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自民党と公明党の野合政権のもとでの国家神道・靖國神社,とくに真榊奉納問題

 ※-1「前論」-最新の自民党的話題が発掘された-

 a) 安倍晋三の死後,国家神道界にくわえて統一教会にもいいように引きまわされてきた「自民党政権の真相」が,あたかも『パンドラの箱』を空けたかの様相をもって世間に露呈された。

 #靖国神社  #A級戦犯  #合祀  #英霊  #賊軍  #真榊  #国家神道  

 安倍晋三はとくに,統一教会との関係では祖父の時代以来,元締め的な存在として,日本の政治に害毒を振りまいてきた「過去史」を背負う「世襲3代目の政治屋」であった。いまとなって振り返れば,計りしれないほど損害・打撃を与えつづけてきた「彼の行跡」だけが,日本の社会になかにその残骸として放置され,その処分に困りはてているしだい。

 安倍晋三じこみになっていたその「負の成果」は結局,日本の政治を「それまでの2流」から「4流程度」まで貶めるのに,文句なしに多大な貢献をしてきた。ジャパンハンドラーズの1人,マイケル・グリーンは,日本の首相はバカにしかやらせないと不躾に豪語していたが,まことに示唆に富んだ(富すぎた?)名言であった。「米日服属関係」があってこその迷言である。

 虎死んで皮残すというが,シンゾウ死んでなにを残したかとみれば,この国を「先進国落ちさせ」,3流国みたいな実質国家体制にまで引きずりこんだという,みるも無残な顛末であった。経済大国の名残がほとんど残されていない現状は,ロストジェネレーションの世代がいまや50歳台に近づいた時代,否応なしにこの国の姿を表現する。

 b) さて,2023年3月になってだが,いまさらにように急浮上した,安倍晋三政権時代において「専制政治志向ゆえに発酵していた汚泥問題」に関して,総務省関連の内部記録が発掘された。「ひな祭り」の前日,3月2日から報道されるニュースになっていた。

 安倍晋三の第2次政権は発足して実質2年目の2014年になると,この政権がいろいろと専制政治体制を敷いていくために,それこそ調子に乗りまくって,この「世襲3代目の政治屋」がボンボンなりの才覚と実行力を発揮しつつ,それもきわめて恣意に走った強権の為政をはじめていた。

 そのなかで発生していた「事件のひとつ」が,いまごろ(2023年3月)にもなって,またもや新しく発覚した。

高木仁三郎問題報道

 ここでは『時事通信』の報道を紹介する。本ブログの筆者は当時,この出来事の関係で高市早苗(当時は総務省大臣)が調子に乗って発言していた様子を,まだ記憶している。

  ▲ 高市氏,放送法文書は「捏造」 事実なら議員辞職―参院予算委 ▲
『時事通信』2023年03月03日18時26分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2023030300620&g

 高市早苗経済安全保障担当相(衆院議員)は〔3月〕3日の参院予算委員会で,番組の政治的公平性などを定めた放送法の解釈をめぐり,安倍政権で首相官邸側から圧力がかかったことを示す総務省内部文書とされる資料について,「信ぴょう性に大いに疑問をもっている。まったく捏造(ねつぞう)文書だ」と述べた。高市氏は当時,総務相を務めていた。立憲民主党の小西洋之氏への答弁。

 立民・小西氏「放送法を私物化」 政治的公平性巡り,内部文書公表

 小西氏が「捏造でなければ閣僚,議員を辞職するということでよいか」と尋ねたのに対し,高市氏は「結構だ」と応じた。政治的公平性の解釈については,個別番組ではなく放送局の番組全体で判断するとされてきたが,2016年に総務省がひとつの番組でも判断しうるケースがあるとの解釈を補充した。
 文書は小西氏が2日の記者会見で公表。放送法の解釈に関し,安倍政権当時の礒崎陽輔首相補佐官と総務省とのやりとりが記され,高市氏も登場する。2015年2月には礒崎氏が「この件は俺と総理が2人で決める話」と圧力をかけたという。

『時事通信』2023年3月3日。

 

 ※-2 ここで本日の話題,本論がいきなり開始されることになる,以上に登場していた人物,高市早苗は靖国神社参拝問題でも,彼女なりに存在観を顕在させていた

 a) 本ブログは昨日(2023年3月4日)に吟味した課題として,「神道という日本の宗派に関した基本的な理解」をめぐってとなれば,靖國神社「参拝」とそこへの真榊「奉納」のあいだに「宗教信心としての真意」の違いがない事実をとりあげていた。

