見出し画像

国家社会主義日本労働者党の「外国人排斥論」と元法務省入国管理局長坂中英徳の「移民1千万人」受けいれ論などに関連させて「昨今の少子高齢社会」の動向も考えながら平成天皇が発言した日韓古代史の話題まで議論する

 ※-0 人口統計がしぼんでいく21世紀の日本

 本記述は,2014年9月11日が初出された日付であった。ところがその後,早くも10年近くの時間が経過した現時点になった。日本における人口統計面の実情は,労働経済学的な視座から議論するさい,とくにというべきか「少子高齢社会」という現実の様相を基本に踏まえて観察しなければならず,以前から周知だったその論点とはいえ,ここに至ってより深刻な状況に対峙させられている。

 付記)冒頭の画像は,2017年9月に平成天皇夫婦が埼玉県日高市にある高麗神社を訪問したとき,これを案内した宮司の高麗文康も写っているものである。

 この記述は最初は10年ほど前に,標題にかかげてみた「国家社会主義日本労働者党の『外国人排斥論』と元法務省入国管理局長坂中英徳の『移民1千万人』受けいれ論」という問題設定で論じていたものであった。

 だが,現時点になると,この移民の問題を真剣に議論するとかしないとかいった次元では,もはや収まりきらない,つまり量的だけでなく質的な「日本の人口統計および労働経済のありよう」にまで,基本からその変質が生じてきた経過:現実を踏まえて考えねばならなくなっており,しかも,事態の本質は深刻さの度合をよりいっそう深めている,としか形容のしようがなくなっていた。

 隣国の韓国では,2023年の出生率が0.72となり,2025年には0.65まで低下すると,韓国統計庁は推測している。韓国内では2023年夏以降,報道番組が昼夜を問わず,ことあるごとに出生率低下を招く「韓国消滅」をネタにとりあげているという。

 ちなみに,日本の2022年の出生率は 1.26,2023年もさらに低下することは不可避であり,少子化が社会問題でありつづける現状に,なんら変わりはない。つぎの図表は数年古い内容だが,問題の本質的な動静が理解できて参考になるので,挙げておきたい。

【参考図表】-『日本経済新聞』の関連する記事から-

韓国の出生率は急激な減少をみせてきたが
日本も5年ないし10年さきはあやうい
この図表において出生率の前年比「減少率・差」は
日本も韓国もともによくない

なお2022年の台湾の出生率は 0.87
2021年の香港の出生率は 0.77


 

 ※-1「10人に1人が外国人の時代が来る」『Frontier Eyes Online』2023年9月2日, https://frontier-eyes.online/foreign_resident/ という記事

 この記事は前文をこう書いていた。

 日本に住む外国人はこの10年で104万人増加して307万人となった。政府が外国人労働者や外国人留学生受入れのための制度やプロセスの整備を進めたことが,外国人増加の主な要因だ。今後日本人の生産年齢人口の減少ペースが加速するなかで,外国人の増加は続くだろう。

 政府機関は,2067年に外国人比率が10%を超えるとの推計を出している。ただし低賃金で単純労働に従事する外国人労働者ばかりが増えつづけると経済成長に寄与しないばかりか,社会不安が拡大するリスクがある。

 どの国であっても外国人の受け入れは,どのようなかたちであれ,自国にとって都合のよい方向でしか実施したがらないものだが,このごろになるとその現実はそう簡単には問屋が卸させない実際を記録してきた。

【参考図表】 つぎの図表を参考にまで挙げておく。この記述における議論にかかわる人口統計の長期的な趨勢が図解されている。そういえば,日本は以前,人口が多すぎるといって移民政策を実施していた国であった。

 この図表をみながら思い出す記憶は,日本は明治時代から第2次大戦後までは労働力が過剰とされ,移民を送出する側の国家であった事実である。

この図表は時間軸を左右に思いっきり詰めて作図されている

 〔記事に戻る→〕 この「10人に1人が外国人の時代が来る」『Frontier Eyes Online』2023年9月2日の記事全文は紹介せず,まず,本文のなかの小見出しのみ引き出しておく。

  在留外国人307万人 10年で 1.5倍増

  欧米と比べまだ低い日本の外国人比率

  日本で暮らす外国人が増えている背景
   a) 整備が進む労働者の受入れ制度
   b) 留学生の増加
   c) 日本社会の国際化

  2067年に〔外国人の人口〕比率 10%超に

  外国人の受け入れ 人口減少のペースを緩和

  社会不安拡大のリスクも

  能力の高い外国人に選ばれる国へ

「10人に1人が外国人の時代が来る」『Frontier Eyes Online』
2023年9月2日,見出し

 見出しだけだと断わってみたが,もう一点だけ,最後の段落からはつぎの文言を引用しておく。現状の日本は,「言うは易く行うは難し」の場面が多い状況になりつつある。 

 外国人を労働力として受け入れるとはいえ,単純労働の担い手として低賃金で外国人労働者を受け入れることは経済成長に貢献しない。労働集約的な旧式のビジネスモデルは手つかずとなり,生産性の向上が起こらないからだ。

