世襲政治家の弊害実例,漫画好きだが漢字がよく読めなかった麻生太郎,この首相の体験者がしたり顔で「子どもを産まなかったほうが問題」などといい放った
※-1 没落する現状の日本,つまり「退廃する政治,凋落する経済,衰弱する社会,虚飾の文化」のなかで,ますますのさばるだけの,とくに「世襲3代目の政治屋」たちが実在するゆえの害悪は,いったいどうやったら芟除(さんじょ)できるか
a)「私物化国家」の死物化
日本国の資産・金銭を壟断し,私物化する行為にしか関心のない「世襲政治家たちの死物化為政」は,21世紀におけるこの国家の未来を凋落させるだけの,ただ不吉にさせるために活動をおこなっていた。つまり,彼らは「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の個人利害を最優先させる政治を,政治家になってなすべきだと理解し,実行している。この流儀だけには忠実で熱心である。
2023年も終わりごろになって大きな問題として登場した自民党国会議員たちの「パー券裏金問題」は,国からの政党助成金や個人・組織から政治献金という政治資金とは性質を異ならせた「政治と金」の問題となって,いまごにもなって注目された。司直の手も入っているが,純粋に刑法上の犯罪行為として立件されるのかという論点については,事情にくわしい専門家は疑念を呈する者もいる。
とはいえ,その裏金問題が意味する基本の性格は,要言すれば,日本の政治が『賄賂一辺倒の政治資金:金銭管理』利用体制にあった事実を物語っている。「中抜き」という用語がある。国家の予算,われわれの血税で運営・支持されている諸制度・諸活動のなかに,まるで寄生虫のように人体にもぐりこんでは,国家の養分(国家の財産・予算)を「獅子身中の虫」である立場から食い荒らしている姿は,代表的にはその中抜きという用語でよく表現されうるものである。
本来の仕事にその予算を充当して給付するのではなく,下請け・孫請けのほうにその任務・業務を下してまわす手順を介して,そこから手数料・仲介料の形式を抜きとる(最近よく使われる表現だと「チューチューする」)といったごとき,その「中抜き」という「不労搾取の方法」(中間搾取)が,この国そのものの内実を,根幹から骨抜き的に弱化・衰退・瓦解させるほかない国家運営の事象・事態を必然的にもたらしている。また,その仕事の内容そのものの出来をも,完全に劣化・低質化させることは,不可避の随伴事項になっていた。
b)「日本は先進国だった」という話題
21世紀の現在になってみれば,「衰退途上国:日本」を認知・自称するほかないほどに落ちぼれ的たこの国であるから,G7(カナダ,フランス,ドイツ,イタリア,日本,英国,米国の7か国)の仲間に「わが日本」に留まるのは,恥ずかしい,もうふさわしくないのではないかという意見が聞こえるのは,まともな神経の持主であれば,ごく当たりまえに自覚せざるをえない「時代の流れ」だと受けとめている。
2010年代の初めであったが,安倍晋三は民主党政権(2009年8月30日~2012年12月)のことを「悪夢のような……」だとひどくけなしていたが,この晋三自身が首相となって2012年12月から2020年9月まで維持していた自民党政権こそが実際には,それ以降から本日までにも妥当する評価を下すと,「悪夢」どころか「悪魔そのもののような……」だと形容されて当然の,つまり,完全に「体たらくでデタラメ三昧」の「非民主主義」「反国民主義」(つまり『反日!?』そのもの)の為政をつづけてきた。