 ここではつぎの,「安倍首相 靖国神社に真榊奉納,高市氏は参拝 春季例大祭」『毎日新聞』2017年4月21日 10:47,最終更新 4/21 13:15, https://mainichi.jp/articles/20170421/k00/00e/010/249000c という報道を,関連する記事として挙げておく。

 その『毎日新聞』の記事は短いが,後半部分のみ書き出しておく。なお,安倍晋三は,第2次政権になってから靖国神社に参拝したのは2013年12月の1回だけであった。

 「高市氏は『総務大臣 高市早苗』名で記帳し,玉串料を私費で納めた」。そして安倍晋三「首相の真榊は『内閣総理大臣 安倍晋三』名で供えられた。私費で納めたとみられる。菅 義偉官房長官は〔2017年4月〕21日の記者会見で『私人としての行動なので,政府としての見解は控えたい』と述べた」。「首相は2012年末の政権復帰後,靖国神社を参拝したのは2013年12月の1回のみ」。

『毎日新聞』2017年4月21日。

 その「1回のみ」という点に関しては,アメリカ側から事前に「安倍晋三よ,わざわざ靖国は」「参拝にいくな!」と警告されていたからである。当時,アメリカの国務長官と国防長官がわざわざ2人そろって,それも事前に日本に来て,千鳥ヶ淵戦没者墓苑にいき花を手向けていた。

日本総督府の指導

 b) 以上のごとき日本総督府側の意向は,より正直にいうと,つぎのように解説できるはずである。

      ★ アメリカは両刀使いである事を知るべし ★
 田中良紹・ジャーナリスト『フーテン老人世直し録(55)』2014年1月19日 20:06,https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20140119-00031770

 安倍総理が昨〔2013〕年末に靖国神社を参拝したとき,フーテンははじめ「アメリカと事を構える気か」と思った。昨年10月にケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ,アメリカのアーリントン墓地に匹敵するのは靖国神社ではなく千鳥ヶ淵戦没者墓苑である事を行動で示していたからである。

 しかし,アメリカの足の裏をなめなければすべてがうまくいかなくなる安倍政権に「事を構える気」などあるはずがない。中国や韓国の反発に対抗するにはさらにアメリカへの従属度を強め,靖国参拝問題の拡大を収めてもらうしかない。保守化ではなく従属化がますます強まるだろうとフーテンはブログに書いた。

 案の定,年が明けると安倍総理の靖国参拝にアメリカの理解を求める議員の訪米が相次いだ。〔2014年1月〕8日から10日にかけて中曽根弘文,塩崎恭久,小坂憲次の各議員がワシントンでアーミテージ元国務副長官やラッセル国務次官補らと会談し,安倍総理が「不戦の誓い」のために参拝したとする総理談話を説明した。

 また13日から15日にかけて安倍総理の実弟である岸 信夫外務副大臣もシャボット下院アジア太平洋小委員長やバーンズ国務副長官と会談し,安倍総理の靖国参拝に理解を求めた。いずれの会談でも「安倍総理の靖国参拝はアメリカ側の理解をえられた」との報道がなされた。

 なにやら部下が上司の不始末を揉み手しながら「見逃してくれ」とお願いにいったような光景である。アメリカからは「説明は分かったが,その代りこれからはこちらの言う通りにしろ」といわれたようだ。

『フーテン老人世直し録(55)』2014年1月19日。

 この説明からも明白になっていたが,靖国神社へ参拝する行為にさいしてもとくに自民党の国会議員たちは,アメリカ様のご意向をうかがわねばならない場面があった。

 本日のこの記述が取りあげる問題は,その参拝問題をめぐる靖国神社のありように関して付随して生じていた「真榊奉納」の話題に注目を向け,詮議するところにあった。

 それでは,そのなにをどのように詮議するか?
 