 求めるべき人材は,日本の企業文化に技術革新やイノベーションの刺激をもたらす高い能力を備えた外国人だ。

 ただしいま,人手不足なのは日本だけではない。アメリカも欧州もアジアの新興国も人手不足で,勤務地に柔軟性のある能力の高い人材の獲得競争はグローバルで激しい。

 そのなかで現在の日本は,能力の高い外国人から選ばれにくい国といわざるをえない。日本は経済成長がみこみにくい国とみられており,民間企業でも全般的に賃金や給与の水準は低く,能力の高い外国人であってもその能力にふさわしい報酬は支払われないとみられている。

 また日本語の壁もある。習得するのがむずかしい言語だが,使えるのは日本だけだ。このほか二重国籍が取れない,在留資格の取得・更新手続きが煩雑など,今後改善やサポートを検討すべきいくつかの項目がある。

 グローバルベースで優秀な人材が日本での勤務に魅力を感じるにはどうすればよいかを,官民挙げて考えるべきだろう。

「10人に1人が外国人の時代が来る」『Frontier Eyes Online』
2023年9月2日,末尾の段落

 このような外国人受け入れ政策に関して,「今後にむけて必要な対策」をあれこれ上げて議論しているうちにすでに,日本の若者たちのなかからは自国から外国に「出稼ぎ同然に」出ていく一群が存在していた。

 たとえば,「日本人の若者が海外に出稼ぎへ 増加の裏側にある労働問題」『NHK』2023年2月1日,https://www.nhk.or.jp/minplus/0020/topic055.html が,そうした日本の若者たちが海外に出ていき,自分なりに働き,日本よりずっとましな生活ができている実態を報告している。

 この『NHK』の記事も,その内容はくわしく紹介できないが,要旨はこう書かれている。やはり冒頭の「前文」からの引用となる。

 記録的な円安や長年上昇しない賃金の問題を背景に,日本を出て海外で働いてお金を稼ぐ「海外出稼ぎ」をする若者が増えています。

 いったい,彼らはどういう気持ちで日本を飛び出したのか。実際に彼らの声を聞いてみると,その理由はお金だけではありませんでした。年功序列や,性別による格差,長時間労働など,日本の労働環境そのものに対するあきらめや不満も見えてきました。

(クローズアップ現代「安いニッポンから海外出稼ぎへ」取材チーム)

日本人の若者が海外に出稼ぎ

 こういった国際次元における労働経済関係事情が生まれている反面,いまごろとなっては,日本は外国人が出稼ぎに好んで来てくれる国ではなくなった。しかもその真逆になってきた現状のなかで,日本政府はなお,2067年予想でいうと,全人口のうち「10人に1人が外国人の時代が来る」などと予測するが,いささかならず脳天気な感覚でしかない。

 この国はかつて,敗戦時(1945年8月)になるころには,たとえば大阪市における当時の人口構成は,その10分の1を越えた比率で朝鮮人たちが締めていた。ただし彼ら・彼女らは,いちおう日本〔国籍〕人であり,等しく旧帝国臣民であっても,実際のところは「二等臣民」あつかされてきた。

 いずれにせよ,実質的な話題としては80年近くも以前においてすでに,日本国内の特定の市が記録した人口統計だったとはいえ,本当は「外国人であった朝鮮人」がその1割を超えていたのである。

 いまでも日本の特定の地方都市では,たとえば埼玉県川口市が有名であるが,日本一外国人が多い街になっていた。同市は2023年1月1日時点で,外国〔国籍〕人が3万9553人を占め,同市の人口全体の約6.5%を占めていた(川口市公式ホームページ)。

  川口市によるとまた,市内の外国籍上位5カ国は上から中国・ベトナム・韓国・フィリピン・トルコという順位でならんでいる。もっとも,そのうちの韓国籍は古く(戦前・戦中)から在住している人びととその子孫がかなりの比率を占める。この人たち以外は多分,フィリピン⇒ベトナム⇒中国⇒トルコという順番で,市の人口をそれぞれに増やす存在になったものと思われる。

 なお,川口市における外国人人口統計として最新の,2024年1月1日現在における数値は,つぎの表のようである(2024年1月9日更新)。最新のその外国人人口統計は4万3128人で,この1年間に3575人増えた。2023年1月1日のその数値を基準に計算すると,ほぼ9%の伸び率になっている。

コロナ禍がひとまず小康状態になった2023年(令和5年)から
再び増加傾向になっている


 田中美蘭:韓国在住ライター「韓国『年間2万人が国籍放棄』の衝撃,若者が絶望する “ヘル朝鮮” の悲惨な現状」『DIAMOND online』2023. 5 .4 4:32,https://diamond.jp/articles/-/322330?page=4 は,

 日本も「結婚,出産,育児の根本的な環境を整え,若者が明るい未来を期待できる国にならないかぎり,少子化問題は解決しないのではないだろうか。もう何十年も前に少子化になると分かっていながら,中長期的な対策を怠っていた国の責任は重い」と結論していた。

 この結論を,可能ならば『序論に読みかえられる』ような,つまり「若者が明るい未来を期待できる国にな」れる国に変換させるための「関連する諸努力」が積極的に推進されないようでは,いままで日本政府が本気で取組んではこなかった経緯ともマイナス的に悪・相乗する方途に向かうばかりで,これからも情勢を転換させうる展望はもてない。

