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櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のアイドル的年増ネエさん

 ※-1 本記述の要点

  その1 櫻井よしこ著『櫻井よしこが取材する』ダイヤモンド社,1994年に記録されていた「ジャーナリスト本来の〈よしこの面影〉」は,いまいずこ

  その2 言論界関係人士にみる「資質と才能」と「思想と精神」の劣化およびその溶融現象

  その3 従軍慰安婦問題に関して櫻井よしこが展示してみせた「典型的な二枚舌」の見解変節

  その4 この国を凋落させ,衰退させる一途に拍車をかけてきた安倍晋三政権の体たらくは,従軍慰安婦問題に対する排外的な攻撃に露出された「国恥」的なみっともなさと裏腹

 ※-2 徃住(とこずみ)嘉文「 櫻井よしこ氏は『慰安婦』を『日本軍強制説』で報じていた」『週刊金曜日 オンライン』2019年4月19日 6:20PM,『週刊金曜日』2019年4/19号,http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/04/19/news-38/ 

 以前は,『朝日新聞』の日本軍「慰安婦」の記事を「強制連行を捏造した」と非難していた櫻井よしこ氏であった。しかし,彼女自身も実は,「日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たち」がいたと,テレビ,雑誌で報道していたことが分かっている。自身が文献のなかに残していた「報道内容にまつわる前後不一致」を棚にあげたまま,他者を「捏造」呼ばわりするのはアンフェアであった。

 これは(現在の『X』),いまから約5年前の指摘であった。

「あとはオボロ」の一例・見本

 櫻井よしこ氏がキャスターを務めていた日本テレビのニュース番組「NNNきょうの出来事」とみられる動画があった。1992年12月9日,東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」を,櫻井氏に瓜二つの女性はこう放送した。

 「第2次世界大戦中に,日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たちが,当時の様子を生々しく証言しました」

 その画面では「韓国人元慰安婦」の字幕とともにチマチョゴリ姿の元「慰安婦」が公聴会の壇上で叫ぶ。

 「私の一生を台無しにして! 日本政府は隠さないでしっかり謝罪したらどうなの!」

 男性アナウンサーの声。「これは元従軍慰安婦らから事情を聴き日本政府に謝罪と戦後補償を求める公聴会です。今回初めて名乗り出たオランダや北朝鮮の元従軍慰安婦8人が当時の様子を生々しく語りました」

 壇上では元「慰安婦」たちが泣いている。字幕の説明。「感極まって,韓国と北朝鮮の元慰安婦が抱き合った」。中国の元「慰安婦」,万 愛花さん(64歳,当時)のインタビューもある。「私は15歳でした。日本軍に襲われて両手両足を押さえられ,乱暴されました」。約3分弱の動画だ。

 フェイクの時代だ。万が一にもと日本テレビに動画の確認をお願いした。「放送したものがすべて。答えられない」。櫻井氏からも「裁判中なので」と取材を断わられた。

  ♠「責任痛感すべき私たち」♠

 しかし,櫻井氏は1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)でもつぎのように書いている(前掲した画像資料のこと)。

 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。

櫻井よしこ27頁
櫻井よしこ28頁
櫻井よしこ29頁

 櫻井氏は,この記事などを再録し,『櫻井よしこが取材する』ダイヤモンド社を1994年に出版した(上にかかげた画像資料3頁分はこの本から抽出し,紹介した)。

 少なくともこの年まで,櫻井氏は,日本が国策として強制的に「慰安婦」を作りだした,と伝えていたことになる。ちなみに,手元にある本は櫻井氏のサイン入りだ。フェイク本ではおそらく,ない。

 補注)以上,前掲,徃住嘉文・報道人,2019年4月19日号参照。

 補注)元『朝日新聞』記者の植村 隆氏が,元日本軍「慰安婦」に関する記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして,櫻井氏を訴えた札幌訴訟について,〔2019年〕4月19日(金)発売の『週刊金曜日』4月19日号が詳しく報じている。同誌は書店などで販売する紙版のほか,アプリを使った電子版でも購読できる。

