共同配信記事)

 つまり森 喜朗は,自身が他者に向かってあれこれいうのは大好きなのだが,逆に自分(この人も相当に高齢だった)が,それもよりによって「高齢の国会議員女性秘書」からなにかいわれた事実を,どうやらだいぶ気に入らなかったと思われる。

 それにしても,他者にはたいそう身勝手な発言に聞こえる自分の発言だけは棚に上げておいて,自分から他人に発してきたその点(無礼さかげん)じたいに,まったく気づいていなかった。

 このような森の言動は「人間として最低限の常識と関連する感性」のもち方に関して,基本的に自身に疑問が投じられている事実にもまた,まったく気づいていなかった。

 ところでかつて,あの石原慎太郎が犯した放言のひとつに,こういう女性差別発言があった。

 『週刊女性』2001年11月6日号の記事,「独占激白 “石原慎太郎都知事吠える!” 」などの記事のなかで,石原慎太郎はこういう女性差別発言をしていた。

  “文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」” なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です” って。男は80,90歳でも生殖能力があるけれど,女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。

 そんな人間が,きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは,地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど,政治家としてはいえないわね(笑い)。

 まあ,半分は正鵠を射て,半分はブラックユーモアみたいなものだけど,そういう文明ってのは,惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。

石原慎太郎の暴言

 はたして「男は80,90歳でも生殖能力があるけれど,女は閉経してしまったら子供を生む能力はない」という石原慎太郎の持論は,人間の「生と性」の世界全体に関する正確な理解か? いま80歳の男性で射精の能力がある者は,同い年のうち何%いるか?

 石原慎太郎流に,傲慢・高慢の態度だけは天下一品であったその発言様式は,女性差別そのもの以外のなにものでもなかった。以上のリクツに即していえば,慎太郎もおそらく男としては生殖能力を失っていた年頃だったから,コイツも多分,ブラックユーモア的にあえて表現しなくとも「生きているってのは無駄で罪です」という結果とあいなる。

 天に唾する暴言を平気ではなった慎太郎であったが,その品性の悪さはメディア・マスコミに露出度の高い息子タレントにも,だいぶ色濃く継承されているようで,父親ゆずりというか直伝の「不快な言動」が多い。

 以前,本ブログのなかでとりあげたが,この息子の場合,とくに箸のもち方がスゴく芸術的にアクロバット風なのをみせつけられて,本当にうんざりさせられた。

 その画像をもう一度かかげておく。これは箸をもっているのではなく,ちいさな棒2本を握っている絵柄であった。この画像をはじめてみたとき,これは想像を絶した箸の,それも特別にひどくみっともないもち方だと感じた。慎太郎はこの息子の作法教育はしなかった。性的能力以前の話題……。

みっともないことこのうえない
「▼」以下のもち方


 ※-2 「ヒトは何歳までセックスできるのか? 漢方医学では『男64歳,女49歳限界説』も」『文春オンライン』2019/06/18,https://bunshun.jp/articles/-/12374?page=3 (source : 週刊文春 2012年7月12日号)は,こういう意見を紹介していた。

   ★ 生殖能力の周期は「男は8の倍数,女は7の倍数」? ★

 養命酒のコマーシャルに,「男は8の倍数,女は7の倍数」という言葉がある。これは2000年以上前に書かれた医学書『黄帝内経』にある,人間が先天的にもつ「腎気の周期」のことである。

 では,生殖能力の周期はどう変遷するのか,8の倍数の男からみてみよう。

  8歳……腎気が活発になり,髪がふさふさと伸び,永久歯が生える。
  16歳……腎気が成熟し,生殖能力が備わる。
  24歳……腎気が体のすみずみまで巡る。
  32歳……筋骨が逞しくなり,肌肉(きにく)が豊かになる。
  40歳……腎気が衰え始め,髪の毛が抜け,歯が揺れる。
  48歳……陽気が衰え,顔面に皺が寄り,髪の毛が白くなる。
  56歳……肝気が減り,筋肉が衰え,生殖能力が弱まり,体が老化してしまう。
  64歳……歯も髪の毛も抜け去る。