 2012年12月26日,自民党が政権を奪回し,安倍晋三の第2次政権が発足したけれども,その後から2023年の12月のいままで,この自民党政権はその腐敗しきった体質をきわめるばかりであって,アベノミクスはアホノミクス,ダメノミクス,ウソノミクスなどと蔑称されたように,なにやかや,菅 義偉から岸田文雄の政権にまで続いたかっこうで,実質10年以上にもわたりこの国の「政治・経済・社会など」の基本構造はガタガタにされ,ほとんど機能不全同然にまで破壊されつくしたといってもいい。

 日本の少子・高齢社会は現状としてその基本的な趨勢は,隣国が先行させて実現しつつある「同類の窮状」に酷似している。韓国の事情はけっしてよそごとではない。それどころか,韓国の背中のすぐうしろにくっついて歩いているようなこの日本になっている。出生率の未来予想に関して官庁関係が繰り出す予測値はいつも大甘であって,ほとんど信頼性を置けない。

 その根拠をとりあげ論じているのが,つぎの,経済学者八代尚宏(昭和女子大学特命教授)の議論・批判である。要は意図的にバイアス(偏り)のかかった予測しか,関係官庁の数値予測は打ち出してこなかったという,特定の問題があった。

 以上のように日本なりにかかえている少子高齢社会の基本的な問題性に触れたうえでつぎは,5年前に議論していたつぎの論題に移りたい。

 以下に論及していく中身は,冒頭の標題を再度ここにかかげて指示しておくことにしたい。こういう論題から始まっていた。

 『国家社会主義日本労働者という狂気の政治弱小集団の排外主義〈対〉
        元入国管理局長の1千万人移民受け入れ説』


 ※-2 外国人排外主義の立場と外国人移民政策提唱の対比

 1) 人種・民族差別主義者の時代錯誤-山田一成-

 本ブログ内ほかの記述中に紹介してあったが,「高市早苗ら『国家社会主義日本労働者党』員とツー・ショット」写真のなかに登場した「国家社会主義日本労働者党」という政治団体の代表者を名乗った山田一成という人物がいた。この山田は,本日のこの記述に関連して,つぎのようにわめきたてていた。

 それは,「国家社会主義日本労働者党」のホームページの「外国人犯罪糾弾」という項目のなかで,こう叫んでいたものである。

 われわれは,わが国において現代における攘夷,すなわち “民族浄化” を推進しなければならない。それは, “住み分け” の一形態に過ぎない。均質的な日本の社会を維持し,日本の単一民族国家化を維持・推進していくのである。

 本来人種,民族は分離されねばならぬものなのだ。なぜ “人種のサラダボール” アメリカが犯罪大国なのか,考てみよ。それは,多民族国家,人種の坩堝たるがゆえである。国民の生活を守るためにも,不良外国人には出ていってもらおうではないか。

 「すべての外国人が凶悪なわけではない」という者がいるが,逆にいえば「すべてての外国人が善良なわけではない」ということではないか。即ち,彼らを全面的に受け入れれば,必ず国民はなんらかの被害を被るわけだ。

 註記)http://www.nsjap.com/jp/nsjap/seimei/01.html (現在は削除状態ゆえ閲覧不可)

 補注)「国家社会主義日本労働者党」(ドイツ語 : Nationalsozialistische Japanische Arbeiterpartei, 英語 : National Socialist Japanese Workers' Party)は,ナチズム(国家社会主義・国民社会主義)をかかげる日本の政治団体。日本語名の略称は社労党で,ドイツ語名の略は NSJAP(エヌエスヨットアーペー)。

 前段の引用した山田一成のいいぶんは,支離滅裂というよりは,もはや病的な表現になっている。そこまでいうのであれば,海外に居る日本人は総員,日本に戻らねばならない。こういう説明不能であって,解釈も無理なド・ヘリクツを平然と吐ける人間が,しかも「ナチスのまねごと」的に,自慰的満足も同然に,このような痴呆にみまがう発言を放っていた。

 現在,人口減少という長期的趨勢を確実にたどりつつある日本は,非常にむずかしい人口対策を迫られている。だが,一方における極論が,この山田一成のような外国人排斥を平然と唱える差別主義者の立場としてあり,かつての在特会の在日差別活動などにも露骨に発揮されてきたとなれば,その人口対策すらままならなくなる一翼を,わざわざ構築していたことになる。

 ヨーロッパの〔以前は〕「西側諸国」といわれた国々,イギリスやフランス,ドイツ,スペイン,イタリア,デンマーク,スウェーデン,ノルウェーなどは,旧植民地関係の人びとの移住などで従来の人口構成が変化していき,外国人人口が2000年の10%台前後から,2020年代になるとなかには20%台まで近づいている国(スウェーデン)まであるほど,その比率は上がっている。アメリカについては「移民の国」として伝統や事情もあるゆえ,あえて触れないでおく。

 これらの国々では,元外国人たちも「国民・市民」を構成しながらいっしょに暮らしている。もちろん,問題がいろいろないわけではなく,各種の悩みも多く発生してきている。これもまた事実である。

 2) 1千万人の移民受け入れを訴えった主張-坂中英徳-

 他方においては日本も,『日本型移民国家への道』東信堂,2011年(増補版,2013年)を歩まねばならないと主張してきた,この本の著者:坂中英徳(元法務省入国管理局長)がいる。坂中は,こう論じている。 

 未曾有の人口減,特に農水産業等の絶対的後継者難-この絶望的局面打破のため全世界から移民の大規模受け入れを!