 靖国神社の本殿にまで昇って参拝するのではなく,その代替の行為として「真榊を奉納して済ますというやり方」が採られている。けれども実は,この代替として採られたその行為じたいが,宗教的な意味:本義として評価するに,参拝の行為と実質的になんら相違はないのである。

 その程度の宗教的な含意は,靖国神社側の宮司たちは百も承知である。だから,報道機関側の無知にしか映らないニュースの字面をみるたびに,彼らはそのつどせせら笑っている。

 しかし,その程度の「秘儀」を神社側だけが共有できている点に立って,世間の側をまるで小バカにしたかのようでありながら,かつまた,いったいなんのために,この「かつての戦争督戦・勝利神社」が21世紀のこの世に実在できているかといったごとき「覚醒した意識」から無縁の場所に居られる靖国神社の状況は,まさに浮世離れした元国営神社の真相を浮き彫りにしている。

 c) ところが,その元来ありえない違いをもって,あたかも「顕著に質的な区別が宗教行為としてある」かのように振るまってきた自民党議員(たち)の無知=「神道に対する認識の欠如」こそが,実は,靖国神社に固有であった「敗戦後問題」のありかを教えていた。

 とくに,2022年7月8日に発生した「安倍晋三銃殺事件」以降,統一教会と自民党との腐れ縁は,日本社会のなかで広くしられる事実になってきたが。自民党と宗教団体との腐れ縁的に親密な政治的な関係は,この国の政治のあり方を前世紀的な地点に留めおく,いってみれば「現代政治における死垂」をいつまでも除去できない状態を,いまなお維持させている。

 昨日(2023年3月4日)にも掲出しておいた関連の資料のひとつであるが,「つぎの表をさきに挙げておく。これは安倍政権時において,当時の閣僚たちが神道系の諸団体とどのように関係をもっていたかを表わしている。本記述全体にとって前提になる情報・知識である。統一教会とのつながりはまだ表面化していない「時点での関連知識」となる。 

自民党議員と宗教団体

 ※-3 「〈ここがおかしい 小林 節が斬る!〉岸田首相が靖国神社に “真榊奉納” … 憲法原則である『政教分離』を理解していない」『日刊ゲンダイ』2022/10/20 06:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313103 

 この小林 節の寄稿は,昨日の記述でも利用したものであるが,前後する記述との文脈において再度引用しておくことにした。小林 節はかつて,自民党が改憲をめざすというので協力していた学究であったが,現在は,安倍晋三第2次政権(2012年12月26日)発足後は,この政権の無教養ぶりに呆れはててしまい,絶縁している。 

 --靖国神社が明治維新以来,第2次大戦に至るまで,国に殉じた者を祀る神社であることは,歴史的事実である。各国でそれぞれ国に殉じた者を追悼する方法は異なり,それを他国が批判することは要らぬ話である。

 しかし,敗戦の反省のもとに制定された日本国憲法の下で暮らす現代の私たちは,憲法が改正されないかぎり現憲法に従う義務がある。

 「政教分離」とは,要するに諸宗派のなかで特定のものを公権力が優遇 or 弾圧してはならない…… という憲法原則である。アメリカの憲政史のなかで磨きあげられて,1947年に日本にも導入された。

 それは,すべての宗教が「人格の向上と世界平和」を説きながら,結局,少数派の人権弾圧と戦争の原因になってきた歴史的事実を直視して,特定宗派と国家権力の癒着を禁止する……という結論に至ったものである。それが,思想・良心の自由,表現の自由ひいては民主政治を支えている。

 もちろん,国に殉じた先人に感謝して平和を誓うことは正しい。

 しかし,だからといって,そのために現に権力を預かる者が,「内閣総理大臣」という肩書を付けて特定宗派の儀式である「真榊奉納」をしてしまっては,特定の神社を「日本国公認」の殉難者追悼施設だと認めた証しになり,露骨な政教分離違反である。

 まして,その人物が首相でない時にはおこなわなかったその宗教儀礼を首相になった時にだけおこなうのでは,なおさらである。

 この点について,かつて,小泉純一郎首相(当時)が良いことをいった。「私にも信教の自由がある」。つまり,首相(公人)の地位にある者にも個人(私人)としての信教の自由が憲法で保障されている。

 だから,8月15日の終戦記念日や春秋の例大祭の折に,堂々と個人として参拝することで「追悼の誠」を捧げることはできるし,すべきだろう。

 そのさいに注意することは,ただひとつ。「内閣総理大臣」という「公人」としての肩書を記帳せずに,玉串料,真榊代を公費から支出しない,それだけのことである。

 こうして,たったひとつの節度を守れば憲法問題は解消するはずである。(引用終わり)

 この小林 節の,日本国憲法における「政教分離の原則」や「信教の自由」に関した憲法学者としての見解に対しては,ただちに異論を呈する余地がないように思える。
 
 だが,小林 節自身による「靖国神社そのものの本質,その歴史的な認識」には問題なしとしえない。その問題はすでに,昨日(2023年3月4日)の記述でも,ある程度議論してきた論点であった。

