安倍晋三極右政権と皇室・天皇家の戦い-在日米軍と自衛隊が統合化する軍事事情のなかでの天皇明仁の判断-(1)
※-0 2024年4月1日における前書き的な記述
2024年3月(先月)26日であった,『日本経済新聞』朝刊4面「政治・外交」は「在日米軍の司令機能強化 自衛隊と統合運用 両首脳合意へ」という記事を掲載していた。
当該記事は上段にその全文を画像資料にして紹介した。ところで,この紙面版とはまた別個に電子版の報道もなされていたた。こちらの電子版は,3月26日「朝刊の記事」として報道される前に(それよりもさきに),
両記事〔とはいっても同じ記事だから当たりまえだが〕は「ほぼ同文であった」ものの,紙面版にほうには記載されなかった,こちらでは「削除されていた段落」が,電子版のほうにはもともとあった。というか,電子版において事前に報道されていた記事のなかで,その特定の段落が,つまり,その部分(段落)が削除されたかたちで,紙面版のほうは報道されていた。
〔前段の記述を受けて→ 〕 『日本経済新聞』の該当記事をめぐっては,その削除された事由が詮索されて,なにもおかしいことはないはずである。日本経済新聞社の編集部が采配した事項になるゆえ,ここでの議論は,あくまで推定にもとづく話題として記述することになるが……。
ここではまず,それらの「紙面版と電子版とのあいだで共通する部分」にかぎってみれば,両版においてまったく同一の記事であった事実を指摘しておく。いうまでもないが,あえて指摘しておく。
つぎに,先行して電子版のかたちで報道された記事のなかからだが,紙面版になると掲載・報道されなかった,つまり削除されていた,その記事の「最後にさら続いていた段落」の部分があった。
事後に残された「日付・時刻の記録」で理解しえた範囲内では,その記事が『日本経済新聞』の読者に届けられた順序は,電子版での報道がさきであって,朝刊の紙面版での報道はそのあと,という順番になっていた。
ところが,いま話題にしている紙面版の記事に関して指摘すると,電子版が配信された段階のあとに,除外(削除)される段落(内容)があった。
つまり『日本経済新聞』2024年3月26日朝刊4面「政治・外交」 に「749文字[有料会員限定]」分として配信(配達)された,この朝刊の新聞記事は,その前段階においてすでに報道されていた電子版の記事のなかには,そのあとに「つぎの段落(内容)」が記事として続いていたことを,あらためて注意を喚起してみたい。
具体的に指摘する。電子版での『もとの記述(報道・内容)』にうち紙面版になるとは削除されていたのは,前段に画像資料として紹介した「記事の最後の段落」
⇒「在日米軍の機能強化を巡っては,……」〔そしてここからその間をしばらく飛ばし,最後に飛んでから〕
⇒「……自衛隊と米軍の相互運用性を向上させるには,日米の緊密な調整が一段と重要になる」という部分までであった。
ここでとくに注意しておきたいのは,紙面版において削除された(消された)段落じたいの「ニュースとしての〈中身〉」が,はたして,いったいどのような性格を有していたのかという点に,関心がむけられてもよかったという点であった。
画像資料で紹介した紙面版では「その最後の段落となった箇所」から,さらに,電子版のほうでは「記事がつづいて」いた。以上のように報道されていた該当の段落を,つぎに引用しておきたい。なお,紙面版の冒頭のほうの段落のみは再度かかげて出しておくかたちになっている。
以下の記述は,前段で画像資料をもってすでに紹介してあった前後関係であった。けれども,ここでは活字そのものを太字に強調しておいたりもする措置もくわえた形式で,引用を繰りかえすことで,説明を念入りにおこなってみたい。
在日米軍の機能強化を巡っては,インド太平洋軍が指揮権を維持しつつ自衛隊と擦り合わせる司令塔となる調整組織を日本に置く案がある。「相互運用性や即応性を高めるため一段と効果的な指揮統制の関係をめざす」(オースティン米国防長官)狙いがある。