 単なる下位労働者獲得を排し,移民の経済的・社会的定着に不可欠な諸法規・諸組織の改革・整備を具体的に論考するとともに,将来わが国の多民族・多文化共同体化を視野に,「日本型移民国家」創成をめざす,移民問題を熟知した元東京入国管理局長による,積極的国家改革提言。

『日本型移民国家への道』2011年

 人種・民族差別主義者である山田一成は,いまどきに「国家社会主義ドイツ労働者党」のものまねをしていた。「国家社会主義日本労働者党」という輸入概念風の党名をかかげていた。だが,この第三帝国:ナチス・ヒトラーの政治看板でもって,21世紀の日本国に応用できるなにかをつかめるつもりでいたのか。まともな社会常識と政治感覚の持ち主であれば,ただちに疑心を抱くは当たりまえである。

 それに対して坂中英徳は,『日本型移民国家への道』のなかで,こういっていた。

 「国籍行政については,できるだけ多くの移民を早く国民にする基本方針にもとづき,移民1世の国籍取得にさいし二重国籍を容認するほか,移民2世が出生により国籍を取得できる道を開くなど,移民の日本国籍取得を歓迎する国籍政策を推進する」(同所,31頁)
   
 この要領でもって,国籍問題をとりあつかうのであれば,法務省が「平成25〔2013〕年末現在における中長期在留者数は169万3,224人,特別永住者数は37万3,221人で,これらを合わせた在留外国人数は206万6,445人となり,前年末に比べ,3万2,789人(1.6%)増加しました」註記)というもののうち

 戦前・戦中から日本に居住してきた植民地出身の韓国(朝鮮)人や台湾(中国)人の子孫,その2・3・4世〔以下の「特別永住」者〕などに対しては,いますぐにでも2重国籍を与えておくべきである。これも踏まえて坂中の議論は展開される必要があったはずである。

 註記)http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00040.html なお,この住所については逐次,広報が追加されていく形式になっているので,註記関係の資料として,すぐにはみつからないので,念のため。

 その措置は,過去に日本政府が意図的に回避してきた「戦後処理」(敗戦直後およびサンフランシスコ講和条約発効後における在日韓国人などに対する「懸案であった積み残しの諸問題」)を,いまごろにもなってようやく,まっとうに手当するための施策になりうるはずである。そして,日本国政府の国際政治感覚を,わずかでも正常化させるためにも役だつはずである。

 3) 国家社会主義日本労働者党を愛でたいかのような,高市早苗など国会議員の「軽率でなければ」「意図的な認知行為」

 ところが,21世紀の現段階にもなったところで,ナチスをまねて「国家社会主義日本労働者党」を自称する人物が登場していた。なお,同党のホームページが開設された年月日は,1999年6月12日となっていたが,それが記入されている表紙ページでは,なぜか元号は使っていなかった。

NSJAP ホームページ表紙

 しかし,元号の件は2024年2月6日(今日の時点)では再確認できなかったので,つぎの同党のホームページ表紙を上に紹介しておいた。本日,たまたまのぞいてみたこのホームページは,

 その画面の左下側には「岸田文雄政権の移民政策」に抗議する文書が掲示されている。そして,その右側にはその住所のリンク元が張られている。最新の記事なので,左側にその記事(抗議文書の画面)がこのように,最初に出ている構成になっていた。

 ともかく画像が鮮明ではないゆえ,この政府に抗議する文書の現物は,じかには紹介しないでおくが,拡大してみればなんとか読める文字の大きさにはなっている。

 この山田一成の「国家社会主義日本労働者党」は,インターネットでみるかぎり,少人数でのデモをアメリカ大使館にかけたりなどしており,いちおう活動はしているようである。だが,しょせんは「ごまめの歯ぎしり」的・泡沫的な政治的集団の動向でしかない。

 ところが,こういった,まったくとるに足りない矮小な政治団体:「国家社会主義日本労働者党」であっても,極右政権である安倍晋三内閣時の諸大臣や自民党議員のなかには,自分たちの政治信条の琴線に触れるものがあると感じていたらしい。

類は友を呼ぶ

 喜んでなのかどうかは分からぬが,その代表者山田一成に面会を許していた,高市早苗や稲田朋美や西田昌司などの国会議員がいた(これは2011年夏のことだったというから,自民党がまだ政権を奪回する前年)。

 「国家社会主義日本労働者党」のような極右勢力が微少な政治集団であっても,そのようにいまでは,総務省の大臣になった高市早苗のような国家議員に面会できたとなれば,自分たちの政治信条がそれなりに認知(認容)されたと勝手に思いこむことは,当然・必然の記憶となって翻案されうる。

 前段に「国家社会主義日本労働者党」の山田一成と「法務省入国管理局長」を務めた坂中英徳を登場させ,両者の提示する国民観を比較・対照してみた。ここでつぎに,いまから22年前に平成天皇が関連する発言をしていたある話題に言及してみたい。