強権一辺倒の政治,専制志向の政治,死物化(死物化)の政治でありながら,対米従属路線をわずかでも軌道修正することもないまま,さらにアメリカ様には「忠犬ポチ」なり一生懸命に尻尾を振ってきたのが,安倍晋三政権であった。統一教会「2世」の山上徹也に射殺された安倍晋三であったが,陰謀説的な解説・解釈のなかには,この安倍がアメリカ側のなんらかの特定集団の手にかかったのではないかという推論(単なる推理ではないもの)があり,これをむげに完全否定することはできない。
アメリカ大統領第35代大統領ロバート・F・ケネディ大統領(1917年5月29日-1963年11月22日)が暗殺された事件については,そうしたアメリカの裏社会深部にまでかかわる薄暗い政治事情があった「事実」は,いまだによく解明できていない点だとはいえ,そうした隠密の特定勢力がなんらかにかかわっていた点が否定されていない。こちらの政治事情じたいをあばくことは,その試みをしようとする側がこんどは,自分の命を心配しなければならなくなる。
安倍晋三の暗殺の場合は,単に日本国内の事情だけでなく,とりわけアメリカ様の「意向・意思」,昔風にいえば旧・満洲国で大日本帝国が実質的に取り仕切るための政治手法としてつかっていた『内面指導』にも似て,もしかすると「ポチの置かれた立場・状況」によく従わなくなった安倍が,「もういいかげん,この男はダメだ,使いものにならない」と,先方様にみなされた結果として生起させられたものだという観察もできなくはない。
c)「美しい国」ではなく「醜い国」へ
なんといおうが,安倍晋三はこの日本というアベ自身のいっていたはずの「美しい国」を壊したのであった。「世襲3代目の政治屋」のもっとも典型的で,ダメダメばかりの晋三でもあったがゆえ,2010年代におけるその為政がこの国を衰退,没落へと拍車をかけてきた事実は「必然的ななりゆきだった」と,あとづけの解釈になるが,そのように確信してもなにもおかしいことはない。
【参考文献】-アマゾン通販を利用して紹介する,たくさん挙げるとウザいので,とりあえず3冊を出しておきたい-
アベノミクス? 浜 矩子にいわせれば,「バカをいえ,それはアホノミクスだ」ということであった。安倍晋三の経済政策は,この国家の行き先を折り返し不可能の隘路にまで追いこんで,しかもそのあげくに政権を放置し,逃げ出した。
昨今,日本の産業経済のなかで一部,観光立国だけは実現しそうにみえているものの,いいかえれば,この部門に関連する業種によっては,その経済効果が享受できているものの,一国全体の実相としては「単に安い円の国」になった「この国の不利性」が,その裏側にはべったり張りついていた。この種の現状も生まれていた事実から目を離すわけにはいかない。
2023年中にはコロナ禍以前の8割の水準まで訪日する外国人観光客のおかげで,インバウンド効果(その景気)がもちなおしてきたと世論ではいわれている。だが,それと日本の産業経済・企業経営「総体」とを直接に相関させて,より活かせるような「現状における政治と経済の体制」側からの「対応姿勢」の整備が,あいも変わらずまともにともなっていない。
一部の観光地ではすでに,オーバー・ツーリズムの弊害が問題化しているゆえ,そのインバウンドの増大を単純に喜んでばかりいられない現実も同時に進展している。
d)「格差社会の定着」
21世紀にはいってからのこの国の話題は,どうなっていたか?