 その裁判では植村 隆は最終的に敗訴していた。問題は裁判所側の判断じたいにあった。裁判所もしょせんは国家のための機関である。戦時中のその役割がどのように果たされてきたをしれば,本ブログ筆者がこのように決めつけ的に発言する趣旨は,理解してもらえるはずである。

 あるいは原発裁判にかかわらせていえば,国家の方針にさからうような反原発の判決を下せる裁判官はだいたいが,定年が近づいたか,あるいはそれ相応の覚悟をもって〈決断〉をしえた,一部の者だけである。いわゆるヒラメの裁判官にはまともな審理を期待できるわけがなかった。 

 さて,『櫻井よしこが取材する』ダイヤモンド社,1994年は昔,櫻井自身が従軍慰安婦問題について公表していた文章,「従軍慰安婦問問題の責任」(前出の『週刊時事』1992年7月18日号に初出したもの)を,27-29頁に収録していた。

 この「従軍慰安婦問題」に関する “その3頁分” はすでに,画像資料のかたちで前段に紹介した。これは,櫻井自身が従軍慰安婦問題について「取材して書いた文章であった」はずであるが,その後,このように書いた文章について櫻井がその後,撤回したとか否定したとかという措置をした様子はみられなかった。

 補注)以上の本文に関しては,「慰安婦問題検証映画『主戦場』で極右論客たちが衝撃のトンデモ発言! 櫻井よしこ,杉田水脈,テキサス親父,加瀬英明…」『リテラ』2019年4月27日 11:30,https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html が有意義な議論をしていたが,本ブログ内ではすでにくわしく紹介してあったので,ここでは参考記事としてもう一度紹介しておくにとどめる。


 ※-3「『私は歴史修正主義者ではないし日本会議とは何の関係もない』!? 植村 隆氏による名誉毀損裁判の判決を受け,櫻井よしこ氏が日本外国特派員協会での記者会見で弁明連発! 墓穴掘りまくり!! 」『IWJ』2018.11.16,記事公開日:2018.11.19,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435811 ,取材・文:IWJ編集部,文責:岩上安身。

 以下は,特集「IWJが追ったヘイトスピーチ問題〈特集 戦争の代償と歴史認識〉」(2018年11月22日全文書き起こしを追加,27日に加筆修正)である

 --「私はリビジョニスト(歴史修正主義者)ではないし,日本会議とは,なんの関係もありません」。記者会見の冒頭,司会者から「リーディング・リビジョニスト(歴史修正主義の指導者)」と紹介され,日本会議との深い関係も指摘されたジャーナリストの櫻井よしこ氏は,「一方的な見方をしているのではないか」と述べ,「話の前提が間違っている」と強く否定した。

 しかし,どう抗弁しようとも,櫻井氏が「草の根改憲運動」を進める日本会議の会長である田久保忠衛(ただえ)氏や前会長の三好 達(とおる)氏とともに「美しい日本の憲法を作る国民の会」共同代表であることは公の事実である。

 改憲推進の旗振り役として,ことあるごとに広告塔の役割を果たしてきた櫻井氏のいう「なんの関係もない」とは,単に「日本会議のメンバーとして登録はしていない」というだけに過ぎない。

 2018年11月16日,櫻井よしこ氏は,元朝日新聞記者の植村 隆氏から従軍慰安婦の記事をめぐり名誉毀損で訴えられていた裁判の判決について,日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見をおこなった。

 補注)FCCJとは,the Foreign Correspondents' Club of Japan(日本外国特派員協会)のこと。

 1)櫻井よしこ氏

 元朝日新聞記者の植村 隆氏(現・『週刊金曜日』発行人)が1991年8月,朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり,記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した,ジャーナリストの櫻井よしこ氏と櫻井氏の記事を掲載した株式会社新潮社,株式会社ワック,株式会社ダイヤモンド社を植村氏が名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で,2018年11月9日,岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決をいい渡した。