 『2002 FIFA ワールドカップ』(2002 FIFA World Cup)は,2002年5月31日から6月30日にかけて,日本と韓国が共同で開催した第17回目のFIFAワールドカップである。このスポーツ行事に関連させてかたちで,日本国の天皇が発言をしていたのである。

 

 ※-3「天皇が結ぶ日韓の縁」『ニューズウィーク 日本版』2002年3月20日号

『ニューズウィーク 日本版』

 ◆-0 以下に長くなるが,この寄稿全文を紹介しつつ記述する。

 --大和朝廷の皇太子と結婚した高野新笠(たかのの・にいがさ)は,百済の武寧王の血を引いていた。だが第二夫人の彼女は,朝廷に渦巻く陰謀から必死に身を守らなければならなかった。

 夫の白壁王は770年に光仁天皇として即位。第一夫人とその息子は,朝廷に災いをもたしたとして幽閉された。代わりに世継ぎとなったのが新笠の息子で,781年に桓武天皇として即位した。

 桓武天皇には「韓国人」の血が流れていた。だが,国体護持にこだわってきた日本は,この話を何世紀にもわたってあいまいにしてきた。朝鮮半島から継承した文化的,歴史的,血縁的な「遺産」を直視してこなかった。

 補注) 2001年12月23日『朝日新聞』朝刊は,「天皇陛下,W杯で交流に期待」「韓国とのゆかり感じてます」「桓武天皇の生母,百済王の子孫と続日本紀に」などと述べたと報道していた。

 平成天皇は『桓武天皇』『桓武天皇の生母高野新笠』『百済武寧王』『続日本紀』など言及していたのである。 

 宮内庁の関係者は多分,固唾を呑んで見守ったものと想像できる。だが,天皇は充分に考慮のうえで発言していたと思われる。現状における日本の国情に置かれては「勇気ある発言」であった。

 それにしても日本国民としては,いきなり『続日本紀』がどうのこうのといわれても『鳩に豆鉄砲』であった。なんの歴史のことやらよく分からなかった。これが本音である。

 というのも,日本人自信に関心がなかったのではなく,戦前より万世一系の皇統を信じさせられてきた国民は,正直にいって,この科学の時代とは裏腹にいまもその域から一歩も出てないのである。

 1. 壬申の乱以前は九州王朝『倭国』が政権をとっていたこと。

 2. 九州王朝が『白村江の敗戦』を契機におよそ10年後に滅亡したこと。

 3. 新羅・唐に占領された日本を,新羅系の傀儡政権・奈良王朝がおよそ100年間,短命で不幸な政権を維持したこと。

  4. 早良崇道天皇が長岡京に10年という短命の王朝を作ったこと。

  5. 百濟からの逃亡者(いまでいう避難民)がその間に力をえて,京都に百濟系・桓武王朝を築いたこと。  

古代史の秘密

 以上のことに,まったくといっていいほど無知なのが「現在に生きている日本国民」である。隣の韓国民のほうが,意外と詳しいのかもしれない。  

 両国が共有する歴史を直視しなければ,日韓関係は改善しない。

 韓国側は,「健忘症」は日本の文化だと批判し,それが強制労働や従軍慰安婦といった植民地支配時代の残虐行為に日本が向きあうことができない一因だ,という。

 一方の日本は,韓国は過去にこだわりすぎると非難する。この両国がまもなくサッカーのワールドカップ(W杯)を共催するというのだから,皮肉としかいいようがない。

 ところが最近,意外な人物が両国の緊張を和らげようとした。日本の明仁天皇が昨年12月の68歳の誕生日に,「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています」という驚くべき発言をしたのだ。

 皇室が韓国とのゆかりを公に認めたことは明治以降なかった。だが,W杯を控えたこの時期に天皇が発言したことは偶然ではない。過激な右翼的言動や,たとえば『新しい歴史教科書』を編纂したような考えをもつ人たちに自制を促すための発言だった,と皇室事情に詳しい人物はいう。

 明仁天皇は,音楽,儒教,仏教という韓国が日本にもたらした3つの影響にも言及した。その背景には,日本の植民地支配で韓国が受けた苦々しい記憶を和らげようという意図が感じられる。

 「会見でのご発言は,天皇ご自身のお考えをきちんと述べたものだと思う。ご自身は,ソウルで行われるW杯の開会式へのご出席を望んでおられるのだと思う」と,皇室に近いある人物はいう。

 補注)「日韓友好の象徴である日韓W杯の記述が新教科書から削除,隣国との大事な記憶を消し対立心を煽るとは」という韓国の報道がなされていた事実は,日本側のネトウヨ的な発想の悪影響とはいえ,まことにお尻の穴の小ささをうかがわせる事象であった。

 註記)“ 日교과서 '2002년 한일 월드컵 공동개최' 삭제 ”〔「日本の教科書,2002年韓日ワールドカップ共同開催を削除」〕,기사입력(記者入力) 2014-04-04 20:48, 최종수정(最終修正) 2014-04-04 21:05。

 ところで,2014年4月4日検定をパスした日本小学校社会教科書のなかの一部が,そのように,韓日友好の象徴である2002年ワールドカップ共同開催の事実を削除していた。

日本側(?)が観たくなかった光景?