「格差社会の定着ぶり」は,安倍晋三の為政が進むうちに確実になっていき,いまでは「先進国落ちしたも同然のこの日本」になっており,国民・市民・庶民たちの日常生活は,全般的な趨勢としては,いよいよ窮乏化を余儀なくされている。
そうした日本国内の諸相などそっちのけ,国民たちの実生活とは無縁の世界に生きているごとき,それもとくに「世襲3代目の政治屋」たちが最近はとくに,その弊害性を存分に発揮している。
もちろん,彼らが存在することじたいが日本の政治を形骸化,俗悪化,堕落させる基本要因になっており,先行してすでにこの国の脊柱深くまでむしばみ,これ以上ないほどてきめんに弱化させてきたことはいうまでもない。
【参考動画】-つぎの2本を紹介しておきたい-
本日の記述は当初,2019年2月上旬時点において執筆されていた。ところが,その後においても全然,回復する兆候さえつかめていない「この国の全面的な不調・不振ぶり」は,この2023年12月下旬になっても(その間実質5年近く経っているが)依然,改善・向上する方途を期待できそうにない状況のもとで,「今日(きょう)」的に改訂し,更新することになった。
ただし,その更新した改訂的な記述はもとから,以上において「批判的に言及してきた〈世襲3代目の政治屋〉の代表的な人物」の1人である麻生太郎もとりあげていた。この男,教養以前の素養すらおぼつかない「知的・理的に異様に奇怪な政治屋」であった。
e)「麻生太郎というボンクラ」世襲議員が大きな顔をして闊歩する日本政治は,それそこ高がしれていた
吉田 茂の孫だとか自分の妹が皇族に嫁いでいるとかが,おそらくたいそう自慢というか,特定の自意識をしっかりと包みこむ「甲冑」として役立っているものと推察されるが,この麻生君がふだん披露してくれるファッションは,実際に感じる側としては,「かっこうばかりは目立つが」「その内面から光るものが自然に伝わってきそうな雰囲気」は皆無であった。
しかも,この茂のマゴだという自慢しかとりえがない麻生太郎は,これまた自慢する「マンガ好き」の立場そのものが,この「世襲3代目の政治屋」のマンガ的なダメっぷりを自証する材料(証拠)になっていたのだから,周囲はただ呆れるばかりであった。
麻生太郎は大のマンガ好きだ宣言していた関係で以前,こういう点が話題になっていた。太郎は「漫画好きを宣言していた」のだが,まさか平仮名や片仮名だけで吹き出しのなかの文句:せりふが書かれているわけではあるまいに,どう聞いていても漢字がよく読めないらしい首相や副首相,財務相などを務めた「世襲3代目の政治屋」であった。
麻生太郎の発言は,「子どもを産まなかったほうが問題」だというものや,ドイツでかつて「ナチスが政権を奪取した方法を日本も学べばよい」といったたぐいを,そのたびにあの〈ヒットコ顔〉で,しかもイッパシの政治家として,いかにも含蓄ある語りのように発声してもいたから,そのたびに,世間からはその知的水準の高さにも疑問を提示されるかっこうで,ただちに批判を返されていた。
※-2 いまや完全に品位も品格もなくした「政治家業・屋」たちが跳梁跋扈する日本の政界,彼らの堕落・腐敗ぶりとみたら,この日本国の未来にとって “決定的に修復不可能な損害” となっている
とくに,その「世襲3代目の政治屋」の毒素がこの国の政治を腐らせてきた実状は,最近では「日本は衰退途上国になった」と形容されるほどに破壊的であった。安倍晋三の第2次政権以降,いまだに自民党と公明党が野合内閣を組んで政権を執りつづけているなかで,この日本の政治・経済・社会・文化は腐朽・退廃ぶりをよりいっそう深めている。
付記)以下の記述が2019年2月7日の復活・再掲となるが,本日(2023年12月25日)なりに追加の補筆もなされている。
1)「報酬減らし『家業』化防げ 河村たかしさん(名古屋市長)」『朝日新聞』2019年2月5日朝刊15面「オピニオン」欄「〈耕論〉地方議会,生きてますか 朝倉慧さん,小田理恵子さん,河村たかしさん」から