 判決は,「櫻井氏の記事には植村氏の社会的評価を低下させる表現があったが,櫻井氏が参照した資料には,櫻井氏が真実だと信じるに足る相当の理由があった(真実相当性)ため,櫻井氏の表現は名誉毀損に当たらない」というものだった。

 しかし,裁判の過程で櫻井氏は,植村氏を批判した記事の根拠とした,朝鮮人従軍慰安婦,金 学順(キム・ハクスン)さんの訴状の記述が実際には書かれていないことを指摘され,これを認め,訂正している。

 判決にある「真実相当性」とは,いいかえれば,真実であると信じられるまで十分取材を尽くしたか,ということを問われているわけであるから,櫻井氏の取材が「ずさんであった」と批判は当然であろう。植村氏と植村氏の弁護団は,判決のあった〔11月〕9日,控訴することを表明している。

 2)植村 隆氏(2018年11月10日,IWJ撮影〔だが,ここにはかかげていないので悪しからず)

 なおここではさきに,関連して付記されていた「IWJの関連する記事の題名」を紹介しておきたい。

  ▼-1 【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村 隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた,悪夢のような判決」!(2018.11.9)  

  ▼-2 櫻井よしこ氏は,なぜ司法に「特別扱い」されたか? 改憲運動を草の根で推進する「日本会議の広告塔」だからではないか!?(11.9)

  ▼-3 植村 隆氏裁判札幌地裁判決後の報告集会でIWJ代表・岩上安身が緊急事態条項の加憲に警鐘を鳴らす!(2018.11.9)  

  ▼-4 「ジャーナリスト」櫻井よしこ氏への名誉毀損訴訟 まさかの不当判決!! 「悪夢のような判決。言論で勝って,法廷で負けてしまった」(~11.10) 

  ▼-5 岩上安身による元朝日新聞記者で現・週刊金曜日発行人の植村 隆氏・小野寺信勝弁護士インタビュー(2018.11.10)

〔 2) の記事本文はここから→〕 〔11月〕16日のFCCJでの記者会見でイタリアの「Sky TG24」の記者から「ジャーナリストとして,なぜ,植村氏に話を聞いて記事を書かなかったのか?」と質問された櫻井氏は,

 「植村氏は朝鮮半島問題の研究者である西岡 力(つとむ)氏の対談の申しこみを2回断わっている。ワックが植村氏へ反論のための紙面提供を申し出たが,それも断わっている。私は朝日新聞に質問状を送ったが『木で鼻をくくったような』回答だった。だから植村氏には話を聞かなかった」と答えた。 

 櫻井氏が名前を挙げた西岡氏は,当時『現代コリア』編集長で現在は麗澤大学客員教授で,公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長。植村氏の記事が出た翌年の1992年より書籍や雑誌で記事の批判を繰り返し,1998年以降は,記事を「悪質な捏造」といって執拗に攻撃し,櫻井氏同様植村氏から名誉毀損で東京地裁に訴えられている被告である。

 自分と政治的立場が同じ西岡氏やワックの要請に応じなかったから,また,朝日新聞社の対応が悪かったからという自分の執筆活動とは無関係な理由で,であって,話にならない。

 さらに「Sky TG 24」記者に,「何人くらいの慰安婦に話を聞いたのか」と質問された櫻井氏は,以下のように答えた。

 「私は何十年も慰安婦問題を取材してきた。河野(洋平)官房長官,加藤紘一氏,外務省審議室長をしていて当時インド大使になっていた谷野作太郎氏,官房副長官の石原信雄氏,駐日韓国大使など,幅広く多くの人に取材しました。それにくわえて朝鮮半島問題の専門家である西岡氏などの話も聞いていた。慰安婦の方が語ったことの記事も読んだ。私なりに取材を尽くしたと思っているので,慰安婦の方に話を聞いてはおりません」

 自慢話のように,長々と著名人の名前をあげてみたものの,要するに櫻井氏は朝鮮人慰安婦問題においてもっとも重要な証言者である慰安婦本人にいっさい取材をしていないということも認めたのである。(引用終わり)