 以上,前提の記述を長々と書いてからとなったが,以下においては,その核心になるべき神道的,というよりは「靖国神社」的に特殊な宗教的問題を具体的に議論し,批判する。
 

 ※-4 安倍晋三による「靖国神社への真榊奉納」は,直接出向いて参拝する行為と同一であり,明治帝政以来の国家全体主義的な宗教行為である

 以下においてまずすべき議論は,「靖国神社参拝行為」も「真榊(まさかき)奉納」も,国家神道の靖国神社に対する「宗教的な行為」としては,本来,同一の性質をもっている点について,である。
 
 またこの※-3では,文面上,安倍晋三という元首相の氏名を引きあいに出した議論になっているけれども,現在の首相は岸田文雄である。ただしこの氏名の違いは,この記述の趣旨からみなんら支障=違いはなく,まったく同一とみなしていい。

 さて,安倍晋三が首相であった時も,そして現在の岸田文雄に首相に交替してからとなったが,「靖国神社にいって〈真榊奉納をする行為〉」を披露した。

 だが,靖国神社側の立場にとってみれば,〈真榊奉納の行為〉という行為は「参拝する行為」と本質的に完全に同じであり,この宗教に則した真意を十分に発揮しえている。

 ここでいったん, 昨日(2023年2月4日)におこなった記述と,本日のこの記述の全体にかぶさる要点を,さきに指示しておきたい。

  要点:1 靖国神社元幹部が薄笑いしながらでも,安倍晋三による真榊奉納は,この神社への正式参拝の代替行為に当たるんだよと,そのように告白していたのが宮澤佳廣『靖国神社が消える日』2017年8月。
 
 この本は,本ブログの筆者のことに言及していた(⇒ 99頁)。

  要点:2 国民・市民をなんとなく,騙していても,平然としていられる靖国神社の基本姿勢。

  要点:3 真榊が依代(よりしろ)として有する神道的な意味。

  要点:4 ところで,靖国神社本殿に祀られている「祭神」は二柱ある。その246万6千余柱からなる「一般戦没者の一座」と,さらに北白川宮能久と白川宮永久のための「皇族の一座」とからなっている。

 したがって,靖国神社側が与えている説明,幕末から大東亜戦争などの国難(?)にさいして,ひたすら「国安かれ」の一念のもと,国を守るために尊い生命を捧げられたその246万6千余柱の方々の神霊が「身分や勲功,男女の別なく」,すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされていると説明するのは, “完全なる虚偽” である。

  なかんずく,一方(臣民)は十把一絡げであるが,他方(皇族)は1柱(2柱だが一座の枠組にこだわりあえてそう表現しておく)そのものである。この差別的な取扱いは,明治以来の日本史のなかでは「常識的な理解」に属する基本知識である。この事実を正面に出して触れない点は,靖国神社の本性(=小賢しい狡猾さ)を如実に表現している。 
 

 ※-5 「真榊」に関する入門的な解説あれこれ

 以下の各解説項目は,https://kotobank.jp/word/依代-146522 から引用してみた。 

 「真榊奉納」という神社における宗教行為は,本殿参拝にそのまま通じている。あるいはまた,そこへの参拝の行為そのものを代替させるための「宗教的な捧げもの」(媒体:よりしろ)を意味する。

 真榊が,その宗教的な機能を発揮する道具:装置として活かされていることを意味する。したがって,この依代(よりしろ)の意味をよくしっておく必要がある。 

 a) 『ブリタニカ国際大百科事典』小項目事典の解説
 依代(よりしろ)とは,祭りにあたって神霊が依りつくもの,また神霊が意志を伝えるため人間界に現われるときに依りつくものをいう。樹木,石,幟,柱,御幣,人間,動物などが依代となるが,人間の場合には尸童(よりまし) という。

 古く,神が神聖な自然の森や樹木に降りて来る信仰があって,その聖域が神社や広場に移動した結果,樹木やその一部を祭場に立てる形式を生じた。神輿(みこし)とか山車(だし) のもとのかたちは,こうした神の依りついた樹や枝を輿に乗せて神が巡幸することを意味したが,しだいに装飾化して現在は神輿の屋根に名残りをとどめている。

 b) 『百科事典マイペディア』の解説
 依代とは,神のよりつく物をいう。神霊が降臨して,その意志を伝えるためには憑依(ひょうい)体を必要とするとの信仰にもとづく。山,岩石,樹木,御幣,動物,人間などが充てられる。

 c) 『世界大百科事典 第2版』の解説
 依代とは,神霊のよりつくもの。神霊の出現を示す媒体となるもの。樹木,石,御幣などが依代となることが多い。人間が依代となったときには “よりまし” (尸童,依坐)と呼ばれる。依代のあることによって “神霊の出現” がしられることから,依代となる樹木や石などを神聖視し,これを祭りや信仰の対象とするようにもなる。