 腎気の周期をみれば,男は24歳が生殖活動の適齢期であることがわかる。自分が24歳だったころを思い出してみると,違いがわかるかもしれない。

 一方,女性の周期は,

  7歳……腎気が活発になり永久歯が生え始め,髪が伸びる。
  14歳……腎気が成熟したため月経が始まり,子供を孕む能力が備わる。
  21歳……腎気が体のすみずみまで行き渡る。
  28歳……髪の毛が豊かで,体がもっとも強壮な時期である。
  35歳……顔がやつれ始める。
  42歳……顔に皺がより,白髪が目立ち始める。
  49歳……血脈に血が少なくなり,月経が止まり,子供を生むことができなくなる。

 つまり,人間が先天的にもった生殖能力の限界は,男が64歳,女は49歳なのである。そして東洋医学は,人間の寿命を120歳と定めている。このように聞くと,「やっぱり2000年前の医学は,信憑性が薄いな」と思えるが,櫻井氏は「西洋医学も120歳まで生きられるとみています」という。「遺伝子プログラム説」のことだ。

 補注)以上の「CMの内容」は,つぎの養命酒の宣伝に書かれているものであった。

 以上のように,東洋医学が説明する「人間としての男女」の生理学的・医学的な相違性をめぐる「肉体の性的な機能」の盛衰ぶりについて,石原慎太郎のように独善的にうんぬんすることがいかに非科学的であり(という以前に非常識だが),いってみれば,ただに独りよがりで,手前勝手ないい草にしかなっていなかった点は,簡単に指摘・批判できる。

 高齢な男性であれば,バイアグラなどの勃起剤を使用しなくても性行為が可能である年齢がいつごろまであったかは,だいたい記憶しているはずである。もちろん,それは個人差が大きい。

 ところで,石原慎太郎が(1932年9月30日生まれ,たとえば,2000年では68歳であったが,この年齢だった時の彼が,はたしてまともに性行為をできていたかどうかはしらない)前述のような発言をしたとき,男性としての彼の性的能力の有無を問わず,いずれにせよ,生理学的・医学的な専門知識をまともに踏まえて発言していたのではない。

 各種各様の差別発言ならば意欲的に,たびたびしてきた石原慎太郎とはまた違った知的水準に留まっていた政治家の森 喜朗の場合,女性差別(蔑視・軽侮)の観点・感性は,石原にくらべるまでもなく,またそれなりに別個に〈悪性の症状〉をみせていた。

 

 ※-3「森氏は反省ゼロ! いまだキングメーカー誇示し地元誌で放言」『日刊ゲンダイ』2021/03/26 06:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/286990

 女性蔑視発言で東京五輪・パラリンピック組織委員会トップの座を〔当時の経過事情〕追われて1カ月あまり。森 喜朗前会長に反省の色はまったくない。

 地元・石川の北國新聞が発行する『月刊北國アクタス』(2021年4月号)で「私に対する批判は意図的なものもあった。オリンピックを中止させようという意図をもった勢力があおったんだね」などと,勘違い全開のいいたい放題だ。

 補注)その「記事の題名」は次段に出してあるが,「森 喜朗が語る『あのこと』 最終回 会長交代の舞台裏」であった。

 森氏の放言が7ページにわたって掲載されたのは,北國アクタスのインタビュー連載〈森 喜朗が語る「あのこと」〉の最終回。タイトルは〈会長交代の舞台裏〉だ。

 「官邸の人たちの意見」は「なぜ国会議員から擁護の声がいっさい出なかったのか,森さんの世話になった人はたくさんいるし,細田派の人だっている。なのに,なぜみんな口をつぐんだのか。結局,国会議員のスケール(器)が小さくなったということじゃないか」だと持論を展開した。

 補注)森 喜朗の口から直接,「結局,国会議員のスケール(器)が小さくなったということじゃないか」といったたぐいの持論を聞かされた第3者側としては,この噴飯モノだった森流の発言を聴かされたとなれば,あらためて呆れかえるほかない。

 「なぜみんな口をつぐんだのか」などと,森が重ねて苦言を呈したところなどは,あくまで彼自身にのみ特有な非常識,換言するに,世間側には普通に備わっている〈ごくふつうの理解〉の不在が,このさいさらに再確認できたと解釈しておくほかなかった。

 この人の頭のなかにおいては,なんといっても「自分中心に〔地球のことではなくて〕日本がまわっている」と確信できているゆえ,そのオメデタイ「サメの脳ミソ」的な観念の形成がその種の「天動」説を想念できていた。