 つまり,櫻井よしこは自著『櫻井よしこが取材する』1994年から1歩も前進することもない状態でもって,いいかえれば,従軍慰安婦問題に関しては独自の取材をしないまま,この問題に対して「事実を認める立場」から「全面的に否定する立場」に跳躍的に退歩していった

 しかも,櫻井よしこがそのさい披露してきた立場の変化は,どこまでも言論人として基本的必要な「事実に対する調査:徹底した取材」を欠いていながら,自分が認めたくない「歴史の事実」を闇雲に否定・排除する意向だけを強弁する態度を明示していた

 3)櫻井よしこの足跡-歴史意識の混濁化と不覚-

 問題の核心には,櫻井よしこがなぜ,従軍慰安婦問題に関する「自身の立場」をそのように「自己において矛盾するほかない方向の立場」にまで変えていったかにあった。

 最近における櫻井の言論は,たとえば「櫻井よしこ氏『憲法改正なくしてわが国の再生はない』」『産経ニュース』2019/5/3(金)18:33 配信,https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000543-san-pol からも伝わってくる。

 彼女がその後において主張するに至った「妄想的な歴史の観念」像は,「敗戦という大失敗にはまった旧大日本帝国」まで以前を郷愁するがゆえに,それまでの時代において日本が重ねてきた「歴史の過ち」を,いっさい認知したくないからであった。

 櫻井よしこ〔だけでなく同類の人たちはみなそうであるが〕は,「憲法改正なくしてわが国の再生はない」というとき,彼ら・彼女らの念頭に置かれているのは「明治憲法(大日本帝国憲法)」的な国家体制の陳腐な復活であって,21世紀の「この先にふさわしい:新しいそれ」ではない。

 明治の時代(司馬遼太郎風に表現すれば)「坂の上の雲」を追い求めて,しれも自分の足下をよくみないで走りまわったすえ,結局コケてしまった「櫻井よしこ」の「みっともない姿」が目に浮かぶ。

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏は〔2019年5月〕3日,都内で開かれた改憲派の集会で講演し,「令和の時代,立派な日本国としての歩みをさらに強めなければならない。憲法改正なくして,わが国の本当の意味の再生はない」と述べていた。

 憲法を改正しさえすれば,それで日本が「過去に栄光あったかのように映った時代」が(具体的にそれはいつだったか? そのような時代が本当に存在していたか?),必らず再来させうるし,間違いなく再興も確実にできるとでも考えているとしたら,これこそ「思いつき的な妄想どころか,完全なる白日夢である」

 日本の政治・経済のうち経済を考えてみればいい。この後においてのこの国であるが,高齢社会がさらに高度化(深刻化)していく体制のなかで,かつての高度経済成長時代のような,あるいはこれに代わる躍動的な経済活性化が,どうやったら期待できるというのか。

 補注)ここまで落ちこんだ日本の政治・経済の実態・真相に関する分析は,最近作としてはまず,金子 勝『平成経済 衰退の本質』岩波書店,2019年4月,つぎに,斎藤貴男『戦争経済大国』河出書房新社,2018年4月を挙げておく。
 
 補注)補注1の文献が公刊されてからすでに5年ほど時間が経過しているので,ここでは参考文献の紹介を「アマゾン通販」のかたちで,紹介しておく。

 
 森嶋道夫が1999年に岩波書店から『なぜ日本は没落するか』という本を公刊していたが,それからちょうど四半世紀の歳月が経ったいまは,本当に森嶋の警告したとおりになっている。しかも,2010年代に登場した安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」が,その日本の没落過程を率先して推進する暗愚の首相となって登場していた。

 ちなみに,この安倍晋三と櫻井よしこは大の仲良しであった。

 さて,前述中に登場していた安倍晋三の腹話術「人形」みたいな国会議員である杉田水脈は,これらの本のなかに書いている「敗戦後史としての日本経済盛衰の全行程」について,実は,なにもしらない・分からない〈第2次安倍政権内の・おバ▲〉国会議員の1人であった。