 依代とされる木ではサカキ(榊)が多くみられ,大津市坂本の日吉大社の4月3日の大榊神事では,幹の直径10cmもあるサカキの木を葉のついたまま,依代として用いている。

 補注)この解説にははっきりと「真榊奉納」に関する記述が出ている。榊そのものが「祭りや信仰の対象とするようにもなる」のであれば,靖国神社の本殿じたいに参拝はしなくとも,この「真榊奉納」という宗教的な行為が,それにまるごと代替しうるかあるいは相当する意味をもつ。すなわち,「真榊奉納」は靖国参拝と同等の意味を,神道宗教的にもち,発揮している。

 神道史の足跡にに忠実にしたがい解釈するとしたら,このように「真榊奉納」の意義を受けとることも可能である。もちろん,靖国神社は,真榊の意味を,自社が「戦争督戦神社」であり,「ここに合祀されている英霊」に対して,信仰者からの意志を伝導するための小道具に位置づけている。

 d) 『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説
 依代とは,神霊のよりつく代物。尸童(よりまし)が人間であるのに対して,依代は物体をさす。それには神聖な標識として,樹木や自然石,あるいは幣串(へいぐし)など種類は多い。

 「依り」は神霊の憑依(ひょうい)を意味し,代は物のことであるから,何物によらず神霊が  “よりつく”  ことで神聖化されて祭りの対象になる。神社に祭る神体は霊代(たましろ)と称し,また神符守札の類などもすべて神の依代とみなされるが,古代では神木が神の依代として信仰された。

 手にとりもつ依代には榊(さかき)が用いられたのも,神木(ひもろぎ)の伝統であるからで,『古今集』の採物(とりもの)の歌に「神垣の御室の山の榊葉は神のみ前に茂りあひにけり」とある。

 e) 元来,古社にはそれぞれ神木として崇信する樹木があって,

  ▲-1 石上(いそのかみ),稲荷(いなり),三輪(みわ)では,杉を神杉(かんすぎ)とよび,竜田では楓(かえで)を風神の霊木とし,

  ▲-2 伊勢(いせ),熱田(あつた),日吉(ひえ),住吉(すみよし),天神(てんじん)などは松,

  ▲-3 熊野(くまの)は梛(なぎ)である。

 また新しくは,

  ▲-4 橿原(かしはら)神宮の橿(かし)あり,これを「いづかし」(厳橿)とよぶのも,古代の「ひもろぎ」を伝えたもので,『日本書紀』垂仁(すいにん)朝の条に,宮中から奉遷した天照大神(あまてらすおおみかみ)を,皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が磯城(しき)の厳橿の本(もと)に祀(まつ)るとある。

 要するに,こうした解説にしたがえば,靖国神社は神木として榊を選んで,これを「真榊奉納」の依代に使用している。神道の仕組としては,神殿に対して人が拝殿から拝むかたちになる。だが,拝殿のみで神殿(本殿)がない神社もある。

  ▲-5 たとえば,大和朝廷発祥の地にある大神(おおみわ)神社,背後にそびえる三輪山(みわやま)を神体として参拝の対象にさせており,神殿が存在していない。
  註記)この段落 ▲-5 のみは,武光 誠『知識ゼロからの神道入門』幻冬舎,2006年,52頁。

 f) 『世界大百科事典』内の依代の言及-「いけばな」より
    イ) 「生け花」より。 花道と総称されたこともあったが,現在では〈いけばな〉の呼称が一般化され,国際的にもイケバナで通用している。次段ではとくに「いけばな成立以前」について,説明しておく。

 「生け花以前」 植物としての花の生命力に神の存在をみようとする素朴なアニミズムを基盤として,民俗学の資料などにみる依代(よりしろ)としての花が,まず日本人と植物とのあいだに成立する。常緑のサカキ(榊)や後世のマツ(松)の依代,また春の山入り行事に手折られた花木などはその例証といえる。