日本政府は相手のミサイル発射拠点などをたたく反撃能力の保有を2022年末に決めた。探知情報の即時共有や部隊の配置など日米で綿密なすり合わせが欠かせない。日本が遅れるサイバー防御や宇宙分野の対処力向上を巡っても一層の協力が重要になる。
自衛隊が「盾」,米軍が「矛」とされてきた役割分担の線引きが曖昧になる。自衛隊と米軍の相互運用性を向上させるには,日米の緊密な調整が一段と重要になる。
--しかも,こちら電子版の記事のなかにおいては,紙面版ではまったく掲載されていなかった,「Think! 多様な観点からニュースを考える」と標題を付した「識者から寄せられる寸評」の意見を,寄稿(感想)による「記事」として採用し,構成していた。
それは,少し後段になるが,「引用枠」内に紹介したものである。ただし,そこには「掲載される投稿は投稿者個人の見解であり,日本経済新聞社の見解ではありません」という断わりが付記されていた。ただしまた,そこに登場する寄稿者のうち1名は「日経の編集委員・論説委員」であった。
時間的な流れとして,この2名の寄稿は,いずれも3月25日中における投稿であり,翌日26日の朝刊を自宅や会社で読むことになる日経購読者との時系列な関係をみると,
「投稿者個人の見解」だから「日本経済新聞社の見解ではない」という断わりは,わざとらしく感じさせる〈なにか〉を,かえって(あえて?,想像もたくましくして)探ってみたくさせるような「文句」になってもいた。
このたぐいの投稿者は,日本経済新聞社の幹部社員であるから,この記事(電子版におけるそれ)については即時的に接しうる立場にある。その記事を読んですぐにこの種の寄稿をおこないえていた。そうだとなれば,いささかならずヤラセ的な紙面(電子版であれ)の構成になっていたともいえなくはない。
そうなると,手前味噌味のする「日経なりの工夫がある」と感じさせなくもない。すなわち,どのような寄稿が掲載され採用されるのかという点に関して気をつかえば,これは当初より,そこにはそれなりにうさん臭いモノが溜まっていたといえなくもない。
※-1 2015年時点で考えてみた「安倍晋三極右政権と皇室・天皇家の戦い-在日米軍と自衛隊が統合化する軍事事情のなかでの天皇明仁の判断-」
この※-1以降の記述は,いまから約9年前においてなされていたが,この日本国が対米服属軍事路線を,前項に登場していた記述を真似ていえば,その歴史的な事情・背景のまったく異なる史実,つまり
「統合運用の強化は時代の流れで」あり,「日本と同様に米国の同盟国である韓国には1978年から米韓連合軍司令部が創設され,朝鮮半島有事のさいは米国人の在韓米軍司令官が韓国軍の作戦統制権(指揮権)も握るなど統合運用の仕組みができてい」るから,「日本も同様に・・・・」といいたいかのような米日間軍事同盟関係は,
実は,本記述が主な内容(この※-1以下のこと)を書いた2015年8月19日ころの時代状況,いいかえると,安倍晋三の第2次政権が日米安保関連条約体制を構築してきたがゆえに,この国がいよいよ決定的にも対米従属国家体制であるほかない態勢になった時期については,韓国と米国との軍事同盟関係と日本のそれとの相違を議論する以前に,自国の軍事問題に固有である論点を真正面にとりあげて吟味する必要があった。
という前提に触れたところで,本稿の論旨,その要点をつぎに示しておくことにする。★-1,2,3はこの記述の結節点を意味させている。
★-1 豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』岩波書店,2015年7月刊行の意義
★-2 『昭和天皇実録』を通して敗戦後史における昭和天皇の政治行動を再考する研究業績
★-3 日本国憲法を平然と無視する我利私欲の発露過程であった昭和20年代史としての皇室・家長の逸脱行為
1) 「戦後史,内外の証言で迫る-ドキュメンタリー映画相次ぐ-」 『日本経済新聞』2015年8月18日〔本日〕夕刊14面「文化」,執筆は編集委員古賀重樹