 アジアにおける歴史連帯のあり方についていえば,日本における教科書検定の結果に関しての話になるが,いままでの「ようやく〔アジア諸国に対する〕空間と時間の概念を覚える小学生」に,あえて対位させるかのように「隣国に対する対立と葛藤」をけしかける内容を教えるだけでは飽き足らず,わざわざ「友好と親善の大事な記憶」(前段のごとき天皇発言)を消してしまう仕打ちだと,批判されていた。

 註記)原文韓国語,「日本の教科書 “2002年韓日ワールドカップ 共同開催” 削除」『聯合ニュース』2014.04.04. 午後 8:48,更新 2014.04.04. 午後 9:05, https://n.news.naver.com/mnews/ranking/article/001/0006846216?ntype=RANKING&sid=111 参照。

 なかんずく,安倍晋三政権(当時)の反動教育体制が面目躍如していたわけである。

 平成天皇一家は,2013年12月18日にもたれた天皇誕生日を控えてなされた「天皇自身による記者会見の場」においてだけでなく,配偶者美智子・息子徳仁からも自分たちは日本国憲法を守るということを,機をみては盛んに公表していた。

 これに対する安倍晋三側の憲法「改正」をもくろむ立場は,そうした天皇一家側の意向とはまっこうから対立してきた。

 2002年日韓W杯の開催に先駆けて平成天皇が,高野新笠(たかのの・にいがさ)とこの息子の桓武天皇に触れる〈歴史の事実〉に,それもまた,天皇明仁が昨〔2001〕年12月の68歳の誕生日にさいして口にしたのは,この天皇なりに考えぬいている「皇室生き残り戦略」の一環としての努力(発言)なのであった。

 ところが,それから10年も経過したあとに政権に復帰した自民党,それも安倍晋三のもとで極右政権を組織しているこの自民党は,平成天皇の「結ぶ日韓の縁」などみたくも・聞きたくもないという姿勢で,教科書から抹消させていた。

 この現政府(当時の安倍晋三政権)の歴史感覚は,人種・民族差別主義者である山田一成を党首に仰ぐ「国家社会主義ドイツ労働者党」となにも変わるところがない。

〔『ニューズウィーク』記事に戻る ↓ 〕
 ◆-1  縄文人と渡来人が混合

 今回の天皇の発言は13年間〔2001年時点〕の在位中でもっとも心に響く,そしてもっとも政治的な発言だったと,専門家は考えている。日本を非難してきた韓国や中国にも波紋を呼んだ。天皇は謝罪するだけではなく,中国,とくに韓国からの歴史上の文化的影響を認めることで信頼をえようとしたのかもしれない。

 これは実に大きな変化だ。ある若い歴史学者は,天皇の発言に驚いたという。「この問題は日本で,雰囲気的にタブー視されてきた

 宮内庁は考古学者による天皇家の墓の発掘を拒否してきた。「私有財産」だからというのが理由だが,朝鮮半島とのつながりが明らかになるのを宮内庁が恐れているからだ,との見方もある。

 日本のメディアもこの問題には消極的だ。皇室ネタが好きなテレビのワイドショーは〔2001年〕12月の天皇発言をほぼ無視し,一般紙やニュース番組も大きくとりあげなかった。

 朝鮮半島から受けた影響について,日本で本格的な研究が始まったのは近年になってからだ。文化的な交流が進み,韓国とつながりがあるという考え方に抵抗感が薄れてきたことが大きい。

 約1700年前に朝鮮半島から日本に騎馬民族が渡ってきた,とみる専門家もいる。言語学者によると,皇室の祝詞は古代の新羅で使われていた言葉に似ている。新笠が生きた時代の畿内では,人口の約30%は百済を中心とした渡来人だった,ともみられている。

 上田正昭京都大学名誉教授によると,日本の歴史学の問題は,モノや技術の交流に重点がおかれ,人間を軽視したことだ,という。「天皇陛下の言葉で重要なのは,桓武天皇の生母という一人の女性に言及した点だ」と,上田はいう。

 「彼女はいったいどういう人物だったのか。彼女の祖先はなぜ日本に渡ってきたのか。歴史は人間によってつくられるものだから,高野新笠という人物を学ぶことで学問が面白くなる」

 日本建国の神話に出てくるのは,人間ではなく神ばかりだ。天照大神は,傍若無人な弟のスサノオノミコトを高天原から追放し,孫のニニギノミコトらに地上を支配させた。その子孫が初代天皇の神武天皇だ。天照大神は神道の最高神として崇拝され,ニニギが天から降りてきたとされる宮崎県高千穂峰には,いまも多くの観光客が訪れる。

 神話は日本を征服した渡来人の物語である。--こうした説が登場するようになったのは,第2次大戦後のことだ。江上波夫東京大学名誉教授が自著で日本人騎馬民族起源説を打ち出したのは1967年。約1700年前に朝鮮北部や旧満州から九州に渡来してきた騎馬民族が東に勢力を伸ばして大和朝廷を打ち立てた,という説だ。

 哲学者の梅原 猛もこのテーマに挑んでいる。ニニギ率いる天孫族がおそらく,朝鮮半島から九州南部に上陸し,高千穂にやって来たと梅原はみる。稲作技術をもつこの集団は,しだいに勢力を西都原(宮崎県)にまで広げた。