 この森君は,2000年4月5日から2001年4月26日にかけて,日本国の「第85・86代 内閣総理大臣」の座に就いていた。しかし,その間に彼が披瀝できた「国会議員としての器の小ささ」といったら,実にミジメで貧相な姿そのものであった。

 世論調査では,歴代首相のなかで最低の「支持率8%,不支持率82%」といった,驚異的にまで不名誉な記録を達成していた。この結果は,世論調査の対象がどの政権であったときでも,引きあいに出される「史上最悪の支持率」になっている。

 「サメの脳みそ,ノミの心臓,オットセイの下半身(?)」のもち主だとまでヤユされた彼の知的水準をめぐる話題に触れるとしたら,それはもう目も当てられないほどに〈超低空飛行状態〉であった。

 しかも,この森君が安倍晋三君の師匠筋に当たる国会議員だったというのだから,その後の2010年代において日本政府が記録することになったガラクタの為政は,この国を決定的に損壊する仕儀にあいなっていた。

〔記事に戻る ↓ 〕
    ■ 援護しない岸田前政調会長に「宰相の器じゃない」■

 そして,自民党の旧森派である細田派の世耕弘成参院幹事長や高木毅元復興相,子飼いの馳 浩元文科相らから激励があったといいながら,「外では黙ってるもんな」と恨み節。なかでも,ケチョンケチョンだったのが岸田文雄前政調会長だ。

 補注)上記の諸人物のうち馳 浩は,森 喜朗の支援を受けて石川県知事になりあがっていたが,2024年1月1日の夕方に発生した能登半島地震に対する当該地域の首長として示した対応は,無能ぶり:モタモタぶり・後手ぶりをたくさん発揮させていた。

 そのために馳は地元では,「知事と呼ばれる」よりは「あのプロレスラー」と名指しされていたとのこと。

〔記事に戻る→〕「さっき飯島君がいってたけど,こういう時にこそ岸田君が森擁護論をいうべきだったと。そしたら『岸田も骨があるな』となったのに。実に惜しい,こんなチャンスはなかったと。これが岸田君の限界かなと思ったそうだ」

 「岸田君が,森さんがいなくてオリンピックをどうやってやるんだと。国際的な顔としても森さんしかいない,といえば『おっ,岸田も変わったな』と受け止められたと思うけどな。そこで勝負できなかった,というか,勝負かどうかも分からなかった。そのへんが,宰相の器じゃないといわれるところだろうなあ」

 補注)岸田文雄が〈宰相の器〉でない? 森 喜朗自身は実際に首相をやったことで,自身が〈宰相の器〉ではなかった明白な事実を,日本国内のみならず世界中に広めてしまい,日本とこの国の民の立場にとっても大恥をかかせるチョンボをしていたのだから,むしろ,こうした森による岸田批判こそが “まさしく天に唾する行為” であった。

〔記事に戻る→〕 内閣支持率1ケタ〔前段の補注中に触れたように8%のこと〕の元首相がいまだキングメーカー気取りで,政局勘がないとボロクソである。むしろ,岸田氏が森氏を擁護しようものなら,首相の目は完全についえただろう。

 〔森 喜朗は〕「気持をブチまけたのでしょうが,擁護されてしかるべきだと思っている方がおかしい。問題の本質をいまだに理解していないのも森さんらしい」(与党関係者)

【参考記事】 さて,ロシアのプーチンと少しばかりつきあいがあったからか,このように( ↓ )しったかぶりの発言をしていたが,現在も進行中である「プーチンによるウクライナ侵略戦争」がどういう結果になるか,まだ予断を許さない状況にある。

 ロシアのその侵略戦争は,2022年2月24日にはじめられていたが,このようにロシアを位置づけた森 喜朗なりの誤断については,いずれよりこまかに判明するかもしれない。

老境にあるも認知症などとは無縁でいられるこの御仁
「世襲3代目の政治屋」として自身が日本社会に振りまく弊害は
完全に認知不能であった

〔記事に戻る→〕 駐ロシア大使からの電話をその場で受けたり,総務省接待問題の流れで内閣広報官に就いた元組織委スポークスパーソンの小野日子氏から〈残念です〉などとつづられた手紙をもらったといって携帯で話しこんだり。いやはや,老害といわれたくなければおとなしく隠居すればいいものを,なぜそれができないのか。