戦後70年を問うドキュメンタリー映画が相次ぎ公開されている。沖縄の歩みを追う米国人監督作品や戦後処理の原点に迫るフランス作品。世界的な視点と内外の証言で日本戦後史に迫る。
米国人のジャン・ユンカーマンが監督した「沖縄うりずんの雨」は1945年4~6月の沖縄戦に始まり,米軍占領,日本復帰を経ていまに至る沖縄の苦渋に満ちた70年の歴史を描く。つぎの画像資料はそのポスターである。
「うりずん」とは沖縄の春から梅雨入り前までをさし,沖縄戦の季節と重なる。「この時期になると体調を崩していく人が多い」と歌人の玉城洋子が話すとおり,凄惨な地上戦を体験した沖縄の人びとにとって,戦争の傷はまだ癒えていない。映画は日米双方の証言を通して,沖縄戦の実態に迫る。
洞穴から出てきた民間人に射殺を乞われた元米兵。集団自決の現場を語る老女。民家に分宿し沖縄の生活に戸惑ったという元日本兵。爆雷をもって戦車に突っこむよう命じられた下級生たちを悼む元学徒兵。
米軍撮影の映像が生々しい。壕(ごう)から出る人びと。米軍の火炎放射。裸で歩く日本兵。収容所に入る民間人。
沖縄戦のあとも苦難は続く。土地の接収,基地の重荷,性暴力。ここでも日米双方の証言を引き出す。沖縄の復帰運動が反戦運動に発展する過程を追う一方で,米軍の占領政策,米兵のベトナムへの恐怖と沖縄への幻想をあぶりだす。1995年の少女暴行事件を起こした3米兵のその後も追い,1人はカメラの前で語る。
a) 負の部分が凝縮
与那国島の漁師を追った『老人と海』(1990年),世界の知識人に取材した『映画日本国憲法』(2005年)を監督したユンカーマンの集大成といえる作品だ。「米国は沖縄を戦利品として扱い,日本は沖縄に負担を押し付けた」とユンカーマン。そこに戦後70年の負の部分が凝縮する。
フランスのテレビ局が製作した渡辺謙一監督『天皇と軍隊』は,天皇制の存続と戦争放棄という戦後日本の出発点に正面から迫る。
天皇の名における秩序だった武装解除に驚いたマッカーサーは,占領政策で天皇を最大限に利用。その戦争責任を問わぬ代わりに,民主化と平和国家への移行を強力に推進した。映画は歴史家のジョン・ダワー,憲法の草案を作ったベアテ・シロタ・ゴードンの話を軸に,象徴天皇制を定める憲法1条と戦争放棄をうたう9条は「コインの表裏」の関係にあると論ずる。
さらに,東西対立に伴う警察予備隊の発足や日米安保条約の締結で浮かんだ戦後体制の矛盾。それに対する左右両陣営の主張を引き出し,戦後史を検証する。
天皇制という国内では敬遠されがちな論点への,欧州からの客観的な接近が新鮮だ。昭和天皇が原爆ドームと広島市民の前で手を振る1947年の巡幸の映像はロンドンにあったという。
日本でテレビドキュメンタリーを手がけてきた渡辺は「メディアの自己規制の高まり」に失望し,1997年にパリに移住。「枝葉の検証でなく,全体を俯瞰する日本戦後史」に挑んだ。同作は2009年以来,欧州を中心に世界15カ国で放送された。
b) 日本への関心
楠山忠之監督『ひとりひとりの戦場/最後の零戦パイロット』も複数の視点から戦争に迫る。中心となるのは99歳の元海軍中尉・原田 要氏ら日米双方の兵士や民間人の証言。パイロットからみた南京攻略戦や,真珠湾攻撃のさいに不時着した日本兵が殺されたニイハウ島事件の真相に迫る。
戦後70年を迎えた日本への世界の関心はけっして低くない。「冷戦後の民族主義の台頭は世界的な傾向で,日本の動向に欧州も注目している」と渡辺。ユンカーマンは「沖縄が不屈の精神で平和を訴えていることに希望をもつ」と語った。
2) 豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』2015年7月
a) 敗戦後史における象徴天皇裕仁は,新憲法を完全に逸脱した不法・違法な政治行為を重ねていた
この最新作(当時の表現だが),豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』岩波書店,2015年7月は,昭和20年代における米日政治史の実相,つまり「安保条約の成立に果たしたであろう〔昭和〕天皇の役割の需要性を雄弁に物語っている」(205頁)歴史の事実を追究した好著である。