『CHUKYO TV NEWS』(2018/12/28 11:40)が,見出しを「河村たかし市長が市議会議員の報酬,再度引き下げ案提出へ 名古屋市」と題して,こう報道していた。
「河村たかし」に関する “アンサイクロペディアの記述” によれば,「結局のところ,河村の考えが正しいか否か,成功するか否かはトヨタの業績しだいであることはいうまでもなく,2010年代の名古屋はつねに不確実さと隣りあわせになりそうである」といったふうに解説されていたが,
そのアンサイクロペディアの該当項目は,2023年8月21日に改訂(?)されており,前段の説明に該当しているだろう段落は,つぎのように変わっていた。
結局,論旨不詳であるアンサイクロペディアのこの文章(解説)はよく判りえないまま,四の五のいおうとする前から “アンビリーバブル” な気分に追いこまれる。だが,河村たかしがいわんとしていた議員報酬(ここでは名古屋市議の問題であったが)の問題は,最近話題として騒がれている国会議員の次元における問題詮議と無関係ではなく,大いにつながりがあった。
国会議員のなかには年間5千万円近くもの給与と必要経費に充てられる活動費を充てられているけれども,陣笠的に居ても居なくてもなんら変わりがなく,つまり不要・無用の者たちが大勢いる。衆議院はその数をとりあえずは,3分の2にまで減らしたらよいのである。
とまれ,日本の政治家〔たち〕に関した一般論的な話題となれば,どこまでもまとわりつき,いつまで経っても払拭できない「この種ないしはある種の不特定である意味不明性」というものは,
名古屋市長「河村たかし」の存在など一気に吹き飛ばすかっこうで,故・安倍晋三や現・麻生太郎など「世襲3代目の政治屋」たちがたずさわってきた国政の次元においてこそ, “一番よく現象してきたなにか” があったはずである 。
※-3「安倍晋三という首相」が最近まで披露しつづけてきた言語学的な錯乱性・意味論的な混沌性
その「混沌性」の裏側には,この世襲政治家自身に固有である日本語力の決定的な欠落,たとえば「美しい国へ」というとき,これに対するまともな定義すらできないで,この言葉をただ汚く,使い回してきた「基本の発想基盤」(?)のデタラメさが浮遊していた。
この種の政治家においては「政治の中身」として実質的に語れるホンモノが,実は皆無でありつづけてきた。
また「首相および副首相の経験者であった麻生太郎」は,なぜ,ナチス・ドイツ流の政治手法を崇敬してやまない言動を絶やさないでいたのか。しかも,その口調の特性である「極度に高慢なものいい」も連発されてきた。
麻生太郎が,いまは故人だが「安倍晋三」との迷コンビをいままで堅固に維持できてきた事情を鑑みるに,いわば,この2人が「自民党極右・反動政治として代表格であるダーティ・ペアー」を組んで,どこまでもさんざんにこの日本の政治・経済を混乱させ疲弊させてきた「事実史」をふりかえってみるに,本当にウンザリさせられる。
現在に至ってみればきわめて明確の記録されたことになるが,安倍晋三の得意技としては,ギネスブック並みの「うそやウソと嘘」の三百代言的な行使となったその実績は,その現実に駆使(?)されてきた話法じたいに注目してみるに,もはや法則的な傾向(彼なりに表現されてよかったはずの一貫性)など,もともとなにもなかった。
したがって,彼はただひたすら21世紀のこれまでの日本政治過程史のなかで,よりりっぱな『バベルの塔』を再建するために「現場監督」の役目を果たしてきたことだけは,確かに衆目の一致しうる記録になりえた。
以下につづく記述は,2019年2月上旬時点において執筆されていた点を念頭において呼んでほしいものであった。
その後,安倍晋三が首相としての任期期間をこのままこなしていくとしたら,日本の憲政史上「その期間が最長となる」にせよ,これほどまで日本の政治・経済にとってムダな見通しはないことになる。