 註記)以上,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/286990/3

 なんといっても「老害そのものになりはてていた」老人であり,それもすでに引退したはずの政治屋が,いまの時代における自分の生きざまじたいをどのように定座しておけばいいのか,どうしても見当がつかないでいる。

 高齢者になったヒトは誰でも,自分が〈老害:人間〉になる可能性と必然性を有している。誰でもその点を意識して十全に注意し,自分の人生を生きていかないことには,この「森 喜朗のような老人のごとき悪範疇」にくわえられる結末になる。

 われわれ全員(とくに男性)にとって,森 喜朗的な老害現象は他人ごとではない。

 

 ※-4「聖マリ医大,再び『不適合』」『朝日新聞』2021年3月27日朝刊37面「社会」

 ここでようやく,聖マリアンナ医科大学の話題に移れる段落になった。

 --医学部入試で女性や浪人生を差別的に扱っていたと指摘された聖マリアンナ医科大学について,大学の教育状況などをチェックする認証評価機関「大学基準協会」は〔3月〕26日,今年度の評価を再び「不適合」にしたと発表した。

 「本質的な問題を見直していない」として改善勧告を出した。再び不適合とした理由について協会は「属性による得点調整が事実上おこなわれていた点を大学として認めていない」とし,「定期的な検証システムの導入を含め,学生の受け入れを抜本的に改善する」よう求めた。(引用終わり)

 なお,大学基準協会とは「会員の自主的努力と相互的援助によってわが国における大学の質的向上をはかる」ことを目的に設立されていた。現在,この協会に加盟する「300校程度の正会員大学(評価済み)と200校程度の賛助会員大学(未評価)」が,大学基準をはじめ各種の基準を制定し,それらを適用して会員大学の認証評価(アクレディテーション)をおこなっており,その結果はすべて公表されている。

 補注)大学基準協会のホームページは,https://www.juaa.or.jp/ である。

 ちなみに,聖マリアンナ医科大学はその正会員の大学である。

 2002年の改正学校教育法からは,大学等の高等教育機関は文部科学大臣の認証を受けた評価機関(認証評価機関)により7年以内の周期で評価を受けることが義務づけられたという背景が,この大学基準協会を存在させる理由になってもいる。

 ごく簡潔に触れると,この協会の「沿革」はこうなっていた。

  1947年 新制大学の設立規準を制定する民間専門団体として国公私立大学46校が集まり結成された。
  1959年 財団法人となる。  
  1996年 会員大学の相互評価を開始する。  
  2004年 大学の認証評価機関となる。  
  2007年 短期大学,法科大学院の認証評価機関となる。  
  2008年 経営系専門職大学院の認証評価機関となる。

 本ブログ内の記述として,聖マリアンナ医科大学に触れた記述は,2020年10月中に書かれたものがあった。

 その記述は,聖マリアンナ医科大学が強く疑われている入試審査に関した女性差別の教育社会的な問題を,相当詳細に論及していた。また,大学基準協会はこの医科大学の「改善意欲の欠落ぶり」をとりあげ,強く警告していた。

 本ブログ筆者は,いまから4年前(2020年10月15日)に,聖マリアンナ医科大学「批判論」を記述したことがあった。ここでは直接紹介できないので,別稿をしたたてそちらで,更新版を記述することにしたい。

 ここではただ,つぎの点を指摘しておくだけとする。要は,この大学は「いっていること(大学理念)」と「やっていること(入試実態)」とでは「雲泥の差」を露呈させていた。

 ともかく,キリスト教ミッション系の大学として,以下のごとき「使命感」を公表していたが,本当ところ,これらの中身とはなんら関係をみいだせない「反理」の実態を入試政策面においてかかえていた。

 というよりは,その社会に向けて公表している自学の理念に,わざわざ真っ向から逆うかたちで,「入試における男女差別」をおこなってきた。

         ◆ 聖マリアンナ医科大学の使命 ◆

  「使命」⇒ 生命の尊厳にもとづき人類愛にあふれた医療人の養成
  「標語」⇒ Love for Others, Dignity of Life  
  「解説」⇒ 建学の精神においてかかげられているとおり,本学を語るうえで,「生命の尊厳」ならびに「人類愛」は欠かすことのできない重要なキーワードである。   