 1910年代に西都原で発掘された古墳からは,中国の船に似た埴輪や韓国でみつかった金銅製の馬具に似たものが出土した。「狩猟採集の土着の縄文人の文化圏に,稲作農業の技術をもって渡来した弥生人がやって来て,両者の混合が始まり日本民族が成立していったのではないか」と,梅原はいう。

 6~7世紀に大和朝廷が権力を握る過程でも,朝鮮から受けた影響は大きかった。京都大学の上田は,1965年の著書で高野新笠と桓武天皇の関係に触れ,東大寺の大仏建立に果たした百済系渡来人の功績を詳しく書いた。同僚からは左翼呼ばわりされ,右翼からは何度も嫌がらせを受けた。

 しかし,最近のさまざまな発見によって,朝鮮半島からの渡来人とその技術と文化が,日本に重大な影響を与えた,という上田の指摘が正しいことが判ってきた。

 660年ごろには,故国の混乱を逃れた百済人約10万人が大和地方に流れこみ,仏教や漢字をもたらした。この地方は8世紀末に京都に遷都されるまで,政治と文化の中心だったが,さまざまな出身の人々を受け入れる「コスモポリタン都市」でもあったようだ。

 補注)『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』(平安時代初期の815〔弘仁6〕年)にも,韓国・朝鮮系住民の記録が「高句麗系 3.5%,百済系 8.8%,新羅系 0.76%,任那系 0.76%」(計 13.62%)と記載されている。  
 この815年の時点ですでに,すっかりヤマト系になりきっていた「在日」は,当然,日本人(純ジャパ)を装っていたと思われる。その後において,人口じたいの増加もあったとはいえ,その「在日」系人口の減少分に関する分析に興味がもたれる。ということで,この815年の時点においては実際のところ,在日系のその比率はもっと高かったはずである。

 いまや21世紀における話である。在日も3・4世〔以下〕の時代である。いつまでも外国人あつかいするわけにもいくまい。

 「変な日本人(日本語の話せない日系人(?)的な日本人)」や「日本語しか話せない外国人(こちらは欧米:白人系の意味となりがち)」が多いこの時勢に,いつまでも,実態に合わない「在日の存在」に対して「整合性のない・変な分類をする」(→純粋であるかのような外国人としてあつかっている)のでは,かえって,本当の「日本人-外国人間の区別」がしにくくなる。
 
 ◆-2 人口の半分に朝鮮の血?

 この時代に編纂された万葉集には,朝鮮半島への旅を詠んだ歌が含まれているほか,渡来人が詠んだ歌もある。大和地方に残る古墳の外観にも,朝鮮文化の影響がみられる。

 たとえば,1972年に壁画が発見された高松塚古墳は,内部に大陸風の衣装をまとった男女が描かれている。墓の主は貴族ということしかわからないが,「おそらく朝鮮半島からの渡来人だろう」と,地元のガイドはいう。

 こうした事実は,日本人はみな同質で,人種的にも混じり気がないという「自画像」を真っ向から打ち砕く。とはいえ,そんな人種主義的イデオロギーが生まれたのは,17世紀になってからだ。専門家によると,初めて渡来人がやって来たのは紀元前300年ごろのことだ。日本人の3分の1から半分が,朝鮮人と血縁関係にあると指摘する学者もいる。 

 ほとんどの渡来人は,なんらかのかたちで日本への同化を強いられた。たとえば,主に東国(関東)に散在していた高句麗人は,716年に高句麗の王族,若光に率いられて現在の埼玉県南部に集団移住させられた。ここには若光を祭る神社が建てられ,いまも若光の直系の子孫が神主をしている。このように朝鮮人が建てた神社は,いまも日本全国に数多くある。

つぎの画像中で天皇夫婦を案内していた高麗文康
一番密に近い隣国同士の話題のひとつ

 鎖国政策をとっていた江戸時代にも,朝鮮人は受け入れられていた。徳川家康の時代に始まった朝鮮通信使は,全部で12回来日し,儒学や医学を日本に伝えた。

 ◆-3 W杯に行く皇族は誰?

 だが,すべての交流が円満な関係にもとづいていたわけではない。1592年からの豊臣秀吉による朝鮮侵攻では,朝鮮半島で暴挙のかぎりを尽くしたうえに,約5万人の朝鮮人を日本に連行した。

 この侵略は「焼き物戦争」とも呼ばれる。朝鮮の陶磁器を気に入った大名たちが,とくに陶工を日本に連れ帰ったからだ。薩摩焼の14代目沈 壽官の祖先も,そうした陶工の1人だ。彼の祖先は,薩摩藩の島津義弘によって1598年に日本に連れてこられた。

沈 壽官

 「われわれの歴史と私の人生での経験は,私を本当の『打たれ強い』人間にしてくれた」と,沈 壽官はいう。

 さらに1910年,日本は韓国を併合した。韓国人は日本名を名乗り,日本語を学ぶことを強制された。第2次大戦中には,徴兵によって失われた労働力を補うため,朝鮮半島から約250万人が強制連行され,炭鉱,農場,工場で奴隷のように働かされた。