豊下楢彦は,宮内庁監修『昭和天皇実録』東京書籍,2015年3月を通覧し,いままで豊下が公表してきた諸著作の内容と比較・考証し,『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』を執筆・発刊した。つぎの画像資料は本書カバーに撒かれていた帯の「表と裏」である。
豊下楢彦の同書は,敗戦後「象徴天皇に〈なっていったはず〉の天皇裕仁」が,どれほど政治家として大活躍していたかを,もちろん裏舞台でのそれなのであるか,彼が形成していった政治過程として解明し,あらためて白日のもとにさらしていた。
敗戦後日本の国際政治史において「昭和天皇は直接・間接に重要な役割を果たした」。敗戦直後の「憲法改正や東京裁判はもちろん,沖縄問題にしても安保条約の成立にしても」,この昭和「天皇をして」「『政治的行為』に駆り立てたものは,ひとえに天皇制の維持をはかることであった」
「したがって,『安保国体』ともいうべき体制の枠組が固められるに伴い,昭和天皇はこんどは『象徴天皇』として “後景” の位置から,日本の政治外交路線がこの枠組から逸脱しないように,節目節目において “チェック” する役割をみずからに課すことになった」(以上,208頁参照)
敗戦後にあっても,いわゆる,政治家とくに政権中枢に位置していた権力者たちに天皇が継続的に「なさしめてきた《内奏の問題》」は,その『チェック』のための場として,それも秘密裏に利用されてきた。
戦後史における天皇のこうした政治行為に関して,この事実が隠蔽されてきた日米関係裏面史を,じかに,そして注意深く観察しなければ,最近における安保関連(戦争)法案に連なる「歴史とその本質」の問題は,まともに理解できない。
日本国憲法下における象徴天皇という法律概念(憲法条項の遵守問題)が,天皇裕仁に関するかぎりでいえば,まったき「違法→大嘘」として記録されてきた。この「歴史の事実」は,とうてい否定できない「真実」であった。日本の国民・市民・住民たちは,この敗戦後史における昭和天皇の活躍ぶりを,1人ひとりがいまさらのように再認識しておかねばなるまい。
『朝日新聞』2014年10月22日朝刊に掲載された特集記事,「〈「昭和天皇実録」を読み解く〉専門家の目:中 講和に介入,事実上認める」という1編は,前段のごとき,敗戦後における昭和天皇の言動・行為に問題があった点を,明確に指摘していた。
b) 2015年8月15日「全国戦没者追悼式」における天皇明仁のお言葉
天皇裕仁の息子である天皇明仁が,2015年8月15日「全国戦没者追悼式」のあいさつ(お言葉)で述べたその一字一句の意味に込めた実質は,実は,父である天皇裕仁が「敗戦後史における歴史の形成者」として挙げてきた「個人的な政治行為の成果」を,日本政府が継承し尊重することを「安倍晋三に迫っていた」と解釈できる。
豊下楢彦のこの本『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』は,現代日本政治史に関する専門研究書であり,いささか読むにはむつかしい内容がある。しかし,関心がある人はみずから一読する価値があるし,その気になって読めばそれほどむつかしいとも感ぜずに通読できるはずである。
同書は,現代日本政治史における「皇室内に閉ざされた秘密史」をしらせている。つまり,天皇・天皇制(=皇室・天皇家)に対するわれわれの観方:認識を一変させる内容を,「歴史の事実」に即して議論する著作である。
もっとも,豊下が議論しているその内容は,彼の先行研究(諸著作)をもってすでに認識されてきた「歴史の事実」である。
出所)関西学院大学法学部での最終講義をする豊下楢彦。⇒ http://www.kwansei.ac.jp/s_law/news/2013/news_20130111_007263.html