    ロ) 「採物」より。 『神楽などで舞人が手にして舞う神聖な物。本来は神の降臨する依代(よりしろ)とされ,それを採って舞うことは清めの意味があり,同時に舞人が神懸りする手だてともなる。

 天の岩戸における天鈿女(あめのうずめ)命の神懸りも,笹葉を手草(たぐさ)に結ったとか(『古事記』),茅(ち)を巻いた矛を手に俳優(わざおぎ)した(『日本書紀』)とあり,採物を用いていたことがしられるが,採物の名称は平安時代の御神楽(みかぐら)歌にみえるのが早い。…

    ハ) 「柱」より。 日本の旧家屋は田の字型に配列された4部屋を基本単位とするといわれるが,その接しあう中心の柱を〈大黒柱〉や〈中(なか)柱〉などと呼び,神がいるとされた。 

 また,伊勢神宮正殿の床下中央にある心御柱は建築構造上の意味をもたぬ柱だが,神の依代(よりしろ)であり,神宮の聖なる中心と考えられている。このように中心を象徴し,神の依代となる柱の原形は,建築そのものとは無関係な,神事のさいに祭場のしるしとして屋外に立てられた木や柱にある。
 註記)以上,本論部分は,https://kotobank.jp/word/依代-146522 参照。

 g) 「憑代(よりしろ)とは何か」『たかちほのブログ』(2015-02-06 15:49:37)
 依り代,依代,憑り代,憑代(よりしろ)とは,神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで,神体などを指すほか,神域を指すこともある。 日本の古神道の由来の民間信仰・神道の根底には,あらゆる物に神・精霊や魂などのマナ(外来魂)が宿ると考える自然崇拝があった。その意味では,依り代とは,森羅万象がなりうるものである。

 一般的に,マナは太陽,山河,森林,海などから来て物,とくに石や木につくとされ,そのような物を祀る磐座(いわくら)信仰や神籬(ひもろぎ)信仰が始まっていった。そのようにして祀られる巨石・岩や高木には,現在も注連縄が飾られる。

 また,日本の神として古事記や日本書紀にある人格神(人のかたちや人として捉えられる神)にも,根底に同じ考え方があり,所縁のある物や象徴する物(中が空洞の物体が多い)に依り憑いて具象化する(太陽神を象徴する鏡,髭籠等)ことで力を及ぼすと考えられたようである。
 註記)以上,https://ameblo.jp/duku510/entry-11986277577.html

 ※-6 「真榊奉納」の神道的な意味など

 a) ここではさらに,つぎのように説明しておく。靖国神社の場合,「英霊」がその「人格神(「人のかたち」や「人としてとらえられる神」)」になっていた事実(信仰心)を,まず確実に踏まえておくことが肝要である。

 つまり,安倍晋三が靖国神社に直接足を運ばず参拝をしていなくとも,真榊奉納という宗教行為を間接的にしておくことは,靖国神社に対する信仰の告白,これを実行したことと同じ意義をもつ。

 靖国神社がかつては「国家神道の,それも陸海軍用設営になる国家的な宗教施設」であった。敗戦後は「民間の一宗教法人になっていた」ものの,それでもその基本の精神は,いまもなお「昔のままでありたい機関」である。

 すなわち,戦争「勝利用」であって「死霊仕立てになるこの神社」であるからには,国家神道の立場からなされる「宗教の行為」の意味は,より厳格かつ適確にも把握されておかねばならない。

 ましてや「英霊」(英雄である御霊)を合祀している祭壇を備えている靖国神社は,戦争督励・勝利神社であった本質的な由来に照らせば,1945年8月の敗戦体験が実際に経てきたなかで,その宗教的な含意を「放置できている〈宗教的な真意〉」は,第3者の立場からとうてい理解されうるものではありえない。

 そういう事情があったとすれば,われわれは「真榊奉納の意味」にこめられている「その国家全体主義的な真意(本意)」,および天皇家のためである「皇室神道」にもかかわっている「靖国神社」に固有である特定の本義(表裏一体的な秘儀・密議的な含意・企図)を,けっして,ゆるがせにしたままであったり,またその特殊な狙いをみそこなったりしてはいけない。

 もっとも,皇室神道におけるその人格神の最たる見本は,明治維新以降になってから皇居内に建造された「宮中三殿のうちの皇霊殿」にみいだせる。すでに,昭和天皇もその「1神」となって祀られている「人格神」である。賢所には天照大神(想像上の神の1人)が祭神として鎮座している。

 b) あらためていえば,こういうことであった。「賢所に天照大神」「皇霊殿に歴代天皇・皇族の霊」「神殿に天神地祇」といったふうな,皇居における皇室神道内の宗教の序列が,そこでなりに絶対的な秩序としてしつらえられていた。ただし,この宗教的な上下の秩序になる構成内容は,あくまで明治以来の創りものであった。