聖マリアンナ医科大学の使命というもの

 上のごとき聖マリアンナ医科大学の使命ならば,「生命の尊厳」および「人類愛」は,男に対しても女に対してもすべからく均等に与えたまえ,アーメン:Amen! という意味関連ならば,たやすく引き出せる。しかし,たやすくはないのが,その実践。    

 以上のように多少混ぜっ返し気味に記述してみた内容は,多分「冗談であったのか」という印象を与えかねない。その点でみれば,かなりタチが悪い「私立の医科大学」の使命感としてだが,暗示されもした本音になっていなかったわけではない。

 聖マリアンナ医科大学以外にも,似たような女性差別・多浪(年齢)差別をおこなってきた,それも国・公・私を問わない「大学医学部の問題があった」。

 ところで,聖マリアンナ医科大学以外の各大学医学部はしぶしぶであっても,ともかく「教育社会から向けられた批判の眼」を意識せざるをえず,前段のごとき入試にかかわる諸差別を撤廃する姿勢を,それなりに整備し応えてきた。

 だが,聖マリアンナ医科大学はどういうわけか,一番最後までぐずぐずいって,逆らいつづける態度を露骨にみせていた。この記述が当初なされた
時期の関係でいえば,

 2021年度入試においても,もしも聖マリアンナ医科大学が「いままでの慣行(間違った入試政策)」をあらためようとする気がない結果を再度残すことになったら,この大学は自学の社会的「使命」をそれなりに高唱していても,あいもかわらず旧態依然の私立大学だったと批難されても仕方なし。

コメントできるような判決ではなかった

 この記述で関連していた,「国公私立81大学における2021年度の医学部入試での女性の平均合格率は13.6%」となっていて,「男性の13.51%を上回り,データのある2013年度以降で初めて男女の合格率が逆転した」

 「入試差別をめぐる損害賠償請求訴訟では大学側に賠償を命じる〔前段のごとき〕判決も出ている。元受験生を支援する佐藤倫子弁護士は『合格率の逆転は医学部入試で「女性差別」が横行していたことの表れだ。二度と同じ問題が起きないよう,継続的なチェックが求められる』と話す」

 註記)「医学部入試の女性差別,文科省汚職きっかけで発覚…昨年度の合格率は男性を逆転」『読売新聞』2022年7月20日 23:26,https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20220720-OYT1T50269/

 最初に登場させた森 喜朗の女性差別「観」と医学部・医科大学の入試差別とは,女性差別の点は共通する基盤があった。双方ともに「撲滅の対象」であることはいうまでもない。

 医学部・医科大学の入試における女性差別はほぼ殲滅できた現状にあるものの,一方の森 喜朗的な「日本政治の実態」は,裏金問題に関して骨抜きの政治資金規正法の「改正(つまり改悪で自浄能力皆無)」しかなしえなかった自民党政権のもとでは,日本の政治全般はこれからもますます腐敗・堕落していく道しかない。

 日本の政治でいうと,すでに故人となった安倍晋三の存在は外してとなるが,日本の政治を「国政に対して院政的に最大の悪影響を与えているつもりであった森 喜朗」,そして「都政に最悪の知事として3選された小池百合子」という極悪コンビのソンビ性は,日本の政治からこの2名が芟除されないかぎり,この国のまつりごとは,いつまで経ってもまともな方向に舵はとれない。

 最後につぎのニュースを紹介してこの記述を終わりにしたい。

 以前は「国政の悪,安倍晋三」対「都政の魔,小池百合子」という対比ができたが,現在は「院政気取りの老醜,森 喜朗」対「ウソつきまくり魔,小池百合子」という対照が浮かぶ世相。

 いずれにしてもろくでもない政治屋,実質はチンピラ風の者たちしか,われわれには与えられていなかったという不運・不幸。

 だが,われわれこそが彼ら・彼女らを選んできたのであり,この日本の政治をわざわざ極悪にさせる選挙行動を,あえておこなってきた。そういった種類の自身の愚昧さはすなおに反省したうえで,「自分たちの側における政治責任」の重さをあらためて,より大切に発揮するための留意が必要である。

 あの程度の政治屋でしかなかったク▲同然の連中が,大きな顔をしてこの日本を,そしてあの東京都を牛耳っている光景は,これでいいわけがない。なんとするのか?

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