敗戦後史において「憲法第1条〔~第8条〕(天皇条項)⇔ 憲法第9条(戦争の放棄)」の相対する関係性を裏づけてきたのは,在日米軍〔基地〕の存在であった。ところが,朝鮮戦争の勃発を契機に警察予備隊→保安隊→自衛隊が創設されていく経過のなかで,憲法第9条に不可避で固有である矛盾が発生させられてきた。
敗戦後史における第1条〔「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」との規定〕以下と,これに対する第9条の関連性が注目されねばならない。
第1条が第9条の上に〔下といってもいいが〕座している事実関係についていえば,ここにはさらに,これらに対する上部構造=重しである在日米軍が控えている。これら相互間の上下的な「均衡関係」は,占領軍の実力:軍事力によって,換言すれば権柄づくで維持させられてきた。
もっとも,その構造と機能の関係のなかで必然的でもあった〈明白な矛盾〉は,初めから「ないもの」と措定されておくほかなかった。これは,昭和天皇もそれなりに納得して受容してきた戦後史の政治事象であった。
しかし,自衛隊の存在は,第9条本来の歴史・由来=「戦争の放棄」に照らしていえば,どだい矛盾であるほかはなかった。この矛盾点は,だから「第9条との組みあわせ」にこだわって,「第1条」(天皇「問題」)を観察する必要をも要請する。
当初(日本国憲法施行時)あっては,第9条とはいちおう矛盾がない関係に置かれていると解釈されていたのが,その「天皇・天皇制(第1条)」であった。だが,以前には存在しなかった「米軍の代わりとなって編制され登場した日本国の自衛隊」が,そこに入りこんできた事実は,その憲法の状態に関して,どうしても矛盾を来たすほかない事態を惹起させていた。
c) 砂川判決の現実遊離性に観る日本国の対米従属性
『朝日新聞』2015年8月18日夕刊の「連載〈新聞と9条〉95 砂川事件:32」のなかでは,こういう指摘がなされている。
要は,最高裁段階における砂川判決〔アメリカ側の意向を全面的に斟酌した売国的な判断〕は,米軍の「占領」体制を問題視したくない判決であった。そのかぎりで,日本国憲法の趣旨(出自)に鑑みれば,間違えた判断ではなかった。
けれども,現在における「自衛隊の問題」にまで論点を拡延させて重ねてみるに,すぐに矛盾が感得させられる。第9条は「戦争の放棄〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕」を謳っていた。それを安倍晋三政権はいきなり,閣議決定によって「集団的自衛権の行使が容認できる」と決めた(2014年7月1日)。
かつてのように純粋に占領軍であった米軍ならばともかく,第1条との組みあわせで「集団的自衛権行使が容認できる」かといえば,問題があり過ぎる。日本国は,憲法を超越し優先した「国際法である米日安保体制」下の軍事事情に置かれている。
そうした国際軍事環境のなかで,いいかえれば,超越的に日本国の全体を軍事支配する在日米軍の存在が,当面は問題外にされたままでの議論になっていた。しかし,ここで自国の軍隊である自衛隊が登場させられてきて,米軍との集団的自衛権発動の問題になると,事情がまったく様相を異ならせてくる。
自衛隊と第1条との組みあわせは,日本国憲法の施行時には想定されていなかった。いうなれば想定外のそれであったゆえ,今日まで,自衛隊をこの憲法内ではとくに第9条と,どのように折りあわせて解釈し,落ち着かせておくかが,ときどきの政権にとっては,困難な解釈を要求される論点でありつづけてきた。その要点を図式的に表現してみる。
d) 安倍晋三による現憲法の破壊行為
ところが,安倍晋三が最近手を着けたのが,以上の「甲」と「乙」の併存状態(いままでの奇妙なかつ絶妙な?)を継続させるのではなく,今後においては溶融させるための政治をおこなっていた。