 補注)この奴隷のように使役された人間たちの一群に「軍性的奴隷=従軍慰安婦」がいた。なお「朝鮮半島から約250万人が強制連行され」たというのは,正確な記述ではない。

 その人数は200万人に達するか否かという程度の数値であり(敗戦時の混乱にまぎれており,統計としては把握しきれていない),その全員が強制連行で日本に来たとはいえない。この強制連行という論点,つまり「強制性」の定義問題に関しては,いままで,各種の議論がなされてきている。

 現在,在日朝鮮・韓国人の多くは奴隷扱いこそされていないが,差別を受けている。強制連行された人たちとその子孫約60万人は,居住権はあっても参政権はなく,事実上無国籍の状態だ。
 
 なお,この「60万人」という数字は,その後だいぶ減少してきているが,この60万人という統計そのものは,敗戦後日本に居た朝鮮人の人口統計として挙げられてきた。

〔記事に戻る→〕 ある在日朝鮮人の大学教授は,「就職口がなく,冗談ではなく暴力団員か学者になるしかなかった」という。35歳の在日韓国人のウェブ・デザイナーも,よく「ニンニク臭い」とからかわれたという。母親は,趣味のサークルではいまだに日本名で通している。

 韓国の被害者意識は,今回のW杯開催にあたっても強力に働いている。表向きは共催だが,日本と韓国はたがいいに張りあっているかのようだ。それぞれ独自の組織委員会をもっているし,大会の正式名称でどちらの国名を先に出すかをめぐっても衝突した。

 韓国代表のオランダ人監督,フース・ヒディンクは,選手たちの日本に対する激しい対抗意識に困惑する。「フランスに4対0で負けても,前の週に日本は5対0で負けているからいいや,という調子だ」と,ヒディンクはいう。「そんな比較はばかげている」

 とはいえ,一緒に世界の舞台に立つとあって,日韓両国の政府はW杯開幕前に関係を改善しようと躍起だ。両国政府は〔2002年〕3月5日,専門家による「日韓歴史共同研究委員会」を発足させると発表。3月21日には,小泉純一郎首相が韓国を訪問し,ソウルで開かれるW杯開会式に皇室の誰が出席するかを決定する予定だ。

 いまのところ,宮内庁は天皇が出席する可能性について口を閉ざしている。しかし韓国外国語大学(ソウル)の洪 潤基(ホン・ユンギ)教授(日本文化史)は,天皇訪韓が実現すれば過去の傷は大きく癒やされるだろうと指摘する。

 ◆-4  日本人の歴史をしる好機

 日本の多くの専門家は,韓国人との血縁関係を公に認めた天皇の声明に,「なにも目新しいことはない」と素っ気ない。そして,朝鮮文化が日本に大きな影響を与えたことは周知の事実だという。

 本当にそうだろうか。京都にある高野新笠の墓の周辺住民は,新笠が朝鮮人だとはしらなかったと口をそろえる。竹林に包まれた新笠の墓は,散歩やハイキングには格好の小高い丘になっている。桓武天皇の母であることや彼女の名前が書かれた碑が立っている。しかし,彼女の経歴を語る物はにもない。

 「朝鮮人だなんてしらなかった」と,近所に30年近く住む主婦は驚く。彼女たち日本人にとって,これは高野新笠という女性の歴史をしるいい機会ではないだろうか。それは日本人自身の歴史をしることにもなるのだから。

 註記)以上,本文に相当する段落は『ニューズウィーク 日本版』2002年3月20日号より。http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20020320articles/ja_nih.html この住所は現在は削除されており参照できないが,本ブログでは,10年前に以上のように引用してあった。

 要するに,日本人としてしりたくないことは「しりたくない」ということらしい。このへんに「国家社会主義日本労働者党」を生成させるような「現在における日本人・日本民族の精神構造」の片鱗が観察できないわけではない。それほど奇異とはいえない現象だからである。

 もっとも,そこに日本人・日本民族に特有(?)の心の狭さ,余裕のなさが感じとれないわけではない。

 かつて,旧大日本帝国は朝鮮(大韓帝国)を植民地にし,統治・支配してきた。朝鮮人たちは「二等国民」に位置づけ,いわば劣等視していた。しかし,20世紀から21世紀のいままでの歴史の進行は,一時期「Japan as No.1」
であったはずのこの国が,社会経済的な諸要因として比較した数値面で徐々に立ち遅れたり,あるいは取り残されだした。

 いまでは「衰退途上国」の日本だと,日本人識者が認める時代になっている。GDPでは2023年に人口比だと3分の2であるドイツに抜かれ,日本は第4位に落ちた。盛者必衰とは時代とともに必然的にも起こる現象かもしれないのだから,そのときどきのそれぞれの国々の状態に一喜一憂することはない。

 また,日本と朝鮮・韓国の古くからの歴史関係は,切っても切れない深い因縁がある。これをみたくないからといってしらんふりしているのは勝手であるが,その歴史の事実を指摘されて不機嫌になるのは,まったく大人げない。

 また天皇家の人びとが高麗神社だけでなく,全国の有数の神社に目配りしつつ,機をみては訪問(参拝)に出向く行為は,あくまで自分たち天皇家のための利得を考えたそれである。

------------------------------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?