 安倍晋三がいてこの女性議員もいたという国会の風景。より正確に批判して表現するとしたら,無知蒙昧状態のまま「国会議員」をやっている愚かな女性議員(しかも日本の全女性にとっては仇敵みたいな人物)が,差別発言を叫びつづけているこの杉田水脈でもあった。

 

 ※-4 大日本帝国憲法(明治憲法)のおどろおどろしさ

 現行の日本国憲法を改正〔?〕(改悪!)し,旧大日本帝国憲法に似ている「新しい憲法」を制定してみたところで,お里は(高が)しれている。明治時代の「坂の上の雲」をもう一度夢みてみたいと思う(渇望する)のは,勝手である。

 だが,それでもって,21世紀における日本の政治・経済の起死回生が期待できるとか,あるいは,その程度でしかない「保守・右翼の立場」からでも,なにかよりよい変革を導きうるとでも思いこんでいるのか? 

 わけても「従軍慰安婦問題の歴史的な起源」を全面的に否定したがり,明治の時代を懐かしく思い,その時代に似たこの国の姿を追想像するしか「能のなかった」安倍晋三とその驥尾に付していた一統は,あまりにも「自国の過去」「歴史に対する理解」が貧しすぎた。

 その点は,歴史を否定するにせよ,歴史を刷新したいにせよ,そうであった。

国難とは国という存在の困難を意味する・・・
戦前戦中に戻るとなにいいことがあるのか?

 E・H・カーは「歴史は,現在と過去との対話である」と説明していたが,もっぱら「現在に関する認識」は放置したうえで,おまけに「過去との対話」など大嫌いなまま,その「過去」が無条件でいいものだと盲信(誤信)できた安倍晋三政権的な特定の政治集団こそが,まさしく「現状のごとき〈国難〉的状況」にまで陥った「この国の惨状そのもの」をもたらしてきた。

 大日本帝国憲法(明治23:1890年)の冒頭におかれた「告文」のなかに「皇祖皇宗」「皇考」という用語が,いったい何回出ていたか。これほどまで神がかり的な文章にしておくべき憲法の前文の1種でないと,アジアで唯一後発した「大日本帝国」は,米欧帝国主義国にはとても対抗できないといった「劣等意識」(「西洋芸術と東洋〔日本?〕道徳」といった作風になる「強がり・負け惜しみの精神」)を強烈に抱いていた。

  告 文

 皇朕レ謹ミ畏ミ 皇祖 皇宗ノ神靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク 皇祖 皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益〻國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ增進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆 皇祖 皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ 皇祖 皇宗及我カ 皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ 皇祖 皇宗及 皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ 神靈此レヲ鑒ミタマヘ  

明治憲法のナミアブダブツ

 補注) なお,皇考とは,在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を指す語である。ここでは孝明天皇になる。

 まるで呪術のような文章であった。なかんずく,明治の結果:失敗は「古代史を近代史のなかにもちこみ,〈疑似神国:神聖国家〉を構想した点」が根本の原因になっていた。それでも,旧大日本帝国が体験させられた “歴史的な敗戦(敗北)の意味” は思いだしたくないらしく,いまとなっては「明治の時代」のなかになにもありうるはずもない〈宝物〉を,もう一度掘り出せるつもりでいる。しかし,21世紀のいまの時代にそのような実体はどこにも,なにもみつからない。

【参考文献】-アマゾン通販から,つぎに高木博志のこの最近作を紹介しておく。以上に記述したその内幕を日本史を通貫するかたちで説明している-


 明治「維新」は1868年を区切りになされたが,その後の1945年まで「77年間分の決算」は「昭和20年間分の敗北:戦時体制の終了」をもって締められた。この「歴史の失敗」を事実そのものとして,換言すれば「失敗とみなせない=〈倒錯の歴史感覚〉」そのものが,敗戦から80年近くが経つ現在にもなって「またもやはっきりと」頭をもたげている。