補注)この段落の指摘(予想どおり)の「いま:2023年12月25日の日本」になりはてた事実は,指摘するまでもない認識であった。日本側の識者みずから認めている「衰退途上国:日本」という現状の理解は,ある意味,安倍晋三あってこその現状の顛末であったというほかなく,この男の「世襲3代目の政治屋」としての「見事なまでの▲鹿っぷり」ときたら,目も当てられないほどひどかったことになる。
〔本文に戻る→〕 だが,その点「首相在任・最長記録」を安倍晋三が本当に達成できたときは,ほかでもなく,日本の政治・経済に対する「安倍晋三的な恥の上塗り工事」が,ごテイネイにも仕上げられる事態の到来を意味する。彼自身が〈現在までにおけるその進行状況〉を本気でウレシク感じているとしたら,「日本の国民・有権者の立場・利害」にとってみれば逆に,「最大の恥辱(侮辱)的な対象」となるのが「この安倍晋三とこの政権である」。
補注)この安倍晋三が日本の「首相」として残した「在任記録」,つまり「連続在職日数 2822日・通算在職日数 3188日」はいずれも,憲政史上における「歴代最長を記録」を達成できたとしても,「2023年12月の現状」におけるこの国のありようと付きあわせて相関的に観察し,評価できる安倍の「世襲3代目の政治屋」としての所業は,結局「大失政・極悪業」の連鎖ににしかなりえていなかった。
※-4「『子どもを産まなかったほうが問題』 麻生氏発言,批判受け撤回」『朝日新聞』2019年2月5日朝刊30面「社会」
麻生太郎副総理兼財務相(当時)は〔2019年2月〕3日,福岡県芦屋町であった国政報告会で,少子高齢化問題に絡み「年をとったやつが悪いみたいなことをいっている変なのがいっぱいいるが,それは間違い。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」と述べた。野党の批判を受け,麻生氏は4日,発言を撤回した。
立憲民主党会派の大串博志衆院議員が〔同上〕4日の予算委員会で,閣僚席の麻生氏に対し「不妊治療をし,つらい思いをしている人もいる。きわめて感度の低い,不適切な発言だ」と批判,発言の撤回と謝罪を求めた。
麻生氏は「高齢化より少子化の方が社会経済の活力や財政の持続可能性の脅威となるということを申し上げた」と釈明。「全体を聞けば趣旨を理解いただけると思うが,発言の一部だけが報道された。誤解を与えたとすれば撤回する」と述べた。
補注)この麻生太郎の頭のなかは完全に「要・加療」の対象であった。それも救命救急センターに運びこむ必要があるほど重篤であった。
麻生太郎のその弁解は,「全体でいっていること」が「部分でいっていること」だといったヘリクツであった。要するに,自分の話法(舌足らずのデタラメ説法,「全体 ≠ 部分」であるはずの点を踏まえないそれ)が,単につたなかった点をいいつくろっているに過ぎなかった。
正直にいえば,麻生太郎は「自分流」にしまりのない語り口しかできない御仁であった。だが,この「自分の発言のみじめさ:論理の混沌ぶり」を直視しようとしない〈高慢チキさ〉だけは,おおい隠せず,いつものように全面的に開陳していた。
麻生氏は2014年にも同様の発言をし,その後釈明していた。共産党の小池晃書記局長は〔2019年2月〕4日の記者会見で「麻生太郎さんの辞書には『反省』という言葉はないということに尽きる。誤解の余地はなく,少子化の責任を女性に押しつけている」と指摘。「財務相(当時)としての適格性を疑わざるをえない」と批判した。
高齢少子(部分的〔!〕には無子)社会が,いままさに進行中である。このままでいくとしたら,約半世紀先には(2065年で)日本の人口は9千万人を割りこむ。しかも高齢者人口の割合も急増していく。2065年では65歳以上の人口比率が38.4%(4割近く)になると予測されている。
ここでは2023年になって『日本経済新聞』が報道した記事を参照しておくが,本ブログ筆者なりに一言いわせてもらう。むろん,故・安倍晋三と麻生太郎という「世襲3代目の政治屋」のゾンビ・コンビに向けてである。