 しかも,これらのなかにおいては,過去に生きていた天皇たちもつぎつぎと神に変成し,昇格してきた。そうなってきていたのであれば,上記の神々に対する日本の「国民・市民・庶民たち」側の立場は,「いったい・なんでありうる」のか,ということになる。

 まさか,日本国に暮らしている人びと全員が,宮中三殿で拝礼する天皇たちをさらに仰ぎみて,拝礼する人びとにでもなるともいうのか? 同じ人間同士ではなかったか?

 「天皇家の『私』的性」が日本国憲法の「民主政」的な素性を溶融させるかのようにもして,こちら側の「『公』的性」のなかにもぐりこんでいる。

 皇室神道と国家神道,そして靖国神社との幸せな三位一体的な合体関係が,実は,この国における「憲法の民主主義的な由来」を,いままでも徐々に蚕食してきた。

 その事実は,民主主義と平和のための憲法だという謳い文句であった日本国憲法が,制定の当初からかかえつづけててきた根本の矛盾点を明示してきた。そのさいしかも「国民のためのこの憲法」が天皇をその象徴に戴いているとなれば,その相互の関係性はただならぬ雰囲気を醸している。

      ◆ 日本国憲法内にしこまれた原罪的な矛盾 ◆
 敗戦の翌年1946年,連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が起草させた日本国憲法草案は,2月3日マッカーサーの指示にもとづいて,総司令部民政局内で秘密裏に起草され,同月10日に完成し,13日日本政府に手渡された。

 その前文および本文92ヵ条からなるが,マッカーサーの指示は
  (1) 天皇制は存続させるが国民主権に基礎づかせること,
  (2) 戦争放棄,
  (3) 天皇制は存続させるが封建制は廃止
を内容としており,「マッカーサー3原則」と呼ばれた。日本国憲法の解釈論においても立法者の意思として無視できない意義をもっていた。

 このマッカーサー三原則は,すぐに気づくようにとくに,「(1) 天皇制は存続させるが封建制は廃止」するが,「 (1) 天皇制は存続させる」などと,珍妙きわまりない「絶対矛盾の措置」を日本に強要し,実現させた。

日本国憲法内にマッカーサー三原則が注入した原罪的な矛盾

 c) ところで,2019年12月9日のことであった。この日はたまたま新聞休刊日であったが,「皇后さま,56歳の誕生日…『国民の幸せに尽くす』」『読売新聞』2019/12/09 00:00,https://www.yomiuri.co.jp/national/20191208-OYT1T50143/  という記事を読むことができた。若干の感想を記しておきたい。

    皇后雅子さまは〔当時,2019年12月〕9日,56歳の誕生日を迎え,文書で感想を出された。皇后として初めてとなる所感で,国民の祝意に感謝するとともに「陛下とご一緒に,国民の幸せに力を尽くしていくことができますよう努力してまいりたい」と決意を示された。

 敗戦後,昭和天皇の時代に日本は経済面で大いに成長してきた。だが,平成天皇の時代になると,事後「失われた10年」を3回も反復させられるハメに陥っていた。

 今〔2019〕年の5月からは令和天皇が現職についているが,その配偶者(妻・女房)がこのように「自身の誕生日における発言」を国民たちに対して発する意義は,いったいどのような中身・実体として受けとめればいいのか。

 皇后雅子の発言にこめられた気持は了としても,現実におけるわれわれの生活実態とはほとんど無関係であるほかなかった。そうである必然性しかもちえない「彼女の発言」であった。 

 そのような発言の様式でもって,皇族たちがしばしば国民たちに向けて自分たちの気持ちを伝えようとする。だが,ごく平均的な庶民の生活状況を踏まえて応える場合,この種の発言は,どのように聞こえているか。

 今回における彼女の56歳誕生日の発言は,国民たち側の「生活の場」から受けとるとしたら,「十年一日のごとく苦しい生活」が続いてきている「大部分の者たちを囲む〈日常の時間と空間と場所〉」の立場からすると,