 「東京裁判史観」を全面否定したところで,敗戦までの77年間における「負の歴史」じたいが「観念の世界」において一挙に払拭・消去できるわけなどない。

 大日本帝国憲法よりも,そして日本国憲法よりもいい憲法を作るための改正ならともかく,『歴史の歯車』をともかく逆に回したいだけの安倍晋三政権1派には,実のところ,まともな「歴史観」など不在であった。自分たちの頭で新しい歴史を創造できず,むろん未来への展望すら開けていない。

 明治憲法をマネしたい,だから旧日本軍(陸軍だけでなく海軍も同列であったが)のなかには「従軍慰安婦」など存在しなかった,そのような制度などありえなかったと,それも必死になって「歴史のウソ」をいいはってきた。したがって,この問題の解決に前向きであるかのような姿勢は示そうとしないまま,ただ一方的に否定しつくす考えしかもちあわせなかった。

 21世紀の現在にあってもまだ「歴史の捏造作業」,すなわち,「あった事実」を「なかった歴史:無」にしておき,なおかつ同時に,19世紀末に制定されていた明治憲法がすばらしかったかのように回想したい時代精神に,「明日はない」。それよりも,改憲するならするでなぜ,21世紀のこの先を “それこそさきどりできる憲法” を作ることに考えが及ばないのか?

 従軍慰安婦問題を “イチジクの葉っぱ” でただ隠したがるような政治姿勢は,大相撲の力士たちの星取り表にたとえていえば,「大東亜(太平洋戦争)の完敗」を,つまり成績「2勝13敗」のような事実を認められない十両西10枚目の力士のごとし……。それでも「2勝」はしていた(?)と,なおいいはるのだから,物笑いのタネにしかならない。

 安倍晋三の唱えた標語「戦後レジームからの脱却」は,在日米軍基地に首根っこを抑えられたまま,現在の日本国に関する地位を一方的かつ想念した主張であった。そのかぎりで「その脱却」はもともと無理難題であったし,できることといったらせいぜい「戦後レジームそのものの保守」化,いいかえればアメリカへの従属体制の強化である。現に安倍晋三はいつも,トランプが喜ぶ対米従属国家体制の深化・進展に全面的な協力を惜しまない。

 トランプの「お尻を〔ここでは安倍晋三が〕舐める」ような米日主従国際関係のなかで,大日本帝国時代の従軍慰安婦問題くらいは “なかったことにしておきたい” という気持は分からなくはないものの,相手(その被害者・犠牲者)を完全に無視しなければ成立しない話題であった。

 裁判所までが安倍晋三「忖度判決」を下したところで,従軍慰安婦問題の抹消ができるわけはない。「そのもつ歴史の意味」を軽視する「国家司法の基本姿勢」は,世界中から軽蔑の視線を浴びる。このことに無頓着なこの国に特有である自己閉塞症状が露骨に現われていた。

 ということで,敗戦後史としての「対米従属国家〈日本〉」の意味を,つぎの※-5で考えてみたい。

 

 ※-5「〈耕論〉)9条,受け取る世代は 江藤祥平さん,栗山リンダさん」『朝日新聞』2019年5月8日朝刊13面「オピニオン」から江藤祥平の意見を聞く

 日本国憲法が施行されて72年。原点にあるのは,第2次世界大戦での敗戦という経験だ。いま日本社会では,敗戦国としての日本像も,経済大国としての戦後日本像もしらない世代が多数になりつつある。新たな世代は9条という遺産(レガシー)をどう受けとるのか。

 江藤祥平(憲法学者,1981年生まれ)は「 “虚構” だからこそ引き受ける」という題のもとに,以下のように語っている。若干ははぶきながら任意に選択して段落を引用する。

 a) 2002年,米国留学した私の目に映ったのは,大規模なデモの光景でした。報復的な戦争に突き進む自国政府への反対の声。他方,米国主導のイラク戦争に加担した日本は “私たちは戦争していない” という空気でした。独仏と比べても積極的に戦争を支持した国なのに,政府も国民も戦争の当事者性を引き受けていない,責任の不在を印象づけられる出来事でした。