集団的自衛権行使容認・特定秘密保護法・武器3原則廃止などを前提する「安保関連(戦争)法案」の審議状況は,以上に「甲」と「乙」の区分を完全になくしてしまい,統合する企みであった。
ここで,いまさらにように提示されねばならない問題はなにか。
在日米軍は,以上のごとき状況の変移に対して実質的に加担する行動を,それもアメリカ側の立場=世界軍事戦略の観点・功利からは,けっして否定していなかった。
それどころか,むしろ自国の都合・目的に合わせて勝手・気ままに,その行動を同時並行的に進展させてきた。そしてそれだけでなく,日本の自衛隊を米軍のための補完軍事力に存分に利用するために「活して」きた。
安倍晋三政権の政治のもとにあっては,以上のような自衛隊事情をともかく皇室・天皇家の立場からみると,昭和天皇が敗戦後昭和20年代において,裏舞台において陰から大いに尽力してきた日米安保体制〔および日米地位(行政)協定〕の両国軍事同盟体制のなかで,それなりに均衡関係が維持されてきた「第1条から第8条」と「第9条」との対応関係は,いまや安倍晋三政権によって大幅に変更・歪曲された。
安倍晋三のいう「戦後レジーム」を否定しようとする政治観念が,もしも以上の推移に影響を及ぼしているとすれば,天皇明仁からみたこの現象は,「第9条」の解釈改変が「第1条から第8条」に対して,その「本来的な意味」の「基本的な変質」をも強要することを意味した。
象徴天皇になった「新憲法(日本国憲法)のもとでの天皇・天皇制」は,旧大日本帝国「軍における統帥権」者の立場とは,ひとまず完全に縁切りをしていたつもりであった。
ただし,その旧軍を代替する在日米軍が,占領軍として敗戦後の日本に侵駐してきた。むろんこの外国のそれも日本に勝利した連合国のアメリカ軍隊であるから,敗戦後に新しく創設・編制された「自衛隊」とは当初は完全に無縁であったはずであり,その登場さえ予想だにしていなかった。
それゆえ,いまの憲法のなかにおいて現状のようにまで自衛隊が軍隊:戦力として1人前に実力をつけては,かたちをなして定着してきたとなれば,この事実が意味するものは〔ここではあくまで表層的・形式的に観察しただけのいいぶんになるけれども〕,
間違いなく,戦前・戦中と同じような「天皇と日本軍との関係」「そのもの」が,擬似的な位相だけに限定されずに膨張していくのは,必然という意味で確実である。
本来の象徴天皇である存在様式にはふさわしくない中身・実体までに変質してきたのが,昨今における「憲法第1条〔~第8条〕」の真相である。
そして,それに対する「憲法第9条」の関連性は,「安保関連(戦争)法案」の構想・意図によって,この憲法制定当時からはかけはなれた意味関連を発生するようになってしまい,しかも,皇室・天皇家に対してもそれが押しつけられようとしてきた。
敗戦後における皇室・天皇家は,旧憲法のなかにあってはまともには実在しえていなかった「民主主義の国家体制」に対峙させられてきたが,このたびは,皇室が生存・継続していくための工夫がほどこされていた新憲法における「天皇・天皇制」条項の有する意義が,一挙に破壊されていくかのような,安倍晋三流の独裁的な強引政治が進行させられたゆえ,心中おだやかではいられない時期を過ごしてきた。
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【断わり】 以上で「本稿(1)」の続編「本稿(2)」の住所(リンク先)は,以下である。
⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/nace70eda77d5
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【参考記事】-植草一秀のブログ・文章から,など-
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【参考文献】-アマゾン通販を借りて-
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