麻生太郎の発言は言語道断だというよりは,自身の無知蒙昧さかげんを告白していた。人口論を研究する専門家にいわせれば,前段のように吐かれた政治家の「独自の見解」は,検討に値するか否かという以前に,相手にする必要すらない。
ところが,その当人(当時)が副首相兼財務相を担当している与党政治家だとなれば,聞き捨てならない「きわめて高度にデタラメな発言」を放った点に関して,重大な責任問題が生じていた。
さんこうにまで,男女間で子どもが儲けられない理由を整理してみると,以下のようになる。
法律婚・事実婚を問わず,以上のごとき「子どもを儲ける・儲けない」点に関する諸事情は,不可避にまつわってくるものであった。この付近の話題に対して,国家側:与党政治家幹部などが「子どもを産まないのは問題だ」と断定したとなれば,この当該政治家たちの「頭の中の構造と機能」が疑われてもしかたない。問題の本質・焦点をまるで理解できていない発言であった。
補注)その論法でいったら,故・安倍晋三夫婦も問題だったという判定になるが,子どもを儲けるかどうかの問題は,夫婦間・男女間・カップル間の私的事情であるゆえ,国家側(与党政治家幹部)が容喙していい話題ではありえない。
※-4「麻生氏が発言撤回 『子産まぬ方が問題』批判相次ぐ」『日本経済新聞』2019年2月5日朝刊4面「政治」
麻生太郎副総理・財務相が少子高齢化問題に関し「子どもを産まない方が問題だ」と述べたことを受け,野党からは批判が相次いだ。麻生氏は〔2月〕4日の衆院予算委員会で発言を撤回した。麻生氏は2014年にも同様の発言をして批判を浴び,釈明した経緯がある。
麻生氏は〔2019年2月〕3日に支持者らを集め,地元・福岡県の芦屋町で国政報告会を開いた。問題の発言は全世代型社会保障の必要性を訴えるなかでの発言だった。自身が生まれたころと比べ平均寿命が30歳長くなったと指摘したうえで,「年寄りが悪いみたいなことをいう変なのがいっぱいいるけど,それは間違いだ。子どもを産まなかった方が問題なんだから」と述べた。
麻生氏は4日の衆院予算委で「発言の一部だけが報道された。子どもを産みやすく育てやすい環境をつくっていくことが重要だ。誤解を与えたとすれば撤回する」と述べた。
立憲民主党の辻元清美国会対策委員長は〔同上〕4日,国会内で記者団に「『麻生節』ではすまされない。人権感覚がまったくない」と批判した。同党の蓮舫氏は記者団に「論外だ。少子化対策の予算を動かす位置にある人ではない」と述べた。共産党の小池 晃書記局長は同日の記者会見で「少子化の責任を女性に押しつけている」と語った。
自民党の萩生田光一幹事長代行は4日の記者会見で「少し軽率な発言だったと思う」と述べた。「麻生氏流の演説のなかでの発言で,現場には一定の理解をした人もいると思う」とも語った。菅 義偉官房長官は記者会見で「コメントは控える。政府は少子化対策に向けてさまざまな施策を進めてきている」と述べた。(引用終わり)
その麻生太郎のいいぶんに対して「現場には一定の理解をした人もいると思う」とかばう自民党関係者-統一教会問題が明らかになったのちは『壺』議員として有名になったのがこの萩生田光一で,最近の話題「パー券裏金問題」でも注目されている1人-n発言に対しては,その「一定の理解」とはきっと,つぎのように皮肉られるべき内容だったと推察する。
すなわち,「少子高齢化は『子どもを産まなかった方が問題』(麻生太郎)。ますます馬鹿さに磨きがかかってるな・・・それとも,誰かさんへのあてつけか(爆)」(『くろねこの短語』2019年2月4日の表題)が,つぎのように混ぜっかえしながら,批判したとおりに解釈しておけばいい。
本ブログ内の記述としては繰り返しになるが,田中真紀子がかつて,安倍晋三夫婦のうち「 ♂ 」に対して「種なしカボチャ!」と罵倒(揶揄?)したことがあった。さて,この事実についても自民党関係者で,その「現場に」同席した(居あわせた)人たちにあって「は一定の理解をした人もいると思う」といって,真紀子の発言をかばうことができる,つまり,そのたぐいの「一定の理解」がありえたと受けとっていいのか?