 そんな時代に育ったせいでしょうか。「戦後日本は民主主義と平和主義の豊かな国になった」といわれても,私にはそれは虚構,フィクションとしか思えませんでした。防衛を米国に肩代わりしてもらうことで自身は経済成長に専念し,米軍基地の負担は沖縄に押しつけることでなり立っていた側面が戦後日本にはあるからです。

 b) 憲法9条の存在じたいには意味があったと私は考えます。軍拡を抑え,軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は,国際社会の信頼をえてきました。ただし,どこまで「下からの平和主義」だったかは疑問です。市民運動もありましたが,とくに1970年代以降は市民も無関心を深め,政治や法律のプロに任せっきりだったように思います。

 昨今の集団的自衛権の行使容認にしても,それを食い止めうる「われわれ」が存在しなかったのが現実でしょう。そんないまだからこそ,9条の原点に立ち返るべきだと私は思います。憲法前文と9条の特徴は,自国だけではなく世界の平和をも実現しようとする崇高な理想が刻みこまれている点だと私はみます。

 自衛権の行使を否定しているとは考えませんが,「戦力」に当たる実力の保持は禁止しており,他国の武力に対して劣勢に立つことが織りこみずみです。他国の侵略には国連など国際社会による介入で対応することが前提とされてもおり,現実の世界をみれば,相当の覚悟を要することです。しかし,それでも正義の原理にもとづく国際社会を作りあげる取り組みを国民に求めたのが9条です。

 c) 他国の平和にまで配慮したものですから,真剣に受け止めるなら,戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ,歴史の一歩先をいく性格を帯びた背景には,多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面からみれば,弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものともいえるでしょう。

 しかし,平和な国際社会を実現する覚悟をもつ「われわれ」が立ち上がったかといえば疑問です。政治は米国に追従し,国連に本来の役割を果たさせる改革を使命とはしてきませんでした。もちろん政治は国民の映し鏡です。国民に覚悟がないから,覚悟しないことが政治家の得になったのでしょう。

 9条の理想を追求する日本国民という物語は,それが虚構であるからこそ,引き受ける覚悟がなければなり立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。現実政治をみれば,そうした「われわれ」が立ち上がるみこみは小さいでしょう。しかし,その細い道筋を絶やさず追求しつづけることが必要なのだと私は考えます。
 (聞き手 編集委員・塩倉 裕)(引用終わり)

 日本国憲法第9条はいうまでもなく,「在日米軍基地」の実在によって裏支えされてきた。その第1条から第8条の「天皇・天皇制」の問題も合わせ鏡の要領で存在させられてきた。だが,江藤祥平は新聞紙上に公表されたインタビュー記事のなかでは,天皇関連への言及はしていなかった。

 在日米軍基地の問題に関する発言も,憲法学者としてごく人並みであって,格別の含意は示唆されていない。日本国民「だけの立場の問題」が特別にあるかのようにも語っている。だが,そうした論理・議論だけでは,安倍晋三たちのような「改憲したい欲望」をまともにとりあげ,対抗するための理論・思想の準備はしにくい。

 憲法の「第1条から第8条まで」と「第9条」とのあいだには,日本が敗戦してからずっと置かれている「在日米軍基地の存在」の問題があった。この問題はもちろん,憲法学者が本格的に議論してきたものの,最近では,もとは素人であった矢部宏治の議論がその論点を分かりやすく解説してくれている。

 日本国の現状はいまだに半国家であり,つまり半独立国だといっても過言ではなかった。この現実を踏まえない9条擁護の主張も,安倍晋三たちにおける改憲の欲望も,日本に暮らし生きているわれわれの日常生活とはかけ離れていた。安倍の改憲への意欲が,現状のごとき「対米従属国家:日本」の現状を,さらに固定化させる役目を発揮しないとはかぎらず,むしろその方途に向かう〈危険性〉のほうが確実に大であった。