 あらためて聞きなおすまでもなく,どこまでもいっても “なにか肝心で大事な実感ないし質感” が欠けていた。なお,ここで指摘するのは実感であって,けっして共感ではない。(雅子の話題はここで終える)

 d) 本論,靖国神社に関した話題に戻りたい。
 いまの天皇の祖先に当たる人物としては,「神武天皇」からさらにさかのぼるに「天照大神」までいたとされる。けれども,どこまでも神話の世界における架空話である。しかし,この天照大神が,皇居内に造営された宮中三殿「賢所」に祀られている祭神である。

 なかんずく,靖国神社の場合でも,真榊奉納は実質的に「靖国神社の本殿に参拝する行為」と同等である宗教的な行為を意味していた。

 だから,前段で触れた宮澤佳廣『靖国神社が消える日』小学館,2017年8月は,つぎのように語っていた。

  ★ 秘儀か密教のつもりか,庶民たちは分からなくともよかったらしい話題 ★
 (前略) 安倍首相の確固たる政治信条もあって首相の真榊奉納は復活しました。ところが,マスコミがこの事実を報じるまでには相当の時間がかかりました。真榊が本殿脇(木階下)に供えられたのは〔2007年〕10月17日の朝のことです。 

 「誰も気がつかなかったみたいだね」 

 それから丸一日が経過した翌朝,中庭を掃除していた私の背後から南部宮司がこう声をかけてきました。「宮澤君,誰も気がつかなかったみたいだね」。そういって南部宮司は,ニヤリと笑いました。

 悪戯っ子のようなその笑いは,いまも脳裏に焼き付いていますが,例大祭の期間中,ついぞマスコミ関係者は誰1人として20年ぶりに復活した真榊の存在に気づきませんでした。そこで私は,神社新報に首相の真榊奉納を記事にするよう頼むことにしたのです。
 
 その後のマスコミの報道で,首相の真榊奉納の伝統は広く国民にしられるところとなりました。しかし,安倍首相の退陣と民主党政権の誕生もあって,その定着化にはなおも時間を要しました。

 第2次安倍政権が誕生して,平成25〔2013〕年の春からは首相以下,衆・参両院議長,厚生労働大臣名の真榊が奉納されています。これも,あのとき,私の要請を快諾してくれた山谷〔えり子〕議員のおかげです。

    早いものであれから10年が経過しました〔2017年秋の話〕。いまでは春秋の例大祭に際してマスコミが真っ先に報じるのは真榊の奉納です。

 私にしてみればひとつの目標を達成したことになりますが,本来ならば,それが当然のこととして報じられない状況が望ましいはずです。首相の真榊奉納が報じられるたびに,国家護持への途は途方もなく遠いことを私は実感させられているのです。

宮澤佳廣『靖国神社が消える日』59-61頁。

 ここまで論じてくれば,本ブログ筆者がなぜ,安倍晋三や岸田文雄などによる靖国神社への「真榊奉納の意味」に,わざわざ論及してきたか理解してもらえるはずである。

 自民党極右政権は,皇室神道や靖国神道の宗教精神を国家的次元において正式に位置づけたのち,国教そのものにまで格上げしたいと欲望している。「政教分離」などといった宗教上の問題などとは完全に無縁の意図が,そこには露骨に表出されていた。

 e) ところがその後,2022年7月8日に「安倍晋三銃殺事件」が起きていた。
 この事件をきっかけにして発覚したのが,国家神道・靖国神社関連の「信心」よりもなによりも,現世的な利害を最優先してきた自民党などの国会議員たちの実態,いいかえれば,統一教会との密接で親しい関係が,しかも「政教未分離の政治感覚」というべき重大な問題となって暴露された。

 国家神道・靖国神社をはじめ,多くの神道系の宗教団体などやこれに親和的な価値感を有した政治団体なども,統一教会(現世界平和統一家庭連合)と自民党政治との癒着関係をまっこうから大々的に批判できないでいる。実に奇妙な現象である。

 統一教会の日本側幹部(日本人が多い)は,信者たちから巻き上げた献金のうちその8割から9割ほどを韓国の本部に送金するが,残りは自分たちの懐に収めている。こうした事実に対して,日本の極右といわないまでも右翼政治団体から批判の声が小さいのは,どうしたことか。

 統一教会の問題になると自民党界隈ではなぜか,あの「反韓・嫌韓の政治意識」は影が薄い。ずいぶん不思議な現象である。参考にまでつぎの画像2点を資料として,ここでも再度かかげておく。

文鮮明に統率された日本国自民党?
文鮮明⇔安倍晋三⇔山上徹也

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