安倍晋三夫婦の場合「子無し」であったが,女房のほうに懐妊できなかった医学上の原因があったかどうかについて,本ブログ筆者はしらない。他人が訊くべきその種の事情でもない。この点は,麻生太郎が「子どもを産まなかった方が問題だ」と,日本国の住民たちに向かい放言した事実じたいが問題になった経緯にまで,本質的に通じていくなにかが,確実にあった。
ともかく,夫婦・男女間において子どもを儲けるかどうかの問題というものに対しては,他人がなにやかや口出しする〔できる〕問題ではない。政治家がもしも「国民たちに向かって多いに子作りに励んでほしい」と希望したいのであれば,やるべき仕事・任務がほかにいくらでもある。
補注)現在進行中である「プーチンのロシア」では,つぎのようにこれまたトチ狂った政治情勢が発している。2023年12月下旬に登場したニュースであった。戦争事態にかかわるこのロシアの人口統計「観」は性質上,日本でもけっして大昔の話ではありえなかった。
「産めよ,殖やせよ」と国家が臣民に向かって督励した,つまり,子どもを作れる夫婦はしっかりセックスに励み,それも子作りのためのするのだ,などといわれたら,人によってはヘソを曲げてこのヘソの再生産作業を拒否し,純粋に性行為だけに励むのだ,文句あるか……ということになりかねない。
しかし,その人間の再生産作業にもっとも適して年齢層のとくに男性が,もっとも多く戦争に駆り出されるゆえ,「産めよ,殖やせよ」という国家の要求は,どだいから自己矛盾していた(ロシアの現在の話題もまた完全に自家撞着している)。
敗戦した日本が第1次ベビーブームとなる子作りを皆が始めだしたのは,いうまでもな1947年からであった。戦争などない平和に時代になってこそ,皆が安心して子作りのための性行為に安心で励めたわけである。
その意味では「ロシアのプーチン」は,あまりにも身勝手に独裁者風のものいいをしていた。「▲カは死ななきゃ治らない」というが,独裁者はクーデタでも起きて倒されないとその独裁を止めない。その事例は歴史上にいくらでも記録されてきた。
麻生太郎が放った発言が「相手あるいは対象をとり違えていた」と批判されるのは,当然も当然である。さらにそれ以前に,この国の世襲政治家たちにとってみれば,完全に「家業化(私物化,死物化)」してきた「利権的・縁故的な民主主義」の弊害も,まったく彼ら自身においては理解されていない。
そうした現状が日本の政治における「深刻な問題」として残されている。いうまでもなく,安倍晋三も麻生太郎とは同類(「同じ穴のムジナ」)であり,しかもその穴奥の中央に陣どってきた。それゆえ,いまの彼らは存在じたいが「日本にとっての最悪・最強(?)の有害物質」になった感もある。
麻生太郎が前回に,その「バカ発言をした」さいに,あるブログがこう書いていた。
最後に,安倍晋三君や麻生太郎君のことを遠慮なく馬鹿呼ばわりしていた田中真紀子の自由奔放なる発言を引用しておく。
「田中真紀子氏『相変わらずばか』 安倍政権を痛烈批判」『日刊スポーツ』2018年3月14日17時33分,https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201803140000539.html から。
いってみればそのせいで,いまの日本の政治・経済・社会・文化は低空飛行を余儀なくされつづけている。地面に接触して墜落・大破するのではないかと,毎日ハラハラさせられているのは,筆者1人だけであるまい。
最後についでに触れておくが,「麻生太郎財務相が『子どもを産まないのが問題』発言の一方で,『金がないなら結婚するな』! いったいどうしろ,と?」『リテラ』2019.02.04 09:30,https://lite-ra.com/2019/02/post-4528.html という記事も紹介しておきたい。
あえて混ぜっ返していうとしたら,安倍晋三君の場合は,裏金などたっぷり溜めこんでいたはずだから,子どもがほしかったらたくさん,1ダースぐらいでも作ろうと思えば,けっしてできなくはなかったはずだと,他人様の家庭内のことがらとはいえ,「忖度」気味に申しあげさせていただく。ただし,晋三君は故人なので生前にもいっておきたかったが……
また麻生太郎君の漢字力(異次元の?)については,つぎの2様の記事を紹介しておきたい。太郎君が擁護されている記事が挙げられていると勘違いはしてほしくないが……。
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