 補注)話を2024年の現段階に引きなおして書いてみたい中味は,この〈危険性〉だと指摘された方途が,さらに深まっている事実である。とりわけ,安倍晋三以上に「世襲3代目の政治屋」としての「見識の〈不在性〉」を誇ってきた岸田文雄とこの政権は,

 2024年6月15,16日に実施された朝日新聞社の世論調査によると,内閣支持率22%(不支持64%)となり,とくに自民党支持率は過去最低の19%に落ちた。6月の20日を過ぎるころには「腰抜け岸田文雄,嘘つき小池百合子」などと並べて呼ばれる人物になりはてていた。

 いうまでもないが,カイロ大学卒業などと学歴詐称疑惑問題を背負ったオオボラ吹きの百合子の黒百合的な都民騙しの都知事人生が,またもや都民の有権者たちの選択をえるようでは,日本は今後も東京都という「腐ったリンゴ」を抱えこむことになる。

朝日新聞社世論調査2024年6月について
2024年6月段階における自民党支持率の19%はこの調査で過去最低だとのこと

参考にまで同じ6月に世論調査を発表していた時事通信社の結果も参照しておきたい

こちらの内閣支持率は16.4%で断トツにいままで一番の低支持率となった
この6月になって岸田文雄政権は「腰抜け」とまで形容されていた

 「戦後レジームからの脱却」? 誇大妄想である。在日米軍基地をすべて撤去してから,そのような夢想をいいだしたらよいのであって,そのあとになってようやく,日本がアジアの東端に位置する国家としてどのような役割を果たすべきかについても,おのずと議論の方途が開け,そのための具体的な目標も設定できるかもしれない。

 安倍晋三政権における(ここの段落では)2019年時点での話となるが,どうみてもトランプの飼い犬みたいな「迷・忠犬:シンゾー」に向かい,前段に言及してみたごとき国際政治次元の任務・課題にしっかりとりくめと指示したところで,「はつかネズミに」に対して「オマエが人間の乗る馬車を引け」というに等しかった。

 このままだと日本は,今後に向けて凋落・衰退の一途しか展望できない。いまは個人になって安倍晋三の場合,もともと,その展望「観」をくつがえすだけの政治理念も体系理論も,そして政治家としての覚悟も力量もなかった。

 安倍晋三が首相在任中に成就させえたのは,「日本を破壊していくための為政」であって,これだけにかぎっては確かに結果を出せていた。まったくもって,にっちもさっちもいかないこの国にさせたのが,この安倍晋三という名の「亡国・国難の首相」であった。

 本日の「本論的な話題」としてとりあげてみた従軍慰安婦問題に関して,安倍晋三が悪意的に示したごとき「情熱的な歴史否定観」は,ただ子供じみた発想での采配しかな執りえなかったがゆえ,東アジア諸国に対して顔を向けた「対米従属国家:日本」は,なんら積極的,創造的な外交関係を構築しえなかった。

 岸田文雄もまた安倍晋三の対米外交路線からわずかも外れるところがないまま,対米盲従外交とよぶのがふさわしい実績(負のそれ)しか上げえなかった。その意味で,1945年8月(9月)の敗戦という記憶は,いまなおこの国の国家精神における桎梏から脱却できていないままである。

 安倍晋三はなぜか,「戦後レジームの脱却」という標語に異様にこだわっていたが,それを唱えていれば,戦前・戦時体制に戻れる標語になるわけもないなかで,結局はなにもできない・しない「タダの無能・無策・無為の7年8カ月もの長期政権」を,つまり漫然と過ごしていくなかで,この国の政治・経済を崩壊し破綻させてきた。

 安倍晋三は2022年7月8日に死んだが,それから約2年を迎える昨今,この日本国は「アホノミクスからなるカラノミクスのダメノミクス」という有毒素が全身にまわってしまった。その後,岸田文雄が首相になってからこんどは,キシダメノミクスという新なる混迷に足を踏み入れたゆえ,この国の現状はもはや救いがたい局面に逢着した。

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